さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

やりたくないなら、やらなくてもいい

2011年12月14日 10時42分46秒 | Web log
今日は 学年末 最後の日。

明日から夏休みです!!! いえぇーい。

ここしばらく忙しかったので、子供と同じくらい 明日からの休みが 超楽しみです。


さて、最近痛烈に感じたこと。

こちらの学校は4学期制なのですが、後半2学期、定期的(週二日)に学校にお手伝いに行っていました。

前半の2学期は、あるお母さんが1人でがんばっていたのですが、誰も手伝っていないようだったので、
その人を助けるつもりで始めたところ、その人が途中から来なくなり、最終的には私1人残されてしまったのでした。

複雑な思いを抱えながら、でも ここでわたしが「わたしもやりません」と言ってしまったら、任された
プログラムが存続しなくなることを知り、覚悟を決めて最後までがんばりました。


あるとき、他の父兄に「やりたくないなら、やりたくないとはっきり言えばいいんじゃないの??」と言われました。

その通りだと思います。はっきり言ってしまえば、わたしに責任はないのです。

お金をもらっているわけでもなければ、任命されたわけでもないので。

わたしがやらなくて、学校でそのプログラムが存続しなくなったとしても、極論を言えば わたしは自分の子供に
するべきことを家庭で教えるなりなんなりすればいいだけの話。

プログラムが立ち消えすることで、他の子が不利益をこうむったとしてもそれは、それをどうするかは親の責任なんですよね。

でも、結局、わたしは最後までボランティアを続けました。

前任者は、ほぼ毎日学校に来て、がんばりました。

やりたい、やりたくないという自分の気持ちをまず置いて、全体の利益を優先させるというのはある種の『偽善』なんだろうけれど

でも、「 やりたくない 」それだけの理由で「 やらない 」というのは わがままのような気がして出来ませんでした。


「 やりたくないなら やらない 」

わがままだろうが、なんだろうが 自分の気持ちに正直に生きるというのが、こちらの基本スタンスなんでしょう。

そして 自分が「やる」と選んだのならば、最後まで責任を持つ。そこに第三者が介入する余地は全くといっていいほどありません。


相手や全体を考えて、自分の気持ちをとりあえず保留するという 日本人にありがちな態度は、原則としてあり得ないのかもしれません。

個人主義の傾向が強いこの国の特徴なのかもしれません。

全体主義の傾向が強い日本は、まず自分のことを考えるよりも、全体(それは、地域だったり、学校だったり、職場だったり)を考える
ことから 始まる気がします。

ま、どちらにも 長所と欠点があるわけなのですが。

こちらの「良くも悪くも自己中心」の価値観には考えさせられるところが沢山あります。

この年になって 

「 じゃ、自分は一体どうなんだ? 」
「 どう考えるのか? 」
「 どう感じるのか? 」
「 好きなのか? 」
「 嫌いなのか? 」
「 やりたいのか?」
「 やりたくないのか?」

そういう基本的なことを 振り出しにもどって、考えさせられることが本当に多いのであります。

でも、それは ある意味 わたしにとって 大事な作業だったりするのであります。

署名

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