ハイジの世話をおもにしていたのは、妻でした。
私は飼い始めた最初の2年間は単身でソウル暮らしでしたし、帰国後も散歩に行くのは週末だけ。
その後、5年間、ふたたび単身赴任で大阪勤務という時期もありました。
その間、よっぽどの悪天候の時以外は毎日1時間の散歩を続けました。
冬の間は、寒がりのハイジを自分の布団の中に入れてやったりもしました。
くも膜下出血で入院したとき、枕元には娘たちの写真とともに、ハイジの写真も置かれていました。幸い後遺症も軽くすんで退院した後は、自分のリハビリを兼ねて、毎日の散歩を再開しました。
ただハイジのほうも、高齢のために足腰が弱り、また目もほとんど見えなくなったので、散歩は昔のように1時間以上というわけにはいかず、最近は20~30分ぐらいでしたが。
妻にとって、ハイジの存在は自分の生活の一部であり、生きる張り合いになっていたにちがいありません。
私は飼い始めた最初の2年間は単身でソウル暮らしでしたし、帰国後も散歩に行くのは週末だけ。
その後、5年間、ふたたび単身赴任で大阪勤務という時期もありました。
その間、よっぽどの悪天候の時以外は毎日1時間の散歩を続けました。
冬の間は、寒がりのハイジを自分の布団の中に入れてやったりもしました。
くも膜下出血で入院したとき、枕元には娘たちの写真とともに、ハイジの写真も置かれていました。幸い後遺症も軽くすんで退院した後は、自分のリハビリを兼ねて、毎日の散歩を再開しました。
ただハイジのほうも、高齢のために足腰が弱り、また目もほとんど見えなくなったので、散歩は昔のように1時間以上というわけにはいかず、最近は20~30分ぐらいでしたが。
妻にとって、ハイジの存在は自分の生活の一部であり、生きる張り合いになっていたにちがいありません。
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