ART&CRAFT forum

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『手法』について/眞板雅文《音・竹水の閑》 藤井 匡

2017-04-14 11:28:37 | 藤井 匡
◆眞板雅文《音・竹水の閑-水の国》竹、縄、鉄、水/2003年

2003年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 30号に掲載した記事を改めて下記します。

『手法』について/眞板雅文《音・竹水の閑》 藤井 匡


 眞板雅文はこれまで、様々な素材を様々な技法で扱いながら作品を制作してきた。1970年代の写真と蛍光灯などの日用品を組み合わせた作品、80年代のロープや布などを巻きつけたオブジェ的な作品、鉄の棒と自然石とによる野外での大型彫刻――そして、97年以降は竹を使用したインスタレーションが制作されるようになる。
 これらを通観するとき、個々のシリーズ間の連続性は希薄に感じられる。使用される素材は共通イメージをもたず、使用される技法も素材ごとに異なるためである。作品の変化は思考に依拠するもので、技術的な蓄積にはないように思える。
 しかしながら、外観の差異にも関わらず、全ての作品には共通した感覚が存在する。シリーズごとに技術的な形式は変化するが、そこに至るまでの素材やモチーフに対する姿勢が一貫するのである。
 前のシリーズを否定することから次のシリーズへと移行する、弁証法的な過程を経て変化するタイプの作家であれば、時間軸に沿った理解は有効性をもつ。この場合、作者の内部に変化の必然性が宿されているのだから。しかし、眞板雅文の場合、外在的な要因から触発された部分が突出して、作品化されていくタイプの作家である。このとき、作品の変遷を、作者の個人史上の発展として把握するのは大した意味をもたない。
 この点に着目するならば、個々のシリーズは並行した共時的存在として見えるようになる。この視点に立つときにはじめて、作品を作者の固有性に属する(作者の名前が冠される)ものとして捉えることができる。

 最近のシリーズである《音・竹水の閑》は、鉄のフレーム一個につき百本強の竹を並べるように番線で留め、円錐形をつくりだした作品である。これは、素材の特性や展示場所が周到に計算された上で制作がなされている。
 空へ向かって放射状に伸びる竹のラインは、見る者の視線を引き上げる。加えて、竹と天・地との接触を補強するように、空に最も近い部分に先細りの側が当てられ、地面に最も近い部分は垂直に切断される。そして、《音・竹水の閑-水の国》では既設の人工池に設置されるため、実像と映像とが水面を挟んで上下の線対称に位置することになる。こうして、単なる幾何学形態以上の垂直軸がつくりだされるのである。
 また、円錐形は一方向が開かれており、ここから水平方向に竹の造形が延ばされる。円錐中央の地面には水盤が置かれており、水平の竹の中を通って落ちる水滴が波紋を広げる。この場所で、垂直方向から受ける力が水平方向へ押し広げられる。《音・竹水の閑-水の国》では水盤と人工池とが連動するため、水平方向への展開はより広範囲に渡ることになる。
 さらに、風が吹くとき、円錐形に立てられた竹は先端部分が僅かに揺れ、垂直軸の基調となる作品の輪郭線は曖昧になる。同時に、水平方向でも、その風を受けて地面の水盤に小波が生じる。作品と景観とは明瞭に分節されるのではなく、両者の境界線は流動する。自然現象の中で〈作品外→作品内→作品外〉の循環系が発生するのである。
 こうした要因が複合して、作品と景観とは一体化した状態を示す。さらに、竹という素材イメージが加算されることで、作品と景観とが各々のフィールドを超えて融合する状態が示されることになる。
 円錐形では竹の間隔が上方ほど広くなるため、作品と景観との接触は同心円状に淡くなる。ここを通して見える景観は、竹林などで日本の風景において馴染み深いものである。ここでは、作品の構造に既視感のある風景がオーバーラップされ、人為を通して自然が回復されるのである。
 作者は、自己と自然との関係の重要性、そして作品がこの関係の上に成り立つことを繰り返し語っている。《音・竹水の閑》で両者を密接に繋ぐ素材と加工の在り方は、他のシリーズ(過去の作品)にも――提示の形式は異なっているが――見いだせるものである。

 眞板雅文は80年代から野外での大型の彫刻を多数制作している。素材は耐候性のある鉄と石が使用され、主に樹木や山などの自然物がモチーフに選ばれる。鉄も石も野外彫刻では一般的な素材であり、多くの彫刻家が使用するものである。しかし、作者の場合、生な感覚が残る素材と具象的な形態という、距離のある両者をシンプルな方法で結びつける特異な彫刻を制作する。
 例えば、ヴェネチア・ビエンナーレに出品された《樹々の精》(1986年)は、湾曲させた鉄の棒を組み合わせることで、枝を広げた樹木を連想させる作品である。
 細部に着目すると、元々それが工業製品であることが分かる。つまり、大幅な加工が行われておらず、素材である鉄の棒が最後まで鉄の棒として残存しているのである。しかしながら、作品全体にはそうした工業製品のイメージではなく、有機物としての構造(部分と部分とが連鎖的な運動感をもつ)が与えられる。工業製品を有機的なイメージに変容する方法の発見から作品が生み出されているのである。
 作者は、この鉄の棒を使用し始める契機として、解体工事の現場でコンクリートから露出した鉄筋を見た経験を語っている。(註 1)だが、この出来事が作品をもたらした直接的な契機だったとしても、同じ光景を見た人間全てが同じ作品へ至るわけではない。作者はこの出来事以前に、意識されないままに、この素材を扱う方法を獲得していたはずである。その前提の上で、鉄筋(人為)と樹木(自然)との結合が可能になる。
 ここでは、自然環境の豊かな所を制作場所とし、毎日のように自然を見つめてきた経験が先行し、その後の出来事を通して意識化されたものである。こうした日常の経験は、出来事のように特化されないため、明示することは困難である。だが、この潜在するものの厚みがなければ、作品は表層的な存在に留まるに過ぎない。作品は、出来事と経験の結合から導かれるのである。

 《音・竹水の閑》における竹は、かつて「それ自体美しく、伝える力が大きい」(註 2)以上、これを素材とした美術作品を制作する必要があるのか、との問題として浮上していた。このシリーズが最初に制作された1997年の十年以上前から、作者は竹を素材とした作品を考えていたと言う。(註 3)それは裏返せば、構想から十年以上も――条件的には可能であったにも関わらず――制作できなかったことを意味する。
 結果的に、戦前に水力発電所として建築された場所での発表機会によって作品は実現する。もちろん、この機会は偶然(作者の意志に由来しないもの)である。ただ、それ以前に、偶然=出来事を新たな作品へと結実する条件を整備していたことに、作者の主体的な意志を見ることができる。
 眞板雅文の使用する素材や技法は、その都度その都度の都合に合わせて自由に選択されたものではない。「初めからこういうものをつくりたいとか、図面の上から考えていくというのではなくて、素材から入っていく場合が多い。そういう意味で、いつも素材を探している。総ての素材に興味があるといってもいいですね。」(註 4)この作品以前の段階に、手から出発する、眞板雅文にとっての不変の方法が存在する。
 ここでは、コンセプト(主)が揺るぎなく掴まれた後に、それを実現する手段として素材(従)が選択されるのではない。作品として実現するかどうかに関わらず、素材が探され、手が加えられる。そこから、あるインスピレーションが引き出された結果として作品が出現するのである。
 特異な素材として受け取られやすい《音・竹水の閑》の竹も、そのような無償=無目的な過程を経て掴まれたものである。作者が素材に関与した時間の蓄積が、作品の存在的な強度をもたらす。この時間は、見る者に直接提示されることはない。その上でなお、作品を規定する両者の関係を、眞板雅文の方法と呼ぶことができる。


註 1 インタビュー「日常・風景・素材」『みなとみらい21彫刻展』図録 1986年
2 眞板雅文「竹をめぐって」『眞板雅文 音・竹水の閑』図録 下山芸術の森発電所美
   術館 1997年
  3 前掲 2
  4 前掲 1


『手法』について/金沢健一《2,3,4》 藤井 匡

2017-03-29 09:41:25 | 藤井 匡
◆金沢健一《2,3,4》高さ核198cm/ステンレススティール/1996年
撮影:大谷一郎

2003年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 29号に掲載した記事を改めて下記します。

『手法』について/金沢健一《2,3,4》 藤井 匡


 金沢健一は一貫して鋼鈑を素材として扱ってきた作家であり、その仕事は〈構成的な作品〉〈鉄と熱の風景〉〈音のかけら〉の三種類に大別される。(註 1)
 これらはいずれも、熔接・熔断という鋼鈑のエッジ部分の加工作業から生み出される。最終的な提示こそ異なるものの、鋼鈑を面的に用いること、そして表面に手を入れない制作方法は共通する。作者は素材に手を加える部分を限定し、その存在感を残存させるのである。
 こうした方法の背景には、鉄は「工業製品にもかかわらず、寡黙な中に強い意志を秘めた存在感を持っている」「作品は私の造形の意志と鉄の存在の意志との接点に生み落とされる」(註 2)との作者の認識がある。それは、素材は作者の表現に従属するものではなく、作者と素材とは対等であることを意味する。この意識から出発するゆえに、鉄の存在が覆い隠されるような加工は回避されるのである。
 ただし、工業製品である鉄の意志は、木や石などの自然物とは同一視できない。目前の鉄に内在するのではなく、個々の鉄の固有性を超えたところで発揮されるものである。金沢健一のパターン化された作品を並置するインスタレーションは、こうした考察からもたらされると思われる。

 〈鉄と熱の風景〉は、小さな鉄片を積み重ねながら、熔接で固定した作品群である。その内の二つを比較するとき、形態的には大きな違いは見当たらない。しかし、線熔接と点熔接との、熱変色の仕方が大きく異なる二種類が組み合わされることから、表面の在り方には大きな違いが発生する。
 線熔接では、フリーハンドで描かれた水平線のような青-紫の変色が強い印象を与える。このため、繋ぎ目の直線的なエッジは後退し、二枚が連続するように感じられる。逆に点熔接の場合、側面の一箇所が小さな点として変色するだけであり、二枚を分節する鉄片のシャープなエッジが強く目に留まる。二種類の熔接を一つの作品の中で様々な順序で織り込むことで、多くのバリエーションを生み出すのである。
 これらは展示の際、複数個が等間隔に並べられて壁に取りつけられる。このため、個々の差異は重要性の度合ではなく、単に差異として示されるだけである。こうして、〈鉄と熱の風景〉は全てが異なり、同時に全てが等価と見なされる。
 同様に、〈音のかけら〉も各部分が等価であることを前提として成立する。
 四角形あるいは円形の鉄板をフリーハンドによる曲線でいくつかに熔断する。次いで、その下に合成ゴムを敷いて床や台座から浮かせ、打楽器のように叩いて音を出す作品である。しかしながら、制作の目的は楽器のような正確な音階(価値基準)に測ることではない。大きさとかたちに応じた音が、全ての鉄片に等しく内在することに主眼が置かれる。
 各音の等価な位置づけは、元々の四角形や円形を復元するように並べる展示方法からも伺える。ここでは、鉄片個々の形態ではなく、その間にある切断線の方が浮上する。こうすることで、ある鉄片の音と隣接する鉄片の音とが影響を与え合うことが視覚的に分かる。加えて、どの鉄片も全体の中の一部分に過ぎず、特権的な価値をもっていないことが分かるのである。
 さらに、〈音のかけら〉では、参加者が描いた曲線に鉄板を切り抜いて、個々人の音をつくるワークショップも開催される。それは、このシステムに準拠する以上、誰が決定したどんな音でも等価であるからこそ成立するのである。
 このように、〈鉄と熱の風景〉にしろ〈音のかけら〉にしろ、システム化された制作方法による、非中心的な体系が前提とされる。作品の意味=価値は、個々の作品を超えたところに存在するのである。そして、〈構成的な作品〉に見られる変化の過程は、こうした考察が深化される過程と軌を一にするものである。

 〈構成的な作品〉は、長方形に切断された鋼鈑(後にはステンレス鋼鈑)を貼り合わせた直方体を、複数組み合わせる作品である。これは、作者のキャリアの最初期から継続されているが、前述の二種類の作品を経て大きな変化を見せる。1996年に制作された〈比例〉シリーズ(註 3)からは、〈鉄と熱の風景〉や〈音のかけら〉と同一志向の、システム化された制作方法が採用されるようになる。
 その最初期作品である《2,3,4》は、198×10×20cm・198×10×30cm・198×10×40cmの三つのステンレススティールの直方体を、各側面が直角・平行に隣接するよう組み合わせる作業から演繹される作品である。このようにシステムを決定した時点で、制作可能な数と各々の形態は自ずと決定される。作者は作業を機械的に実行するだけで、主体性を発揮する場は存在しない。
 そして、展示の際には、個々が等間隔に見えるようインスタレーションされる。ここでも、〈鉄と熱の風景〉と同様、個々が等価に存在するよう配慮されるのである。システムに属する作品同士は単に違うだけで、優劣という価値は排除されることになる。
 だが、それ以前の作品は別の志向に依拠する。「鉄の箱状の部分を自分自身の黄金比ともいえるプロポーションやバランスで構成」(註 4)した作品が制作されていたのである。《2,3,4》のようなシステムを設けない場合、同じく直方体の構成によるものであっても、直方体の大きさや比率、組み合わせ方、面同士が接する角度は限りなく存在する。ここでは、作者自身の責任において選択がなされ、主体的にひとつの構成が決定されることになる。
 これらの作品は、展示に関しても〈比例〉シリーズと異なり、単体での成立を基本とする。しかしながら、水平・垂直を基調とする構成は、積み木のような可変性を意識させ、エッジで接する部分も視覚的な動勢を感じさせる。ここから、見る者は別の組み合わせの可能性を連想していく。単体の内に、可能性としての複数の像が含まれる印象を喚起するのである。
 だが、実現されたものと可能性のままに留まったものの間には、作者の主体に基づいた明確な価値の高低が横たわる。それは、2:3:4という比率がタイトル(最大要因)として使用される作品とは決定的に違うのである。この変化こそが、鉄の意志が目前の鉄の中に物象化できない、という発見によって引き起こされたと思われる。

 鋼鈑は工業製品であるため、同一の規格である以上はどの鋼鈑でも価値は等しい。この鋼鈑とあの鋼鈑との意志が異なる、ということはできない。この鋼鈑が作品に使用されるのは、偶然に手許に届いたという以上の意味をもたない。こう考えれば、どの鋼鈑を用いようとも等しい価値を体現する作品でなければならなくなる。
 また、鋼鈑は製鉄所で圧延された時点で一律な質をもつ。その後、規格に合わせて切断されるときに中心-周縁が生じるのであり、ある箇所が中心と呼ばれるのは偶発的な出来事に過ぎない。したがって、鉄の意志を想定するならば、自身の手に届いた時点ではなく、切断以前に遡行して思考する必要がある。そうすると、一枚の鋼鈑の中ではどの部分の価値も等しいと考えざるを得なくなる。目前の鋼鈑の中心―周縁を自明視して、作品をつくりはじめることはできないのである。
 このため、鉄の意志は目前にある鉄(オブジェクトレベル)を超越したところ(メタレベル)に想定せざるを得ない。そして、そのような素材の意志と作者の意志とが交差点に作品成立の基盤を置くならば、個々の作品=仮象を超越した場所にその意味は出現することになる。必然的に、作者の視線は個々の作品自体(オブジェクトレベル)にではなく、それらを統括するシステム(メタレベル)に向けられていくことになる。
 金沢健一のシステム化された方法による作品、そしてバリエーションを併置するインスタレーションは、素材として自明視される鋼鈑の存在を掘り下げていく思考に導かれる。その作品は、トリッキーな視覚効果を求める作者の主知主義的な志向にではなく、鋼鈑を扱ってきた経験に由来するのである。

註 1 金沢健一「鉄がもたらしてくれたもの」『はがねの様相-金沢健一の仕事』川崎市岡本太郎美術館 2002年2月
  2 前掲 1
3 このシリーズ名称は『金沢健一-構成する人-』(1997年、板橋区立美術館)の図録(挨拶文)にて用いられたものである。
  4 金沢健一「金属彫刻を手がけて」『ZOCALO』№35 1991年5月


『手法』について/前田哲明《Untitled2003》 藤井 匡

2017-03-11 14:26:32 | 藤井 匡
◆ 前田哲明《Untitled2003》鉄、(Mixed media) 355×519×300cm
撮影:桜井 ただひさ

2003年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 28号に掲載した記事を改めて下記します。

『手法』について/前田哲明《Untitled2003》 藤井 匡


 かつて、前田哲明の作品は〈制作に向き合う作家本人の〈身体〉性がまずあり、その〈手〉という機能的なツールを通してこそ、物と空間〈場〉がはじめて結び合う〉(註 1)と評されたことがある。それは、作品と展示空間とが密接に結びつきながらも、作品と空間とが同義ではないことを指示している。制作と展示とは分離されており、完結性をもつ作品を核とする空間が構築されることを意味するのである。
 この場合、見る者にとっては、作品世界が受容すべきものとして、作者から一方的に与えられるのではない。〈作者-作品〉の繋がりと〈作品-鑑賞者〉の繋がりは分離されており、二つの体系の連続性は保証されない。見る者は〈作者-作品〉の外部に位置し、見る行為に主体性を発揮する存在としてあり続ける。
 だた、最新作の《Untitled2003》では、この事情は多少異なる。それは、作者が〈私が最近の制作の中で、常に念頭に置いていることに、「空間」へのはたらきかけがあります。〉(註 2)と言うように、制作現場から展示現場での作業により重きが置かれることから派生する。ここでは、見る者と作品との関係が作者によって予め織り込まれるため、作者にとっての作品と見る者にとっての作品が一致する方向へと進む。つまり、〈作者―作品―見る者〉と連続する関係を生み出していくようになるのである。
 だが、それでもなお前田哲明の作品は、作者と見る者が同一の作品世界を共有する予定調和性からズレている。見る者は、作者が描く世界像を一律に体験することはないのである。それは、作者側からすれば、主体的な意志によって作品との関係形成を試みるような見る者を受容することを示す。ここに、作者の一貫した志向を見ることができる。

 《Untitled2003》は、八本の鉄柱を立てた間に、天井から瓦の破片を天蚕糸で吊した作品である。柱の形態は、四~五枚を重ねた薄い鉄板を焙りながら、円筒形の型に巻きつけて成形される。このとき、斜めに巻かれていくことから、表面には螺旋状の運動感が表出される。そして、瓦片がその間を埋めるため、八本の柱は一体のもの(相互に関係づけられたもの)として捉えられ、柱の運動感は空間全体で体現されることになる。
 この柱の表面には全て、熔接棒を熔かした痕跡が残される。こうした手作業から生み出される表面には機械的な規則性は発生しない。そのため、各々の箇所の全てに固有性が開示され、見る者は表面を逐一目で追うように導かれるのである。
 さらに、表面の中にも二種類の制作方法が使用されており、体験される事象はさらに複雑化される。入口側の四本では、熔接跡がそのまま残される凸状の表面であり、内から外へ向かうボリューム(量)をもつ。対照的に、奥側の四本は熔接を行った後にそれを研磨することで凹状の表面をつくり、外から内へ向かう方向性を把握させるマッス(塊)となる。量と塊という、部分と全体とが即応する彫刻上の基本認識に則ることで、作者の仕事に通底する、空間の核として存在する求心性が獲得されるのである。
 しかし、この作品では表面と空間との関係が前景化されるため、作品は閉じられた表面による完結体ではなく、遠心的に周囲と繋がるものになる。この場合、見る者に対して、作品は世界像を受動させる在り方を開示することになる。
 それは第一に、表面と空間との分節箇所を反復的に提示して、作品と空間との関係を強化することによる。鉄板は螺旋形に加工される際に、複数枚が完全に一致せずに隙間が生じるため、板材の四方(表面の限界)が多数出現するのである。ここから、彫刻→空間という成立順序の前後関係は解消され、両者が接する場所が意識されることになる。
 第二に、柱の長さを展示空間の床面から天井までの高さに一致させることで、展示空間への従属性をもたらす。第三に、柱の内部に入れられた足場用のジャッキベースに表面を支持させ、視覚的には自立するための垂直性から解放する。第四に、重力に対して自らを支えるに不安を抱かせる薄い鉄板が使用されることで他律的な性格を付加する。
 こうして、空間との関わりにおいて、作品の自己完結性は解体されていくことになる。併せて、螺旋形に連続する表面が、必然的に見る者の位置を移動させる。このため、作品は瞬時に即物的に把握されるのではなく、複数の体験を総合することで出現するのである。

 《Untitled2003》では彫刻的な要素が存在する一方、インスタレーション的な要素も見受けられる。この二つが背反せずに存在する両義性によって、作品は特徴づけられる。これは、作品が観念的に組み立てられたのではなく、作者の経験を基に生じたことを示している。
 前田哲明は以前から展示空間を占有する大型の彫刻を制作してきた。ただし、それは〈私の中で「もの」というものが「空間」以上にウエートを占めていました〉(註 3)と言うように、単体あるいは単体の組み合わせで成立するもので、空間の方が従属的に扱われてきた。《Untitled2003》は、この点においては、大きく性格を変えている。
 例えば、この約一年前に制作された《Untitled 01-B》は、歪みをもつ多数のアクリル板をH鋼で繋ぎとめた、強い一体性を所有する作品である。見る者は単体としてある作品の外側に位置するため、作品世界に対して客観的な視点を想定することができる。このとき、作品と見る者とは分離されている(個と個とが対峙する)ゆえに、作品を他者として扱い得る。
 しかし一方で、二つの作品で不変の性格も見受けられる。四方の壁に対しての距離は《Untitled 01-B》と同様であり、この点からは同様の体験がもたらされる。底面積も高さも展示空間のほとんどを占有する大きさゆえに、見る者には壁沿いに歩く幅が残されるのみであり、作品と距離を置くことはできない。そのため、単体としての彫刻でありながらも空間にも意識が向かうのである。このとき、身体的な受動性が強く与えられるため、自己と対象とを完全に分離して把握することは難しくなる。
 こうした作品を視野に入れるならば、《Untitled2003》の彫刻的要素とインスタレーション的要素は以前から多少のウエートを変えただけのものであることが分かる。「もの」から「空間」への移行は明確なシフトチェンジではなく、むしろ連続した展開として了解されるのである。
 《Untitled2003》では、空間への比重が加算されるとしても、空間自体が彫刻に先行するのではない。以前の作品と同様、〈手〉を経た作品を通して空間が確認されるのである。

 《Untitled 2003》は床面と天井面とを取り込む――単体の彫刻でも通常この方向に視点は設定されない――ものの、側面の四方までを統制することはない。それは、柱の螺旋運動が垂直方向だけに制限されることと軌を一にし、見る者を作品世界の外側に留まり続けるように規定する。ここには、作品と見る者の関係を作者サイドから静的に固定するのではなく、両者共を主体として扱おうとする志向が存在する。
 この志向が一貫したものであることは、作者が初期から作品タイトルとして「Untitled(無題)」を使用してきたことにも窺われる。作品世界と見る者とを一義的に繋ぐことを願うならば、これほど不適当な名称はないだろう。ここでは、両者が共有すべきイメージを作者が事前に方向づけることが回避されるのである。
 作者が提示するのは、作品とは見る者に対自的に見出される存在であり、それを通して見る者自身が対自存在であることの自覚を促す関係の形成である。それは、作者の自我と見る者とが、あるいは見る者の自我と作品世界とが一致する保証が何もないようなコミュニケーションを生み出す。
 この作品が発表された個展はRESONANCE(共鳴)と名づけられたものである。それは、作者が規定する作品世界から、見る者を演繹する態度からは生じない。そうした観念的な「見る者」は自分に擬した表象でしかないのだから。共有すべきものが予め想定されていない場所にいる「見る者」によって、作品世界が基礎づけられることから可能となるものである。それは、自己と世界とが想像的に同一視される自己中心性とは無縁なものである。
 共有すべきイメージが前提とされない以上、両者が繋がることに根拠はない。その上で交感が生じた時にこそ、それはRESONANCEと呼ばれるものとなる。

註 1 高島直之「〈モノ〉の同一性と〈場〉の非同一性―前田哲明の仕事―」ときわ画廊個展パンフレット 1998年
  2 作者コメント「前田哲明展」チラシ ギャラリーGAN 2003年
  3 前掲 2


『手法』について/秋山陽《Oscillation Ⅵ》 藤井 匡

2017-02-22 13:06:58 | 藤井 匡
◆秋山陽《Oscillation Ⅵ》145×820×150cm/陶/2001年

2003年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 27号に掲載した記事を改めて下記します。

『手法』について/秋山陽《Oscillation Ⅵ》 藤井 匡


 作品の制作意図について――よく耳にする言葉であるが、秋山陽のそうした言葉は、分かりにくい。もちろん、それは作者の韜晦していたり、不誠実であったりする態度に由来するものではない。そうした分かりにくいことが作品の成立根拠と密接に結びついているのである。そのため、正確に答えようとするからこそ、明確になっていかない逆説が生じるのである。(註 1)
 例えば、人工(制作したもの)と自然(生成したもの)の対比で作品を語るならば、それは分かりやすい。しかし、作者はそのどちらかだけでは嫌だ、と言明する。この「嫌だ」は趣味的・嗜好的な判断ではない。ここでは、実際の制作はこの二分法で説明されるようなものではない、という認識が示されている。秋山陽の作品では、この二分法で語るときに失われるものが問題の中心として扱われているのである。
 自らの手を起点にして制作を行うのであれば、100%の人工(作者の領域)も100%の自然(素材の領域)も本当はあり得ない。それを言葉にするならば、どうしてもフィクションになってしまう。言葉による思考と行為の間にはどうしてもズレが生じてしまう。
 このズレを押し流していかないこと――それは、素材を他者と位置づけて自らに内面化することなく、緊張した関係をもち続けることを意味する。素材に向かうことは人工/自然といったフィクションを拒絶するために必要であり、同時に拒絶を持続するために素材に向かうことが要求される。

 秋山陽《Oscillation Ⅵ》は、地面に横たわる長さ8mを超える陶(やきもの)の作品である。粘土は野外展示に耐えるように1,250度の高温で焼成されることから、表面は強さを獲得し、作品全体は強い一体感をもつ。併せて、表面の亀裂は内側の量が外側に押し出されるように走るため、彫刻としての量塊の強さも与えられる。また、窯の大きさの制約から主に縦方向に10個に分割されているものの、上側の稜線に明確な連続性が示され、全体的な統一感が保持される。こうして、作品は物体としての完結性を強くもつ。
 全体を見ると、右半分と左半分は点対称の関係にあり、回転運動のダイナミズムが意識される。一方で、近接して部分を見ると、そこではロクロの回転運動から導かれる円形が基調を成す。作品のサイズが大きいため、部分と全体とを見る視点は切り離されているが、二つの造形性は即応しており、相互にイメージを補完し合う。物体としての完結性は、ここでも補強されるのである。
 また、自然の傾斜と呼応する柔らかい起伏からは、地面=土と陶=土との類縁関係が強調される。そのため、地面に置かれた(作者の意志)以上に、地面から生えている(作品そのものの意志)を感じさせることになる。さらに、塩水と鉄粉との混合液が表面に塗布され、それが酸化によって黒褐色をもたらすことが、自然物との距離を近づける。そして、表面的には手の痕跡が一切消去されることが、作品を自然へと決定的に引き寄せる。
 こうした作品の完結性と自然なるものの喚起からは、作者に従属するのではない、自律した作品像が導かれる。しかし、その創出が第一義とされるならば、作品は作者という主体性に帰属する存在でしかない。それは相手を完全に制御できるという認識に基づくものであり、「表現に見えない」表現に過ぎないものである。
 最終的には作品の表面から手の痕跡が消されるとしても、作品は作者の手を通して以降のものである。そうであれば、巨大であるとしても両者の関係は掌の大きさとして成立する。仮に、掌の大きさに留まるのならば、作品は作者に従属することを逃れられない。《Oscillation Ⅵ》の物体としての完結性や作品サイズは、作者-作品のヒエラルキーを解体するためにこそ必要とされるのである。
 部分と全体、あるいは人工と自然といった概念は完成形態において矛盾しながら両立する。それは、制作過程で作者が両極を往還した軌跡なのである。作品を成立させる主体は作者と素材との関係であり、自律的な物体や自律的な表現の志向とは全く趣を異にする。

 《Oscillation Ⅵ》を詳細に見ていくと、①帯状の土を集積させて円筒形とした部分、②ロクロで成形した円筒形を反転させた部分、③未乾燥の土をバーナーで焙って収縮を生じさせた部分、と主に三つの技法が使用されている。
 ①の場合、作者はロクロを回転させながら、内側へ内側へと順次粘土を追加していく。そうすると、遠心力によって前の土は後の土に次々と押し出されていく。これを外側から見ると、土が帯状に集積されたような形態と粘土の柔らかい表情が出現する。ここでの形態や質感は土の性質に応じたものでしかないのだが、単なる素材への従属ではない。外形(最終形態の表面)的には手こそ介入しないが、作者はそうした土の表情が現れることを予測し、内側から手を加える作業を行っている。
 もちろん、この方法では最終的な形態や質感までは統制できず、どうしても「なるようにしかならない」ものとなる。だが、その上で作者は、粘土を精製する際に粘性を計算し、成形の際に加える量や力の入れ具合、ロクロの回転速度に気を配る。こうした表現は「なるようにしなならない」現実に流されるのではなく、その場で踏み留まり、自らの存在を土に対峙させることによって可能となる。
 ②は、ロクロで成形した円筒形を縦方向に引き裂き、元々の内と外とを反転させたものである。ここでは、直接的に腕力に頼るため、作者と土との関係は①よりも作者側へと引き寄せられる。また、元々の内側(最終形態の表面)に手跡が残るため、その消去が櫛歯を使って行われる。その水平方向の平行線は見る者の視線を左右に引っ張り、切断面となった元々の土の内部――統制不可能な領域――を明瞭に提示する。手を消す行為から、素材と同一化しようとする自己が一層強く突き放されるのである。
 ③は、形態ではなく表面の質感のみに関与する作業であり、現象としての土の表情が直接的であるため、作者の手はより後退して見える。しかし、このときに手はバーナーをもち、素材から一定距離を保ちながら関わる。複数の手順が必要な①や②に較べれば、物質と作者の距離は最も近い。そして、この両義性を深化させていくことが、作者の土との関係の起点にある。実際、作者の個人史の中では③→②→①の順に獲得された方法である。この順に、土と関わりながら、同時に自身を土から切り離す距離が大きくなっているのである。
 こうした作者の方法は、どれも独自に見いだされたものである。しかし、独自的であれば内容に関わらず何でも用いる、という恣意的な意識はない。効果としての面白さではなく、作者の手と土との関係を前景化できる方法だけが使用される。現象としての土の表情に対し、〈それを自分がどう解釈し、どう関わっていくかが問題となる〉(註 2)のである。ここでの〈自分〉は単なる主体――作品=客体はその延長として存在する――ではなく、土と関わる行為からのみ見いだされる。作者は、土に対峙することによってのみ作者となるのである。

 これらの方法は作者の思考の結果であり、思考を生みだす原因として方法があるのではない。原因は、一般に流通している陶芸のイメージを還元的に問い、それを解体していく態度にある。〈やきものという文脈の中で何かを表現しようとしていた〉(註 3)思考をリセットしたことが出発点なのである。秋山陽が自身の仕事を「陶芸」と呼ばず、土を焼いて強度をもたせた物体の意味で「やきもの」と呼ぶのは、この態度の反映だと考えられる。
 やきものでは、土の精製-成形-乾燥-焼成という省略も交換も利かない複雑な手順を経る。仮に、成形までが十全に作者の志向に沿うものであったとしても、乾燥の際の収縮や焼成の際の変化によって、十全な作品像はほどんどの場合で打ち消されてしまう。それゆえ、やきものは通常、自然として人間を超越した存在と見なされることが多い。
 しかし、そうした変成は偶然の産物ではなく、物理的変化と化学的変化によって説明可能な問題である。ただ、粘土の構成物質や水分、気温や湿度、焼成の温度や時間と、考えるべき問題が限りなく存在するために、制作の場でその全てを制御することが不可能であるに過ぎない。この認識を徹底し、土そのものをできる限り明らかにしようとする態度によって、土ははじめて自身に対抗し得る対象として現れる。
 秋山陽のスタンスは、人工/自然のどちらか一方に思考を預けるものではない。同時に、両者の中間という、折衷点に立つのでもない。こうした矛盾を自らのものとして引き受け、両者の間を飛躍し続けることが作者にとっての制作なのである。ここでは、行為を離れた思考はあり得ない。これを根拠に可能となる思考こそが『手法』と呼ばれる。


註  1 この考察には下記がヒントとなっている。
    柄谷行人「中野重治と転向」『ヒューモアとしての唯物論』講談社学術文庫 
    1999年(初出 1988年)
   2 インタビュー「呼吸する地の襞-秋山陽」『陶芸を学ぶ』角川書店 2000年
   3 前掲 2


『手法』について/天野純治《VOICE OF WIND》  藤井 匡

2017-01-29 10:05:32 | 藤井 匡
◆ 天野純治《VOICE OF WIND・98・Y・1》
180×125cm/アルシュ紙、アクリリック、鉛/1998年
撮影:野中明

2002年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 26号に掲載した記事を改めて下記します。

『手法』について/天野純治《VOICE OF WIND》  藤井 匡


 天野純治《VOICE OF WIND》は、1998年以降に制作された一連の平面作品である。
 これらは全て、オールオーヴァーな色面が塊として手前側に突出してくるような存在感を放つものである。そして、画面には一定の間隔で鉛が貼り付けられており、色面よりも更に手前に突出してくるように位置する。その画面は、平らな面であると同時にある厚みをもって立ち上がってくるという両義性を有している。
 作品の素材としてカタログの表記にあるは、アルシュ紙、アクリリック、鉛、である。この三つを単体として見ていくならば、強度をもった作品の在り方は覆い隠されてしまう。最終的に提示される部分だけを作品として見るならば、絵画という方法論的な作者の意識を捕らえ損ねることになってしまう。ここでは、素材が単に素材としてあるのではなく、素材同士が絡まるようにして作品を成立させている。
 このような絵画の発現は、使用される素材が導くのではなく素材の使用方法が導き出す。作者は一般に流通している素材のイメージに頼って制作するのではなく、自身の経験を頼りに素材がもっている能力を導き出している。
 《VOICE OF WIND》の在り方とは、単に作者の志向を反映したものではなく、そうした志向を形成してきた道筋を照射している。そうした道筋を見せるものだからこそ、これらの作品は天野純治という固有名の下に呼ばれることになる。

 《VOICE OF WIND》の制作過程とは次のようなものである。最初に、支持体である紙の上に、モデリングペースト(大理石の粉末が入ったパテ状の材料)を水のように薄くのばして画面一律に塗布していく。乾燥と塗布を20回程度繰り返すうち、やがて画面には均一にモデリングペーストが堆積していくことになる。こうして画面の強さが確認された後にアクリリックがペイントされる。
 こうした大理石の積層は、ある時点で厚みをもった存在として知覚される。この作業が為される必然性とは、表面に絵の具を乗せる機能にはなく、作品に物質性という発言力を与えることにある。大理石を原料とするモデリングペーストによって、画面は石の硬さ・重さといった実材感を所有する。作者が「エッヂ」と呼ぶこの基体が、天野純治の作品の固有性を開示するのである。
 同様に、画面に象嵌された鉛も、作者の志向する物質性の強い絵画に寄与する。こうした物質の画面への挿入は、一般に、描かれた画面に対する異化作用として機能する。しかし、ここでの鉛は描かれた部分に対立するだけの存在ではない。色彩としての絵の具と対立する一方で、物質としての絵の具と同一性を有する。大理石に相応しい実材感をもつ物質としての重金属=鉛という意味を担っているのである。このために、《VOICE OF WIND》では色彩と物質という両義性が前景化されることになる。
 モデリングペーストや鉛が強い物質性を発揮するとき、それらを支える紙の物質性は覆い隠されてしまう。モデリングペーストを塗布する作業自体が、紙そのものの物質性だけで作品を成立させるのに不十分と見なされることに由来するのだから。アルシュ紙は、完成した状態だけを抽出するならば重要性をもつものではない。
 しかし、紙の存在は確実にその意味を作品に与えるものである。実際、天野純治はアルシュ紙以外の紙や麻布等を素材に選ぶことはない。素材(物質)間の関係が変化すれば作品そのものが変化する――そうした作品は、アルシュ紙を用いた作品とは別物だと見なされている。最終的には直接的な発言力は少ないとしても、アルシュ紙の物質性も他と交換可能な任意の素材ではなく、《VOICE OF WIND》の成立に絶対性を有している。

 天野純治は、こうしたアクリリックによる絵画だけではなく、シルクスクリーンによる版画も継続的に手掛けている。この二つは、どちらかがどちらかに従属するような在り方ではなく、両者を往還するように制作が行われている。
 実際、《VOICE OF WIND》というタイトルは、絵画と版画の両方につけられるものである。そのミニマルに抑制された作風からしても、両者の共通項は画面内のイメージに拠るのではないことがわかる。異なる制作方法をとる絵画と版画の両方が射程に入る場所から、作者が思考していることを意味する。
 シルクスクリーンは膜を通してインクを支持体に押しつける技法であり、一度版にインクを乗せた後に転写する他の技法よりもインクの物質的な力を感じさせる。シルクスクリーンによる作品では、インクが紙から盛り上がるような凹凸感が生じることになる。
 更に天野純治の場合、より多くのインクを紙に乗せるために、網版ではなく製版していないスクリーンをそのまま使用する方法(ベタ版)を用いている。こうして制作された版画は、刷り重ねられた部分が浮き上がって見える程の厚みを獲得する。
 こうした、インクを物質として使用しようとする志向は、モデリングペーストを使用する《VOICE OF WIND》と共通の方向性を見せるものである。作者にとって、下地を塗り重ねる作業とは〈シルクスクリーンの重ね刷りに似た方法〉(註 1)であり、〈紙の上に絵を「描く」というよりは、絵を「つくる」という感覚〉(註 2)なのである。
 しかし、シルクスクリーンの技法やその性質から、誰もが《VOICE OF WIND》のような絵画を導き出すわけではない。例えば、モデリングペーストは元来、画面に盛り上がるようなテクスチャーをつくり出すための材料であり、モデリングペースト=大理石の粉と解釈して、水のように薄めて画面全体に一律に塗布するのは特殊な使用方法である。
 その一方で、天野純治はこうした絵画の方法に準じるように、岩絵の具=鉱石の粉末を用いたソリッドな物質性を得た版画も制作している。このように、絵画と版画は作者の内部において相互に影響を与えながら展開しているのである。

 絵の具を画面内にイメージを描くための媒体としてではなく、実在の物質として使用すること――こうした志向が最初に実現されたのは、作者によれば1980年代半ばに制作された小品である。それは、プラスチック容器の中に絵の具を流し込み、乾燥・固体化させた非-壁面作品であったという。しかし、この小品から《VOICE OF WIND》へは決定的な隔たりがある。
 モデリングペーストが塗り重ねられた作品は、完成形態から制作過程へと遡行するように誘う。見る者に地層のように堆積した時間を体験させるのである。つまり、完成というひとつの絶対的な時間が表出されるのではなく、制作前-制作中-制作後の全体が提示されることになる。
 最初の小品には、こうした作者の思考を堆積した時間の厚みが存在しない。もちろん、それは《VOICE OF WIND》の起源には違いない。しかし、下地を反復的に塗布することで物質性を獲得する作品が提示するのは、作品の起源ではなく、作者の歩いてきた道筋である。作品はひとつの起源によって説明されるのではなく、長期間に渡る思考の蓄積によって成立する。
 絵画は、基本的に二次元上のイメージとして成立する。質量をもった物質の物質性を括弧に入れるという約束事を前提とした表現領域である。天野純治の作品では、こうしたイメージが出現することはない。学生時代に、〈画面の中にイリュージョンが生まれることによって、三次元的な空間が現れてくるのはいやだと思った〉(註 3)ことが出発点となっているからである。
 このとき、作者画面内のは「色」や「形」ではなく、通常は括弧に入れられる物質性に拠って立つことになる。《VOICE OF WIND》のミニマルな表現とは、絵画という制度の内部で戯れることからではなく、絵画をその成立条件にまで還元して思考することから可能になる。
 このような場所で絵画の生産を可能にするのは、絵画に対する誠実さ以外ではあり得ない。このとき、作品に映し出されているのは理念や思想といった、作品を簡略的に説明するための言葉ではなく、天野純治の全体性を包括するものである。


註  1 作者コメント『天野純治・岡本敦生-痕跡-』図録 米子市美術館 2000年2月
   2 「天野純治 物質になった平面」『版画芸術』№104 阿部出版 1999年6月
   3 前掲 2