ART&CRAFT forum

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-イカットの素材(Ⅰ)木綿― 富田和子

2017-09-18 09:46:36 | 富田和子

◆糸車で紡ぐ…前に伸ばした足で紡錘棒を支えながら、左手で綿を繰り出し、右手で車を回して撚りを掛ける (フローレス島) 
 プニダ島、スラウェシ島のトラジャ地方、フローレス島の一部では紡車が使われている

◆アジアメン 
世界大百科事典日立デジタル平凡社

◆キダチワタ 
葉の形と木の高さからキダチワタと推測 (スラウェシ島)

◆綿花 
キダチワタの綿花 (スラウェシ島)

◆綿繰り…綿繰り器で綿花から種を取り除く (フローレス島)

◆綿打ち…弓でをワタを打って、繊維をほぐし、整える 
(レンバタ島)


 ◆白巻き…ワタを紡ぎやすいように、ロール状にして紡ぎ車、 あるいは紡錘で紡ぐ(フローレス島)

◆紡錘で糸を紡ぐ…左手で綿を繰り出し、右手で独楽を回すように弾みをつけて、紡錘を回転させ撚りを掛ける (レンバタ島)
フローレス島の一部を除くヌサ・トゥンガラの東部の島々では紡錘が使われている


2007年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 45号に掲載した記事を改めて下記します。

 『インドネシアの絣(イカット)』-イカットの素材(Ⅰ)木綿― 富田和子

 インドネシアの織物の繊維素材は主に木綿と絹である。イカットにおける素材の違いは絣の種類によって分かれている。経絣は腰機で織られ、素材はほとんどが木綿であるが、葉の繊維を使用している地域もある。緯絣は筬のある高機で織られ、元々は絹が一般的であった。経緯絣は今も変わらず手紡ぎの木綿糸が使用されている。

◆木綿の歴史と各国への伝播
 木綿の原産地はインドと南アメリカで、両地において非常に古くから利用されてきた。インダス川流域のモヘンジョ・ダロからは紀元前2500~紀元前1500年と推定される木綿布の断片が発見され、南アメリカのペルーのワカ・プリエタ遺跡においても、ほぼ同時代の木綿のレースが発見されている。ペルーやブラジル、中央アメリカでは先住民によって、紀元前から木綿が利用されていた記録があるが、それ以外の地域では、木綿製品や綿の種子はインドから伝えられたとされている。紀元前にメソポタミア、エジプトに渡り、その後ギリシア、ジャワ、中国、スペインでも綿が栽培され、ヨーロッパ諸国にも伝わった。アメリカ合衆国の木綿は、イギリスがパナマで栽培したインドの木綿が18世紀に伝わって栽培されるようになったものであるという。中国へは1世紀頃にインドから綿布が、10世紀頃に綿の種子が伝えられたが、当初は観賞用で、本格的栽培は12世紀頃に始まった。日本には古来の綿はなく、初めて記録に現れるのは8世紀だが、中国か朝鮮からの渡来品だったようで、木綿が初めて日本で栽培されたのは平安時代初期、799年に三河に漂着したインド人がもたらした種子による。しかし、この種子は1年で絶えてしまい、その後も何回か種子が渡来して栽培されたが成功せず、平安期を通じて木綿の資料は残っていない。日本に本格的に木綿が伝えられたのは室町時代のことで、商船の往来が活発になり、各国の木綿が輸入されるようになった。経済的栽培が始まったのは16世紀に入ってからであるというが、江戸時代には国内の需要を満たしても余るほどで、日本もかつては世界的な木綿の生産国の一つであった。
 このようにインドを起源とする木綿は、紀元前からインド人が渡来し、1世紀頃からインド文化の影響を受けたインドネシアにおいて、ヒンドゥー教やサンスクリット文化と共に伝えられていたものと考えられる。また中国の文献によれば、インドネシアのスマトラ島南部、あるいはジャワ島で、3世紀にはすでに木綿が栽培されていたという記録もある。

絣はインドで発生したと言われ、アジャンタ石窟の壁画に矢絣風の模様が見られることから、少なくとも7世紀頃には絣が織られていたと考えられている。インドネシアにおける絣の起源は明らかではないが、文献に記されている「斑糸布」という言葉が絣の布だと考えれば、6世紀にはバリ島で絣が行われていたということになるが、この斑糸が絣糸であるかは定かではない。絣の技術は、木綿の経路と同じくインドから伝えられたとも考えられるし、同時代にインドネシアにおいても発生したとも考えられる。 日本では、江戸時代以降に木綿の素材と絣の技術が出会い、それ以降、明治から大正時代にかけて、木綿の絣は広く日常着として活用され、日本人の生活には欠かせないものとなったが、木綿の歴史も絣の歴史も、日本においてはずっと後のことであった。

◆木綿の種類
 イカットの主な素材である木綿は保温、吸湿、耐久性において絹や麻よりすぐれ、つまり、肌ざわりがよくて暖かく丈夫で、また他の植物繊維に比べれば染色しやすいことが特色である。
衣料繊維に利用される、栽培ワタには起源の異なる4種がある。一般にアジアメンと称されるシロバナワタ(ヘルバケウム種)とキダチワタ(アルボレウム種)、アメリカ大陸産のリクチメン(ヒルスツム種)とカイトウメン(バルバデンセ種)である。

※アジアメン…小型で繊維も短いが、太く強度があり、布団の中入れ綿として利用され、30番手以下の太糸の紡績用に用いられる。アジアメンには、中近東からインドにかけて栽培され、日本でも栽培されているシロバナワタと、原産地のインドで高木のキダチワタ(木立棉)の二つの系統がある。
※リクチメン(陸地棉)…繊維の長さは中位、比較的繊細で中~中細番手の糸の紡績用原料と される。アメリカ大陸からポリネシア地域原産で、アジア綿とアメリカ野生綿
との雑種起源と考えられ、世界のワタ作付面積の70%を占める。
※カイトウメン(海島棉)…繊維は最も長く、100~140番手の細手の糸を紡ぐことができ、最高の品質とされている。南アメリカの原産で、その湿気の多い温暖な海洋性気候に適し、ブラジル、西インド諸島、アメリカ東海岸の一部に栽培される。エジプトメンもカイトウメンの一系統で、エジプトのナイル川流域とアメリカ西部で栽培される。

 インドネシアで栽培されてきた木綿は、アオイ科のキダチワタやリクチメンが主なものであり、そのほかにもシロバナワタやチャワタも多少栽培されてきた。これらはインドから伝播したと考えられている。現在では、木綿を栽培し、糸を紡いでイカットを制作している地域はごくわずかとなってしまった。木綿の経絣が盛んに織られているヌサ・トゥンガラ地方でも、人々は市場で買った機械紡績糸を使用する場合が多い。ただ、ワタの木も糸を紡ぐ道具や技術もまだ残っており、各島を訪れれば、糸作りのプロセスを見ることもできる。

◆手紡ぎ木綿のイカット
 インドネシアで唯一の経緯絣であるグリンシンの場合は、手紡ぎの木綿糸を使用する伝統が今もかたくなに守られているが、現在では村内で木綿糸が作られることはなく、バリ島の隣のプニダ島で糸は作られている。プニダ島には木綿の緯絣があり、かつては手紡ぎの糸を天然染料で染めて制作されていたが、現在では紡績糸と化学染料によるものばかりで、プニダ島の手紡ぎの木綿糸はグリンシンのためにだけ紡がれているようであり、紡ぎ手もわずかになっている。
 最近では綿とレーヨンの混紡糸が使われたり、レーヨン製のイカットも織られている。布の風格としては天然繊維、天然染料に及ばないのだが、使い手側にしてみれば、木綿よりもレーヨンの方が、軽く、柔らかく、涼しく、洗濯の乾きも早いので人気があるようだ。そんな風潮を憂い、伝統的なイカットの技術を守るように、働きかける外国人の活動もある。今年、10年振りにフローレス島のある村を訪れたら、以前は見ることのできなかった手紡ぎの糸を使い、天然染料で染めたイカットが復活していて驚いた。手紡ぎの糸の風合いは私も大好きではあるが、紡績糸よりもかなり太い糸になるので、細い糸で創り出される繊細な絣模様は表現できなくなり、粗い模様となりやすい。また、織り上がった布も硬くて重い。暑いインドネシアで、日常着用するには、やはり少々不便に感じられる。果たしてどちらの布が良いのかは、使い道によって異なり、それぞれに長所・短所があるものだと思わされる。イカットが目的の織物好きにとっては、やはり手紡糸のイカットは魅力的で、思わず手に取るが、値段の高さに躊躇したりもする。だが、イカットが売れて得られるお金は、村人達にと・u桙チて貴重な現金収入である。この先も、手紡ぎと天然染料によるイカットが作り続けられるかどうかは、観光客がやって来て、イカットが売れるかどうかに掛かっているのが現実でもある。

- イカットのプロセス<Ⅳ〉コンビネーション combination - 後編  富田和子

2017-09-07 11:42:17 | 富田和子
◆ ウロス・ビヌンサアン部分
 経絣、緯糸浮織、縫取織、昼夜織の組み合わせ

◆写真1 中央がイカット、両サイドがソティスの組み合わせ

◆写真2 ブナとの組み合わせ

◆写真3 全面ブナで織られた布

◆写真4 ブナの製織

◆写真5 イカットとブナの組み合わせ

◆写真6 写真5のブナの部分

◆写真7 アノ イカット、経糸紋織、綴織の組み合わせ

◆写真8 写真7のアノの部分

◆写真9 ウロス・ピヌンサアン

◆写真11 ウロス・ラギ・ホタン
 織り端市のシラットと両耳のシマタ

◆写真12 シラット部分
 
◆写真13 シラットの製織


『インドネシアの絣(イカット)』- イカットのプロセス<Ⅳ〉コンビネーション combination - 後編  富田和子

 ◆多彩なコンビネーション ティモール島
 イカットの盛んな東ヌサ・トゥンガラ地方の東端に位置するティモール島は、2002年5月に東ティモールがインドネシアから独立し、今では二つの国に分かれてしまった。以前は島全域において盛んに制作されていたが、独立に至るまでの紛争の間、ティモール島の織物は衰退していた。2001年に西ティモールを訪れた時には、イカットを織っている人にはなかなか出会えず、紛争の影響で島を訪れる観光客がいなくなり、織っても布が売れないので織らなくなったという話を耳にした。それから6年近く経ち、現状はどうなっているのか、またティモール島を訪れたいと思っている。
ティモール島の布は他の島々と比べてみても特異で、3枚仕立ての布や化学染料の鮮やかさ、独特な鉤模様や動物模様、他の技法との組み合わせなど、デザイン、モティーフ、色彩、技法のいずれも多種多様で、地域ごとにそれぞれ特徴のある布が織られている。ティモール島には主に経絣=フトゥス(Futus)、昼夜織=ソティス(Sotis)、縫取織 =ブナ(Buna)、綴織=アノ
(Ano)といった4つの織技法がある。

※昼夜織=ソティス(Sotis)
主にティモール島とその周辺の島々で織られている昼夜織は地を織る経糸を浮かせ、組織を変化させて模様を表す織り技法である。数本の竹を用い、上糸と下糸の異なる2色の経糸によって模様を表し、表裏の模様は陰陽反対の配色となって現れる。写真1 はイカットの両サイドに昼夜織りを組み合わせた布である。

 ※緯糸紋織(浮織と縫取織)=ソンケット(Songket)
緯糸紋織とは地を織る糸のほかに模様のための緯糸を用い、 その緯糸を浮かせ、模様を表す織技法である。絹や木綿の色無地に金糸や銀糸、色糸を緯糸に用い、地の糸と模様の糸を交互に織り込んで、模様を織り表したもので、緯糸の入れ方によって2つの技法に分けられる。模様の緯糸が織り幅全体に通るものを緯糸浮織、一模様ごとに緯糸が往復するものを縫取織というが、インドネシアではどちらも一般的にソンケットと呼ばれ、イカットを織らない地域ではソンケットが織られているというように、各地で盛んに織られているがティモール島では緯糸浮織は見られず、緻密な縫取織が行われている。

 ※縫取織=ブナ(Buna)
 ティモール島ではイカットと縫取織の組み合わせも多く見られる。縫取織はブナと呼ばれ、他の地域には無い独特な織り方が行われている。 写真4のようにブナの織面は布の裏側になる。まず竹べらで2本の経糸を拾い、その経糸に巻き付けるようにして緯糸を入れる。次に経糸2本のうちの1本を残し、隣の1本を拾い経糸2本を一単位として次の色糸を巻き付ける。次々と模様に合わせて緯糸の色を変えながら、一段終わると地織の緯糸を入れるという作業を繰り返し、地の糸と模様の緯糸を交互に織り込んでいく。
 写真3は写真4で織っている布の表側で、布一面を細かい縫取織で織っている。
緯糸の色数と模様の細かさは気の遠くなるような作業の連続である。ブナは写真6のように、細かい菱形や三角形を線で表した模様が多く、織面を見るとまるでアウトラインステッチで刺繍をしたかのように見えるので、時々刺繍だと説明されている場合も見受けるが、これは織られたものである。

 ※綴織=アノ(Ano)
 綴織は地も模様も平組織であるが、経糸が表面に現れないように緯糸を打ち込み模様を表す織技法である。緯糸は織り幅全体には通らず、模様に合わせて各色の緯糸の必要部分を折り返しながら、手のみの操作により絵画的で精巧な模様を表す。隣り合う各色の緯糸はその境目で折り返され、そこにハツリ(空孔)が生じるのも特徴である。古代エジプトのコプト織、プレインカ時代の織物、フランスのゴブラン織、京都の西陣織の綴帯など、世界各地で古代から現代に伝わる織技法であるが、インドネシアでは珍しく、織物の一部に装飾的に用いられているに過ぎず、私は今までにティモール島でしか見たことがない。
写真8の綴織は布の両端近くに織られているが、さらに平織りを加えているので、織り端の始末というわけではなく、織り端の始末としては、布端を丁寧に糸で巻いてある。

◆重厚なコンビネーション スマトラ島
スマトラ島北部のトバ湖周辺に居住するトバ・バタック族は「ウロス」という伝統的な布を所有している。現在ではそれ程厳密な用いられ方はされていないが、模様や技法、構成や大きさなどにより約50種類の名称があり、それぞれに固有の役割や意味やランクが決められていたという。故郷を離れ、インドネシア各地に移り住む現在であっても、通過儀礼に際して、ウロスは重要な役割を担っている。誕生の時にはウロス・パロンパ(抱え布)、結婚式にはウロス・ヘラ(婚礼の布)、死に際してはウロス・サプット(包み布)というように、トバ・バタック人は生涯に少なくとも3回ウロスが贈られるという。さらに女性は最初の妊娠の時にウロス・ニ・トンディ(魂の布)を贈られる。また、こうした儀式に参列する場合には必ずウロスを身に着けなければならない。トバ・バタック人にとってウロスは単なる贈り物としてではなく、受け取る人に祝福を与え、バタック人としてのアイデンティティを示す重要な布である。
 ウロスはティモール島の布とは対照的に地味な色合いが多いが、様々な技法を組み合わせた布も多い。写真9は経絣、緯糸浮織、縫取織、昼夜織のコンビネーションによる「ピヌンサアン」という名称のウロスである。それぞれの布は別々に織られ、縫い合わせたものではあるが、両サイドのエンジの布の両端は緯糸浮織、中央の布との境界は昼夜織、中央の白地部分には黒と赤の緯糸浮織、中央の黒地部分は経絣、織り端には縫取織によるベルト状の飾りが織られ、格の高い布とされている。特に中央部分が特徴で、中央の布の両端に配置された白地に浮織部分の上部にある幅広の模様には男性の模様と女性の模様があり、1枚の布において同じ模様を用いることはなく、男性と女性の模様をペアとして用いるので両端の模様は異なっている。子供達が皆結婚し、孫や曾孫が産まれるほど長生きをして老齢で亡くなった人には、人生を全うした敬意を込めて、この種類のウロスが贈られ、遺体を包む布にされるという。

※シマタ(Simata)
 ウロスにはビーズもよく使われ、縫取織と共に、緯糸にビーズを通し織り込んで、模様を表した華やかなウロスも制作されている。また写真11のように左右の織り耳の部分にビーズで縁取りをしている布もある。ビーズの縁取り部分はシマタと呼ばれ、細くて長い刺繍用の針に、赤、黒、白のビーズを3個ずつ通し、ブランケットステッチで縫いつけたものである。染織品や家の装飾にもよく使われる赤、黒、白の三色は信仰と神話に由来した三神の馬の色を表し、赤は地上を、黒は天上界を、白は天と地の間を意味するという。

※シラット(Sirat)
 ウロスの織り端のベルト状の飾りはシラットと呼ばれている。技法は一般的に縫取織りと解説されているが、このシラットを織る道具はとてもシンプルで、織り方も独特であり、カード織りに似ている。カード織りは織機を使わずに十数枚1から数十枚の手のひら大のカードを使う。カードの四隅に穴を開けて経糸を通し、カードを回転させることにより、経糸を上下に開口し、緯糸を入れて織っていく技法である。経糸の配色とそれぞれのカードの回転方向によって、単純な構造であるにもかかわらず複雑な模様も織ることができるが、織り幅が広くなるほど経糸の本数が増えるので、カードの枚数も増え、カードの束を両手で抱え回転させながら織る。ウロスを織端を縁取るシラットはこのカード織りの原理と同じであるが、使う道具は小さな小枝を使っていた。(写真13 )小枝の両端に穴を開け赤と白の糸を通す。その他に黒と白、茶色と白、赤と赤の糸などを組み合わせて用い、小枝を回転させながら、織り端の房を挟み込むようにして、一段ずつ織り進んでいく。一段ずつ織るので、この小枝に通す糸を緯糸と考えれば縫取織になるかもしれないが、小枝に通す糸を経糸だと考えると、本体の経糸である房を緯糸として入れていくことにもなり、スンバ島のイカットに見られるカバキルと同じ発想になる。ちなみにインドネシアでのカード織りはスラウェシ島のトラジャで行われおり、このシラットの技方は、両者の特性を併せ持っているようで、とても興味深いものであった。また、厚みもあり、幅も広く、重厚感のあるこのシラットが、わずか数センチの細い小さな棒(小枝)1本で織られていると知った時には、驚嘆したものである。

 イカットの自由な表現を可能にしてくれたシンプルな織機は、他の技法にとっても同様であり、数本の棒を用いただけの最も原始的といわれる織機であっても、生み出される布の表情はイカットと他の技法との様々なコンビネーションにより、実に多彩であり、豊かなものである。

イカットのプロセス 〈Ⅳ〉コンビネーション combination -前編  富田和子

2017-08-29 09:34:38 | 富田和子
◆スンバ島東部 経絣、昼夜織の布を2枚接ぎ合わせ、カバキルを織り加えた布

◆スンバ島東部  
カバキルが織り足されたイカット


 ◆縞織のカバキル

◆昼夜織のカバキル

◆絣織のカバキル

◆カバキルの製織

◆カバキルの製織

◆イカットと組み合わせた昼夜織の製織

◆イカットとパヒクンとの組み合わせ

◆経糸紋織(パヒクン)部分

◆スンバ島西部のイカット

◆白い無地の布の織端に太いトワイニング

2007年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 43号に掲載した記事を改めて下記します。

 『インドネシアの絣(イカット)』- イカットのプロセス 〈Ⅳ〉コンビネーション combination -前編  富田和子

 絣の宝庫であるインドネシアの島々で、イカットを織るのに使用される織機は、数本の棒を用いただけの最も原始的といわれる織機であった。輪状の経糸を切ることも崩すこともなく機に掛け、織ることができるこの織機はシンプルな構造であるが故に、絣模様の自由な表現を可能にしてくれたが、他の技法にとっても同じことは言え、イカット以外の自由な表現にも一役買っているように思われる。

 ◆カバキル(Kabakil)
人物や動物などの具象的な模様が独特のスンバ島のイカットには、他の島では見られない「カバキル」を織り加えた布がある。 カバキルとは布の両端の房の部分にある、幅5~6cm程のベ ルト状の飾りのことである。 本来は布端の緯糸がほつれてこないようにする始末であったものが、次第に装飾的に手の込んだものに発展し、さらに布の価値を上げることになる。カバキルは支配者階級や儀式用のイカットに多く使用されたという。織技法には同じイカットの他に、縞織や昼夜織などが見られ、独特のコンビネーションになっている。
スンバ島東部カンベラ地方の村で、カバキルの製織を見ることができた。家の入口に竹の棒を渡し紐を掛け、その紐に短めの先端棒を取り付け、カバキルの経糸が通してあった。すでに4分の1ほど織られたカバキルの部分は、布と共に1本の手元棒に巻き込まれている。まだ織られていない布端は前に伸ばした足の指で挟み、布をピンと張った状態にする。そして、織り上がった布の経糸である房を4~5本ずつ器用に拾い上げ、緯糸として織り込んでいく。 細長いカバキルを織るために、綜絖と中筒は専用の竹製の道具を用 いていた。この道具には割れ目があり、綜絖糸や経糸を簡単に掛けることができ、しかも、手を離した時にも滑り落ちることのない便利なものであった。
 布を織る場合、経糸が経糸のままで完結するのではなく、 残った経糸が緯糸にもなり得るという自由な発想がカバキルにはあり、経糸さえあればどこにでも綜胱を取り付けて織ることができるという腰機の特性をよく表している。腰機はシンプルな構造故に、織り方の可能性も広がり大変興味深い。

 ◆様々な技法の組み合わせ
 島ごと地域ごとに様々な表情を見せるインドネシアのイカットは他の技法と組み合わせて織られた布もよく目にすることがあり、またそれがインドネシアのイカット特徴のひとつでもある。1種類の技法だけでは満足できず、布に価値を加え、より美しくするためにイカットやソンケットやその他の技法を組み合わせて織られたこれらの布は、インドネシアでは「コンビナシ(combinasi)」と呼ばれ、ステイタスを与えられている。
 以前にも述べたように、絣(イカット)も数ある織技法の一種であるが、他の技法と大きく違う点は、糸を染める前の準備の段階で絣括りを行い、糸を染め分けることで模様を表すということである。実際に織る段階の技術としては極単純な平織りであるため、織りながら模様を作り出していく他の技法と組み合わせて織りやすいことも様々な技法の組み合わせをが多く見られる要因である。併用される他の織技法としては経糸紋織、緯糸紋織(緯糸浮織、縫取織)、変化組織(昼夜織、綴織)などがある。

◆自在に操るコンビネーション
各民族、地域ごとに特色のあるイカットが織られているインドネシア、中でも特色あるスンバ島のイカットはよく紹介されているが、それはほとんど、スンバ島東部の地域で制作されているイカットである。同じ民族とはとても思えないほど、スンバ島のイカットは島の東部と西部で大きく異なっている。東部では精霊信仰の象徴として人物や動物などの具象的模様が特徴であり、人や動物が布一面に自由に生き生きと表現されている。パヒクンと呼ばれる経糸紋織や昼夜織との組み合わせも多く見られ、さらに織り端にはカバキルが加えられ、実にぎやかな布である。

 ※経糸紋織=パヒクン(Pahikeng)
 経糸紋織は地を織る糸のほかに模様のための経糸を用い、その経糸を竹べらなどで拾い、浮かせて模様を表す織技法である。スンバ島、 バリ島、ティモール島などで織られてきたが、バリ島で はすでに途絶え、ティモール島でもあまり見られない。唯一、スンバ島東部では「パヒクン(pahikeng)」と呼ばれ、現在でも盛んに織られている。イカット同様、具象的な模様も幾何学的な模様も自由に表現され、パヒクンだけで織ったものと、イカットと組み合わせたものと両方制作されている。
 パヒクンはとても手の込んだものである。地を織るための綜絖と中筒、さらに紋織(模様)をのめの綜絖を取り付け、丹念に模様となる経糸を拾い、浮かせて織っていく。また布の裏側には模様のための経糸が浮いた状態になっているので、裏側の浮糸を押さえるために地織りとは別に細刀杼を入れ、中筒開口の要領で開口部を作り、押さえ用の緯糸を定期的に織り加えている。どのようにして、このように複雑な織り方を会得したのだろうか。イカットもパヒクンもカバキルも、スンバ島東部の人々は織機の可能性を探り出し、自由自在に操って見事な布を創り出していた。

 ※スンバ島西部のイカット
 同じ島であり、同じスンバ民族でありながら、東部と西部のイカットは全く違う表情を見せている。西部のイカットの模様は幾何学模様で、部分的に使われている場合が多い。イカットよりもむしろ無地や縞模様の部分の面積が大きく、色も藍や黒地が多いので布全体はとてもシンプルである。織り端の始末として東部ではカバキルが織られているのに対し、 西部ではトワイニングが行われている。また、東部ではパヒクンと呼ばれる経糸紋織や昼夜織との組み合わせも多く見られるが、西部ではこのような他の織技法は全く見られない。

 ※トワイニング(twining)
トワイニングの原形である英語のtwineという言葉の意味には、縒り合わせ、編み合わせ、絡みつかせる、巻き付ける等の意味があるが、トワイニングは2本の別糸を用い、経糸を挟むようにして編んでいく技法である。異なる2色を配色し模様を表すと、一見メリヤス編みのようにも見える。織り端の始末として、簡単なトワイニングは他の島でも行われているが、写真のように太く、しっかりと編み込み模様が表されているのはスンバ島西部の特徴であり、さらに他の地域では見られない真っ白な大きな無地の布とトワイニングとの組み合わせはとても印象的であった。インドネシアの中でもスンバ島は、東西で両極端のイカットが見られる島である。[続く]

『インドネシアの絣( イカット) 』-イカットのプロセス〈Ⅲ 〉- 富田和子

2017-08-21 09:37:15 | 富田和子
◆[ 図1 フローレス島の腰機]( 作図工藤いづみ)

◆フローレス島


 ◆高床式住居と巨石墓 スンバ島

◆家の床下で織る スンバ島

◆ティモール島

◆自動織機 スマトラ島

◆高機 スマトラ島

2006年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 42号に掲載した記事を改めて下記します。

『インドネシアの絣( イカット) 』-イカットのプロセス〈Ⅲ 〉- 富田和子

 ◆シンプルな腰機の構造
 腰機は、いざり機、原始機、後帯機などとも呼ばれている。経糸密度を調整する「筬」の無いもの、有るもの、機台を備えて経糸を長く掛けることが出来るもの、さらに長い経糸を板に巻き取るようにしたものなど、腰機にもいくつかの種類と段階があるが、ヌサ・トゥンガラ地方の東部では、筬が無く経糸を輪の状態にして掛ける最も原始的といわれる腰機を使用している。数本の棒を用いただけのいたってシンプルな織機ではあるが、イカットを織るのにはとても適している。

 腰機の構造は、各島によって多少の違いは見られるが基本的には図のようである。
① 輪状の経糸に2 本の棒( B とG ) を入れる。経糸は2 本の棒の間で上下二層になっている。
② 先端の棒( G) は地面に打った杭や家の柱を利用したり、専用の支柱に取り付けて固定する。
③ 手元の棒( B) は、1 本の棒で布を固定しないものと、2 本の棒で布を挟み固定するものや、太い棒に溝を掘り、細い棒をはめ込んで布を挟み固定するものなどがある。
④ 手前の棒( B) の両端に紐で腰当てを取り付ける。腰当て( A) は木製、革製、椰子の葉を組んで作ったものなどがある。
⑤ 緯糸を通すための経糸の開口は綜絖(D) と 中筒(E ) によって行う。
⑥ 中筒( E) には竹や木の棒を用い、中筒を入れることによって隣合う経糸を上下に分けている。
⑦ 綜絖は、中筒の下を通る経糸に対して別糸で取り付け、細長い木の棒( D) に掛けておく。この綜絖を
持ち上げることにより、下に沈んだ経糸を引き上げて緯糸を入れる開口部分を作る。
⑧ 棒( F) は、経糸全体を押さえ、綜絖開口を操作しやすくするための押さえ棒である。
⑨ 緯糸を入れるための抒(Ⅰ) は、細長い棒に緯糸を巻きつけて使用する。
⑩ 刀抒( C) は、経糸に差し込み開口を保つことと、この開口部に入れた緯糸を打ち込むためのもので、
堅く重い木を用い、片側を刀状に削ってある。

 インドネシアでは、一般的に戸外で織っているので、その日の作業を終えると、先端の棒を支柱からはずし、そのままクルクルとたたんで、家の中にしまう。また、急に雨が降ってきた時などは、織っている途中でもたたんで持ち運びができる便利なものである。

 ◆ 織り手の身体が機( はた) と一体になる
今でもイカットが盛んに織られているヌサ・トゥンガラ諸島の東部の島々。そのうちの一つ、スンバ島は、巨石文化と伝統的な高床式住居でも有名である。現在はキリスト教を信仰しているスンバ人だが、古来からのアニミズムに基づく伝統習慣も根強く残されていて、かつての王国だった村には、巨石墓と共に独特のとんがり屋根を持つ住居の集落が見られる。
 そんなスンバ島のイカットは、精霊信仰の象徴として人物や動物などの具象的模様が特徴で、人や動物が自由に生き生きと表現されている。村では高床式の家の床下でイカットを織っていた。灸天下であっても、床下は心地良い日陰を提供してくれる。どっしりとした家の柱を利用して、織機が備え付けられていた。輪状の経糸の両端に太い竹の棒を差し込み、先端の棒は柱と柱の間に渡し、手前の棒は紐を付けて腰当てとつなぐ。腰当は木製の大きなもので、腰の当たる部分にクッションが付けられていた。地面にござと座布団を敷き、両足を前に伸ばして腰をおろす。両足の前の地面には杭が打ってあり、足を支えるための板が立てかけてあった。
 腰機は、織り手が腰で経糸の張り具合を調節しながら織るところに特徴がある。中筒開口の時に
はこの板に足を乗せて踏ん張り、腰を引き、経糸をしっかりと張って開口する。綜絖開口の時には膝を曲げて腰を浮かせ、経糸を緩め、綜絖を引き上げて開口する。スンバ島では手元の棒は1 本で、経糸は固定されずクルクルと回る状態になっている。綜絖開口をする時には、操作しやすいように経糸全体を手前に引き寄せて緯糸を入れ、打ち込む時には上に押し上げ、刀抒で勢い良く打ち込んでいる。このようにして中筒開口と綜絖開口を交互に繰り返し、緯糸を入れ、刀抒で打ち込み、輪状の経糸を回しながら、織り手はからだ全体を使って機と一体になり、リズミカルに布を織り進んでいく。

◆経縞や無地との組み合わせ
 ヌサ・トゥンガラ諸島の東端の島、ティモール島を訪れた時のことである。移動中、戸外で作業をしている姿を見かけ、バスを降りた。村の広場の日除けの下で、母と娘が二人で整経をしていた。経絣と縞を組み合わせた布の整経だった。日除けを支える太い柱と地面に打ち込んだ3 本の杭を利用して、整経台ができていた。柱とそれに並ぶ太い杭には紐を掛け、棒を通してある。手前の細い棒には窪みが付けてあり、杭と棒とを噛み合わせてあった。
 スンバ島以外の他の島々では、経絣と縞や無地とを組み合わせた布を多く目にした。まず絣模様に必要な分だけ経糸を整経して、絣括りをする。染色後、括りを解き、再び整経を行う。はじめに一定の間隔をおいて絣模様の経糸を配置する。そして、そのすき間を埋めるように別糸で経縞や無地を整経していく。2 本の棒で張られた輪状の経糸は、移動や追加が簡単で、糸の配置が自由にできる。しかも、整経と同時に綜絖を取り付けることもでき、整経が終わった時点で、中筒を入れ、腰当てを取り付ければすぐに織り出せる。また、経糸の長さや織幅に合わせて、地面に打つ杭の位置を調節すれば、どんなサイズの布にも対応できる。シンプルであるが故に合理的な腰機の特性を改めて見ることができた。

 ◆合理的な機掛け
 腰機の機掛けは、まず輪状の経糸を用意し、その輪の中に数本の棒を入れることから始まる。高機のように、綜絖のあるところに糸を通すのではなく、糸に合わせて後から綜絖を取り付けるという具合に、目的に応じて装置を取り付けながら、織機が形作られていく。また、織るときには自分の腰で経糸の張りを調節しながら織るので、織り手の身体が機の一部となり、初めて織機として完成するという機である。そして、この地域の腰機には筬が無いので、経糸が1 本ずつ並んだ状態が経糸密度となり、布の表面には緯糸がほとんど見えない。筬によって経糸密度を変化させることはできないが、むしろ経糸が密に並ぶことで、経絣の模様がはっきりと現れてくる。また、筬に経糸を通す必要がないので、細かい絣模様の経糸を崩すことなく、そのまま機に掛けることができる。すでに存在する織機に糸を掛けるのではなく、糸に対して織り機を取り付けていくという点、また、自分の身体が織り機と一体になるという点は、高機とはまったく違い、むしろ逆の発想といえるが、初めに糸ありきの腰機の機掛けは、イカットの制作においては、実に合理的な方法になっている。
 効率的な絣括りを可能にしている重要な要素は輪状の経糸であり、そして、その輪状の経糸を切ることも、崩すこともなく染めて、機に掛けて織ることのできる腰機の構造もまた、イカット制作の上で重要な要素であり、布一面に描き出された絣模様もずれることなく、保つことができるのである。

 ◆イカットと腰機
 インドネシアにも、いろいろな織機はある。ヌサ・トゥンガラ以外の地域、スマトラ、ジャワ、バリ、スラウェシなどの各島では、高機も導入され、おもに緯絣や緯糸浮き織りが織られている。また、自動織機が稼働している地域もある。北スマトラのトバ湖周辺に居住するバタック人は「ウロス」という絣と浮織りによる伝統的な布を所有し、現在でも冠婚葬祭など様々な儀式において、ウロスは重要な役割を担っている。この地域のある村では、同じ村の中で、同じ模様のウロスを自動織機と高機と腰機で織っているのを見ることができ、まるで生きた博物館のようだった。ただし、この場合のウロスの布は絣糸を用いてはいるが、わずかに絣の名残をとどめているのに過ぎず、絣模様を形作る布にはなっていなかった。昔は布一面に絣模様が織られていたウロスも多かったが、自動織機や高機に押されたのかどうか… 、残念ながら、現在織られている布には絣はあまり見られず、浮織りが主になっている。
 かつて織機といえば高機が当然で腰機は原始的なものだという概念しか持ち合わせていなかった頃、インドネシアの絣織物は驚異的であり、その存在感に圧倒される思いだった。その後、イカットについて学び、腰機でイカットを織る体験を経て、当初の概念は消えていった。確かに、布を長く、早く、楽に織ることを考えれば、高機の方が効率的である。しかし、絣模様を思いのまま表現することを重視するならば、輪状の経糸や腰機は実に便利で合理的であり、高機で絣を織るのは、もどかしくさえある。

 インドネシアにおいて、今でもイカットが織られている地域は、決して豊かな地域とは言えない。沿岸部の商業地域から遠く離れた奥地であったり、あるいは、絣の宝庫と言われるヌサ・トゥンガラ地方の島々は、乾燥地帯であり、火山や石灰岩が隆起してできた島々で、土地は痩せている。他にこれといった産業もなく、自分で織った布を売ることが唯一の現金収入になる場合も多い。けれど、地面に杭を打って椰子の実の器を手渡しながら行う整経の様子や、地面に腰を下ろして数本の棒から成る腰機で織る姿を、機械文明から取り残された風景として見ることは早計である。この地域に高機が普及することもあり得たのであろうが、既にイカットの合理的な制作方法が完成されていて、高機が入り込む余地は無く、人々は高機を必要とはしなかったはずである。
 最も原始的といわれる腰機。数本の棒を用いただけのシンプルな織機ではあるが、イカットを織るのに適しているだけでなく、簡単な織機の構造からは想像もできないような複雑な布を織ることもできる。


『インドネシアの絣(イカット)』-イカットのプロセス<Ⅱ> 輪状の経糸- 富田和子

2017-08-13 11:11:21 | 富田和子
◆経緯絣 : バリ島

◆[経絣 : スンバ島]

◆[輪状整経:スンバ島]


◆[輪状整経:カリマンタン島]


◆[図1](作図:工藤いづみ)

◆[図2](作図:工藤いづみ)



◆[経糸の重ね合わせ:カリマンタン島]


2006年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 41号に掲載した記事を改めて下記します。

『インドネシアの絣(イカット)』-イカットのプロセス<Ⅱ> 輪状の経糸- 富田和子

 ◆輪状の織物 
 絣は糸を染める前の準備の段階で「絣括り」をして、糸を染め分け、模様を表す技法である。 島ごとに多種多様な模様が織られ、布いっぱいに広がる自由なデザインは、インドネシアの絣であるイカットの魅力の一つである。 人や動物や植物が自由に生き生きと表現されているもの、布全体が大小の幾何学模様で埋め尽くされたダイナミックなものや緻密なものなど色々があるが、細かい模様になると絣括りの一束が2~3mmというものもある。織り上がりの模様通りに糸束を括るので、絣括りは大変手間の掛かるものである。そのため、絣括りを効率を良くする様々な工夫が行われている。その工夫を生み出すポイントは輪状の経糸と織機の構造にあり、それが日本の絣とインドネシアの絣であるイカットの制作方法において、大きく違う点でもある。

 イカットの場合、経糸は輪の状態に準備される。輪状に整経された経糸は、輪のままの状態で絣括り、糸染め、機掛け、機織りといったプロセスを経る。少しずつずらして回しながら織り進み、織り上がって機からはずす迄糸を切ることはない。通常は織り残された経糸を切り離し、四角形の一枚の布として利用される。そのままの状態で使う場合もあれば、さらに裁断したり、縫製する場合もあるが、唯一、経緯絣を織っているバリ島のトゥガナン村では、この布を神に捧げる供物としての織物と、男性の儀礼用の肩掛けや腰帯として、織り上がった輪状のままで使用する場合もある。

◆ 輪状整経の方法
織物のサイズに合わせて、必要な長さと本数の経糸を揃えて準備する作業を整経という。輪状整経は、経糸を1本取りでグルグルと巻きながら、2本の棒に糸を螺旋状に掛け渡す方法である。

 ※水平型
…大きいサイズの布を織る地域では二人一組となって整経をする。2本の棒はしっかりと枠に組んで固定され、その木枠の中に二人並んで座る。経糸用の糸を玉に巻き、椰子の実を半分に割った器に入れ、 手渡しながら左右の棒の上側から下側へ、ぐるりと一周しながら糸を掛けていく。
木枠の端に2本の紐を結びつけ、この間に経糸を通し、1 本ずつの綾を取る。また、絣括りの一束ずつの単位がわかるように、手前の黄色い紐を入れながら整経する。整経後この紐を頼りに経糸を重ね合わせる。

※垂直型…比較的小さいサイズの布を織る地域では1人で整経を行う。台となる角材の両端の穴に棒を垂直に立てる。 経糸用の糸を玉に巻き、足元のポリ容器に入れ、両手を使って左右の棒に輪状に経糸を掛けていく。台には綾棒用の穴もあり、 同様に2本の棒を立てる。日本で使われている整経台に似ているが、経糸は2本の棒を往復する平整経法ではなく、常に一定方向で、ぐるりと一周するように糸を掛け渡し、両端の棒の手前を通過するときにのみ、綾を取るのが輪状整経の方法である。

 ◆ 輪状の経糸を重ね合わせる
 整経した経糸は絣括り用の木枠に移される。輪状の糸束に棒を2本入れて木枠に張ると、経糸は上下二層の糸束になる。 この二層を合わせて、一緒に括ることで絣括りの手間は1/2になる。 上下二層となった経糸は、さらに重ね合わせたり、部分的に移動させたり、折り畳んだりすることもできる。

インドネシア各地では次のような方法が行われている。

 ※経糸全体を重ね合わせる方法
①図1のように、必要枚数に応じて2枚分、3枚分、4枚分…の整経をし、輪状の経糸を一緒に重ね合わせて絣括りをする。 上下二層を一緒にまとめ、さらに重になった糸束を括 る。
 [2枚分=1/4、3枚分=1/6、4枚分=1/8の手間]
②上下二層となった経糸をさらに半分の幅に折り返して、絣括りをする。[1/4の手間]
③上下二層となった経糸をさらに半分の長さに折り返して、絣括りをする。[1/4の手間]

※経糸を部分的に重ね合わせる方法
①同じ絣模様ごとに整経をして、重ね合わせ、一つにまとめて絣括りをする。染色後、デザインに合わせて絣部分を配置し直し、無地や経縞の経糸を加える。
②図2のように、経糸を全体ではなく、部分的に移動したり、折り返して、同じ絣模様の糸束を適宜重ね合わせ絣括りをし、染色後もとの位置に戻す。

※仮織りをして重ね合わせる方法
 整経後、絣括りをする前に10cmほど仮織りをする。機からはずして、仮織りをした部分を基準として、経糸全体を折り畳む。 写真の場合は元の幅の1/6に折り畳んでいる。糸束を整理して、一緒に括る糸束同士を一つにまとめて絣括りをする。

 経糸が輪状であることは、重ね合わせたり、折り畳んだりする作業がしやすく、効率良く絣括りをする工夫のしどころである。その結果、布全体から見る絣模様の構成は、基本的に上下対称や左右対称の連続模様となる場合が多くみられる。効率的な絣括りを可能にしている重要な要素は輪状の経糸であり、そして、その輪状の経糸を切ることも崩すこともなく、機に掛けられるシンプルな織機の構造もまたイカット制作の上で、重要な要素となっているのである。
◆[輪状整経:カリマンタン島]

◆[図1](作図:工藤いづみ)

◆[図2](作図:工藤いづみ)



◆[経糸の重ね合わせ:カリマンタン島]