さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

脳みそって面白い

2010年07月17日 09時00分11秒 | Web log
木曜日、マイクの友人に電話を入れた。病院の受付の担当者が『金曜日の8時50分にこれますか?』という。それを逃すと、一ヶ月先までチャンスがないといわれた。子供が休み中なので、マイクが会社を休めなければ、その予約は取れない。

ってんで、電話を入れたのだけれど、マイクは携帯電話にでず、事務所の電話も誰も出てくれない。

ので、たまたま携帯に登録されていたマイクの同僚へ。

Its Ayako speaking, Mike's wife. と言っても、通じない。

マイクのことは知っている。わたしのことも知っている。でも、わたしが彼の携帯に電話をかけるだろう可能性がある人々の中に含まれていないので、彼の脳みそがフル回転して、AYAKOという人物を検索しているような様子だった。

10秒くらいして「AH!!!!」と一言。検索完了。

どうもわたしをマイクの妻と認識したらしい。

面白いね。脳みそにもきっと情報の優先順位というものがあるのだと思う。
知っていても、引き出しの奥にしまってあると、なかなか出しにくいもののようだ。

だから、言葉を知っていても、その情報が引出しの奥にあったりすると、理解や認識に時間を要したりする。わたしが電話が苦手なのが、そういうことと関連しているような気がする。

それから、きのう私がもっているクレジットカード(日本の会社)にちょっと用事があって電話した。

それはそれはとても丁寧に対応してくれて、わたしの不手際であるにもかかわらず、「ご迷惑おかけいたしまして、申し訳ございません。」という。

そんなに腰の低い対応をされるのはここオーストラリアでは滅多にないので、「いやいやこちらの不手際ですので~、こちらこそ申し訳ございません」と言って電話をきった。

いやぁ、日本のサービスはすばらしいですね。感動します。

駐車場の罰金で、相手が「いやぁ、こちらのミスでした」というのを期待していたのは、わたしが日本人で、日本ならこうだろうという予想が心にあったからでして、その期待が裏切られたときの怒りは半端ではありませんでした。

そして、期待通り、いやそれ以上のものが帰ってくると、安心するというか、本当にうれしくなってきます。

ま、自分の文化をよその国で当てはめようとするのが、そもそもおろかなことなのかもしれませんけれどもね。

そういう期待したりとか、予想したりとか、先を読もうとする脳みその働きとというものは、意外と深く先入観に支配されているものなんだなぁと思います。

予想通りの結果が起これば安心し、予想以外のことが起これば、動揺したり、怒ったり、逆に感動したりする。

ところで、こちらのお医者さんってすごく腰が低いです。患者さんをお客様扱いしてくれます。患者を出迎えて、入り口で戸を押さえ、患者を部屋に通してから部屋に入ります。患者より先には絶対入りません。奉仕者としてのモラルが高いです。

最近は違うと思いますが、日本では昔は本当に偉ぶっているお医者さんが多かった。

そういう意味では、オーストラリアのお医者さんは予想に反してとても親切で、いつも感動いたします。



ベンジャミンのお世話係、ダニエル

2010年07月16日 09時00分50秒 | Web log
サッカークリニック3日目。

ベンジャミンが、『サッカーは今日で終わり?』と何度も聞くので、「明日は行きたくない」とでも言いたいのか?びくびくして聞いたら、『最後だったら残念』なんだそうです。

ちょっとホッとした。

今朝、フィールドについたら、すぐに昨日のお兄ちゃん(名前はダニエルでした)が近づいてきてくれて、ベンジャミンをだっこしてくれた。恥ずかしそうだったけれど、『ダニエルは、優しいね』とベンジャミンに問いかけたら、「Yes」と言ってました。

そして、ダニエルにいろいろ質問したら

お父さんがイギリス人、お母さんが香港人で、香港在住なのだそうです。
で、パース在住のいとこ(小学校4年生の女の子)と一緒にサッカークリニックに参加しているとのこと。

ダニエルにとっては、いとこ以外知らない人ばっかりで、しかもいとこは女の子だし、心細かったのかな?

だから小さいベンジャミンに目がいったのかな?

遊び相手を見つけたかったのかな?

自分の役割というか、居場所(ベンジャミンのお世話係)が欲しかったのかな?

と考えをめぐらす。どうでもいいことなんだろうけれど。

で、わたしたちの座っているところに接近してきたので、一緒にお菓子を食べながらおしゃべりに花を咲かせました。そしてダニエルがジョナサン以上に今日はベンジャミンのお世話をしてくれました。

優しそうだけれど、物怖じしない、しっかりとした男の子だという印象を受けました。

こうやってふとした縁で、仲良くなって優しくしてもらえて、ベンジャミンは幸せだね、と思う。

サッカーが終わってベンジャミンが落ち込んで私のところにやってきた。

肩を落として「勝てなかった」とつぶやく。

勝ちたいと思うくらいに、サッカーを楽しんだの??と思うとなんだか、うれしくなってきた。

落ち込んでいるベンジャミンとは裏腹に。

明日が最後。わたしは病院のアポがあるので、マイクが連れて行ってくれる。

ダディに、いいとこ見せなくちゃね。

それにしても、ダニエルに最後の『ありがとう』と『さようなら』を言えないのは、残念だな。

信頼を学ぶ

2010年07月15日 09時42分13秒 | Web log
ジョナサンに支えられてすごした一日目。最初はためらったけれど、なんとか初日をクリアーした。

そして2日目の今日。
また怖気づくかと思ったら、何のためらいもなく、すっとグループの中に入っていった。

お兄ちゃんの力は、たいしたもんだ。

ジョナサンが大きな安心感となっている。

そして、今日は全身を使って一生懸命ボールをけったりして、自分のペースで参加していた。

上手に蹴ってガッツポーズをしたり、それなりに楽しめたようだ。

インストラクターが、声をかけてくれたり、ベンジャミンが理解できずにぼぉっとしているときに、お世話してくれたりしている様子が見えて、水を飲みに私の元に戻ってきた後も、意気揚々と走って、輪の中に戻っていく姿をみて、自然に顔が緩んでくる。

こうやって、家族以外の人の優しさに触れながら、人を信頼することを少しずつ学んでいくんだなぁ。

ジョナサンの友人(マシュー)のお父さんが遅れてやってきて、私のそばに席をとっていろいろ話しているときに、ベンジャミンが水飲みに戻ってきた。

マシューのお父さんも、ベンジャミンに優しく声かけをしてくれる。

名前すら知らない一人の男の子が、終わってすぐに、わたしたちのところにやってきて、ベンジャミンと遊んでくれた。だっこしてくれたりして、優しく接してくれた。

小さい子には、自然に愛情が向く。これは本能的なものだと思う。

そうやって人を惹きつけ、人に優しくしてもらって、家族以外の人の優しさを通して、信頼することを体で覚えていく。

わたしは、子供たちがサッカーが上手になったら、それはそれでいいことだと思うけれど、根本的にそんなことはどうでもいいと思っている。

外で体を動かして、いろんな人に接して、他の人と時間と活動を共有する喜びを体験できれば、それで十分。

ベンジャミンも言葉にはしないけれど、体と心でいろんなことを感じているに違いない。

偏見という罪

2010年07月14日 09時48分43秒 | Web log
昨日はクリスチャンという男の子が家に遊びにきた。

学校に日本の文化を紹介に行った時に、人懐こくいろいろ発言したり、話しかけてくれたり、微笑んでくれたりした男の子だ。

ジョナサンが学校に行くと「ジョナサン~」と言って、ハグしようとしてくれる。

ジョナサンが喜んでいるかどうかわからないけれど、とても可愛らしい男の子だ。

でも、学校での評判がよくない。

ジョナサンも He is a naughty boy (言うことを聞かない、悪い子)という。でも、ジョナサンは『それはそれ、これはこれ』で割り切れる。
同じ興味をもっていて、一緒に遊べるなら、別に気にしないという神経の持ち主なのだ。

クリスチャンの評判は、お母さんたちの間でも、彼は素行が悪い、というのだ。

どうも私の受けた印象と評判とが食い違う。

この前は、クリスチャンともう一人の男の子が、クラスメートの男の子の誕生日に招待されなかった。お母さん曰く「けんかとか、面倒なことが起こるかもしれないから」という。

内心「まだまだ未完成の子供なのに、意外と厳しいジャッジをするんだなぁ」と思った。

いつだったか、クリスチャンのお母さんがジョナサンを家に招待してくれたのでいつか、いつかクリスチャンにも家に来てもらおうと思っていたので、今回招待した。

なぜか『きっと大丈夫だろう』という確信のようなものがあった。

そして、様子を伺っていると、思った通り、全然、普通な子だ。

お菓子をだすと、Thank you, Mrs. Suggitt なんて、他の子が言わないような、丁寧な対応をする。

誰しも自己防衛機能を持っている。

自分を危険にさらすものを避けようという本能だ。

情報を収集し、そして良、否の判断をし、そして否の判断を下したものには極力、最初から関わらない。

ま、普通のことだ。

特に女性は、そういうことに敏感な気がする。

ゴシップというソーシャルファンクションを通じて、情報交換をしあい、互いに身を守りあう。

でも、いつもその情報が正しいとは限らない。

リスクを背負いながらも、自分の目で、体で確かめる必要がある。

人の思考に便乗して安易な判断を下すことを避けなければならない。

ゴシップに耳を傾け、それを無条件に信じようとする誘惑にかられながも、できるだけ、自分自身で結論を出すように自分に言い聞かせている。

それにしても、自分が何か悪い経験をしたならともかく、情報だけで『悪い子』というレッテルを安易に貼り付けるってのは、どういうもんか。子供だよ、子供。

子供にそういうレッテルを貼るのを少しも悪いと思わないならば、大人に対してはもっと厳しい判断基準で望んでいるのだろうか。

着ている洋服

住んでいる家
収入 などなど

怖いね。

でも、そういうことでしか判断しないような人とは、別に仲良くなりたいとも思わないので、わたしには全然関係ないのだけれど、それが子供に影響を及ぼすのかと思うとちょっと(かなり??)悲しくなる。



不安を吹き飛ばしてくれたジョナサン

2010年07月13日 15時30分05秒 | Web log
今日からスクールホリデーのサッカークリニックがスタートした。4歳の子供も参加できるプログラムがあるので、ベンジャミンも申し込んだ。

昨日の夜は、「ジョナサンと一緒にサッカーする!!」と意気込んでいたのだけれど、案の定、今朝になって「サッカーしない。」と言い張る。

わたしから離れず、フィールドの端でむっとしながら、動こうともしない。
誰が話しかけても励ましても首を横に振るばかり。

「やるなら、マミーも一緒にしてあげるけど、しないなら一人で、ここにいなさい。」と言い、ベンジャミンのそばを離れた。

突き放すのがいいのかどうか、一瞬迷ったが、私が干渉することで、依存する方向に傾くのではないかと思った。

わたしがいなくなれば『やるか、やらないか』ぎりぎりのところで選択せざるを得なくなる。

その場を去ることに、賭けた。

ベンジャミンの気持ちはよくわかる。何度も言うように、私も同じだった。

新しいものに対する不安というか、恐怖のようなものが、心を支配してしまって、嫌だと思ったらそれで終わり。

やる前から、面白くないと決めてしまうのだ。

頑なな心。

そこへジョナサンが登場。

ジョナサンがベンジャミンを一生懸命励ましてくれた。自分はレベルも上だし、サッカーは得意だし、思いっきり自分の思うように体を動かしたいだろうに。ベンジャミンにぴったりついて、ゲームに参加してくれた。

しばらくしてベンジャミンの気持ちがほぐれたらしく、最後まで頑張って参加した。後半はジョナサンから離れて、一人で同じ年の子たちのチームで頑張った。

ベンジャミン、最後にプレゼントをもらい、手にスタンプをしてもらって、上機嫌にガッツポーズをしていた。

彼なりに少しは楽しんだのかな?

ジョナサンとベンジャミン、お互いを支え合う姿を見せてくれた。

優しい優しいジョナサン。

そしてジョナサンの前では少し勇敢に、そして素直になれるベンジャミン。

久しぶりに晴れあがったパースの青空のように、わたしの心を覆っていた不安の雲を二人が一掃してくれた。

それにしても兄弟のつながりってすごいね。

しかしながら、4歳で習い事ってのは早すぎたかな?

テディベアが語りかける

2010年07月12日 14時23分30秒 | Web log
ベンジャミンは、まだ小さいからか、それとも性格なのか、怒るとかんしゃくを起こしがちだ。昨日も、マイクに何か言われて、手に持っているものを投げた。

マイクの雷がガツンと落ちた。

反省してごめんなさいを言ったのだけれど、今朝は、私にごみをゴミ箱に捨てなさいと言われたことが気に食わなかったらしく、怒りだし、ふてくされた。

ほっといたら、大好きなテディベアを持ってきて

「テディベアが、『怒っちゃいけないよ』って言うの。だから、もう怒らない」とのこと。

無条件にかわいいなあと思ってしまう瞬間だ。

それから、ジョナサンとベンジャミンが二人並んで一人用のソファーに座ってテレビを見ていた。

ベンジャミンが「昨日ジョナサンのエッフェル塔(レゴで作ったもの)を壊しちゃった。アクシデントだったの。ごめんね。」

また作り直せる程度だったので、ジョナサンも「あっそ」で済ませていた。

けらけら笑いながら兄弟二人でまったりと過ごすひと時。

見ている私が、一人にんまりしてしまう瞬間。

意外と難しい

2010年07月11日 11時34分01秒 | Web log
専門医を紹介してもらった、近所に住む香港出身のリンダから、検査結果はどうだった?との電話がきた。心配してくれていたらしい。

わたしはさほど心配していなかったのだけれど、誰かがどこかで私のことを気にかけて、行動を起こしてくれるというのは本当にありがたい。

そして、デニス(香港人の学生)が家に泊まっていること、広東語に飢えているだろうので、リンダを紹介したいと思っていることを言うと、『ちょっとでも顔出すわ』と言ってくれて、夜、子供をつれて遊びにきてくれた。

ジョナサンとマシュー(リンダの息子)はポケモン仲間なので、ジョナサンも大喜び。

ジェシカ(マシューの妹)とベンジャミンも年が近いので、それぞれに楽しく遊んでくれた。

3人でいろいろ話しているときに、香港人と日本人が似ていること、でも同じアジア人でもシンガポール人はちょっと違う、などという話になった。

生粋のシンガポール人ではないのだけれど、小学生のときからシンガポールで教育を受け、そして働いた経験のある友人の、子供の教育に対する競争意識の強さというか、上昇志向の強さにちょっと辟易していたこと、また人のことに首を突っ込んでいろいろと『有難く』意見してくれることに、なんとなく違和感を感じていて、そのことについて話したら、それはシンガポール人独特のものだということをリンダが話してくれた。

わたしは競争とやらに自ら首をつっこむほうではないので、こんなに頑張ってます的な話をされるとなんとなく気分が悪い。

ま、元を正せば『負けたくないから頑張る』か、『負けたくないから最初から勝負を放棄するか』の違いであって、『負けたくない』という根本は同じなんでしょうけれどね。

要はプライドの問題なんだろう。

勝つ可能性を信じて努力する前者のほうが偉いというか、タフな神経の持ち主なんだろうと思いますけど。

子供についても、私個人は、子供が毎日楽しく過ごしてくれることを第一に望み、好きなことを見つけ、それをひたすら一生懸命楽しんでいけばいつか道が開けてくると思うほうなので、子供が望まない限り、無理強いは避けたいと思っている。

が、彼女はことごとく反論してくるのであります。
彼女の言い分もわかるけどね。

ま、それはいいとして。

昨晩は、日本人と香港人とがタックルを組んで、シンガポール人叩きのような話で盛り上がり、自分は人よりも上!!という意識が強いこと、それを目指して小さいときから上昇志向で生きる人が多いこと、負けず嫌いであること、そういうところでは見栄っぱりなのに、ケチが多いとか、まぁ『人種差別丸出し』の会話で盛り上がったわけです。

自分たちの価値観にそぐわない人は理解できない。

よくある話だ。

でも、自分の価値観が『正しく』相手がおかしいという態度は、単なる思い込みであり、文化の中で刷り込まれたものに過ぎない。

相手(シンガポール人)に、もし私たちが言ったことを面と向かっていったら、相手は相手の理屈で

『なんて怠け者なんだ』とか
『頑張らなければ結果が出せるわけないのだから、頑張らないなんて無意味な生き方してるのね!』とか
『自分の体裁を重んじて、大盤振る舞いして、見栄っ張りな生き方するのね!』とか

言いたいことは山ほどあるだろう。

『違う』ということ。

その違いを生み出すのは、文化の中で刷り込まれた価値観であり、それを拭い去るのは、時として非常に困難だと思う。

日本人はNOを言わないとか、自己主張をしないとか言われますが、だからといって明日から面と向かって「NO」と言えるかというと、大きなためらいとまず戦わなければいけないだろうし、自己主張をしたとしても、「あそこまで言わなければよかった」とか、反動のような後悔のようなものが生まれたりして違和感を覚える。

今まで良かれと思ってやってきたことに反するには、超えるに難しい壁のようなものが立ちはだかって、それを打破するのにかなり大きなエネルギーとか長い時間が必要になると思う。

ということで、知人の上昇志向の強さも、そうすることが正しいと思って本人は疑わないのだろうし、本人が疑問を持たない限り変わることはないのだろうから、そっとしておくに限る。

そして、お互いに、自分がそう思うからといってそれが『正しい』と言い切る根拠はどこにもない。

意見は意見であって、あくまでも中立な気持ちを持つように心がけないとなぁと思う。

自分を肯定する=相手を否定するというのは、ちょっと浅はかなんではないかと思う。

そして私自身も、相手が違う価値観を持っているからといって、そんなことに一々イライラする必要すらもないのだということに気がついただけでも、彼女がそう思う根拠が文化に支えられたものらしいということを知っただけで、もやもやが少し薄れたような気がして、いささかすっきりした夜となった。










子供はいらない。

2010年07月08日 11時11分02秒 | Web log
今、香港の学生さんがホームステイをしている。

大学で心理学を専攻しているそうで、今回は英語を学びに来た学生たちの同行カウンセラーとして、お仕事としてきたとのこと。

彼女は大学で心理学を学びながら、ボランティアや、仕事もし、カウンセラーとしての実務経験を積み重ねて、将来のために準備をしている。

とてもまじめで、賢く、しっかりしていて、家族のこと、自分の過去、など隠すことなくいろんなことを率直に話してくれる。

とても好感のもてる女性です。

で、いろんな話をしている中で「将来、結婚することがあったとしても、自分は子供は欲しくありません。苦労の多い割りに、見返りは少ないし。言うことは聞かないし、お金もかかるし、子供のために犠牲にすることも多くなる。ペットのほうが簡単だし、従順だし。子供を持たずにペットを持つ若いカップルが香港では増えているんですよ。わたしも今のところは子供は必要ないなぁと思います」と話してくれました。

空手の仲間でシンガポール出身の21歳の学生さんがいるのですが、とてもフレンドリーで私にもよく話しかけてくれます。

彼女と話をしているときに、「結婚しても子供は必要ないわ。私は自分のキャリアを追及するの。子供がいたら、あきらめなければいけないことも多いでしょ?」

私はそういう新しい生き方を悲観も楽観もしない。わたしの価値観とやらを押し付けることもしたくない。

いろんな生き方があるのが当然だし、それを許容するのが多様性の共存だと思う。

ヘーゲルの弁証法的世界史観とやらを学んだことを思い出した。

正と反から合が生まれる。

正(従来の価値観;結婚して家庭をもち子供をもつのがいい)

反(従来の価値観に関する疑問、否定)

合(新しい価値観;結婚という形態にこだわらない、あるいは 結婚しても子供はもたない などなど)

そういうプロセスを経て、新しいものが生まれたり、多様性が生まれたりするもんだよね。

私たちの子供たちが成人になるころに、世界はどんな風になっているんだろう。

案外、揺り返しのようなものが起きて、保守的に戻ったりしてね。

どんな世界になっていても、自分の生き方に納得して、満足していられるのならば、きっとそれで十分なんだろうと思う。

嫌~な冬がやってきた

2010年07月05日 23時22分51秒 | Web log
昨日の最低気温は0度でして、といっても日中は15度~17度まで上がるのでイギリスでいえば『夏』みたいなものなんですけれど、寒い。

そして、先週からベンジャミンが『嘔吐下痢症』で、夜中に突然吐いたと思いきや、下痢が続き、夜に何度も起こされ。

同時に私も体調が悪くなり、嘔吐下痢症ではないのですが、まったく別の症状でGPに行ったら、専門医に行くように言われ。

『病気』の季節がやってきた。

去年は散々な思いをしたあげく、体を鍛えるために空手をはじめたのに、結局また病院通い。

ま、仕方がありませんな。

で、GPから紹介状をもらって専門医に行くのですけれど、この辺の専門医なんてあまり知らないので、友達のだんなさんがお医者さんなので、どの先生が評判がいいか教えてもらいました。

で、ある中国系らしいお医者さんの名前と電話番号をゲット。予約をいれました。

で、ふと思ったのです。

友達のだんなさんは、中国系のマレーシア人。

紹介されたお医者さんも中国系のような名前であることは明らか。

学校などでアジア人がアジア人同士でかたまりやすいように、お医者さんだってきっと同じだよね。紹介するとしたら、自分の知っている人、学友、友達等々を紹介するだろう。でも、友達のだんなさんが紹介してくれた医者=客観的に腕がいい医者とは言い切れないのではないのかな???

とても、腕のいい先生だと言ってましたけれども。

別に友達の旦那さんを疑っているわけではないし、何かあったら一日でも早く診てもらえるように、口を利いてあげるからと言ってもらって、心強いんですけれども。

ここパースは、口利きが蔓延してまして、社会的地位の高い人を知っているか否かで、待遇がぐぅんと変わってきたりするのであります。

転職とかも、口利きがものをいうし。

そうやって仲間同士が深くつながりあって、利益を分け合うみたいな構図があるんですよねぇ。

でも、身近な例に当てはめれば、自分だって同じことをしている。

新しい人(仮にマレーシア人だとする)が転入してきた。で、自分の知っているマレーシア人を紹介するとする。沢山いるマレーシア人の中で、誰をピックアップするか?自分の知っている人に決まってる。そしてわたしの中で『この人はいい人』と思っていても、それが客観的な目で、相対的に『いい人』かどうかは、わからない。あくまで主観的だし、自分の知っている幅を決して超えない。

大抵、そんなもんだよね。

社会が大きくなり、リサーチなどの客観的な数値によって評価され、結果としての情報が入手できるようになって始めて、腕がいい医者とか、サービスがいい病院とか、そういう判断が可能になるのだと思う。

そういう意味では、パースはあまりに小さく孤立した街なので、いまだに口利きが幅を利かせているのだろうし、ランク付けのようなものはほとんど聞かないし、日本のように情報誌のようなものがあまり一般化されていない。

情報がまだ主観の域を超えていない部分が大きく、情報化社会からは程遠いのだとよそ者のわたしは思うのでありました。

かといって、日本の情報誌に載っている情報が常に正しいともいえないのですから、なんとも言えないのですけれども。

ま、身近にお医者さんがいるというだけで、ラッキーなのかもしれません。

Daddyが帰ってきたら

2010年07月02日 13時22分33秒 | Web log
水曜日からマイクが仕事で、インド洋にある油田に行っております。
初めてのことではないのですが、子供たちはマイクが恋しくてしょうがない様子。

おとといはジョナサンがかねてから熱望していた『自分の部屋でみんなと一緒に寝る』という希望を果たした。面白いもので、同じ家族でも『自分の部屋に誰かが来る』ということをとても特別なことと思っているようだ。

で、私が子供たちの真ん中に位置して、本を読んであげて眠りについたのだけれど、二人とも非日常な出来事にとても興奮していて、なかなか寝付けなかった。

昨日は、わたしのベットルームでみんなで一緒に寝た。

ジョナサンがベンジャミンにベンジャミンの大好きな本を読んであげた。

本を読み終えて、電気を消してから寝付くまで、ダディの話をした。

まだ2日しか経っていないのに、二人ともダディーが恋しくて、早く帰ってきて欲しいらしい。ダディと一緒に遊びたいのだそうだ。で、ジョナサンは『明日(今日)ダディのためにささやかなお帰りなさいパーティーをする』と言う。

キッチンの仕事も手伝ってくれるそうだ。(本当かな??)

子供たちにこんなに大事に思われているマイクはとっても幸せだなぁ、と思う。

同時に、ダディがいない間、3人横になって、本を読んだり、笑ったり、おしゃべりしたりするそんなささやかな時間をしみじみと、いいなぁと思うのでした。

大きくなったら、こんな時間を持つのは難しくなるだろうからねぇ。

署名

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