ART&CRAFT forum

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イギリス手紡ぎ研修旅行

2012-08-01 08:38:12 | TEXTILE FORUM

Naritaimg ◆成田にて

2 ◆マイケル・カスン宅訪問

Dillngton_house058 ◆ディリングトン・ハウス

19821210日発行のTEXTILE FORUM NO.1に掲載した記事を改めて下記します。 


イギリス手紡ぎのふるさとを訪ねて  19829月7日()9月20日()

LondonOxfordRoss-on-wyeCardiffDartingtonDillington


イギリス手紡ぎの旅         コーディネーター 冨田のり子 

 海外旅行がブームと騒がれて久しいですが、その実態を実際海外にいて見てきて、いつも思う事はその中身がいかに貧弱かという事です。短期間に何ヶ国回れたか、どれだけ安く有名ブランドの商品を買えたかそして有名な建物・場所をバックに何枚もの写真を撮ってその旅行が終ってしまうというような旅をされるケースが、殆んどであるように思うのです。それをみるにつけて、同じ日本人として少々はがゆく思っていました。何故そしていかに旅するかを自分で考えないで旅が終り、そして、それが「過去の思い出」だけになってしまうのは残念だと思うからです。「量から質への転換、それに個人の個性が加わった」旅というのはやはり一人一人が個人で出かけなければならないのでしようが、それに近い旅をコーデイネイトできないか…そう考えて計画したのが今度のイギリス手紡ぎ研修旅行です。

 

 さて旅行ですがまず行き先を私が自信を持っておすすめできる中から選ぶ事にしました。訪れる場所も、普通の旅行ではいかない、しかし英国南部の田舎町の美しさを知るには最適のそして、染織や工芸に興味のある人々には是非とも尋ねてもらいたいそんな所をピックアップしてみました。


 ロンドンに着き、一通りの市内見学を済ませた次の日は、ビクトリア・アンド・アルバートーミュージィアムはもちろん、国立デザインセンターや国立工芸協会・そのギャラリーやスライド図書室等を見学。現代英国の工芸・デザインの現状、そしてイギリスという国がいかに現代の工芸・美術・芸術に力をいれているか、伝統におんぶしている日本との差なども見比べていただけたと思います。次にオックスフォードで半日過ごし、ウィリ  アム・モリスのタピストリーや各カレッジのチャペル等を見学しました。そしてここからが先が同行した旅行会社のベテラン添乗員氏に「何回も英国に来たけれど、ここから先はいった事がないなあ」といわせた「ヒキョー」の地なのです!


コギーズという小さな小さな村の、昔の大農家を解放した生活博物館、レッドベリーという中世の面影を残したマーケットタウンの裏通りを一周した後、マイケルーカスンという英国陶芸家の一家を尋ね、御家族の手造りの夕食をごちそうになりました。せっかく英国に来て英国人の家庭を見ないというのはあまりにも残念ですから、古い友人のカスンー家に無理をいいました。


 次の日はウェールズ州の入口、カーディフという町にある広大な野外博物館を見学しました。ここは古き良き美しき時代の英国が人々の日常生活を中心に保存展示されてあります。手紡・手織工房も、昔のままに再現されそして実際に活動しています。


 次に行ったのはダーティントンという村です。ここは音楽・芸術学校を中心に工芸村が建てられた美しい村です。ここでは、英国染織家の母ともいわれるエリザベスー・ピーコックの作品を、その学校のチャペルの中で見たり、又、ブラックベリーの実を摘み摘み食べながら牧場をぬけ、村はずれにあるバネッサ・ロバートソンとノーマン・スコット染織家夫婦のアトリエもたずねました。

 

 ここまでで旅の半分が終わり、後半は、これまた牧場に囲まれたイルミンスターという田舎町のはずれにあるディリングトン・ハウスという元大地主の館ではじまりました。デイリングトン・ハウスは昔、英国首相も住んだ事もある由緒ある館で今は州政府が借りとってアートセンターとして一般に開放しています。ここで滞在しながらアイリーン・チェドウィックさんから手紡の講習会を受けました。コース中、同館で催された写真や彫刻の展覧会をみたり、併設された小劇場で催されたウェブ・ピアノコンサートを聴いたり、あっという間に五日間が過ぎました。コースも修了、もっといたい気持を押えて最後のお別れをアイリーンさんとし、バスに乗り込んだ後、彼女からバスの中で渡してくれとたのまれた、一人一人の名が書き込まれたカードを皆に手渡しました。幾人もの人達が思わず涙ぐんだという事実をここに書けば、アイリーンさんのお人柄がわかっていただけると思います。そこで皆さんがどんな事を習われたかは他の方がここに書いて下さっていますので、ここでは省略します。

 コース後はロンドンにもどり翌日は有志が集まりピーター・コリンウッド氏宅を訪問しました。あいにく彼はアメリカに旅行中で留守でしたが、コリンウッド氏の仕事場で、彼の作品や、シヤフトスウイッチング第一号機や、マクロ・ゴーゼ機の仕組などを見て貴重な一日を過ごしました。夫人の手造りのケーキもおいしかったです。 こうしてあっという間に二週間が過ぎました。地理的にいうと、カバーした距離は、英国南西部という小さな範囲に限られた、そしていわゆる豪華絢爛なプランのある旅行ではありませんでしたが、それでも、こういったゆとりのある、そして一つの目的を持った旅行に参加して下さった皆様には満足していただけた旅行だと思っております。


ディリングトン・ハウスでの手紡ぎ講習 アイリーン・チェドウィック女史との、人間味あふれる出会い 

本場のウールを自分の目で確かめたくて、参加したツアー    金子綾女 


 私は手紡ぎを始めて約一年。まだまだ暗中模索の毎日で見よう見真似で紡ぎ織っています。原毛の種類や長所短所。その年々の気候により変化する毛の良し悪しの判断、日本での購入先の情報など、先輩方の意見を少しずつ参考にしたり、自分の経験で作業を進めていました。英国のウールと云いますと歴史もあり、上質の物と評価されています。私は目で見て実際に手に触れてみたいと思いこのツアーに参加しました。


紡ぐ時、「ソフト・ソフト」と注意を与えたアイリーン。 


 講習での最初の作業は、紡毛糸を作る為、カーダーをかける事ですが、まずそこで驚いた事は、最愛なるアイリーンは膝の上に左手に握ったカーダーをおくと右手のカーダーをシャシャと軽やかに、そして優しくカーディングをしたのです。ゴリゴリと云う私達に対し彼女は「ソフト・ソフト」とくり返しました。紡ぐ時は短い距離で多くの撚りをかけ一挙に原毛をひき、そのたまっていた撚りをうつしてゆく方法でした。その時でも、彼女は繊維の中に空気が入る様にやわらかい糸を紡いでほしいと言っていました。私は、スポンジケーキを作る時、卵をしっかりと泡だてなるべく沢山空気を入れ、熱した時に空気が膨張してふっくらしたケーキの出来る事を思いました。


 後に繊維の長い種類の原毛で梳毛を紡ぎました。紡毛の時とはっきり区別をつけた方法で平行にコーミングされた繊維に徐々に縒りをかけるのです。梳毛と紡毛をはっきり区別して紡ぎ別けると云う事は、私はまるで考えもしない事だったのです。カーディングやコーミング、糸の引き出し方によりセミ梳毛セミ紡毛とまで意識して紡いでいるのです。


原毛に対して常に親切な彼女、それが作品の成功へつながっている。 


 その意識の線上に、どんな物を表現したいかと云う「作品」と「手に入る原毛」と「紡ぎ方、仕上げ方法」この三つの要素が平均のとれた力関係に位置している事が大切だど講習最後に言っていた事が非常に印象的です。


 後処理の方法についての講習では、織る前の縒り止めの事が話題に出ました。私は糸を蒸す事を常としていました。しかしアイリーンは、せっかく空気のたっぷり入ったやわらかい糸を途中の段階でスチームする事によりその半分以上の性質をなくす事はしたくないと言っていました。縒りは切り口だけがもどってしまうだけなのです。この様に彼女は繊維に対し、ある意味では非常に親切であり、その原毛の長所をひき出そうと細心の努力をしている様でした。それは最終的には、自分の作品の成功へつながるのだと感じました。市場には、沢山の種類の糸が並び、最近は手紡ぎ風と称する糸も出まわっています。その様な時に何故手間のかかる作業をするのか、自分で作ったと云う自己満足だけに終わらない様、糸が出来たので何か作ろうそれでも良いと思いますが、自分の作品にはこんな色あい、テクスチャーの糸が欲しいと云う正確な必然性が感じられたらと思います。


 講習中で紡いだ原毛は、日本で紡ぐグリージーウールよりは、はるかになめらかでとても紡ぎやすかったと思います。しかし、もし日本でその様な上質のものが手に入らないのでしたら、それなりに、自分の求めている糸に近づぐ為の努力、工夫する気持ちが一番大切だと云う事を今同のアイリーンの講習で学びました。



糸の無限の可能性を人間愛とともに教えてアイリーン。    田中順子 

 

「外国のことを学ぶときは、私はその国の言葉を習うことから始めるでしょう。」 と僅かに嘆き、私達を恐縮させながらもアイリーン先生は一人一人の心情までもよく理解して下さいました。ユーモアを好む快活な方ですが、紡ぎと織に係ると、真剣で生真面目な地を表しておいででした。それでいて頑なにならず、紡ぎの基本をきちんと教えつつ、種々の素材、紡ぎ手の意図により無限の可能性のあることを示唆なさいます。


 「こうせねばならぬということはない」とおっしゃるのは、仕事と人間に対する愛情からでしょう。それが強く感じられて、私達はアイリーン先生にひととおりでない愛着を覚え、共に紡ぎを楽しみ、短い滞在を惜しみました。


今は家に帰り、先生の姿勢を思い起こし、様々な糸を夢見ています。


Img_0051 ◆亜麻を紡ぐアイリーン


すべてが素晴らしい有意義な日々          安達裕子 

 

今回のイギリス旅行のハイライトは、何と言っても、ディリントンハウスでの5日間の手紡ぎの講習だった。講習自体ももちろん、ディリントンハウスそのもの、周囲の風景、部屋の窓からの眺め、朝もやの中の散歩、他の泊まり客と一緒の食事、ホールでのお茶、そしてアイリーンそのひと、どれをとっても素晴らしかった。


 アイリーンというのは、我々の紡ぎの先生で、イギリスにおける手紡ぎの第一人者、もう、かなりのお年なのだが、自ら車を運転し、人数分のスビニング・ウィールをはじめ必要な教材を全部運びこみ、会場をセットし、講義をし、紡ぎの実技から指導まで、みんなひとりでやってのけてしまう。情熱の人である。

 

 5日間で紡いだのは、ウール3種。いずれも、一頭分ずつ丸めてあるフリースを目の前で広げて、それをみんなで分けて紡いだ。広げると羊の形っぽくなってしまうフリースからとった羊毛を紡ぐというのは初めての経験だったので、ちょっとした感激だった。繊維の長さや固さに差はあれ、どれもしっとりした手ざわりで、とても紡ぎやすかったが、それでも、アイリーンは、この次来る時はぜひ6月頃に来てほしい、と言う。羊の毛が刈りたてで、もっと良い糸が紡げるのだそうだ。


 一番目の白い羊毛というのは、ドーセットダウン、英国産の短毛種。毛足が短いので、紡毛を紡ぐ。二番目のチヤコールグレイの羊毛は、オーストラリアからの輸入で、コリデールかロムニーマーシュの混血だろうと言う。毛足が長いので梳毛は紡毛に比べて、撚りが強くなりがちなので、単糸では扱いにくいということで、一部は双糸にしてみる。三種類目はジェイコブ。古い品種なのだが、色がまざっていて、紡ぎ方によって、白、黒、グレーと色々に紡ぎわけられるので、近頃、人気のある種類とのこと。これは毛足の長さが前の2種類の中間にあたり、紡毛にも梳毛にも紡げる、ということだったが、紡毛でなるべく細く紡いでみよう、ということになった。


アイリーンから教わった新しい紡ぎ方は最大の収穫 


 初日にドーセットダウンをスピニングウィールで紡ぎ出してからわかったことは、我々の今までの方法では、紡毛は紡げていなかった、ということだった。それまで、スピンドルで紡いでいた時は、おそわった通りに皆、おそるおそるやっていたのだが、スピニングウィールにうつると、ついつい、今までのやり方で紡いでしまうのだ。我々の紡ぎ方をみて、先生のアイリーンは、それは紡毛の紡ぎ方ではないと言う。たしかに、同じ羊毛を使って紡いでも、アイリーンの教えてくれたやり方で紡いだ糸と、我々のやり方で紡いだ糸とはまるでちがう。アイリーンの教えてくれたやり方だと、繊維にほとんど力がかからないので、繊維の向きが不揃いで、撚りの甘い、空気をいっぱいに含んだいかにも紡毛、という糸ができる。この紡毛の紡ぎ方をおぼえられたのは、今回の最大の収穫だった。


 この間に、紡いだ糸をかせにあげ、洗って干す作業や、試織用の機に紡毛と梳毛の経糸をかけ、各々が紡いだ糸を入れて織る作業、織り上った布の仕上げといった作業がはいる。これらの作業は、デモンストレーションルーム内で行われたが、晴れてくるとスピニングウイールを中庭に持ち出して、戸外で紡いだ。のんびり、陽のあたる場所で紡いでいると、非常に満ち足りた気分で、そのままいつまで紡いでいられるような気がする。とは言っても、8時と1時と7時の食事の間に11時と4時のお茶の時間がはいるので、そう、時間を忘れていたわけではないのだが。


 といううちに、長そうに見えていた講習の期間も残りわずかとなり、やっとの思いで、4日目の午後のお茶のあとに、染色羊毛の混色と、最後の日の午前中に、亜麻の紡ぎを見せてもらったあと、ディリントンハウスとアイリーンとに心を残しつつ、バスにのりこんだのだった。











バスから見える白い羊の群れ。 

緑の丘のむこうの、マイケル・カスン家を訪ねる。       船木弥生 


 

 旅の4日目、私達はRoss-on-Wyeにある陶芸家のマイケル・カスン氏のお宅を訪問しました。その日、我々のバスは、のどかに広がる放牧地の緑の丘を、点々と白い羊の群れを見ながら走り続けました。到着したカスン氏の家は、丘の上に建つ古い農家を改築したという、どっしりした石の家でした。バスを降りると、カスン氏と夫人、娘のクレア、彼女のフィアンセのアンドリュ‐、クレアの弟、そして一家の愛犬と全員で迎えて下さいました。この一家は、カスン氏と夫人、そしてアンドリューが陶芸を、クレアが染織をするという芸術家一家です。


 一通りの紹介が終ると、仕事場、窯場、焼き上がった作品の並ぶ庭、そしてお宅の居間などへ我々を案内して下さいました。居間の窓辺や棚に並ぶ陶器、階段の窓から下がるすばらしい織りのカーテン、壁の絵、生けられた花、そこここに置かれた、あらゆる物が、その生活の場の中で生きている様なお宅でした。印象に残ったものの1つに、古いジプシーのキャラバンがあります。これは仕事場の庭に面した納屋にありました。アンドリューが、これを修理改装しで使うのだそうです。本当にぼろぼろのキャラバンですから完全に手入れを終るまでには、何年もかかるのではないかと思われます。しかし、この贅沢な遊びに、大きな気持ちのゆとりを感じました。


クレアが一日中かかって作った、料理のかずかず。 


 さて、ぶらぶらと、お宅や庭を見せて頂いてる間から気にかかっていた、いい香り。クレアさんが私達の為に夕食を料理してくれていたのです。料理を運ぶクレアさんにくっついて、私達はアンドリューの仕事場の2階の部屋に入りました。そこには、小さな花が所々に生けられた長いテーブルがあり、私達全員と一家の食卓がセットされていました。ポテト、トマト、ビーンズなどの野菜が次々とテーブルを回ります。各々、すてきな皿に盛られています。メインディシュは野菜の煮込んだものがクレープに包まれたお料理で、皆一つずつ感嘆の声を上げました。


お酒デザートも最高の味。 


 また、この日私達はすばらしいお酒を頂きました。梨から作られたペリーというお酒です。イギリスでも限られた地方でしかないそうで、ここもその産地の1つだそうです。少々甘いのですが、あっさりしており、全く美酒でした。


 ぺリーと、おいしい食事でお腹がいっぱいになった頃デザートが出ました。果物と3種類のケーキ、そしてチーズです。お腹がいっぱいで、もう食べられない感じです。それでも皆、3種類のケーキを少しずつ頂き、クレアさんが作ったという香草人りのチーズも少しずつ味を楽しみました。


 夕日の沈む頃始まったこの夕食、終った頃にはすっかり夜で、カーディガンを羽織って外に出ました。皆、お腹も心もすっかり満たされて、来た時と同じ様に一家全員に見送られて宿に向いました。


 カスン一家の暖かいもてなしには、本当に感謝致します。又、この様な機会を与えられて、今回のテキスタイル研修に参加出来たことを幸運に思いました


Photo ◆マイケル・カスン家での会食


Img_0003 ◆迎えてくれるマイケル・カ





Img_0025 ◆中庭での講習


Img_0052 ◆アイリーン・チェドウィック


Img_0011 ◆手紡ぎ講習


Img_0026 ◆ディリングトン・ハウス

























蓼科工房・サマーセミナー

2012-07-01 08:30:04 | TEXTILE FORUM

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19831210日発行のTEXTILE FORUM NO.34に掲載した記事を改めて下記します。


 一昨年白樺湖畔のホープロッジでスタートしたサマーセミナーも本年で第三回となりました。昨年はアトリエを新築し“バックストラップウイーブ”“バスケッタリー”“かすり”“草木染と手紡ぎ″の四講座を実施いたしました。本年は新たに、堀内紀子先生のご協力で“スプラング″を、新道弘之、冨田潤両先生の指導で外国人を対象とした本藍染による“かすり”と“しぼり”の二講座を加え、全六講座で7月中旬より9月上旬迄7週間にわたり山の学校を開きました。蓼科工房は長野県の白樺湖畔に位置しますので、都会では指導しにくい自然の中での授業のあり方を追求いたしております。来年も3ヶ年の経験を基にして、より充実した内容で実施する予定です。


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(スプラング)-空間と実験-

 ●期間:1983年7月18()23()

 ●講師:堀内紀子

 白樺、山桜、水楢、が混在する雑木林、そして落葉松の植林地にスプラングの技法を用いた透けたネットが張られました。木立を歩くと蛛の巣かなと思われるように自然の木々の中に溶け込むもの、木々の緑に対立するかのように白の膜が張られると、樹間を流れる霧となり、何の変哲も無い高原の雑木林が、より自然に生き生きと感じられました。


 植物との関わりの他に野兎、鳥などの恰好の遊具となり、また人との対話に、このスプラングによる空間実験は夏の緑から、秋の紅葉、冬の雪景色を経て来年の夏迄のIヶ年間、蓼科高原の新参物として、如何なる姿であるのでしょうか、私共は四季折々の光景を写真に収め、自然との関わりを考えていきたく思っております。


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(バックストラップウイーブ)-機をつくり織る-


 ●期間:1983年7月25()30()

 ●講師:京田 誠


 京田先生夫妻と愛犬“ラマ”は一年ぶりに蓼科に戻ってきました。

アトリエの壁はグァテマラの裂で飾られ、テラスでは早速機づくりです。白樺の小枝を削り、またたく間に機が出来上りました。まずは腰帯の制作です。各自が思い思いの場所を選んで織りに取り組みます。昼間はテラスの柱にニ又ローブを掛け日光浴を兼ねての実習、夜間や雨天の日はアトリエの大黒柱を中心にして、京田先生ご夫妻から個人指導を受け、初心者もいつの間にかインディオに変身しました。


 地機を使っての織物は人が道具と一体になって創り出します。均一の織物は機械の得意とするところで、微妙な張力の変化と糸綜絖、中筒、刀抒等を駆使して織る地機から生まれる織物、ここに手織の原点があるように思われます。ガテマラの村々から異なった裂が


生まれるように、私共も努力したいものです。


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(バスケッタリー)-採集と制作-

  ●期間:1983年8月1日()~6日()

  ●講師:関島寿子

 昨年は台風で開講が危まれましたが、熱心な受講生と関島先生の情熱ある指導で修了時には台風を忘れさせる程でした。自然の植物を採集して作る籠、都会での材料の入手は困難で役所の公園局等に街路樹の剪定時に連絡をして、いただく事を依頼するなどし、樹木を入手するための大変な苦労話しを先生からよく聞きます。その事からか、先生は自然林の中では生き生きと動き廻り、自然の植物の素晴しさ、美しさ、大切さを語られます。


自然の樹木のフォルム、テクスチャー、性質を知り、それを生かして我々の生活に役立つものをつくります。この事が籠をつくるだけでなく人類の誕生と共に人間が自然から学び、自然と共に生きてきた原点ではないでしょうか。都会から緑が消えてしまうと共に人々は自然との関わりを忘れてしまい、いや自然を征服したと思っているのではないでしょうか。


 最近自然保護を唱える人々や団体の活動が報じられる事が多くなりました。イギリスのナショナル、トラストの活動は限られた土地を市民のものにし、現物保存する運動で成功した例ですが、日本でもこの様な運動が起こり始めました。しかしながら、自然とは何かを、多くの人々は知っているのでしょうか。最近の子供達は樹木の名前はもとより、野菜の名称すら知らず、況してや、どのようにして裁培されているのかも知りません。ただ教科書等など頭で知るのみです。自然の中で積極的な体験をする機会を多く持つ事から、自然の大切さ貴さを体得する必要があります。


 「もっともっと多くの人々が籠を作ってほしい」と話す関島先生の言葉が必要なくなるように。


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(草木染)-採集と抽出と染色-

 ●期間:1983年8月22()27()

 ●講師:阿久津 光子


 昨年は草木染の他に手紡ぎ、フェルトを組み合わせ、大変充実しましたがカリキュラムがハードなので、本年は草木染を独立させ単独講座に変更しました。


 草木染は当然の事ながら、自然の植物を使っての染色です。それだけに、同種の植物でも地域差、高度差、季節差等が生じます。そこで今回は白樺湖周辺に自生する植物と共に周囲にも目を向け、長野県に於ける植物染を研究されている、松本在住の高野俊雄先生に、当工房にご来所願いました。先生の研究資料を拝見し、我々の3ヶ年に亘る資料との比較や情報交換をいたしました。今年の草木染の講座は幸運で、前講座の為に建てた本藍が使用出来たり、高野先生が持参して下さった藍の生葉染が加わったりしました。もちろん、例年実施している水楢、刈安、あざみ、小梨、山桜、白樺、柳、山ぶどう等の染色も一層楽しいものになっています。またこのクラスには昨年に引き続き受講されている方もおり、夏の蓼科を楽しみにしていただいております。


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ワークショップ”かすり”と”しぼり”

-本藍染による-

 ●期間:1983年8月10日()~20日()

 ●講師:冨田 潤(かすり)

     新道 弘之(しぼり)


 昨年のイギリスツアー(詳細は第一号に掲載)では、海外旅行のあり方を、真正面から問い、それを可能な限り組み込み実施いたしました。この企画段階で、我々が外国に学びに行くだけでなく、多くの外国人が日本の優れた染織の情報、技術を学びたく訪日の希望を持っているという話しが、この企画のスタートでした。そして、実施、成功に導いたのは冨田夫妻と新道弘之氏の多大な尽力の賜ものと思っております。


 昨年の冬、雪の京都美山町、新道弘之氏宅を訪問し依頼した事は、『蓼科で本藍を建て、「かすり」と「しぼり」を外国人を対象に、英語で教育する』これが条件でした。新道氏の答えは「やってみましよう」でした。この時から馬鹿げた企画は動き出し、関係するメンバーの苦労の始まりでした。


●標高千六百メートルの蓼科で藍は建つのか?

●遅い案内で果して外国から受講生が集まるだろうか?

●採算は合うだろうか?


等々、数えきれない程の問題を解決しなければなりませんでした。しかしながらイギリス・カナダ・アメリカ・デンマークの外国人と二名の日本人、総勢十一名の多様な受講生を迎えての10日間の研修は、国籍、習慣、年齢の違いを忘れ、昼夜を問わず熱気に満ちあふれていました。


 癌を宣告され、残す3ヶ年の命に生きるアメリカ人、日系3世で英語しか話さないが、現代日本女性よりも日本人を感じる日系アメリカ人、染織経験四十五年のデンマーク人等々、彼女等が得たものは、藍に関心がある日本人でさえ学びにくい、本物の藍でした。我々にとって最も身近なものであった藍が、我々以上に関心を持ち、藍と取り組む外国人に注目され定着しつつあります。彼女達が100%満足して帰国する姿を見て、今回のスタディ、ツアーの成功を喜ぶと共に複雑な気持に襲われました。しかし、彼女らの帰国後の紹介等で来年のスタディツアーはすでに外国で動き出してもいるのです。


1983 JAPAN CRAFT STUDY TOUR スケジュール

88日 ●人間国宝芹沢助先生訪問(蒲田)

   ●東京テキスタイル研究所見学

9日 ●紙の博物館(王子) 民芸館(世田谷)見学

10日・11日●蓼科工房WORK SHOP

12  ●松本本郷織物工房・民芸館見学●有明天蚕センター見学

13日~20日●蓼科工房WORK SHOP

21日 ●高山民家村見学

23日 ●名古屋有松絞見学●近江藍染工房紺九見学

24日 ●小谷次男工房見学(京都)●栗山工房(紅型)見学

25日 ●河井寛次郎記念館●京都友禅文化会館●西陣織工房゛紫紘″見学

26日 ●黒谷和紙●草木染組紐(太田藤三郎)●川島テキスタイルスクール見学

27日 ●夕食パーティ“いろは″にて  日本人作家との交流


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(手紡ぎとフェルト)

●期間:1983年8月29()~9月3日()

●講師:中山恵美子


 最近は織物を志す方から、編物をされる方迄大変多くの方々が個性豊かな糸を紡ぎ、手造りの楽しさと喜びを享受しておりますが私共が手紡ぎの指導を始めて、早いもので5年になります。ウール・綿・麻・絹などの天然繊維を織糸や編糸に紡ぐ、ごく常識的な事ですが、日本では今日迄全くと言っても過言でない程機械績糸に依存し、「糸は買う物」と決めつけていました。

 蓼科工房での「手紡ぎとフェルト」クラスは都会の暑さを忘れ、自然の中で、ウールを素材に糸を紡ぎ、フェルトをつくる事を学びます。今年は小学四年のお子様と共に参加された方もあり、性別、年齢を越えて指導する当研究所ならではの授業風景でした。


フェルト講習会(ホープロッジ)






 






ピーター・コリンウッドの世界を終えて

2012-05-01 08:45:11 | TEXTILE FORUM

Peter2013 ◆京都芸術短大・ギャラリー楽 於

1985710日発行のTEXTILE FORUM NO.5に掲載した記事を改めて下記します。

 この企画はスタートから大変異例づくめで常識的な皆様には不愉快な思いを懐かせたかと思います。反省を含めて最後に経過を補足させていただきます。

 我が国は経済大国になりましたが、いまだ政府や自治体が広い視野で文化行政を施すに至っていない現状では文化後進国と言っても過言ではないでしょう。特に染織の分野では諸外国との広範な入的交流や情報交換を望むべきもないことで、今日迄は作家ないし教育者等の私的交流に依存した形でなされてきました。このような民間主導型の交流は今後共、出来る範囲で続けていかなければならないし、そう願望するものです。

 昭和57年9月当研究所のイギリス研修旅行でピーター・コリンウッド氏宅を訪問し来日の要請をしたのが、この企画の始まりでした。氏はヨーロッパ・アメリカ等に於いては再三講演会やワークショップを開いているが日本には一度も訪れてなく、我が国の染織家や教育者は氏の著書に於いて学んでいたのですが、是非直接作品を見たいし、又指導を受けたいとの願望が根強くありました。しかしながら氏の広範な活動からも当研究所の単独企画でなく教育者・作家・教育機関・織機メーカー・専門雑誌社等の、ご意見を頂戴すると共に協力を得、皆様の要請に答える必要がありました。こうした折、幸運にもピーター・コリンウッド氏より以下の条件で来日の快諾を得ました。

①昭和59年7月オーストラリアからの帰途に立ち寄り2週間滞在する。

②作品展にはマクロゴーゼを出品し、販売する。

③旅費はB・Cの援助を受ける。

この条件を受けて私共は具体的に種々の検討にはいりました。

●スケジュールの決定

 折角の来日の為、日本の多くの方々に作品を見ていただくと共に講演を聞き、直接指導を受ける機会を関東だけでなく関西でも持てないか、という事で作品展、講演会、ワークショップの会場を捜しました。会場費が出来るだけかからず、しかも、この催事にとっての種々の条件を満たす場所でなければなりませんでした。普通アーティストの場合は作品の販売を、あまり考慮しませんが、氏の場合は大きな要素なので、公の施設は使用出来ず、むしろ百貨店の画廊で開催出来るように運動しました。しかし百貨店に於いては、この種の染織催事の経験が薄く、又催事は半年前にスケジュールを決定する事などで最後の最後迄、東京に於ける作品展の会場と会期が決定せず、最終的に西武百貨店・渋谷店・美術画廊となりました。この決定を受けてワークショップは当研究所と川島テキスタイルスクール、関西の作品展と講演会は京都芸術短期大学の協力を得、東京の講演会も日仏会館に落ち着きました。このようにして催事スケジュールは関係者の絶大なる尽力によって決定されたのです。この結果、62才の氏にとっては大変ハードなスケジュールになり、最後迄体調が気掛かりなことでした。

●ワークショップの内容は

 氏はラグの他マクロゴーゼ、スプラング、タブレットなど幅広い制作と研究をされているので、今回、短期間のワークショップで何を指導してもらうか検討されました。まずマクロゴーゼは作品展で紹介されますが、技術的指導となると大変簡単な原理で、すでに氏がほとんどと言っていい程、この可能性を追求し尽しています。すなわち、この技法を使って我々が展開する可能性が、ほとんどないのです。シャフトスイッチンダによるラグは特殊な装置を付けた織機が必要で、デモンストレーション用に装置を作る事は出来ても、ワークショップ用に道具を用意するには経費がかかりすきる。スプラングについては氏は研究はしたが、この技法作品の制作をあまりしてしない等々の理由で、これらを主たる指導の対象から外しました。この結果タブレットウィービングを重点的な指導内容にし、シヤフトスイッチによるラグのデモンストレーション、マクロゴーゼ・スプラングの解説という事に決めました。

●経費負担

 今回は氏が直接B・Cに旅費の援助を申請し受理された事により渡航費用の負担がなく、この企画を現実のものにしましたが、関東、関西に於ける2回の作品展、講演会、延8日間のワークシップ等で氏に支払う謝礼と夫婦の宿泊、国内交通費等の直接費の他に案内状の印刷費、通信費等々を予測すると、講演会、ワークショツプでの収入を100%見込んでも、とても収支が合う可能性はありませんでした。今回は最終的な帳尻は当研究所が負うことにしましたが、今後共、同様の企画は出来ないと思います。今日、スポーツの大会で代表されるような催事に於いて協賛を求める事は珍しいことではありませんが、ほとんどの場合、縁故又は企業の広告宣伝の一環として損得勘定により賛助を得ているのが実情ではないでしょうか。このような状況で実現出来うる企画ならば良いのですが、そうでない場合は、どうすれば良いのでしょう。私共は最悪の状態を予測して、協賛依頼を催事の案内と共に郵送しました。ある見方からすれば消極的で失礼な方法を選んだのです。結果は収支報告にあります様に、思いもかけず、多くの個人、団体から暖かい心のこもった援助の申し出を受けました。この事により私共はどれだけ勇気づけられたことでしよう。

 

 最後に、このような企画を催すと数多くの問題点や検討事項がおこります。本来ならば、これらを詳細に分析し、ご報告しなければならないのですが、紙面の都合で割愛させていただきます。又この企画のスタートから最後迄ご尽力いただいた冨田夫妻、ピーター・コリンウッドを迎える会に加わっていただいた先生方、会場を提供していただいた、京都芸術短大、川島テキスタイルスクール、西武百貨店渋谷店の皆々様、後援をいただいたブリティシュ・カウンシィル、染織と生活社、協賛をいただきました個人・団体の皆々様、そして舞台裏で働いて下さった当研究所のスタッフ一同に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。                         三宅哲雄

資料>

ピーター・コリンウッドの世界

◆主催

ピーター・コリンウッを迎える会

●島貫昭子(東京造形大教授)●やだ尭子(染織と生活社)●堀内紀子(ファイバーアーティスト)●岸田幸吉(東京手織機)●小名木陽一(京都芸術短大教授)●木下猛(川島テキスタイルスクール)●冨田潤(織作家)●三宅哲雄(東京テキスタイル研究所)●中野恵美子(跡見学園短大講師)     順不同

◆後援

●英国大使館文化部(ブリティシュ・カウンシィル)●染織と生活社●川島テキスタイルスクール●東京テキスタイル研究所

◆協賛

●中川千早●神宮司洋子●青木葉子●川崎紅子●波脇郁子●松本美智子●中山恵美子●コバヤシテキスタイル●山中良子●菊地寿子●大住正子●自由学園工芸研究所●川瀬和子●芦田尚子●ハル建築設計事務所●藤本經子●高田寿子●櫻田迪子●ヴェブスコーラン●海外旅行開発㈱●熊井恭子●東谷美保●小石原焼陶器共同組合●嵯峨美術短大●成瀬満紀●東京テキスタイル研究所スタッフ一同●武蔵野美術大学●インテリアセンタースクール●㈱ラゴ●興たかね●関谷和子●橋本京子●黒須玲子●西村和子●市嶌千枝子●吉田由美●わたなぺひろこ●島貫昭子●㈱川島織物●中野恵美子●水野真砂子●金内明枝●他●広島文化女子短大●川島テキスタイルスクール●㈱東京手織機●新井清太郎商店●田中直染料店●東京テキスタイル研究所            順不同

 

京都スケジュール

◆作品展

会期:198464()23() 午前10時~午后6

  日曜休館 入場無料

場所:京都芸術短期大学附属ギャラリー>

住所:京都市左京区北白川瓜生山2-116

  (TEL) 075-791-9121

延入場者数 2247

◆ワークショップ

会期:1984620()23() 午前10時~午后4

定員及会費:30名 ¥45,000.

場所;川島テキスタイルスクール

住所:京都市左京区静市市原町418

  (TEL)075-741-3151

内容;ラグ及びカードウィービィング

受講者数:14

◆講演会

期日:1984622() 午後630分~830

   入場無料

場所:京都芸術短期大学興心館

住所:京都市左京区北白川瓜生山2-116

   (TEL)075-791-9121

聴講者数:400

東京スケジュール>

◆作品展

会期:1984628()~7月3() 午前10時~午後6

  水曜休館 入場無料

場所:西武百貨店渋谷店A館7階 美術画廊

住所:東京都渋谷区宇田川町21-1

  (TEL)03-462-0111

延入場者数:約6000

◆ワークショップ

会期:1984年7月4日()~7月7日()午前10時~午後4時

定員及会費:30名 45,000

場所:東京都目黒区碑文谷5-15-1

  (TEL)03-710-1211

内容:ラグ及カードウィービィング

受講者数:32

◆講演会

期日:1984年6月27() 午后6時~9

定員413

受講料: 一般 1,500円 前売り一般 1,300

  前売り学生 800

場所:日仏会館ホール

住所:東京都千代田区神田駿河台2-3

  (TEL)03-291-1143

聴講者数: 506

◆収支報告

●収入の部

東京講演会聴講料(506)      \583,100.

ワークショップ受講料(46)     \2,060,000.

協賛金(協賛広告共)              \1,179,100.

作品、図書、図録売却益             \958,012.

     計          \4,780,212.

●支出の部

講演、通訳、宿泊、交通費      \1,276,350.

会場費、作品展搬出入費、パーティ費  \1,376,553.

広告宣伝、印刷費、通信費      \2,276,740.

不参加者返金、その他雑費      \477,572.

     計           \5,407,215.


ピーター・コリンウッド講演会

2012-04-01 09:23:18 | TEXTILE FORUM
  1. Img_0005

1985710日発行のTEXTILE FORUM NO.5に掲載した記事を改めて下記します。


昨年、616日、成田空港につなぎのブルージィーンズにTシャツ、頭にはバンダラを巻いて、親しみやすい笑顔でピーターコリンウッド氏が初来日してから早いもので一年を経ました。氏は京都・東京での作品展・講演会、そしてワークショップを精力的にこなし、染織家はもとより学生・企業等の巾広い人々に多くの感銘と教訓を与えました。


 この企画は多くの個人及団体のご協力を得て好評裡に終了いたしましたが、私共零細学校は多事に追われ報告の作成が大変遅くなりましたが漸く発行する事が出来ました。この紙面にて、ご協力いただきました方々に謝意を表します。尚紙面及経費の都合上、講演会・ワ一クショップの報告書を重点的に扱い全てを掲載することは出来ませんでしたが、資料程度にはなるかと思っておりますので、ご一読いただければ幸甚に存じます。 三宅哲雄




 


講演会                     ピーター・コリンウッド

 今日迄多くの国々を訪れ、講演をしてきましたがその際、ほとんど英語で私は紹介されているので、どこで赤くなったりするか、わかるのですが、今回はいつ赤面していいのかもわからずに紹介が終ってしまいました。今度の来日に際して多くの方々に助けていただくと共に、まるでVIPの様な歓迎を受けているような気がします。又、世界的にすぐれた手織物の伝統が現存する日本で講演出来る事を光栄に思います。


 イギリスの伝統的な手織りは産業革命を期になくなり、現在イギリスでおこなわれている手織りは全て復興されたものです。そういうわけで私の織物は、私個人の技法であり、織物で、イギリスの伝統を受け継いだものではありません。

 ではこれからスライドで私の仕事場を案内いたします。今私が住んでいます村は中世にウールによって作りあげられた豊かな村です。このような村には多くの美しい教会があり、ウールチャーチと呼ばれています。羊毛輸出の全盛期に豊かなお金で建てられたのです。私の家は昔の古い学校を改築し、仕事場と生活の場の両方に使っています。私の仕事場には三台の機があり一台の機はラグを織ります。普通の高機ですが間丁をメタルフレームで延長出来るように改造しました。男巻を動かさずに間丁だけを織り進めるごとに徐々に手前に縮めるのです。このことで経糸の張力を常に均一に保つことができます。整経は部分整経ビームを用いています。


 32年前に織物を始めたのですが、一番大きな課題となったのは、織物で私と私の家族が生計をたててゆくということです。最初はラグを織り始め、生活をするには、ある程度安く皆さんに買ってもらえるくらいの金額で売らなければなりません。その為には一枚のラグを2日で織らないと駄目だときめたのです。2日で織るには伝統的に使われているスマック、ノッティング、パイルというようなテクニックを使うと織れないということを自分に言い聞かせました。その結果単純な平織りだけでラグを織り始め、次にブロック織りを利用して多くのラグを織りましたが、ブロック織りは始めに綜絖で決めて織り始めると絶えず最後迄そのブロックでしか織れません。結局限界があるということが不満になり、もっと自由にならないかと考えました。


●シヤフトスイッチング


 たとえばブロック織で緑に織る綜絖の通し方を①・②・③、①・②・③とすれば、赤に織るところは①・②・④、①・②・④と通します。緑に出るか赤に出るかの違いは経糸が一つのブロックでは③にもう一方は④に通っている、それだけの違いでしかないということです。それならば、もし③の綜絖に通っている経糸が何らかの方法で④に移動できれば緑を赤に変えることが出来るわけです。もちろん普通の機では経糸が一旦③に入ってしまうと、それを④に移動することは不可能です。それで最初に私が試したのは③と④の綜絖の間に経糸を通し③にしたい場合は、③の綜絖に紐で結び④に移動したい場合は、④の綜絖に結ぶという方法をとりました。これでおわかりになると思いますが、この方法で十分システムは働くわけですが、大変手間のかかることなので私は一回しかこれをしていません。それでもっと早く出来る方法を考えた結果、経糸はやはり③と④の間に通し、ループ状になった紐を経糸に引掛けるようにしました。④を緩めておくと経糸は③の綜絖にくっつき、逆に③を緩め④を引張ると経糸は④の綜絖に通ったと同じ条件で上下します。あとはこのシステムを装置化するだけでした。シヤフトスイッチを使いますとブロックが、どういう形にでも変化でき三角になったり丸になったり、ただ真っすぐの長方形だけでなく色々な形に変化出来るようになりました。又このシステムの一つのレバーでコントロール出来る幅は3/4インチ(2cm)位でコントロールできます。このシステムでラグを多く織りますが、使う素材として緯糸は羊毛の他ホースヘアー(馬の毛)、モヘアー、ヤギの毛、経糸は麻を使います。そして常にリピートに答えられるようにデザインをしています。私が現在使っている機は180cm位しか織れませんので、幅の広いものを織る場合は二枚を織って、それを繋ぎます。ある時私は二枚分のラグを織って送らなければならなかったのですが、二枚を繋いでしまって送ると郵便ではある一定の重量を超えると送れなくなるので繋がずに送りました。このように送料が安くつくだけでなく、私のラグは二枚を一組として使う場合、大体8通りの組合せ方が考えられ二枚のラグで異なったデザインを楽しむ事が出来ます。


●ピースタックスキャンペーン


 私はよく思うのですが、自分のしたい事をして、それで生計が成り立つ自分自身すごく光栄というか幸せもので恵まれた立場にいると思っています。それに自分が何か世界に対して良い事をしているのでないかというふうに考えてしまう時もありますが、しかし実際にしている事は、ただ単に世界に対して悪いことをしていない、それだけじゃないかと思うのです。それで、私を含めてクラフトマンは世界の平和などに色々な形でもう少しアクティブになってもいいのではないかと感じます。私は小さな事ですけれども、一つの事をしています。それはピースタックスキャンペーンと言い、現在イギリスで行われているこ事で、軍事費に使用されている45%の税金をもっと他の平和事業に使われるようにしようというキャンペーンです。私はPEACEという文字を種々デザインして織ったラグの売上げの10%をこのキャンペーンに寄付しています。


●コーデュロイラグ


 それでは次に仕事場の端にあるイギリスの伝統的な機を紹介します。この機は4本の柱と2本の男巻を持っています。又筬かまちの手前側と下側にメタルを取付け打込みを強く出来るようにしました。その結果この筬かまちの重量は約25㎏程になりました。現在は作っていませんが、この機でコーデュロイラグというものをかなり織りました。コーデュロトテグといいますのは、よく冬に穿くコーデュロイのズボンがありますね、それを単位的に大きくした、そういうラグです。


●B・Pハウス


 コンペディションでしたが、イギリスのB・Pハウスというオフィスビルに掛けるタペストリーについて話します。このコンペに際しての私のアイデアは幅の狭いものを何枚も織り、それを縫い合わせて……と考えました。最初はピンクとオレンジの2色だけを使いたかったのですが、コンペなのてB・Pハウスとの関連を考慮しました。B・Pハウスというのはイギリスのガソリン販売会社でイメージカラーがグリーンとイェローだったので、この色を組み入れました。技法はブロック織りの一つですが、全く無地で表は赤、裏は黄色それだけの織りです。あとは折り曲げることにより表の色と裏の色が両方見えるようにしました。又折り曲げ方を変えることにより三角形に出たり、ダイヤモンド形に出たり、いろんな形で折り曲げ方を変えてみました。最終的に4m位いの長さの布を12枚織りましたがこの時点で私は仕事がほぼ終ったと錯覚してたのです。この仕事は織りだけでなく実際に縫いつけていくことの方がもっと大変な仕事だったのです。まず織り終わった布の耳が全て平行でなければいけないわけで、最初に4枚を縫い上げ掛けてみましたが、4枚は平らにならず凸凹になってしまったので、すごく不満でしだ。そこで凸凹を平らにする為に裏からもう一度縫い直しました。この仕事で私は膝を痛め2年位調子が悪かったです。これで二番目の機を終わり、三番目の機に移ります。


●マクロゴーゼ


 三番目の機はマクロゴーゼを織る機です。私は現在マクロゴーゼを織っているのですが、その切掛けはアメリカの作家でレノトーニという人の作品を見たことです。つまり経糸がクロスした作品で、こういう事が可能であるということを発見し、すばらしいものを私は感じたわけです。しかし彼女の仕事は大変ゆっくりしたテクニックでしか作品は織れないので、私はいかに早く出来ないかと色々考えました。今日、マクロゴーゼを織るにあたり使用する道具はレジットヘドルといって、筬に少し工夫をしたもので綜絖がいりません。それと経糸を巻くボビンと錘、それだけです。この小さな一式の道具を横一列に並べていくことにより、何か織れないかということが始まりです。数枚の筬を入れる筬かまちは普通の機のように前後に動くだけでなく上下するようにバネで支えておかないと経糸が開口しないわけです。又筬かまちの上部の蓋が開くようになっていて筬をその中で入れ替えることが出来るようにしました。このようにして、グループの経糸をクロスさせても経糸は一個のボビンに巻かれ一個の錘が付いているので張力は常に一定になるようになっています。次に緯糸を入れて織っていくわけですが糸だけでは常に真っすぐにならずフラフラするので緯糸と同時にノタルの棒を入れておくことによりフラットな状態を保つことが出来ます。それと緯糸を織っただけだと、いずれ緯糸がずれて緩んでくるわけです。織り始めと織り終わりの緯糸をどうしても止める事が出来ないので、接着剤を使って緯糸が動かないように止めます。以上がマクロゴーゼの基本的な説明です。初期の頃はかなり沢山使いましたが最近は最低限の緯糸しか使わないものに変わってきました。というのは3~4本の緯糸を織ってメタルの棒を入れ、又3~4本の緯糸を織る、それが最低限の緯糸しか使わないということです。このことからも私の作品に関しては経糸のデザインで経糸が作品そのものを形成しているということで緯糸はほとんど、その補助的な役割でしかなくなってきているのです。又経糸がクロスする事によって出来るデザインだけでなく経糸と経糸の間に空間を入れることも一つのデザインです。長い間マクロゴーゼを織っていると思いもよらぬ事も生まれて来ます。経糸が途中で切れて無くなっているかのように見えるが実際は緯糸に変化させる方法です。つまり筬とかボビンとか全てを緯糸として開口に通し織り込んでいくわけで原理的には機の中に機が入り込んだという感じです。この方法により長方形の作品だけでなく、どんどんデザインが広がっていったわけです。マクロゴーセーで使用する素材は麻糸の白・黒と生成りばかりです。その理由は経糸の動きがはっきり出る事と色糸を使用する場合は多くのストックを持たなければならないので結構割高になるからです。次に平面的なマクロゴーゼの他に大きなもので立体化された作品の説明をいたします。機の上で織っている時は例えば白の経糸で織られた上に黒の経糸で織られたものが重なった状態ですが、織り上がった後横の棒(先端を二又に分けてある)を差し込むことによって立体化します。又棒を抜くことにより平面に戻りますので作品の移送に大変都合が良いのです。大きな作品で数個を一組とする場合は長さを正確に出さないとレベルが不整いになります。その解決策として立体の中に入れる棒の長さを短くしたり長くしたりして調整しレベルが整うようにします。


●スプラング・タブレットウイービンク


 私が壁掛け的なものを造るにあたって使うテクニックに、もう一つスプラングがあります。スプラングに関しては色々研究し一冊の本を書きあげましたが実際織るには大変時間がかかりますので現在はあまりスプラングによる作品はつくっておりません。


 最後に私にとって大変興味あるタブレットウイーブについて話します。日本ではカード織りと言われているものです。私はイギリスの国立工芸協会のために多くの作品を作りました。又カード織りで立体的な作品制作の可能です。現在カードを使ってベルトを織っています。一つはアルファベットを織りこみますのでアルファベットとベルトをかけて私はこれをアルファベルトと名前をつけました。もう一つ同じようなアイディアなんですけれどもアルファベットのA・B・Cの中でB・E・L・Tを抜いて模様を織り込んでいくわけですが、たとえば「私はこの作品を買った事により、このカード織りをした人を幸福にしてあげた」というように…。ある男の人がベルトを注文したのですが、その時彼は一番最後のALWAYSだけは抜いてくれと言いました。この文章の内容は「いつまでも、あなたのまわりに愛がありますように」というメッセージなんですけれども、何故か、いつまでも =ALWAYSのところだけを抜いてくれと言いました。その理由は、彼の奥さんののウェストがすごく細かったのでALWAYSはいらなかったそうです。私は日本の女性の方々はウェストの細い方ばかりと理解しておりますが、いつも=ALWAYS を抜かずに、そこに置いといて、皆さんのまわりにいつでも幸せがあるように祈っております。どうもありがとうございました。


(この記事は昭和59627日に東京日仏会館ホールでの講演を基に要約したものです。通訳冨田潤氏




カード・ウィービング1(ピーター・コリンウッド ワークショツプより)
中野恵美子・阿久津光子



 カードーウィービング又はタブレット・ウィービングはいつ、どこで、誰が考案したかは不明であるが、北アフリカ、エジプト、ヨーロッパ、アジア、アイスランド等の地域から、この技法で作られたと思われるものが発堀されており、紀元前千年以上も前に既にあったと思われる。三角形、四角形(最も一般的)、六角形等の形をし、各コーナーに糸を通す穴のあるカードを用い、これに経糸を通し回転させて杼口を作り、緯糸を通し織り上げ
ていく技法をいう。
 我々が普段行なっているカード・ウィービングではカードの各穴にABCDの記号をつけ、糸をカードの表から通したり、裏から通すことでパターンを出していたが、先般来日した英国の著名な織作家ピーター・コリンウッド氏の場合は、整経の方法といい糸の撚り方向によりできるテクスチュアでパターンを出す方法といい、カード・ウィービングのメカニズムをよくとらえた上でのやり方に特徴があった。


 ワークショップでは
1、カードを操作して撚りの方向を変えながら一色の糸でパターンを出す。
2、経糸(一色)を浮かせてパターンを出す。
3、二色の色糸でパターンを出す。
4、ベルトの片方の端をチューブ織りして輪にし、もう片方を段々に細くする。


 以上の講習が行なわれたが、ここでは撚り方向を操作しながらダイヤモンド・シェイプを出す方法と端の始末について記す。


1、必要な道具(写真①)
カード(20~24枚)、ビーター(打ち込み具)、クランプ(経糸を張るもの)三個、糸(木綿10/12結束糸)、とじ針、経糸通し(釣針でも可)。


2、経糸の通し方(写真②)
カードを重ねて四ヶ所の穴それぞれに一本ずつ経糸を通す。


3、整経(写真③④)
台にクランプをとりつける。
(A)-(B)間の距離が整経総長になる。カードに通した糸端を束ねて(A)に結びつけ、整経を始める。四本の糸の張りが不揃いにならないよう気をつけながら(A)→(B)→(A)→(B)と輪を描くように。一方向に糸をかけていく。その際、(A)→(B)の中間地点で往復それぞれにカードを一枚ずつ置いていく。(図①)


4、織り始め(写真⑤)
整経の終った糸端はスタートの糸端と結び、さらに丈夫なコードで(A)にかかっている糸をくくり、(C)に移動させる。少しきつめに張った方が織りやすい。
カードの向きがS、Z交互になるようカードをびっくり返して直す(図②)


5、織り方(写真⑥)
※前方向へ四回、後方向へ四回、又は一方向に八回カードを回転させながら緯糸を入れ織り巾を整える。(一回転とはカードを九十度動かすことをいう)。(図③)


※経糸の余分なゆるみを引っぱり経糸の張りを整える。
※整え終えたら経糸をトワイニングで固定する。


6、ダイヤモンドーシェープの織り方(写真⑦)
※右半分のカードをZ撚り、左半分のカードをS撚りに直し前方回転のみ(又は後方回転のみ)で織る。
※パターンの部分として中央のニ枚を後方回転、残りを前方回転し緯糸を入れる。第一回目の回転の時は右側から、第二回目の時は左側から緯糸を入れるようにすると回転方向を変える際にわかりやすい。一回転ごとにビーターで緯糸を打ち込む。
※パターンにしたい部分のカードは回転方向を変えることによりS→Z(Z→S)になるので間違えないように前方にずらしておくとよい。(図④)
※順次、パターンのカードをふやしながら織る。
※カードがずれているから開口を確かめる事。


FORWARD(前方回転) 糸通し(Z)Z撚り  糸通し(S)S撚り
BACKWARD(後方回転) 糸通し(Z)S撚り  糸通し(S)Z撚り


※カード全部が後方回転になったら両端から一枚ずつ元に戻しながらダイヤモンドシェープの上側を織る。


7、カードのむこう側にたまった経糸のよりのほどき方(写真⑧)
※一方方向にカードを回転させて織ってぃるとよりがたまり織りにくくなる。
 輪になるように整経したのでクランプ(C)の両側ではカードが対になっている。
 各々のカードに通っている糸のよりを指でおしてぃくと(C)でほどける。


8、端の始末(写真⑨
※ベルトの巾を徐々に狭くしていく場合は、経糸を35cm位残した所から始める。
※裏をむけて織るが、両端からそれぞれ五枚目のカードに通っている経糸を切り、カードを抜き取る。
※(写真⑩)切った経糸をそれぞれ左右に交差するように緯糸として入れる。
※(写真⑪)次の段で両端のカード四枚分の所まで緯糸(切った経糸)を入れ、織り線を整える。地織用の緯糸も入れ打ち込む。傾斜の角度をゆるくしたい場合さらに二段織る。写真⑨⑩⑪の作業をくり返し、カードが十枚になるまで織る。
※(写真⑫⑬)織りじまい。一段手前で緯糸の代りにとじ針を入れ、最終段を織ってから緯糸をとじ針に通し針を引き抜くと緯糸が織り込まれる。
※(写真⑭)緯糸として織り込まれた経糸の余分を布の表面ギリギリの所で切る。
※(写真⑮)残った経糸は四つ編みにしてラッピングする。


9、S撚り、Z撚りの組み合わせによるダイヤモンド・シエイプ(写真⑯)


カード・ウィービング2 


 前回はカード・ウィービングの整経、撚りの方向の違いによるダイヤモンドシェイプの出し方と端の始末をとり上げたが、今回はチューブ織りによる織り始めと二色の色糸による柄出し及び二重織について記す。


I、経糸の通し方及び整経
①カードを重ねて、二色の糸を図のように四ヶ所の穴、それぞれに一本ずつ通す(図①)。
②台にクランプをとりつける。
 カードに通した糸を束ねて糸端を40~50m残してA点に結びつけ整経を始める。
糸の張りが不揃いにならないように気をつけながらA→B→A→Bと輪を描くように一方向に糸をかけていく。その際A-Bの中間地点で往復どちらか一方に決めてカードを二枚ずつ置いていく。整経の終った糸端は、あらかじめ40~50cm残してあったスタートの糸端と結ぶ(図①)。
 耳をつける場合は二枚のカードを重ね、それぞれの穴に、二色のうちどちらかの糸を通し同様にセットする(写真①)。


Ⅱ、チューブ織
①二枚一組のカードをそれぞれ左右にずらしてふりわける(写真②)。
②左側のカードを端から糸通しがS-Z-S-Zとなるよう整える。右側の力-ドもZ-S-Z-Sと整える。
③左右のカードの中央部分にチューブ織りをしていくが、織り上ってからチューブの位置をB点へ移動するので、糸端の結び目からA点の距離と、チューブの中央からB点迄の距離が同じ長さになるようにする(図②)。(写真③)
④チューブを織るための緯糸として糸を一本、適当な長さに切り、その糸の中心を左右のカードのに中央部分の杼口に入れる。
⑤左右のカードを同一方向にそれぞれ一回(90度)まわし、緯糸を上下に輪を描くように入れる(写真④、図③)。
⑥さらにカードを一回転させ、緯糸をしっかり引っぱりビーターで打ち込んでから、同様に緯糸を入れる(写真⑤)。
⑦以下一回転毎に左右それぞれの杼口に緯糸を入れ、しっかり打ち込みながらチューブを織っていく(左右のカードは常に同一方向に回転させること)。
⑧必要な長さを織り上げ、左右のパターンが揃っている、つまり、色糸の位置を確認したら経糸の位置を移動する。この際、カードがくずれないようひもでしっかり結んでおくとよい(写真⑥)。
⑨チューブ織中央をB点に移動する。チューブの長さを等しくし、ひもでしっかり固定する。織り途中の糸の張りを調節するために、さらに丈夫なコードでチューブの中央をくくり、B点からC点に移動する。その際チューブの表が上側にくるようにする(カードを結んだひもの結び目が下側になる)(写真⑦)。
⑩チューブの部分を織っていた緯糸をどちらか一方に出し、二本の緯糸で巾出しをしながら織る。どちらか。一本を切り一本の緯糸で織る(写真⑧)。


Ⅲ、二重織
①スタート・ポジションを図④-aのようにし、無地部分はカードを前方方向(F)へ二回、後方方向(B)に二回回転させて織る(図④-b)。
②模様部分は、わかりやすいように力―ドを前方にずらし、地の部分とは逆方向へ回転させて織る(写真⑨)(写輿⑩、図⑤は参考例)。
③耳糸は常に一方向へ回転させる。時々糸端の結び目をほどいてたまった撚りをとる。


Ⅳ、二色の色糸による柄出し
①カードの向きをすべてZ通し又はS通しに揃える。作業者に対しむこう側から手前に一枚ずつ順にカードを回転させて色糸の位置をならべかえる(図⑥。
②カードの位置が整ったら後方回転又は前方回転で織る。模様部分は偶数のカードを前方にずらし、地が後方回転の時は模様部分は前方回転で織る。その逆でも可。
③写真⑩⑫、図⑦⑧⑨は参考例。