さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

人間的な生活

2011年12月20日 09時45分41秒 | Web log
常々思うことなんですが(以前も書いたかも)

オーストラリアに住んで、不満がないわけではないですが

一つだけ、いいことを挙げるとしたら

人間的な生活が送れるということ。

働いていようが、取ろうと思えば休みが取れ、正社員が嫌ならパートに切り替えられるし、

学校の先生もパートが多い。

子育てが終わっても、普通に社会復帰は可能だし、大学に戻ることも普通に可能だ。

日本もそのようになりつつあるのなら、それは、幸いなことなんですけれど。

それは、人間として普通にあり得る

気が変わったとか

新しいことに挑戦したいとか

ちょっと休みたいとか

収入が多少減っても、生活と仕事のバランスを取る選択肢を選びたいとか

精気を養う為に、ちょっと長い休暇を使って海外に行きたいとか

そういう思いを叶えるシステムが存在するかどうかと言うのは、人間として当たり前に健康的に
生活するにはとても大事な要素なんじゃないかと、思うんです。

やりたいならやればいいと言う人もいるかもしれませんが、危険やリスクを冒してまで、

やりたいからやるなんて言うのは、

アホ あるいはものすごく勇気のある人(アホというのは 乱暴な言い方かもしれませんが、そういう選択は
理解されにくいでしょうね・・・危険やリスクを想定し、計算ずくでそれでもというのなら、それはとんでもなく
勇気のあることだと思うし、尊敬に値します。)

あるいは責任を顧みない人

あるいはかなりのお金持ち

でしょうねぇ。

普通の小市民はあくせくと働き続けることでしょう。

一生懸命働いてもいいし、自分の生活を楽しむことを優先させて、適当に働くのもいい。
それは、個々人がどちらを選択するかだけであって、

一つ言えるのは、それを国、会社などの大きな組織から強制されるものではないと思うんです。

そこが、決定的に欠落している悲しい社会なんだなぁ。日本は。

休みまでコントロールされているって、どういうものなんでしょう。

全体としての効率ばかり優先されて、個人の権利意識を持たない、持てないようにさせられているんじゃないの
だろうかと、思うのです。

しかも、私がいなければ会社が、部署が、業務が上手く運ばないなどという幻想を植え付けて

休んだらいけないような気持ちにさせるなんて、あり得ません。

誰が突然亡くなっても、例えば大企業の社長や、国の元首が亡くなっても、動き続けるのですから。


日本人は本当に素晴らしい国民だと私は信じて疑わないので、欧米諸国で可能なように、個々人が自由に休みを

取るような仕組みを作ったとしても、全然問題ないと思うし、みんな心身ともに健康になって、もしかしたら今以上に、

効率よく回るような気がしてならないのですが。

署名

<script src="http://www.shomei.tv/project/blog_parts.php?pid=1655&amp;encoding=euc"></script>