1995年4月20日発行のART&CRAFT FORUM 創刊予告号に掲載した記事を改めて下記します。
先人達の技術と知恵を得る手段の一つとして資料を調べ文献を読む場合「はて?」」と迷うことがある。かなり以前に染料植物の薬用効果について薬草図鑑で調べていた時のこと。紅花の中国での利用法の項で「中国の明時代に出た天工開物(てんこうかいぶつ1637年)には、ベニバナで作った紅花もちを烏梅(うばい)水で煮出して、稲わら灰で作った灰汁でたびたび澄ませると、色は大変鮮やかになる」という記述があった。いささか専門的な話になるが、実際に紅染をする場合には、この手順は逆で、まず灰汁で紅をもみ出してから酸で発色定着させるのが常法である。これはどこで話が逆になったのだろうか。著者か、訳者か、図鑑の原稿の時なのか、謎解きのような気分で何年かが過ぎた。
最近いろいろな文献に出逢うチャンスがあって、延喜式、紺屋茶屋染口伝書上下、農業全書、斉民要術、さらに問題の天工開物をも入手することができた。これは中国における技術の百科全書で、著者は宋應星。世界歴史年表にも載るほどの名著らしい。和訳者はこの書の研究などで第一人者といわれる薮内清氏であった。上巻の三に染色の項があり「諸色の材料」の最初に出てくるのが深紅色である。「その原料はもっぱら紅花もちである。これを烏梅水で煮出してさらに鹸水で数回澄ませる、或いは稲わらの灰を鹸に代えても作用は同じである……」和訳本でも手順は逆であった。薮内氏がこの書を読み始めたのが昭和23年ということであり、1992年第21刷発行のこの本に至るまで読み違いを見落としていたとは考えられない。
宋氏による序文の終わりの方に「日ごろ天工開物という一冊の書物を書いたが、残念なことに家貧しく珍奇な器物を買って考証しようにも生活の資に乏しく……やむをえず自分一人のせまい見聞のままに、これを自分の心におさめて書きとめたのであるから、事実にあわないこともあろう……」と記してあった。これにはほんとうに驚かされた。天工つまり神の創られた万物について解き明かしたものであるという本の著者にしては、あまりにも無邪気過ぎはしないだろうか。それとも尊大な自信家の見せかけの謙遜なのだろうか。
ともあれ、天工開物は挿絵入りの楽しい本であり、産業全般にわたる細やかな記述は読者を飽きさせない。各項目の最初に書かれている「私はこう思う……」で始まる氏の技術観は、自然のエネルギーとうまく共存共栄する方向を示している。紅染の手順が逆であってもかまわないことにしよう。自分の仕事の答えは自分でさぐり当てれば良いのだから。それよりこの本のスケールの大きさの中で遊んでいるうちに、次のヒントを頂戴してしまおう。
先人達の技術と知恵を得る手段の一つとして資料を調べ文献を読む場合「はて?」」と迷うことがある。かなり以前に染料植物の薬用効果について薬草図鑑で調べていた時のこと。紅花の中国での利用法の項で「中国の明時代に出た天工開物(てんこうかいぶつ1637年)には、ベニバナで作った紅花もちを烏梅(うばい)水で煮出して、稲わら灰で作った灰汁でたびたび澄ませると、色は大変鮮やかになる」という記述があった。いささか専門的な話になるが、実際に紅染をする場合には、この手順は逆で、まず灰汁で紅をもみ出してから酸で発色定着させるのが常法である。これはどこで話が逆になったのだろうか。著者か、訳者か、図鑑の原稿の時なのか、謎解きのような気分で何年かが過ぎた。
最近いろいろな文献に出逢うチャンスがあって、延喜式、紺屋茶屋染口伝書上下、農業全書、斉民要術、さらに問題の天工開物をも入手することができた。これは中国における技術の百科全書で、著者は宋應星。世界歴史年表にも載るほどの名著らしい。和訳者はこの書の研究などで第一人者といわれる薮内清氏であった。上巻の三に染色の項があり「諸色の材料」の最初に出てくるのが深紅色である。「その原料はもっぱら紅花もちである。これを烏梅水で煮出してさらに鹸水で数回澄ませる、或いは稲わらの灰を鹸に代えても作用は同じである……」和訳本でも手順は逆であった。薮内氏がこの書を読み始めたのが昭和23年ということであり、1992年第21刷発行のこの本に至るまで読み違いを見落としていたとは考えられない。
宋氏による序文の終わりの方に「日ごろ天工開物という一冊の書物を書いたが、残念なことに家貧しく珍奇な器物を買って考証しようにも生活の資に乏しく……やむをえず自分一人のせまい見聞のままに、これを自分の心におさめて書きとめたのであるから、事実にあわないこともあろう……」と記してあった。これにはほんとうに驚かされた。天工つまり神の創られた万物について解き明かしたものであるという本の著者にしては、あまりにも無邪気過ぎはしないだろうか。それとも尊大な自信家の見せかけの謙遜なのだろうか。
ともあれ、天工開物は挿絵入りの楽しい本であり、産業全般にわたる細やかな記述は読者を飽きさせない。各項目の最初に書かれている「私はこう思う……」で始まる氏の技術観は、自然のエネルギーとうまく共存共栄する方向を示している。紅染の手順が逆であってもかまわないことにしよう。自分の仕事の答えは自分でさぐり当てれば良いのだから。それよりこの本のスケールの大きさの中で遊んでいるうちに、次のヒントを頂戴してしまおう。