写真:日暮里のベトナムレストラン「SKY」のコーヒー
お彼岸を前に、東京・谷中にある菩提寺にお墓参りに行きました。
四女家族(夫はスウェーデン人)も来てくれました。
お昼時だったので、墓参りのあとは日暮里駅の近くで昼食。
四女がベトナム料理の店を予約してくれていました。
昔、池袋にベトナム料理屋があり、ときどき行きましたが、コロナ19のときに閉店。久しぶりのベトナム料理でした。
サイゴンビールとフォーのランチセットを食べた後、食後にベトナムコーヒーを注文。
ベトナムコーヒーは、独特の出され方をします。
小さめのコーヒーカップの上に、ステンレス製の抽出装置が乗っています。
「抽出が終わるまで、少しお待ちください」
抽出装置には、挽かれたコーヒー豆と熱湯が入っています。底に空いた小さな穴から、コーヒーが少しずつ滴ります。
クリーム代わりに、練乳(コンデンスミルク)が出されます。好みに応じて砂糖も。
ベトナムは、かつてフランスの植民地でした。フランス式の食文化が根付き、フランスパンやワインにも定評がある。
このベトナム式コーヒーも、フランスから導入されたものだと言いますが、私はフランス本国でこれを見たことはありません。
私「ベトナムって、コーヒーの生産量が多いんだよね」
四女「知ってる。大学受験のとき、地理Bで習った」
四女は入試で世界史と地理Bを選択。国別生産量のグラフで農産物を選ぶという問題で、コーヒー豆はベトナムが上位であることが特徴だったと言います。
私も地理Bを選択していましたが、1970年代は、ベトナムのコーヒー生産量が多かったという記憶はありません。
そういえば、しばらく前に自宅近くのカフェで、ベトナムコーヒーが発展したのは東ドイツのおかげ、という話を聞きました。コーヒーについて調べようと思ったのは、それがきっかけでした。
コーヒーの話①~雲南コーヒー
調べてみると…
東ドイツではコーヒーがよく飲まれていた。しかし、コーヒー豆は輸入品だったので、比較的高価だった。
1977年、ブラジルのコーヒー豆が凶作で、コーヒー価格が高騰。当時共産圏で、外貨不足だった東ドイツではコーヒー豆が輸入できなくなり、焙煎コーヒーが禁止された。その代わりに代用コーヒー(コーヒー豆以外の植物を49%まぜたもの)が出回った。
しかし、コーヒー好きの東独国民の不満が高まり、政府は、同じ共産圏のベトナムを新たなコーヒー産地として開拓。コーヒー栽培の技術支援を行った。
べトナムにとっても、コーヒーが新しい外貨獲得手段となり、生産に力を入れた。その結果、ベトナムはブラジルに次ぐ世界第2位(2022年)のコーヒー輸出国となった。(ネット上のいくつかの資料より)
ベトナムコーヒーの発展は東ドイツのおかげというのは、史実でした。
しかし、コーヒー好きの東独国民の不満が高まり、政府は、同じ共産圏のベトナムを新たなコーヒー産地として開拓。コーヒー栽培の技術支援を行った。
べトナムにとっても、コーヒーが新しい外貨獲得手段となり、生産に力を入れた。その結果、ベトナムはブラジルに次ぐ世界第2位(2022年)のコーヒー輸出国となった。(ネット上のいくつかの資料より)
ベトナムコーヒーの発展は東ドイツのおかげというのは、史実でした。
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