読売新聞によれば,1901年に英国で自費出版され,その後世界じゅうに広がって今や全世界に愛されている『ピーターラビットのおはなし』が世界初訳されたのが,なんと日本だったそうです(→リンク)。
いままで最古とされていたオランダ語訳の1912年をさかのぼること6年,1906年(明治39年)の「日本農業雑誌」に「お伽小説悪戯な子兎」というタイトルで掲載されたらしい。
当時盛んだった,西欧文化の翻訳紹介は,児童文学の世界にも及んでいたのですね。
これで思い出したのがソシュール。
今も言語学の世界では古典とされている,ソシュールの『一般言語学講義』は,ソシュールの死後,弟子たちによって講義録が編集され,1916年,パリで刊行されました。
その世界初訳がやはり,東洋の片隅の日本で行われたのです。1931年のドイツ語訳よりも3年早い1928年,言語学者小林英夫による日本語版が刊行されました。
後に丸山圭三郎によって,原本の編集過程の問題点が明らかにされ,小林訳にも若干の問題があることも指摘されましたが,世界に先駆けてまず日本で翻訳されたことは誇っていいことでしょう。
実は,小林英夫は京城帝国大学教授だった。
もしかすると,『一般言語学講義』の翻訳は日帝時代の韓国で行われたのかもしれない,と密かに思っていましたが,改めて調べると,小林英夫の京城帝国大学着任は1929年(→リンク)。
前年に『講義』の翻訳を終えてから朝鮮半島に渡ったもののようです。
いままで最古とされていたオランダ語訳の1912年をさかのぼること6年,1906年(明治39年)の「日本農業雑誌」に「お伽小説悪戯な子兎」というタイトルで掲載されたらしい。
当時盛んだった,西欧文化の翻訳紹介は,児童文学の世界にも及んでいたのですね。
これで思い出したのがソシュール。
今も言語学の世界では古典とされている,ソシュールの『一般言語学講義』は,ソシュールの死後,弟子たちによって講義録が編集され,1916年,パリで刊行されました。
その世界初訳がやはり,東洋の片隅の日本で行われたのです。1931年のドイツ語訳よりも3年早い1928年,言語学者小林英夫による日本語版が刊行されました。
後に丸山圭三郎によって,原本の編集過程の問題点が明らかにされ,小林訳にも若干の問題があることも指摘されましたが,世界に先駆けてまず日本で翻訳されたことは誇っていいことでしょう。
実は,小林英夫は京城帝国大学教授だった。
もしかすると,『一般言語学講義』の翻訳は日帝時代の韓国で行われたのかもしれない,と密かに思っていましたが,改めて調べると,小林英夫の京城帝国大学着任は1929年(→リンク)。
前年に『講義』の翻訳を終えてから朝鮮半島に渡ったもののようです。
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