1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争。
韓国では「ユギオ(625)」あるいは「韓国戦争」と呼ばれています。
日本では,1980年代まで,朝鮮戦争の勃発経緯が謎とされ,(主として岩波,朝日新聞などの「進歩的言論」で)「38度線付近で戦闘が始まった」などとぼかして表現されていました。しかし,国際的には明らかに北朝鮮が仕掛けた戦争,「南侵」です。
今では,金日成がソ連のスターリン,中国の毛沢東に援助を請うて仕掛けた戦争であることがはっきりしています。三者の生々しいやりとりは,アナトーリー・ワシリヴィチ・トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実―金日成、スターリン、毛沢東の機密電報による』(草思社,2001年)に詳述されています。
この本を読めばわかりますが,当初はスターリンも毛沢東も北の南侵にあまり乗り気ではなかった。特に毛沢東は,自分が台湾を武力統一する気でいましたから。
ところが,当初,怒濤の勢いで攻め込んでいった北朝鮮軍は,マッカーサーの仁川上陸(金日成はアメリカが介入してくるとは思わなかった)以後,38度線以北まで押し戻され,逆統一の危機に瀕した。
そして中国に泣きついて,中国は大量の兵員を韓半島に送った(人海戦術)。そのときに送られた兵士の大部分は,台湾侵略の準備で台湾の対岸,福建省に待機していた軍隊だった。兵士たちは「世界の赤化統一の理想」に燃えていた共産兵で,士気は極めて高かった。
しかし,いかんせん装備が貧弱だった。
「人の海」が,米国の機銃掃射の前になすすべもなく斃死していくさまは,以前ご紹介した『若き将軍の朝鮮戦争』に活写されています。
毛沢東は,台湾統一のために用意していた虎の子の人員と物資を,燐国の戦争に図らずも使うはめになり,結局,台湾の武力統一をあきらめざるを得なかった。
1950年当時,米国は「台湾放棄」の方針を決めていたと言われます。もし,金日成がああいうことをしなかったなら,おそらく台湾は共産中国に吸収されていたことでしょう。
その意味で,「今の台湾が在るのは金日成のおかげ」と言えますまいか。
〈参考〉
ユギオ(6・25)
韓国では「ユギオ(625)」あるいは「韓国戦争」と呼ばれています。
日本では,1980年代まで,朝鮮戦争の勃発経緯が謎とされ,(主として岩波,朝日新聞などの「進歩的言論」で)「38度線付近で戦闘が始まった」などとぼかして表現されていました。しかし,国際的には明らかに北朝鮮が仕掛けた戦争,「南侵」です。
今では,金日成がソ連のスターリン,中国の毛沢東に援助を請うて仕掛けた戦争であることがはっきりしています。三者の生々しいやりとりは,アナトーリー・ワシリヴィチ・トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実―金日成、スターリン、毛沢東の機密電報による』(草思社,2001年)に詳述されています。
この本を読めばわかりますが,当初はスターリンも毛沢東も北の南侵にあまり乗り気ではなかった。特に毛沢東は,自分が台湾を武力統一する気でいましたから。
ところが,当初,怒濤の勢いで攻め込んでいった北朝鮮軍は,マッカーサーの仁川上陸(金日成はアメリカが介入してくるとは思わなかった)以後,38度線以北まで押し戻され,逆統一の危機に瀕した。
そして中国に泣きついて,中国は大量の兵員を韓半島に送った(人海戦術)。そのときに送られた兵士の大部分は,台湾侵略の準備で台湾の対岸,福建省に待機していた軍隊だった。兵士たちは「世界の赤化統一の理想」に燃えていた共産兵で,士気は極めて高かった。
しかし,いかんせん装備が貧弱だった。
「人の海」が,米国の機銃掃射の前になすすべもなく斃死していくさまは,以前ご紹介した『若き将軍の朝鮮戦争』に活写されています。
毛沢東は,台湾統一のために用意していた虎の子の人員と物資を,燐国の戦争に図らずも使うはめになり,結局,台湾の武力統一をあきらめざるを得なかった。
1950年当時,米国は「台湾放棄」の方針を決めていたと言われます。もし,金日成がああいうことをしなかったなら,おそらく台湾は共産中国に吸収されていたことでしょう。
その意味で,「今の台湾が在るのは金日成のおかげ」と言えますまいか。
〈参考〉
ユギオ(6・25)
韓国の映画やドラマを見るたびに疑問に思うんですが、韓国ヤクザの世界に拳銃は普及していないんでしょうか?
喧嘩シーンはたいてい鉄パイプかバット、そしてナイフだもので。
兵役があるから銃の扱いには慣れてるでしょうに、とかヤクザになるような人は兵役行ってないか、と思ったり。
お時間のある時に教えてくださると嬉しいです。
組織暴力団は,全斗煥大統領のとき一網打尽になって厚生施設に強制収容されたと聞いています。
また,銃などを軍隊から盗んだら,重罪に処せられるのだと思います。
そもそもヤクザがいないとは!
映画やドラマには最近の設定でも普通に登場するので、日本と同じくらいはいるのかなあと思っていました。
お答えいただいてどうもありがとうございました。