さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

怒るのもあほらしいけど

2011年12月23日 14時58分13秒 | Web log
昨日はひとり怒りを悶々と抱え、あまり気分は良くなかった。
夜になって、こんな風に怒っているというのは、嫌な相手に心を支配され続けていることに
なるんだなぁ、それもあほらしいなぁと理性では分かっているのだけれど、
ふつふつと湧き上がってくる怒りは、なかなか収まらない。

相手に対する怒りよりも、この件でジョナサンにどれだけのメリットがあったかを
考えることにした。

傷ついたけれど、本当の友達とは何かを見極める決定的な事件となったことには
違いない。そして、それは人生でとても大切な要素になることと思う。

そう思うと、辛い経験だったけれど 大きな収穫だったと思う。

それをどうしてもジョナサンに分かってもらいたかった。

今朝、車の中で このことを話した。

母親としてどれだけ怒っているか
でも、そういう卑怯な人のために怒っているのも馬鹿らしいとも思うこと。
チャンスがあったら、「 本当の友達は友達を傷つけるようなことはしない。
謝ることすらしなかった人は、友達ですらない。」 と、暴力をふるった本人あるいは
その親にはっきり言いたいと思っていること。

親同士が友達でなくとも、子供同士の親として尽くすべき礼儀はある。
一人の親は、子供同士の友情を維持するためにジョナサンを家に招待して
子供に謝らせ、お互いがシコリを残さないようにきちんとすべき事を
してくれた。

でも、もう一人の親は、その場で謝らせることも、何もしなかった。
その後も、音沙汰なし。

私はその人がどういう人物であるかはわかっていたので、子供同士が遊ぶのはともかく
距離を置いていた。

ので、起こるべく起こったと思う。

という事で、ジョナサンには少なくとも
悪い事を悪い事と理解する事も、謝ることもしない人と友達でいる価値があるかどうか、
それだけは、しっかりと理解してほしい。

そうしたら、
ジョナサンが、こう言った。
怒っても無駄だよ、忘れな!
謝らなかった奴のことは友達とも思っていない。
彼は変わった。この一年チャンスを与えたけれど。これで分かった。
もう、いいんだ。

と言ってくれた。

彼はいろんな事を本当に良く分かっている。

これで私の怒りは、安心へと変わった。



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