さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

可愛そうだなぁ

2010年07月29日 11時00分20秒 | Web log
昨日はジョナサンのクラスの男の子が遊びにきた。

遊戯王のカードゲームができると思ってジョナサンはとても楽しみにしていた。

のだけれど、彼は遊戯王よりも他の遊びをしたがり、遊戯王ゲームができない。

可愛そうになぁ。

台所に立って、子供たちが遊ぶ姿をみながら、ちょっと悲しくなる。

区切りがつくたびに、「じゃ、今度は遊戯王をしよう!」とジョナサンが話しかけるのだけれど、「No」とはねつけられる。

ジョナサン、何度お願いしただろう。

そんなジョナサンを見ていると、私が勝手につらくなってくる。

きっとその子にとっては、「嫌だから嫌なんだ。」ってだけの話で、却下されるジョナサンの気持ちなんて考えもしないんだろう。

そんな彼を批判したい気持ちもあるけれど。

こちらの社会は相手の気持ちを読むとか、察するとかそういうスキルを要求すらしないし、誰もそんなことを教えないんだろうと思うから。

完全に察し得ない相手の気持ちを「想像して察する」なんて、ある意味不可能なことを日本人は当たり前のことのように捕らえて、社会の暗黙のルールとして適応してきたし、今だって多少なりともそういうルールがあると思う。

こちらのルールを適用するならば、相手の気持ちはあくまでも相手のものなんだから、ジョナサンがはっきりと「どうして遊戯王をしてくれないのか?僕は君のやりたいゲームに散々付き合ったじゃないか!」と自己主張しなければいけないのかもしれないのだけれど。

わたしは日本人なので、相手を尊重してあげること、家に招待しているのだから、相手がやりたいことをまず優先させてあげなさいと教えているのだが。

こちらの国ではそういう日本的な価値観は通用しない。

ジョナサンが誰かの家に遊びにいったって、友達はジョナサンがやりたいことではなく、自分がやりたいことをやる。

そして優しいジョナサンは、我慢して、そしてつまらない思いをして帰ってくることもある。

唯一救いなのは、ジョナサンは意外にあっさりしていること。

嫌な思いをしたことを根に持たず、また今日も一日楽しく過ごせればいいと思っているのだと思う。

だから、そんなことで心を痛めるのは私の勝手なのだけれども。

Noといえない日本人と馬鹿にされることがあるけれど、

内心Noだって、相手のためにYesと言える日本人の優しさを多少評価してもいいんじゃないの?

なんて、思ったりする。

署名

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