犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

朝鮮日報の「罪滅ぼし」記事

2023-11-01 22:31:25 | 慰安婦問題
 朝鮮日報が、これまでの仕打ちの「罪滅ぼし」をするかのように、オピニオン欄に朴裕河教授の寄稿文を掲載しました。

 なかなか日本語版の記事がアップされないので、私が訳出してみます。

2023年10月30日「朝鮮日報」

時論〔寄稿〕朴裕河(パク・ユハ)世宗大学名誉教授

無罪が出た朴裕河教授「左も右も『帝国の慰安婦』を誤読した」


90年代の東京での慰安婦証言集会
涙を流して通訳したのが最初の縁
だが『帝国の慰安婦』を出した後
あるがままに読んだ読者は少数だった
9年4か月後の無罪判決
執筆動機を理解してもらえたという心情
ハルモニたちはいつも疎外されていた
彼女たちの冥福と安らかな生活を祈る


 慰安婦ハルモニの名誉を棄損したとして刑事告発されてから9年4か月後に大法院の無罪趣旨破棄差し戻しの判決をいただいた。判決文では、私の執筆動機と文章の意図がはっきりと理解されており、学問と歴史に対する深い考察も含まれていて、嬉しく、ありがたかった。

 30年前のことが思い出される。90年代初め、日本留学が終わるころに慰安婦のことが初めて問題提起された。東京で開かれた慰安婦証言集会で、私は無償で通訳ボランティアを務めることになった。涙を流しながら通訳した経験が、まさにこの問題との最初の出会いだ。帰国後ナヌムの家を訪れ、ハルモニたちの話を聞いたり、証言集を読んだりしながら、私は世間で慰安婦問題の消費のされ方に少しずつ疑問を抱くようになった。2005年に出した本『和解のために』で、私はそうした疑懼を初めて世に提起した。マスコミでも好意的に取り上げられ、「文化広報部優秀教養図書」に選ばれたが、本はあまり売れず、広く読まれることはなかった。

 その後も慰安婦問題をめぐる韓日対立は激化していく一方だった。国内に少女像が立てられた直後から、私は慰安婦問題に対してもう一度きちんと書かなければならないと考えた。声の大きな両極端の戦いに動員され、同じように声を高める人々だけが増える消耗的現実にブレーキをかけたかった。

 長年にわたり慰安婦ハルモニ会い続け、関連書籍のほとんどを読んできた私の目には、ハルモニたちの人生全体を見ようとする人々がほとんどいないように見えた。大切にされているようでありながら、実際にはハルモニたちは疎外されており、慰安婦問題が解決されない原因はそこにあると私は思った。 2013年に『帝国の慰安婦』を出してから、再びハルモニたちに会った。彼女たちはまだ疎外されていた。「敵は百万、私は一人」、「挺対協を通さずに直接補償がほしい」と言うハルモニたちたちの心情吐露を聞き、私はこれまでの疑懼と判断が正しいという確信を得た。

 両極端を批判した私の本について、その両極端は自らのこれまでの主張に合わせて誤読した。右派の一部は、私が自分たちと同じように「慰安婦は売春婦」ということに同意したと歓迎し、左派の一部もやはり慰安婦を売春婦と非難したと言って私を攻撃した。そしてついに、私が慰安婦ハルモニたちに会うことを露骨に妨害していた「ナヌムの家」は、私がハルモニたちの名誉を毀損したと言って、刑事・民事・(出版差し止め)仮処分訴訟を提起した。本を出してから10か月後のことだった。そして私ともっとも親しい慰安婦ハルモニが亡くなって1週間後のことだった。

 大法院の今回の判決文は「強制連行否認、自発的売春、積極協力を語るために該当の表現を使用したわけではない」と明確に書いている。

 今回の事件は慰安婦ハルモニたちと私の戦いではなく、そのような周辺の人々と私の戦いだった。そしてその周辺の人々の本当の不満は、自分たちと「異なる解決策」が模索され、受け入れられたことにあった。

 慰安婦問題はしばしば、韓日だけの問題とみなされるが、実は冷戦体制とも深く繋がっている。慰安婦問題が始まった1990年代初頭は、北朝鮮が日本と国交正常化交渉を行った時期であり、北朝鮮は慰安婦問題を、植民地支配に対する「不法賠償」を受けとるためのチャンスとみなした。このような背景のもと、1992年に当時挺対協幹事だった尹美香(ユン・ミヒャン)前代表は、北朝鮮が朝日修交交渉で「戦争犯罪賠償」を受け取ろうとしているとしつつ、「南と北がともに」「賠償を受け取るのに十分な主体的力量」という用語を使った。慰安婦問題の運動に深く関与した法律家たちも、北朝鮮の対日交渉力を意識していた。慰安婦問題において、で補償ではなく「賠償」を受けるためには「不法」でなければならず、まさにそれゆえに、あくまでも「国家による強制連行」でなければならないという構造が、こうして始まり、定着した。

 ところが、実際には北朝鮮は2002年の平壌宣言でその主張を取り下げ、経済的補償を受けとる方式に戻った。しかし、その後も尹美香代表など周辺の関係者たちは「不法賠償、強制連行」の主張を続けた。彼らが朴槿恵政権時の韓日合意を命がけで反対した理由もここにある。

 東アジアの安定と平和のために、私は北朝鮮と日本の修交を期待する側である。しかし、その過程で国家の自尊心を守る手段として、慰安婦ハルモニたちは、まったく望んでいなかった「性奴隷の枠組み」の中に閉じ込められた。そして再び国家に動員され、長年の間、街頭に立つことを余儀なくされ、今では多くの方々が亡くなられた。私が『帝国の慰安婦』を書いたのは、彼女たちが戦争の犠牲者ではなく、植民地支配の犠牲者であるということを明らかにしたかったからだった。亡くなられたハルモニたちの冥福をお祈りし、ご存命のハルモニたちの安らかな生活を祈念する。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「朝鮮日報」の手のひら返し | トップ | 苦し紛れの「京郷新聞」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

慰安婦問題」カテゴリの最新記事