日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

また来るね、ミュンヘン

2018-08-17 18:16:29 | 旅行記

夢のような滞在6日は、足早に過ぎました。
最終日は、もう少しずつ想い出のスケッチを増やします。

朝食は、いつもより倍はあるヴァイスヴルストを頂き、量は控えめに。


何故なら、すぐに外へ走りに行くため。
初めての駅、レーエルから顔を出すとやっばり素敵な美しい街並みです。



目指すのはイングリッシュガーデンと言う公園ですが、出迎えてくれたのはこの方たち。


なんと、サーファーです。
公園の川が激流なんて不思議です。

しばらく観戦して、私たちも運動開始!


緑を通した陽光に、胸に入る爽やかな空気。
カーティスクリークは透明にとうとうと流れます。


足は軽くなろうというものです。



小一時間走って一旦ホテルに戻り、シャワーを浴びて荷造りをします。
チェックアウトタイムぎりぎりにホテルを出ます。
毎日明るい笑顔を見せてくれたベッカムフェイスのフロントマンともお別れです。


昼ごはんは諦めて、私が行きたかったドキュメントセンターへ足を運びます。


ナチスが母体を固めたミュンヘンだからこその、
歴史の悔悟が、第一次世界大戦後の対ソ連との国際関係や、賠償金によるハイパーインフレと政治、
さらには世界恐慌による出口の見えない経済などとの関係の中で語られていました。

まあ、上の半分くらいは、世界史に堪能な彼女の解説引用ですが、頭は相当に糖分を消費したようです。

ミュンヘン洋菓子の老舗、クロイツカムさんへ。


そぎ切りのバームクーヘンは80グラムのビックサイズ。エネルギー回復成功です。



その後は最後の街中散歩。
今日もご機嫌の快晴で、デパートなども覗いてお土産も買って、ついに時間となりました。
18時15分、中央駅前バスターミナルからリムジンに乗って、いまこれを書いています。


ではね、ミュンヘン。



日中の写真は帰国後にアップします。


5日目のミュンヘン 美しき日

2018-08-17 06:07:34 | 旅行記
丸一日遊べる最終日。
今日は特急でお出かけします。



地味な感じだけど、昨日のRBより速い、IEという記号のつく番号で、中央駅9時50分発。
定刻3分遅れが、既にアナウンスされてます。
そういえば、昨日登山電車で同じボックス席に座ったご婦人が、『さすがドイツでしょ』といって、出発時に腕時計を指差しながら、ニコニコしていらっしゃいました。



目的地はアウグスブルク。ミュンヘンから最初に止まる駅です。
美しい青空に、この街並み。



雄大な、という形容詞をつけたくなるほどに、建物も、車道も歩道も余裕があり、
堂々と歩く気分になります。

カフェ前の大きなテントは、歩道に支柱が埋め込んであって、
ギコギコ歯車を回して傘が開いていきます。



アウグスブルク観光で有名な場所の1つが、
中世に建てられ、先の戦争で空襲に遭いながら、
わずかな期間で復元され今も執務に使われている市庁舎です。



市民が誇る美の部屋があるのです。



3階に登る階段から、既に光が!



黄金の間、です。
天使も金箔をまとって、壁や天井で幸せを振りまきます。







溢れ話。
黄金の間に続く控えの間で展示中の、アウグスブルク姉妹都市。


尼崎市と長浜市もその1つで、盆梅や子供歌舞伎、武庫川の風景が展示に入り、妙な懐かしさを感じます。



こちらもアウグスブルクの美を象徴する大聖堂。
ローマ時代から建造が始まったらしい教会は、
次々に建物を広げ、バロック、ロココなど礼拝堂がいくつもある、
巨大な建造物に成長しています。
聖母教会系ということで、受胎告知をはじめとする
沢山の宗教絵画もあったのですが、
教会の中で、巨大なシャッター音を放つ日本のスマホを使うのが憚られて、
ちょっとだけ雰囲気を。




観光地ではありませんが、彼女が面白い場所を教えてくれました。



フッカライハウス、という世界で初めての社会住宅です。しかも、フッカライ家という民間による16世紀の建物といいますから、驚きはひとしお。



今も使われていますが、博物館として古い部屋が展示されています。キッチン、リビング、ベッドルームに書斎と、
ひと家族に50平米が割り当てられています。





フッカライ家は銀で財をなし、困窮する市民向けの住宅を作ったそうです。
家賃はわずか、ただ勤労の精神がある事と、キリスト教徒が条件。
この財閥は、次々に詳細ある人物を輩出して、
金融で他国を裏から支配した歴史もあるとか。
当時の勢いはないものの、今もフッカライ信託銀行などがあり、
社会住宅は、中をリノベーションして役割を続けています。





15時過ぎの各駅停車でミュンヘンに戻り、
私が行きたかったあの場所へ。
私の記憶に最初に刻まれた夏のオリンピックのスタジアムです。



ミュンヘンオリンピックは、1972年、私が小学二年生の夏に開催されました。
選手村でのテロ事件の方が歴史に残った悲しい大会でもありました。





ただ、ワタシにとっては、父が始めて出かけた海外出張のお土産に、
ミュンヘンオリンピック記念キーホルダーを貰ったことが、記憶に深い大会でもありました。



今はオリンピックパークとして、市民憩いの美しきレガシーです。