この連休は、東京の友人たちと旧交を温める機会も多かったです。
ある日は、新大久保の韓国料理、別の日は高田馬場のミャンマー料理。
新大久保は連休直前の金曜日。韓流ブーム華やかなりし頃、金曜日の夜と言えば、どこも大行列で店に入るのに苦労したものですが、今や韓流はすっかり下火になり、そのおかげでどこも待つことなく入れるのはありがたい。
この日は、人気店「カントンの思い出」でサムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉)とチャミスルをいただきました。帰路、駅に向かう途中で、「i(アイ)」という看板が目に入りました。
以前は韓国人アガシがやっているカウンターバーで、新大久保で食事をした後の二次会の定番の場所だったのですが、あるときから代替わりして、日本人がやるふつうのバーになってしまったので、足が遠のいていました。
久しぶりに入ってみると、二人いるアガシはやはりどちらも日本人。ところが、われわれの後に韓国人の業者さんが入ってきたとき、そのうちの一人が流暢な韓国語をしゃべりました。
「あれっ? 韓国語しゃべれるの?」
「ええ、少しだけ」
聞いてみると、「少しだけ」というのは謙遜で、昼間は韓国語の通訳や翻訳の仕事をしているそうです。
「韓国に留学したの?」
「いいえ、ハングルを覚えて、後はドラマで勉強しました」
以前、韓国で、やはり日本に留学した経験がないのに、日本のドラマを不法視聴して日本語がぺらぺらになったという韓国人がいましたが、彼女の場合は大学で日本語を専攻していた。
また、韓国の日本人駐在員クラブには、おしゃべりや日本のカラオケはとてもうまいのに、日本語は読めない(ひらがながやっとで、カタカナはあやしい)という人もいました。
このバーのアガシは、大学で専攻したわけでもなく、留学もせず、会話も読み書きもマスターしたというのですからたいしたものです。
別の日に行ったミャンマーのお店は、「さくら」。
同じ場所に「マンミャンマー」という店があり、そこがつぶれてタイ料理の店になっていたのが、またミャンマーの店に戻っていました。
まだ、オープンして1か月ほど。サービングの若い男性は、日本語がぺらぺらです。
「日本には長いの?」
「10年ぐらいです。中学生のときに日本に来ました」
「学校は日本の学校?」
「そうです。最初はぜんぜんわかりませんでした」
「さくらって、あまりミャンマー料理屋さんらしくないけど」
「ああ、実は母が料理を作っているんですけれど、母はミャンマーでも日本料理店をやっていて、そこの店の名前が「さくら」なんです。それでここも「さくら」にしました」
「この、「お茶のハパサラダ」って、「葉っぱ」でしょう」
「ああ、間違えちゃいました。実は、このメニュー、業者に頼んで、約束の日までにできなかったので、もういらないって言って、自分で作ったんですけど、やっぱり間違いがありますね」
とてもおしゃべりで明るい店員さん。料理の味も悪くないので、今後、常連になりそうです。
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