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ART&CRAFT forum

子供の造形教室/蓼科工房/テキスタイル作品展/イギリス手紡ぎ研修旅行/季刊美術誌「工芸」/他

「まじめな時間」 榛葉莟子

2017-09-16 08:58:29 | 榛葉莟子

2007年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 45号に掲載した記事を改めて下記します。

「まじめな時間」 榛葉莟子


 こんなに晴れているのに富士山や遠く近くの山々、南アルプスや秩父連峰などが灰色の向こうに隠れて姿が見えない。八ケ岳でさえも白い紗を覆ったように霞んでいる。散歩の途中霞みの中に消えた山々をぐるり眼で追いながら、奇妙な不安にいつものふかい深呼吸をちゅうちょしていた。春先、遥か遠く中国大陸からの黄色い砂の嵐の余波、黄砂の影響は日本列島に及びます。有害物質が含まれ…云々と天気予報で知らされていたのが頭をよぎっていた。上昇した黄砂は天空をベールで覆い陽のひかりを遮断した暗がりの朝がテレビに映っていた。清々しさに欠けた晴天の朝の空気色の濁りは気のせいではなかったとその一端は想像できる。そして三日目位に上空のベールは一掃された様子でひかる青空を背景に山々の姿はくっきりと静かにいた。

 それにしても、おもいっきりの深呼吸にちゅうちょするなんて事は黄砂に限らない。昨今の奇妙きてれつ、複雑怪奇の流れはなんなんでしょうか。複雑過ぎる情報過剰過多を挙げる意見は多い。ならば情報が少ない昔はどうだったのだろう。と比べてみても始まらないけれども、まじめな時間はたっぷりあったといえるかもしれない。その時間は知らず知らずの内に自分が自分を育てている。よりどころのような揺るがない静けさを心の内に養う「ひとり」の時間なのだ。それは特別な事ではなく誰もが当たり前の事として、お互いがお互いをじゃましない礼儀はそなえていたのではないか。まじめの入り口には自分に正直であり素直であるという当たり前のヒトの生の原点が必死に光っている。根底で自分を支えているその静かにひかる無垢の力に蓋をしてはならない。

 いっときでも誰かとつながっていなくては不安でたまらないというサビシガリヤはますます増えている現実を耳にする。サビシイとさびしいと寂しいと淋しいと、こうして文字に書いてみれば微妙に違うさびしさが見えてくる。いつでも携帯電話を握り締めていては本の頁はめくれない。まじめな時間の足りなさはどうだろう。まじめな時間は足りているのだろうか。あえていままじめの言葉を使うのは、まじめはダサイとかカッコワルイなどというネガティブの意味にすり替えられてまかり通っていたもったいなくも、時間泥棒の侵入に気づいていない時代があったのはそんなに遠くない。なぜそんな流れが入り込んでしまったのだろう。それはイジメにもつながっていく道筋が見えてくる。まじめが誉め言葉の頃、いじめっこはいても「イジメ」というカッコでくくるワガモノガオの言葉はなかった。まじめという言葉にしてもいじめという言葉にしても、偏った意識を助長させてしまったようにも思う。字を書かなきゃ馬鹿になるよと、いつだったか詩人の大岡信氏の思わず発した警告を思い出す。

 この村から村という名称が消えてからは、農村独特の田園風景や空気の変化や森羅万象さまざま触れた何かを文章に描写したいときあれっと流れが止まる時がある。村は町という字の名称に変わっただけで、山や川が消えてしまった訳ではないのに、まったくの創作の場合を除きもう村という字は使えない。村という字の響きは独特な響きだ。響きや雰囲気に連れ出されて、鉛筆の汽車に乗ってそれは遠くに旅をしてきた不思議な感覚の経験もあるし、何よりも村という字に感じる曲線のイメージは静けさにいつも寄り添われているような、それにとてもいい匂いの字なのだ。これからは町の字を好きになろうと思う。それにしてもおもしろいもので創作の場合など字から受けるイメージの色合いは村と町ではまったくちがう。町と街でもちがう。実際、今もどこかで村から町へさらに市へと、何だか路地裏の小路が消しゴムでさっさっと消されていくような事態は、平気な顔して起きていると思われる。名前そのものすら消えて何丁目とか数字の区分けになってしまい、残念とか惜しいとかの怒りの声は日本国中あると思う。あの黒門町なんて町の名がどうして何丁目だからにならなくてはいけないのか、その感覚がいまだに分からない。漢字の町の名前は歴史を語る語り部の役でもあるのに。この国は漢字の国なのになあ。そういえばベトナムはかって漢字の国だったということを最近知った。この現実はすでに哀しい過去形なのだった。知らなかった恥ずかしさを自分のこの国に結ばせたなら、なにかポロポロと平気な顔をしてこぼしているものが見えてこないだろうか。漢字に限らないけれども惜しいことばかりだなあとこの頃胸につかえる事は多い。

 もう半年ほど前の事だけれど、夜窓の下で大きな声でなく猫の声に、何事かと見ると家の猫だった。出入りの戸までのジャンプができない瀕死の重症であることが分かった。家族に仲間入りしてまだ間もない若い猫は、覚えたばかりの私たちを頼りに夜遊びのどこからか必死に足をひきずってきたのだった。手術入院通院と治療の日々は三ヶ月を超え、心配をよそに今では走りまわっている。私たちを頼りに必死に戻ってきて声を限りに呼んでいたその姿に私は感動する。生あるものどうし生きたいという本能的な必死さは思い出してもまた感動する。生きるということの原点にぎゅるっと振り向かせられる瞬間であった。

「自分のカタチ」 榛葉莟子

2017-09-05 09:09:11 | 榛葉莟子

2007年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 44号に掲載した記事を改めて下記します。

「自分のカタチ」 榛葉莟子


 「生活」の漢字をばらしてみれば、生存して活動することと辞書にある。わざわざ辞書を引くまでもないこととはいえ、生活はと問われればどこか生々しい。それはそうだ。生きることそのことなのだから。実際、生はナマとも読み生身である身を生き活かす生き方、行き方にもつながっていく。

 当たり前だけれど本当に生きている限り「私」はつきまとう。いつもいつも「私」がいる。密着している。別なところに「私」はいない。「私」から逃げることはできない。そういう「私」から眼をはなしてはならない。生活していくおもしろさや充実はここからはじまるのだよと叫んでみたい気がするのは何なのか。誤解を恐れずに言うとしたなら若い時代は徹底的に「私」にこだわってみなければ次はみえてこない。あの、私が私が…の自我を立たせているうちに、なんとまあちいさい私がいるなあということに気づかざるを得ない時は必ずやってくる。そしてある時、次の結び目がみえてきてちいさな自我を抜け出した自分を発見する。それまで知らなかった自分に出会う途上途上の経験が、その新鮮を喜べる性格を次々と引き出していく。そうやって自分の生活、つまりは行き方が生き方を創造し生み育て自分のカタチは創られて行くのではないだろうか。人生はすばらしいと感じる生活が自分のカタチを引き出していく。たとえば選んだ職業の環境を含めた生活が、その人をその職業特有のしぐさとか醸し出す色合いの外見などカタチつくっていてその職業を当てることは難しくない。見る側の眼の責任もあるけれど不思議だなと思う。それは誰でもないその人に潜んでいる力を生き活かし自分を創っている自覚あってこその自分のカタチなのではないだろうか。自分のカタチとは精神のカタチということなのだ。そういえば、自分で自分を彫刻するという言い方もある。

 流れの回路が固く塞がれてしまったような重さがやってくると、こっちこっちと私を引っ張る詩的直感の導きの糸がみえなくなる。苦しいなあ。と、たとえばこんなふうな干からびた感想を口に出すことによって、あえて自分を奮い立たせるこれはひとつの術とも言える。そう、私たち一人一人の内なる奥底には庫が在ってそこにはすでに創られているか、あるいはこれから創られることになっているいっさいはこの庫に貯えられているのですよ。と、突然耳元で風がささやいた。その深みへ潜っていって経験の真珠を持ってくるのですよ。と、また風がささやいた。その風を追いかけていきたいと思った。すると花いっぱいの野原にでた。青い空には糸玉みたいな昼の白い月がぼんやり浮かんでいる。花摘みなんかしていると指先に何かひかるものがからみついた。からみついたものはとてもきれいなひかる糸。引っ張るといくらでもするすると延びてくるではありませんか。どうしたって何か編んでみたくなる。草の茎の編棒を手にしたとたんもう手は動きはじめている。するするするするひかる糸は私をさそう。編み物する手はもう止まらない。魚つりの狐に会った。狐はいっしょに遊ぼうよという。でも、編み物する手が止まらない。するするするするひかる糸は私をさそう。うさぎのふうふに会った。お茶でもいかがとうさぎの奥さんがいった。ありがとう。でもね編み物する手が止まらない。するするするするひかる糸は私をさそう。たわわに実るりんごの木に会った。甘いりんごを召し上がれといわれても編み物する手が止まらない。するするするするひかる糸は私をさそう。ねぐらに急ぐ鳥の家族に会った。もう家にお帰りとお母さん鳥が言ったけど、編み物する手は止まらない。するするするするひかる糸は私をさそう。空はばらいろの夕焼け。でも編み物する手は止まらない。そしていちばん星を見つけたとき編み物する手がぱたっと止まった。みると私の手には出会ったみんなが編み込まれたそれは大きなマフラーができあがっていた。そのとき空の上から大きなくしゃみ。見上げるとそこには三日月さまがいた。それに三日月さまのしっぽからほどけた糸がきらきらひかって揺れている。まさか!私は驚いた。すると上の方からくぐもった声がした。やあ、君だったのかい。ずっとぼくと散歩していたのはといった。それから大きなくしゃみが三回。どうもかぜをひいたようだよハークシヨンと。私は大急ぎで三日月さまにマフラーを巻いた。すると、うれしいなあ。こんなマフラーがほしかったんだ。ありがとう。三日月さまはそう言うとマフラーをなびかせてゆらゆらと夜の空高く昇っていった。すっかり夜になってしまい大急ぎで家に帰った。ドアを開けたとたん明るい電灯のひかりの奥からおかえりと声がした。

「円は閉じない」 榛葉莟子

2017-08-27 13:06:11 | 榛葉莟子

2007年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 43号に掲載した記事を改めて下記します。

「円は閉じない」 榛葉莟子


 騒がしく小鳥たちが鳴いている。たて続けに鳴いている声はのどかなさえずりではない。小鳥たちだって何事かの訳あって喧嘩もするし奪い合いもする。やってるやってると窓の外に眼をやれば案の定、紅葉の小枝の一部が揺れて乾きはじめたあかい葉がひらひら舞っている。いったい何をしているのかと、時には骨董めいた双眼鏡をのぞくのだけれどもいまだ感動の焦点の目盛りに間に合ったことはない。けれども耳に聞く小鳥の声のさまざまに感動するという事はよくある。たとえば夕暮れ時、近くの竹藪に雀の大家族が帰ってきた時の鳴き声の合唱はすごい。そのざーっと落ちる滝の水音のごとくのすごさはほんの一時で、さあ眠りましょうとばかりにぱたっと竹藪は嘘のように静かになるあっけなさは拍子抜けする。朝方ちゅんちゅん小鳥の声に起こされることはあっても、夜に起きているのは神社の暗闇の方から聞こえてくるほーほーというふくろうの声くらいのもので、みんな小鳥たちは陽の暮れとともに眠りにつくはずだ。ところがある夜、けたたましく鳴く鳥の声が近くに聞こえた。それは鴉とすぐわかる声で何羽位だろうか尋常ではない鳴き声だった。奪い合いでもない喧嘩でもない、なにかが起きてるそんなことを思わせるあわて振りの激しさに、どうしたのだろうと耳をそばだて暗闇ばかりの方向に眼を見開いてみても見えるはずもない。一時間くらいそれは続いただろうか。ぴたり鳴く声は止んだ。そして翌朝早く激しく鳴く一羽の鴉の声に起こされた。昨夜と同じ鴉の声は、あきらめ切れないかのように激しく鳴き続けていたけれどまもなく静かになった。あれは鴉のお母さんだ。そう思った。こどもが木から落ちたのではないか。きっとそうだ。その時そう思った。確かめに向かった眼の先の道に小さな黒いものがしんと横たわっていた。やっぱりそうだった。どうすることもできずに激しく鳴き、呼び続けていた夜の鴉の家族。あきらめきれずに鳴き、泣き、呼び続けた早朝の母鴉を更に思えば胸が詰まる。放ってもおけず袋に入れた。然るべきことの間中、鴉のお母さんの視線を感じていたのは気のせいだろうか。尋常ではない事が起きれば鴉だって眠れない夜があるのだという事実の奥にみる共通の生のせつなさか。

 大なり小なり抱えている問題や葛藤が時には睡眠をじゃまするなんて事もよくある話で、眠れぬ夜など珍しいことではない。電灯が消えた暗闇の床の中、風が庭の落ち葉を掻き集めている乾いた音が夜の静けさをいっそう濃くする。たとえばこの暗闇の床の中でさめざめと泣く事もできるし、闇のなかに感じる気配と無言の対話もできるし、そこには自由な選択がある。変な言い方かもしれないけれども生きている途上途上に、岐路は常に立ちはだかりその選択の自由はまかされている。たとえば私は脱皮を重ね続けていたい方を選択し続けているにすぎない。それは閉じない円でありずれていく円のイメージの図が動かしがたくあり、私を引っ張り続けているようにも思う。円は閉じてはいけないのだ。そう感じるのは生命のふくらみというものの企みなのかもしれないし、私たちは案外その企みの軌道に乗っかって現在をはばたいているのかもしれない。そしてそのはばたきのなか、さまざまな思想と出会ったりぶつかったりする。たとえば、久しぶりに電話で話をしていた画家の友が「何も悩みはない」と得意気に言い放ったのを聞いてえっ?と絶句したり、また別のものつくりの知人は会話の中で、「私には恥の概念はないのよ」と誇らしげに言ったのを聞いたとたん、私の内でくっと円が閉じる拒否反応の音がしたりする。悩みも恥もからめ、まるごと生身を生きている私には言い切ることは定義付けという糊付けを自らにしてしまったような逆にもったいなさを感じる。いまだ開かずの扉を発見し続けたい現在進行形の自分にとって、それらの問題にぶつかるごとにそれは対話に向かう切り口、つまりは想像し創造し開き広がっていく原点ともなる。もったいないは眼に見える物をいとおしむ節約ばかりでないのは言うまでもなく、もって生まれた精神的な力、生命力を引き出すのにも円は閉じないというイメージがある。

 秋も深まりと言いたいところだけれど、ちっとも話題にならないあることが気になる。夏の終わりから秋にかけて一日中、草むらや部屋の片隅から聞こえているはずの虫の独唱、輪唱、合唱を聞いてない。ふと気がつくとすでに晩秋に入っている。ほとんど虫の鳴く声を聞かないままもう霜が降り、草は枯れてすでに冷たい風が吹き始め、冬の活字が眼につくこの頃だ。秋の虫たちはどこに行ってしまったのだろう。天変地異。そんな言葉さえ口にしても奇妙とは思えないニユースはひっきりなしだ。思い出したのだけれど、普通に口ずさむ子守歌をうけつけない赤ちゃんがいるという事に驚きなぜたろうと不審だった。つけっぱなしのテレビに子守をさせる現実があり、テレビから流れる売らんかなのコマーシャルサウンドの中には、短調のメロディがひとつもないという。悲しみの感情、悲しみの旋律を耳にせず知らないままに赤ちゃんから情緒の芽は摘みとられていくのだろうか。

「トンボより蜻蛉」 榛葉 莟子

2017-08-19 13:08:18 | 榛葉莟子

2006年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 42号に掲載した記事を改めて下記します。

「トンボより蜻蛉」 榛葉 莟子


 いつだったかある日知り合いのおじいさんと立ち話をしていた。話はどうということもない世間話で、いやどうということではない憲法改正に関する話題や、韓流ブームといわれる中高年の女性達の大騒ぎの話題が其処へ交差したり。わたしはほとんどそうですよねなどとあいずちを打つばかりの聞き役だったのだけれど「まったく昨今のおばさんの少女化はどうしょうもないですな」とため息まじりの一言に、そうですよねのあいずちの言葉はのどもとに引っかかったまま吹き出してしまった。わたしも中高年のおばさんだけれども「おばさんの少女化」とはなんてうまい表現なんだろうと感心が先に立ってしまった。叱られているのに傷つかないのは少女という言葉の雰囲気がユーモアに転化しているせいかもしれない。おじさんの少年化にしても同様で、からだのなかの水脈から湧き出る清流のかすかな音が呼び出されて、灯をぽつとともした笹舟がゆらゆらやってきたりする映像が見えてきたりするのかもしれない。それでも、おじいさんの言葉のふしぶしには幼稚化とのはざまは紙一重ですなあの心配の警告の匂いはする。

 紙一重というぎりぎりのあちらとこちらの境界の、隙間に隠れているなにかがひっそりと動く気配の尖端にはなにか詩的に素朴な匂いの水滴がぶら下がっている。そこには郷愁とか情緒とか記憶に繋がる静かな情熱の炎が写っている。

 夏のおわりと秋のはじめが溶け合いながら、経由してゆくはざまの季節のいま、あいまいもこ空間はコマーシャルの文句ではないけれど美しい日本と自慢したくなる湿り気をふくんだ空間。私たちは四季のうつろいの経由と共に生きている。季節のはざまはざま、おわりとはじめの中間の間(ま)の感覚、あいまいもこの空間は当たり前に心身一如の血肉にある。間の感覚は日常の言葉の其処此処に、時に意味として時に比喩として生きているくらい当たり前の間なのだ。間をつめる間をあける間が持てない間がいい間が悪い…きりなくある。おわりよければすべてよしと思い込んでしまった挙げ句のはて、勘違いのスピードに乗せられて走れ走れと尻をたたかれているうちに、私たちの無口な間はどこかにさらわれてしまったのだろうか。乾燥しきっていると日毎に感じる現代の今。生物として人間として真っ当とは、なにをさして真っ当というのか。私たちは私たちの間の感覚、記憶の底をゆったり流れる素朴な清流の音を思い出さなくては、乾燥による心の砂漠化はあまりにもひどすぎる。

 腑におちたりおちなかったり、窮屈に感じたり感じなかったり直感の浮上がある。なにかが引っかかったままピン止めされていたりすることは結構ある。引っかかるというのは感情のはたらき動きと思うし、記憶の関わりがからんでくるとも見える。直観を信じるというところはあるけれど、単に心配性ゆえの感情の揺れの挙げ句のはてに過ぎないという場合もある。腑に落ちないと感じる場合は、外側に向けてその通りとは言いたくない感情が浮上している自分がいるわけで、内側では確信めいたものが漠然とあるようだ。後々になってやっぱりという気づきが待っているのはおもしろいと思う。言うに言われぬ窮屈をからだが先に察知するのもおもしろいと思っている。それに腑に落ちるとかおちないとかの腑は、はらわたつまり腸のことと辞書にある。あの五臓六腑を縮めた言い回しであるとも思われるしからだ全体とか腹の中、心の中などの意味を言っている。丸ごとの自分が納得し腑に落ちると、内部の歯車に油が注入されて軽やかに動き出す感覚を実感する。心の悦びはそんな実感のふちにも生まれる。

 視界をふさぐ程のどしゃぶりの雨がやんだ。突然の雨の直前、わたしは庭先から空を見あげていた。数え切れないほどの赤トンボが舞っていた。飛ぶというより舞う感じだったのは、目の先の無数の赤トンボは二ひきずつ繋がった結婚飛行中だったのだ。造形的なその姿かたちが愛らしい。あの突然の雨でいったい赤トンボの群れはどこに行ってしまったのか。こういう心配はチョウチョにも小鳥にも一瞬でも起こる情というもので、ちゃんとあるべき場所で雨宿りしているはずだし、もしもそうでなかったらとっくに絶滅している。そんな心配をよそに雨があがればどこからともなくひらひら舞いでているのを見届ける。何年か前の冬のこと、庭先にしゃがんでひなたぼっこの小春日和の昼間、ふと首をかしげた眼の先にキラリ光る宝石を見つけた以上にうれしいものに眼が止まった。眼の磁石が働いてというしかない不思議な瞬間、枯れ草の間にはっきり見えた透き通ったトンボのはねの片一方。いつごろのものかという化石化したものとはもちろんちがう。ほのかに黄みがかったこの造形物は、幾何学的な線の交錯がぎりぎりの薄さを支えている。ただ美しいと感じるそこには、なにか古い建造物を見た時に感じる力学的な強い美との共通を垣間見た印象が強く残っている。だからトンボは軽やかな重さが感じられる漢字の蜻蛉がいい。

-お知らせ-
榛葉莟子 個展
2006年9月25日(月)~10月4日(水)
ART SPACE 繭
東京都中央区京橋3-7-10
TEL 03-356-8225


「ときめきに出会う」 榛葉莟子

2017-08-11 09:16:22 | 榛葉莟子
2006年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 41号に掲載した記事を改めて下記します。

「ときめきに出会う」 榛葉莟子

 一天にわかに掻き曇り、見上げた空にはもくもく黒雲がわきでている。今しも大粒の雨が落ちてくる気配に一緒に歩いていた知人と顔を見合わせた。来るよ来るよ急ごうっと帰り道を走った。家に着くとまもなくパラパラパラパラ其処いら中にぶつかるようなすさまじい音が始まった。驚いた事にバケツをひっくり返したようなものすごい量の霰(あられ)が勢いよく降ってきたのだ。何事かと猫まで走って出てきた。白色不透明の小さな氷の玉の大群が、緑の地に勢いよく飛び跳ねて四方八方に転がる光景に魅とれた。足もとに転がってきた一粒の氷の玉を透かしてみれば汚れた白さの輝きを見る。みぞれにまじって降る霰や雹(ひょう)は経験済だけれども、大量の氷の霰だけが降り続く現場に出くわしたのは初めてだった。あっけにとられたまま降りしきる霰の大群を眺めていたあのファンタジーな数十分は、天のいたずらだったかのようにもうしとしと雨が降りはじめ、静けさの向こうからカッコウのなく声が聞こえていた。

 こんな機会に霰の漢字を辞書で確認できたのだけれどそのついでにおもしろくもあるし感心したのは、おかきのあられは言うに及ばず、降る霰の様子に似せたあるいは偶然似た霰状の模様や姿かたちを呼ぶのに、霰を頭につけた途端説明や意味を超えた洒落た匂いが漂って来てぱっと感覚を刺激する比喩のうまさ。たとえば霰石、霰絣、霰釜、霰粥、霰小紋、霰酒、霰星等々さまざまな言葉の創造、感覚的とらえ方の日本語の表現にいまさらながらほれぼれする。たかがあられ、されどあられでぜひ辞書の霰の頁を開いてみてとすすめてしまいたい。なるほどなあと前頭葉の新しい豆電球がぽっと灯ったりする。

 そういえば筋肉なんかよりずっと変形自在でいくらでも鍛えられるのが前頭葉だそうだ。創造とか判断とか知性的とされる活動にことごとく関わっていてヒトが人でいられるための中心だという。便利に呪縛されている事に気づかず使われなくなった器官は退化するというのが生き物である故の宿命だという。で、どうなるかといえばヒトは歩き出す前の状態に戻ってしまいヒトが人らしくなくなるという。実際ヒトが人でなくなっているとしか思えない事件が次々起きている事とつながってしまう。それにしても私たちものづくりは直線的便利さよりも、曲がりくねっためんどくささの道中にこそ詰まっている充実を当然のように知っている。物事を簡単に見るのは自分の眼を曇らせ、たいくつを呼び寄せるだけだということも知っている。故に私たちの前頭葉は日々鍛えられているということになるのだよと自分の前頭葉に言い聞かせる。

 それにしても不安定な空模様が続く。新緑から濃い緑に染まり始め満開のツツジの赤がおひさまの変わりのように明るい。けれども田植えするお年寄りの素足は冷たそうで、ツツジの花の熱くらいでは素足の水は冷たいままだ。そこへ氷の霰とは…と、梅雨寒とはいえ油断ならない寒さについつい天をにらんでもはじまらない。歩いたりしていれば野良仕事のおじいさんやおばあさんと挨拶したり立ち話はよくあることで大体はそれだけのいっときの事だけれども、先日の出会いはちょっとちがった。

 近くに陶芸の工房があり、ここはどちらかといえばお年寄りを中心に陶芸を楽しむ方達
のための、町主催の工房なのだが見学を理由に気紛れにのぞいてみた時だった。二十数年来この工房の横を行き来しながら覗いて見ようと思ったこともない其処に、ふと立ち寄ったその時の「ふと」という瞬間の感覚の揺れの不思議を思う。「ふと」は探し求めるものではない。「ふと」は向こうからこちらにやってくる。「ふと」に誘われるままに私はついていった。年長の女の人がとても力強く手びねりで広がり膨らんでいく大きな鉢を造っている最中だった。すごいなあと感心して眺めていると、向こうにいる人がわざわざその女の人の歳を教えてくれた。うっすら額に汗をにじませたその方は八十六歳という。土を練る力強い雰囲気と柔らかな面差しと八十六歳がすぐには結びつかなかった。とても驚いた。執着など高らかに笑い飛ばしたかのように、まっさらな気持ちで大きな鉢と向き合うその精気に圧倒される。自身の内面の充実がかたちを生みつつ輝きを放ちつつかろやかな重ねは造形されていく。そして、その精気の膨らみの輝きの放射に、あこがれを伴った感動がふつふつと沸いてきた胸のときめきは思いがけない喜びだった。

 時には何をしてもつまらなく何を見ても感動しない沈む日々がある。沈んだままいつ浮上するのやら未定の約束のない日々である。そういうときはいっそう静かに感覚の先端を研ぎすますに限る。そうすれば、それは向こうからやってくる。