ART&CRAFT forum

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「ファイバー界のパイオニア 島貫昭子先生」  中野恵美子 

2017-03-01 15:57:21 | 中野恵美子
◆嶋貫昭子「Ply Split」個展作品 34×48cm 絹着物地・麻糸 2000

◆嶋貫昭子「Jardin inconnu」(第7回国際タペストリービエンナーレ展・ローザンヌ)  285×328cm  原毛・綿・ウール糸  1975

◆嶋貫昭子「Reflection」(第8回国際タペストリービエンナーレ展・ローザンヌ)  180×300cm  アクリル板・テトロン糸  1977

◆嶋貫昭子「Extension」(第3回ロンドンミニアチュール展・ロンドン)
20×20×9cm  和紙・化学繊維  1978

◆嶋貫昭子「Corduroy」 個展作品 
25×25cm  綿糸・テトロン糸   1984年

◆嶋貫昭子「Sprang 展」(現代、織の表現展・東京)
100×100×10cm 麻糸  1989

◆嶋貫昭子「Double Weave」個展作品
30×30cm  綿・麻糸   1992

◆嶋貫昭子「Ply-Split」 個展作品
30×30cm  着物地・綿コード  2002
 

2003年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 28号に掲載した記事を改めて下記します。

「ファイバー界のパイオニア 島貫昭子先生」  中野恵美子 
「テキスタイル・アート」、「ファイバーワーク」、「ファイバー・アート」といったことばが続く新しい染織を戦後の日本に上陸させた先駆者として、「島貫昭子」の名は燦然と輝く。しかも研究をたゆまず続けられ、その成果を現在でも個展の場で発表されているがその内容は後追いを辞さない。今回は本誌24号の藤本経子先生に続いてやはり東京造形大学でお世話になった島貫昭子先生について記述させて頂く。(以下敬称略す。)

人は様々な人、そして本との出会いで道が開かれてゆく。島貫昭子の場合も然りである。「織」の世界というものを身近に知ったのは戦後2期目の女子学生として入学した東京芸術大学で、「綴織り」を習っているという後輩からであった。授業の課題で提出したバッグのデザインが、「織物みたい」と評されたことから染織に興味をもち始めた時に「綴織り」という世界の存在を知ったことが次の世界を開くことになる。しかし「織物ではすぐに食べられない」ということで美術教師の道に進み、中学、高校、そして幼稚園でも教える。芸大卒業後しばらくは絵を描いていたが、描くことに違和感を感じ始め、人から譲り受けた古い織機で独学で実用品を織り始める。材料は、糸といっても残糸だが尾張一の宮へ夜汽車で買い求めに行ったという。そして生活工芸展(朝日新聞社主催)にウールの帽子や羽織を出品し、従来のものとは異なるデザインが評価され受賞する。その後1956年に結成された日本デザイナークラフトマン協会(後、1976年に日本クラフト・デザイン協会に改称)に発表の場を移す。丁度その頃クランブルック美術大学院(米)で学び帰国して間もない藤本経子氏や、スウェーデンで織物を学んだ水町真砂子氏に出会い、織の内容の広さ、深さを知る。
60年代後半の日本は北欧デザインやクラフトの全盛期で、デパートの催し等を通じ紹介される北欧にあこがれを抱いていた島貫は水町氏の帰国談により留学願望をより強くした。1969年勤務先の短大より私学研修費を得て初めての海外研修に半年間旅立つことになり、研修先としてまず籍をおいたのがストックホルムのハンドアルベテッツベンネル(手工芸友の会)であった。そこにはタピストリー工房の他に織物教室やニードルワーク等の部門もあり多様な北欧テキスタイルに触れるよい機会となった。
タピストリー部門は当時スエーデンテキスタイル界の第一人者といわれたエドナ・マルティン女史が主任で、丁度完成したばかりのタピストリー(著名なスエーデン画家の下絵による作品)が展示されており、同年スイス、ローザンヌで開催される第4回国際タピストリービエンナーレ展に出品されるものであった。1ヶ月余のスエーデン滞在で美しい北欧の風土やデザインに食傷気味の島貫にとり、日本では耳にしたこともなかった国際タピストリー展やその他の情報は未知の世界であるだけに魅力的であり、広くヨーロッパ各地の作家や作品に触れたい思いにかられ、北欧を離れることになる。
最初に訪ねたポーランドは、心地よく生活ができた北欧とは異なり全てが不自由であったが、それにも拘わらず、アートの世界は活気に満ちていた。繊維工場が改装されたウージ・テキスタイルミュージアムは今日でも国際タピストリー・トリエンナーレが開催されるが、当時は壁面も照明がままならず薄暗かった。しかしそこに吊り下げられていた多様な作品群はパワーに満ちており島貫は圧倒される。それらがマリヤ・ワーシケヴィッチ(マグダレーナ・アバカノヴィッチ(註1)の師)始め、その後のローザンヌで活躍する作家達の作品であったことを後日知る。続いてワルシャワのヨランタ・オヴィツカ(註2)の工房やパリのドウムール(註3)等で興味深い作品に接しながら、待望のローザンヌにたどりつく。元は宮殿であった美術館の各部屋の高い天井と広い空間には、平面から脱皮したものや可能性を求める自由な作品が繰り広げられていた。それらを目の当たりにして衝撃を受け、帰国してからはそれまでの実用的な織物とは異なる制作に取り組み、1975年の第7回展、77年の第8回展国際タピストリー展に出品する。水町氏との出会いが北欧へ、そしてエドナとの出会いがスイスへ、さらに最終的には自身のローザンヌ出品へとつながって行った。初めての海外の旅が太い1本の線となった。その後も国際展の出品を重ねる一方、海外情報をもとに織の研究を地道に続ける。
1973年頃だったと思う。筆者が造形大の学生の時に一冊の英語で書かれた技法書“THE TECHNIQUES OF RUG WEAVING (1968)”を授業で島貫先生から紹介された。技法書の少なかった当時、それはさながら織の世界のバイブルのようであった。我々もその分厚い本に感動し、むさぼるように訳したりサンプルを作ったりしたものである。著者のピーター・コリンウッド(Peter Collingwood)(註4)は1922年英国に生まれ、長じて医学を学ぶ。1947年軍部の仕事で英国南部にいた時に織物に興味を持ち始めたが、さらに1949年ヨルダンに従軍した折、現地の染織品に接しとりことなり、1950年には医学をやめ織物の道に進む。織物スタジオで働いた後1952年に工房を構え、床敷のカーペット、マクロゴーゼの壁掛けを中心に制作する。エリザベス女王より‘Sir’の称号を受ける。織の技法書の出筆に際し、医学を学んだその科学者としての姿勢が遺憾なく発揮され、合理的かつ適格な分析、記述となっている。しかもその本は藤本経子氏に紹介されたという。人のつながりをあらためて感じる。
「技法の展開」を作品制作の中心におく島貫にとり、コリンウッドはまさにピッタリの師となる。“THE TECHNIQUES OF RUG WEAVING”には敷物を中心に綴れ織、スマック織、パイル織、ブロック織等の技法について細部に至る迄詳しく記述されているがそれらのサンプルを実際に制作し、1984年にはパイル織の一種である「コーデュロイ技法」に基づく作品を個展で発表する。続いて1989年には“THE TECHNIQUES OF SPRANG- Plaiting on Stretched Threads-(1974)をもとに「スプラング技法」の作品を発表する。スプラングとは平行に張られた糸を緯糸なしに組み、面にする技法のことであるが、はじめはスエーデン製のリネンの色糸を使用していたが、後には骨董市で入手した古い絣布をスプラング作品に用い始める。布を用いるということは既に織られた布の表情を作品に取り込むことで別の表情が生まれることが面白いという。布裂の変容に惹かれ、1994年から98年の個展には「布によるスプラング」、「スプラングによるレリーフ」を発表する。
ピーター・コリンウッドは上記に続いて次の4冊を出版する。
◆“THE TECHNIQUES OF TABLET WEAVING”(1982)(カード織。数枚の8cm角位のカードの四隅の穴に糸を通し重ねて持ち、回転させて杼口を開口させ緯糸を入れていく技法でベルトを織るのによい技法)
◆“THE MAKER'S HAND A Close Look at Textile Structures ”(1987)(糸状の要素が機能的な構造を有すものを中心に作り方を分析、図式化したもの)
◆“RUG WEAVING TECHNIQUES BEYOND THE BASICS”(1990)(THE TECHNIQUES OF RUG WEAVINGの続編)
◆“The Techniques of PLY-SPLIT BRAIDING”(1998)(プライスプリットという技法はヨーロッパでもあまり知られていないが、遊牧民の間でラクダのベルト等を作るのに用いられる技法)
 いずれも具体的な資料に基づいた綿密な研究と解明がなされているが、島貫を最も惹き付けたのがプライスプリットの技法である。以前、アメリカを旅行した折にワシントンDC市にあるテキスタイルミュージアムで“Ply-split Camel Girths of West India”という本を入手して以来気になっていたというベルトの組み方がコリンウッドの本には克明に研究され、図解されていた。撚りあわせた糸を操作しながら面にする最も初原的なものである。以来とりつかれるようにサンプル制作を始め1998年の個展で作品を発表する。
 作品はいずれの技法であっても、それぞれの技法から様々な様相が導きだされ、彼女特有の素敵な色遣いで展開されている。一つの技法を展開し、発表し、ゆきつくところまでいったかと思う頃にコリンウッドの次の本が出版され、それにつられてまた次の目標が始まったという。現在では国内でもそれらの技法に関する本が出版されているが、コリンウッドの本には本の厚み分の内容があり、積み重ねの上で理解ができるし、また、きちんとサンプルを制作することでファイバーの組み立ての可能性が広がるという。じっくりと根のところから物事を始めることの重要さが伝わる。
 プライスプリットは素材に下撚りと上撚りをかけ、コード状の材料を作ることが作業の3分の1を占めるが、それだけに作品のサイズ、形体に適切な素材の選択が重要であり、これは試作を重ねながら自分の手と目で確かめることが求められその工程を省くことはできない。島貫はその魅力について「織機は用いないが織からつながり、織とは切り離せない。制約が少なくシンプルな分、異なった視点からの発想でアイディアが広がる。遊牧民が必要に迫られて作り出したものだが、より美しいものにしたいという欲望が機能だけの帯ではないものにしている。人間の手技が如何に素晴らしいかあらためて感動させられる。ピーターさんの情熱で解明されたその技法を広め伝えたい。実際に手を動かしながら見えてくる形を大切にしたい。」と語る。全ての図版にそって作られたサンプルの量が彼女の時間と情熱を物語る。「今、こうしていられるのはやめなかったから、というよりやめられなかったから。続けていればたまには謎が解けることもあり、行き詰まったようでもそれを乗り越えた時の喜びはたとえようもない。」と目を輝かす。
かつてMary Meigs Atwater による“BY WAYS IN HANDWEAVING”という本を先生が紹介して下さった。「手織りのわき道」ということであろうか。
織機を用いない織物に当初から関心をいだいていらした先生は、今ではわき道どころではなく、その奥深く入られ、逍遥し遊びの境地にあるようである。
人との出会い、本との出会いに導かれ、そしてご自身のあくなき探究心と好奇心によりなお前進を続けられる先生に少しでも近づけたらと思う。
なかの えみこ(東京造形大学教授)

(註1) マグダレーナ・アバカノヴィッチ  ファイバーアートの先駆者。
始めは平面のタピストリーであったが、繊維による立体作品へ、さらに金属素材へと作品が展開した世界的なポーランドのアーチスト。
(註2) ヨランタ・オヴィツカ  ポーランドの代表的な織作家。スケールの大きな作品を発表する。
(註3) ドウムール  パリの現代タピストリー専門のギャラリー。
 (註4) ピーター・コリンウッドは1984年に来日。東京テキスタイル研究所主催の「マクロゴーゼ展」が西武百貨店・渋谷店で開催され、「カードウィービング」のワークショップも行われた。


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