柳錫春(リュ・ソクチュン)は、2019年、延世大学の講義中に「慰安婦は売春婦の一種だ」と正論を述べて市民団体から告発され、今は刑事裁判の被告人の身です。
彼がどんな授業をしていたかを書いた記事がおもしろかったので、拙訳で紹介します(リンク)。
長いので、4回に分けてアップします。
2021年9月6日付NewDaily
【柳錫春のコラム】
金柄憲(キム・ビョンホン)の『赤い水曜日』... そして「発展社会学」
執筆に活用された資料は、逆説的なことに挺対協が30年に渡って発刊した全8巻の慰安婦証言集である。挺対協が宣伝した慰安婦の口述証言をもとに、いわゆる「被害者中心主義」を金科玉条とみなしている学生たちは、それゆえ本書を無視することはできない。
1. 発展社会学
2019年9月17日、約1年後に定年を控えた筆者は、延世大学の講義室で、受講生たちと熱のこもった討論を行っていた。この講義は、大韓民国が発展したというなら、その理由は何か、を明らかにしようという「発展社会学」の講義だった。過去10年以上、私は、同様の方法で講義をしてきた。
いつものように、「大韓民国の発展において、日本の植民地時代をどう評価すべきか」というテーマで講義を始めた。まず、植民地時代をたんに「収奪の時代」と見るなら、建国後に成し遂げられた韓国の飛躍的発展過程を完全に理解するのは難しい、という筆者の見解を伝えた。
この問題提起を学生たちに納得してもらうには、その前に次のようないくつかの質問を投げかける必要がある。「1961年5・16軍事クーデター以降に成し遂げられた高度成長は、もっぱら朴正煕政権のおかげだったのですか?」 この質問に、学生たちのほとんどは否定的な反応を見せる。そして、基本的で、あえて言う必要のないような話をする。「国民が力を合わせて努力したからだ」と。
筆者はさらに質問する。「国民が一生懸命働かなかった時代がありましたか?」、「北朝鮮が貧しいのは、北朝鮮の人々が一生懸命働かないからですか?」、「後進国の人々も一生懸命努力しないから後進国になったんですか?」 ここまで来ると、学生たちの抵抗がかなり弱まってくる。
質問を続ける。「ならば、朴正煕政権の前の李承晩政権が、大韓民国の発展に寄与した面はありませんか?」 ここで学生たちはパッと手を挙げる。親日派が建てた国で、6・25戦争(朝鮮戦争)ですべてが破壊され、戦後は援助がすべてで、不正腐敗が蔓延した、などの理由を挙げて、絶対に「ない」と答える。
ここで、李承晩政府の役割に関する議論にすぐ飛び込まないことが肝心だ。学生たちの心の準備がまだできていないからだ。代わりに別の質問をする。「みなさんは朴正煕も認めず、李承晩も違うと言う。じゃあ、その前の日本の植民地時代に発展の種がまかれたと思うのですか?」 この質問に対しては、ほとんどの学生が「とんでもない」という反応で一致する。
しかし、筆者はさらに質問を続ける。「発展というものが空から降ってくるものでないなら、発展の歴史的なルーツがあるはずですが、朴正煕でもなく、李承晩でもないというなら、植民地時代しかないのではないですか?」、「まさか、みなさんは国を譲り渡した旧韓末が大韓民国の発展の起源だと思うのですか?」
「旧韓末から35年間、植民地支配で搾取され、米軍政の3年間を飛ばして、李承晩の12年間も否定し、突然、朴正熙の18年につながって発展が成し遂げられた、と?」、「あれもこれも違うなら、大韓民国の発展は、根もなく突然現れた朴正煕という人物の個人的カリスマのおかげだと見るべきなんでしょうか?」
学生たちのは沈黙したままだ。そう、今まで学生たちが教えられてきた現代史教育では、このような質問が投げかけられることはまったくなかった。これらの質問を浴びせられて初めて、学生たちの頭の中には、植民地時代と李承晩時代を再評価する必要があるという考えが入る余地が生まれる。かといって、話がここで終わるわけではない。論争は、次の段階でさらに激しくなる。
2.『反日種族主義』
植民地時代について説明も、たいへんな障害にぶつかる。「植民地時代は収奪と近代化が共存する時期」という筆者の主張は、最初から抵抗にあう。学生たちは、収奪に決まっているのに、なんで近代化なんていう突拍子もないことを言うのか、と一蹴する。「西欧を見習って作った日本の近代システムが、わが国に強圧的に移植されるきっかけが植民地だった」という筆者の説明は、「だから日本に感謝しなければならないとでもいうのか」という学生たちの反発につながる。
「政治的に朝鮮が日本の植民地になり、差別を受けたのは確かだが、同時に社会・文化的には、朝鮮が自分の力では抜け出せなかった伝統社会のしがらみを、日本が断ち切ってくれたのではないか?」という筆者の反問に学生たちは当惑する。しかし、すぐに、「日本がそのようなことをしたのは、わが国のためではなく、日本のためにすぎない」という主張に変わる。「日本のためであることは確かだが、結果的にわが国の近代化に役立ったのでは?」という筆者の反問は、結果論だという非難を甘受しなければならない。
「学校、工場、監獄のように時間を管理する「監視と処罰」のシステムがほかならぬ近代だ」というフーコー(Michel Foucault)を動員して、筆者は「日本が朝鮮を近代へと訓育した」と説明を続けていく。ほかの国の植民地経験とも比較しながら「植民地は、全地球的に近代が拡散するプロセスと見ることもできる」と敷衍する。
学生たちは、それなら植民地の独立闘争が「反近代闘争」なのかと反問する。これに対し、筆者は「植民地の独立闘争は政治的独立のためのものであって、社会・文化的に近代から独立して伝統的へ回帰しようという闘争ではない」と付け加える。
「植民地住民の声を代弁する国会議員がおらず、軍隊にも行けないのに、税金だけ負担する矛盾を解決するために、政治的独立が必要だというのは正しい。しかし、班常、庶孽と賤出、そして男女という身分差別をなくし、すべての人を対象に普通教育を実施する時代が植民地とともにやってきたが、それをもう一度伝統へ戻そうというのは不合理なことではないか?」と再び筆者が問いかける。
学生たちは、そんなふうに分析的にアプローチすると、植民地という差別の総体的な性格が薄まってしまうという問題が生じると言い返す。総体的にアプローチしようとする学生たちにとって最大の障害は、何よりも経済問題を議論するときに現れる。「米を奪い、土地を収奪し、徴用で労働を搾取し、慰安婦を強制連行したなどというわれわれが知っている歴史は、事実に基づかない「反日種族主義」的な思考の産物だという最近の研究成果を紹介すると、最初は全く信じようとしない。
しかし李栄薫(イ・ヨンフン)、金洛年(キム・ナクニョン)、金容三(キム・ヨンサム)、朱益鐘(チュ・イクチョン)、鄭安基(チョン・アンギ)、李宇衍(イ・ウヨン)らの学者が主導した植民地近代化論の研究成果を説明し、また彼らの論文や本をじかに読ませると、学生たちは相当なショックを受ける。その一方で、少しずつその妥当性を受け入れる。植民地近代化論の論理と資料がそれだけしっかりしているからである。「日本と朝鮮が単一市場で結ばれていることから発生した人的・物的交換の結果、米が輸出され、土地が取引され、契約に基づいて労働者が海外へ進出したこと」を、学生たちはようやく理解するようになる。
(続く)
彼がどんな授業をしていたかを書いた記事がおもしろかったので、拙訳で紹介します(リンク)。
長いので、4回に分けてアップします。
2021年9月6日付NewDaily
【柳錫春のコラム】
金柄憲(キム・ビョンホン)の『赤い水曜日』... そして「発展社会学」
執筆に活用された資料は、逆説的なことに挺対協が30年に渡って発刊した全8巻の慰安婦証言集である。挺対協が宣伝した慰安婦の口述証言をもとに、いわゆる「被害者中心主義」を金科玉条とみなしている学生たちは、それゆえ本書を無視することはできない。
1. 発展社会学
2019年9月17日、約1年後に定年を控えた筆者は、延世大学の講義室で、受講生たちと熱のこもった討論を行っていた。この講義は、大韓民国が発展したというなら、その理由は何か、を明らかにしようという「発展社会学」の講義だった。過去10年以上、私は、同様の方法で講義をしてきた。
いつものように、「大韓民国の発展において、日本の植民地時代をどう評価すべきか」というテーマで講義を始めた。まず、植民地時代をたんに「収奪の時代」と見るなら、建国後に成し遂げられた韓国の飛躍的発展過程を完全に理解するのは難しい、という筆者の見解を伝えた。
この問題提起を学生たちに納得してもらうには、その前に次のようないくつかの質問を投げかける必要がある。「1961年5・16軍事クーデター以降に成し遂げられた高度成長は、もっぱら朴正煕政権のおかげだったのですか?」 この質問に、学生たちのほとんどは否定的な反応を見せる。そして、基本的で、あえて言う必要のないような話をする。「国民が力を合わせて努力したからだ」と。
筆者はさらに質問する。「国民が一生懸命働かなかった時代がありましたか?」、「北朝鮮が貧しいのは、北朝鮮の人々が一生懸命働かないからですか?」、「後進国の人々も一生懸命努力しないから後進国になったんですか?」 ここまで来ると、学生たちの抵抗がかなり弱まってくる。
質問を続ける。「ならば、朴正煕政権の前の李承晩政権が、大韓民国の発展に寄与した面はありませんか?」 ここで学生たちはパッと手を挙げる。親日派が建てた国で、6・25戦争(朝鮮戦争)ですべてが破壊され、戦後は援助がすべてで、不正腐敗が蔓延した、などの理由を挙げて、絶対に「ない」と答える。
ここで、李承晩政府の役割に関する議論にすぐ飛び込まないことが肝心だ。学生たちの心の準備がまだできていないからだ。代わりに別の質問をする。「みなさんは朴正煕も認めず、李承晩も違うと言う。じゃあ、その前の日本の植民地時代に発展の種がまかれたと思うのですか?」 この質問に対しては、ほとんどの学生が「とんでもない」という反応で一致する。
しかし、筆者はさらに質問を続ける。「発展というものが空から降ってくるものでないなら、発展の歴史的なルーツがあるはずですが、朴正煕でもなく、李承晩でもないというなら、植民地時代しかないのではないですか?」、「まさか、みなさんは国を譲り渡した旧韓末が大韓民国の発展の起源だと思うのですか?」
「旧韓末から35年間、植民地支配で搾取され、米軍政の3年間を飛ばして、李承晩の12年間も否定し、突然、朴正熙の18年につながって発展が成し遂げられた、と?」、「あれもこれも違うなら、大韓民国の発展は、根もなく突然現れた朴正煕という人物の個人的カリスマのおかげだと見るべきなんでしょうか?」
学生たちのは沈黙したままだ。そう、今まで学生たちが教えられてきた現代史教育では、このような質問が投げかけられることはまったくなかった。これらの質問を浴びせられて初めて、学生たちの頭の中には、植民地時代と李承晩時代を再評価する必要があるという考えが入る余地が生まれる。かといって、話がここで終わるわけではない。論争は、次の段階でさらに激しくなる。
2.『反日種族主義』
植民地時代について説明も、たいへんな障害にぶつかる。「植民地時代は収奪と近代化が共存する時期」という筆者の主張は、最初から抵抗にあう。学生たちは、収奪に決まっているのに、なんで近代化なんていう突拍子もないことを言うのか、と一蹴する。「西欧を見習って作った日本の近代システムが、わが国に強圧的に移植されるきっかけが植民地だった」という筆者の説明は、「だから日本に感謝しなければならないとでもいうのか」という学生たちの反発につながる。
「政治的に朝鮮が日本の植民地になり、差別を受けたのは確かだが、同時に社会・文化的には、朝鮮が自分の力では抜け出せなかった伝統社会のしがらみを、日本が断ち切ってくれたのではないか?」という筆者の反問に学生たちは当惑する。しかし、すぐに、「日本がそのようなことをしたのは、わが国のためではなく、日本のためにすぎない」という主張に変わる。「日本のためであることは確かだが、結果的にわが国の近代化に役立ったのでは?」という筆者の反問は、結果論だという非難を甘受しなければならない。
「学校、工場、監獄のように時間を管理する「監視と処罰」のシステムがほかならぬ近代だ」というフーコー(Michel Foucault)を動員して、筆者は「日本が朝鮮を近代へと訓育した」と説明を続けていく。ほかの国の植民地経験とも比較しながら「植民地は、全地球的に近代が拡散するプロセスと見ることもできる」と敷衍する。
学生たちは、それなら植民地の独立闘争が「反近代闘争」なのかと反問する。これに対し、筆者は「植民地の独立闘争は政治的独立のためのものであって、社会・文化的に近代から独立して伝統的へ回帰しようという闘争ではない」と付け加える。
「植民地住民の声を代弁する国会議員がおらず、軍隊にも行けないのに、税金だけ負担する矛盾を解決するために、政治的独立が必要だというのは正しい。しかし、班常、庶孽と賤出、そして男女という身分差別をなくし、すべての人を対象に普通教育を実施する時代が植民地とともにやってきたが、それをもう一度伝統へ戻そうというのは不合理なことではないか?」と再び筆者が問いかける。
学生たちは、そんなふうに分析的にアプローチすると、植民地という差別の総体的な性格が薄まってしまうという問題が生じると言い返す。総体的にアプローチしようとする学生たちにとって最大の障害は、何よりも経済問題を議論するときに現れる。「米を奪い、土地を収奪し、徴用で労働を搾取し、慰安婦を強制連行したなどというわれわれが知っている歴史は、事実に基づかない「反日種族主義」的な思考の産物だという最近の研究成果を紹介すると、最初は全く信じようとしない。
しかし李栄薫(イ・ヨンフン)、金洛年(キム・ナクニョン)、金容三(キム・ヨンサム)、朱益鐘(チュ・イクチョン)、鄭安基(チョン・アンギ)、李宇衍(イ・ウヨン)らの学者が主導した植民地近代化論の研究成果を説明し、また彼らの論文や本をじかに読ませると、学生たちは相当なショックを受ける。その一方で、少しずつその妥当性を受け入れる。植民地近代化論の論理と資料がそれだけしっかりしているからである。「日本と朝鮮が単一市場で結ばれていることから発生した人的・物的交換の結果、米が輸出され、土地が取引され、契約に基づいて労働者が海外へ進出したこと」を、学生たちはようやく理解するようになる。
(続く)
私は渡韓してまもなく、「創作と批評」96年夏号に掲載された、趙錫坤「収奪論と近代化論を超えて-植民地時代の再認識」という論文を読んで、土地調査事業についての認識を新たにしました。それまで、韓国語の勉強として韓国の教科書や、翻訳がすでにある小説などを読んだことはありましたが、論文を辞書を引き引き自分で最後まで読んだのは、これが初めてでした。それもあって、今も印象に残っています。
https://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/876e960fc173c726e67ccf349696ef26