9月23日(日)25時25分
2012年全日本マスターズ陸上競技大会の最終日が終わらせられません。
気持ちの整理、というやつでしょうか。
春前に左ハムストリングの肉離れをやって3ヶ月走れず、
ようよう歩くように動き出すことから始まった今年のシーズン入りは7月から。
だから例年以上に、この全日本大会が大きな目標でした。
それまでに走って跳ぶ体を作ることができるのか、迷いながらの選択は、
100mと幅跳びに絞ることでした。
そしてすぐに悲鳴を上げそうになるハムストリングを冷やしたり伸ばしたりするのにも
時間がかかります。
少々生活環境が変わる時期とも重なったこともあり、毎週毎日、自分の体と時間に相談しながら、
何かを少しずつ伸ばしたり、取り込んだり、工夫をしてみたりと、考え考えやってきたのです。
しかし結論から言えば、絶対的な基礎トレーニングが不足していました。
気がついたのは8月に入ったころ、それなりに走れるようになりながらも、
地面を押したりたたいたりする力が足りないのです。
そして、すぐに疲れて動きが鈍ります。
線が細い自分に気がつきました。
遅ればせながらジムに通ったりしながらパワーパワーと念仏のように唱えて、
腹筋背筋、肩や上腕筋の張りを作っていきながら、
走るのには欠かせない、スクワットやレッグプレスといった大きな下半身の筋肉から、
内転筋や腓腹筋にも最大のパワーを瞬時に出せるトレーニングを始めました。
腹も割れてきました。
腕にも盛り上がりができました。
おしりも上がったと思います。
しかしなぜか、8月下旬からの競技会では100mも走り幅跳びも記録がどんどん下がっていきます。
どうすればいいのか分からないというのは、結構悩ましいことだと実感しました。
道が見えない、というとわかりやすいのでしょうが、
根本的に楽天的な私には、道が見えないなら目をつむってまっしぐら、という性格もあります。
いつか何とかなるはずだし、いつかとは全国大会の時になるはずだというほとんど根拠のない確信で
練習だけは続けていったのです。
そうして迎えた一週間前、幅跳びのスパイクを新調して臨んだ府中での助走練習は、
信じられないほど体が軽く、乾いた音とともに飛び出した体は高く勢いよく前に進み、
十分な滞空時間の中で足を前に投げ出す余裕もありました。
うまくいっている、という確信はそのときに得てしまったのです。
今年の全日本大会はメダル圏内に行けるかもしれない、
今だから言える下心、恥ずかしい思い上がりとはいえ、ここまで来たら白状しておきます。
そんなことを考えてしまってました。
大会前日夜遅くに新幹線で乗り込んだ岡山は、
晴天率が日本でも一番という”晴れの国”、
少々寝不足と旅で固まった体ではあったものの、期待が高まるお天気でした。
競技開始も、100mが12時、幅跳びが14時と理想的な進行です。
余裕をもって競技場入りをして、最初の違和感は、補助競技場でやってきました。
体がずーんと重く、ハムストリングがパンパンにはって前屈すらまともにできません。
JOGで芝生を踏むと、そのまま跪いてしまいそうなくらい、膝裏の腱が働きません。
否定形続きの体の反応で、頭の中にまで汗がしたたりました。
それでも、競技時刻はやってきます。
12時、100m5コース。追い風1.2m。
フライング一回。
12秒54
第2組8人中3位。
止まぬ悩みに頭が白くなって、きっと集中力がなかったが故のフライングだったのでしょう。
再スタートはもちろん出遅れ。前に6人を視界に入れて30mまで走り、すこしずと後ろに
ライバルが消えていき、珍しく一瞬のリラックス。
隣4コースを走る、最初は視界のずっと前にいた方がほぼ斜め前くらいまでにきたところで
体勢をととのえ、腰の位置をあげてやると、
どうにかフィニッシュラインぎりぎりで頭一つ先行し、胸を突き出した分、100分の5秒だけ先着しました。
タイムは目標の12秒前半に届きませんでしたが、繰り返し走って身につけた100mでのペース配分が意識的にコントロールできたので、
収穫は大きいレースでした。
M45の100m出場者46人のうち17位というのは、何とか納得できる結果ではありました。
その2時間後。
もう一つ取り組んできた走り幅跳びが始まりました。
こちらはM45・23人出場。
足合わせ2回は、板の真ん中あたりと、3㎝オーバー。
懸案の助走距離は問題がないように思えました。
しかしどうしたことか、試技が始まると足がまったくあいません。
踏み切り病というのでしょうか、一回目は自分でもすぐに分かるほど踏み切り板をオーバーしてしまいました。
それでも、ちゃんと体が上がっていたり、強い踏み切りができていたのなら
2回目に闘争心が沸きます。
その予兆がない踏み切りオーバーは、心の病院行きです。
オーバーした事実しか分からなくなり、2回目はむやみにスタートラインを下げてしまいました。
ちゃんと踏み切り姿勢に入れずにオーバーした一回目の距離だけ修正しても、
足が合うだけで正しい踏み切りに入ることができないのは自明の理のはずなのに・・今なら分かるのですが。
5m16・・・
泣きたい気分で、東京マスターズの同僚、T橋さんのアドバイスを受けます。
冷静で親切な彼は、2回目の良いところを沢山あげてくれながら、
助走のリズムが足りないことに気づかせてくれるアイディアをくれました。
そして”私の言うことは参考までにきいてくれればいい”と、そんな競技中でも気遣いを見せてくれるのです。
ありがたいこと。
人の情けが身にしみます。
そして3回目。
力んだ助走を修正して、地面で弾むようなリズムを作ろうとしました。
リズムは少し出ました。
でも、足首が耐えられません。どうしても沈み気味になります。
踏み切り前の3歩、ぽーんぽぽーん、もどき。
一番地面をたたくことができました。
ただし、たたいたのはウレタントラック。板には足が遠く届きませんでした。
5m24。
もちろん決勝に残れるわけがありません。
身を縮めてすぐにスパイクを脱ぎロッカーへ戻ります。
アシストに来てくれたふさおまき弟の目も厳しく、穴があったら入りたい・・・
言い訳しか出ないのも情けないと思いながら、思いっきり愚痴ってました。
すいません、弟いじめですね。
反省反省。
と、たっぷりブログにまで愚痴と反省が山盛りになりました。
これも文を書くのが好きな人間の性、書かないと昇華(消化?)できないのであります。
大丈夫、岡山大会は自分の競技意外では沢山のパワーをもらいましたから。
久しぶりにあった神奈川のKAZさんは、やはり春先に怪我をしながらとても楽しそうです。
100mに100mハードルと400mハードルにリレーも出るというのは、さすが練習量を誇る方ならではです。
幅跳びのM45クラス4連覇を遂げたNさん。
端正という文字が動いているようなこの方は、幅跳びの助走と空中スタイルも惚れ惚れするほど
なめらかで美しいのです。
いいもの見せてもらいました。毎年、せめてあの助走だけでも真似てやろうと
瞼にまでは焼き付けるのですが、身につけるのは難しいものです。
東京のT見さんが400mハードルを走っていたのには驚きました。
しかも3位。
昨年まで100や200を走っていて、今年は400に行くとは聞いていましたが、
ハードルまでやってしまうのか・・・・かつて東京都生涯スポーツ大会100mで
少しだけ競わせてもらった方が、全国の400Hで銅メダルをとってくれるのは、
実に嬉しいものです。
会場入り口近くで会えたので、思いっきりおめでとうを言わせていただきました。
そして女子ハンマー投げで日本記録を作って優勝したT嶺さんとも初対面のご挨拶。
沖縄からきた彼女のことは、私の体のケアを一手に引き受けてくれている
トレーナーの方から聞いていました。
同郷の友人で大学も同じアスリート、いつも前向きなんですよ、という話通りの
明るく元気な方。
日本記録を打ち立てるほどの実力者に見ず知らずの私が声をかけるのも
やや恥ずかしいものもあるのですが、気軽に応じてくれました。
強い人は礼儀正しく、目の力がしっかりしているというお土産も勝手に頂きました。
参加することに意義がある、とまで言える立場でもありませんが、
空気や光の良さ、元気な若者たちのいる街、美味しい物がたくさんある場所、
もちろん目にまぶしい後楽園、といった環境の良さも含めて
マスターズ陸上岡山大会は私の中にこれから先に進んでいく、
強い力を与えてくれたのでした。