ここ数年の先生の日は「寸志」自粛ムードですが,そのきっかけをつくったのが,2003年に公開された「金封套先生」という映画。
主人公の金先生の名前は「ポントゥー」。漢字で書くと封套で,これは韓国語の「封筒」です。そして,韓国語で「封筒」というと,現金入りの「寸志」を暗黙裡に意味します。
学校に蔓延している「寸志」の慣習を批判するとともに,寸志を常習的にもらっていた教師が田舎で純真な子どもたちに接し,教師の良心を取り戻していく,といった筋。
当時,内容を紹介した新聞記事があるので掲載します。
『先生キム・ボンドゥ』の封筒
「寸志」をもらうのが生きがいだった教師(車勝元,チャ・スンウォン)が山奥の小学校に飛ばされ、そこで人生について真剣に考えるようになるという,チャン・ギュソン監督のコメディー『先生キム・ボンドゥ』に最も多く登場するのが白い「封筒」だ。
それも大部分が現金入りの封筒だ(タイトルの『キム・ボンドゥ』は、「金封筒(韓国語の発音でキムボントゥ)」をもじったものだ)。
この映画は「うちの子供をよろしくお願いします」と言いながら父兄が教卓の上に差し出す寸志の封筒のクローズアップに始まり、山里に転任となった教師キム・ボンドゥが、老人から今までとはまったく違った封筒を受け取る場面で終わる。封筒(寸志)に染まったある教師の「封筒にまつわる変化」を追うという暗示だ。
映画の中でキム・ボンドゥが受け取った封筒は10を越える。
教え子の父親からルームサロン(高級個室バー)で寸志を受け取ったキム・ボンドゥは、生徒が5人しかいない山奥の小学校に移った後も、ソウルから転校してきた父兄から、また学校の敷地をサバイバルゲーム場にしようとするレジャー業者から絶えず封筒を受け取る。
康祐碩(カン・ウソク)監督が企画者として参加したこの映画は『トゥー・カップス』などの康祐碩の映画と共に、韓国の「裏金文化」に触れているという共通点を持つ。
目を血走らせて声を張り上げた直後、一度考えてみると笑顔を見せながら話しかけるといった態度も共通している。そのため「封筒」に執着するキム・ボンドゥを、映画は憎めないキャラクターとして描いている。
映画はキム・ボンドゥが何度となく受け取る白い封筒に、現金以外の物が入っている様子を通じて、不良教師「キム・ボンドゥ」が人間「キム・ボンドゥ」に変わって行く過程を描いていておもしろい。
その中にはツルニンジン1本を入れた父兄の白い封筒、そしてキム・ボンドゥをついに涙させる1人の男子生徒の意味深い封筒もある。
白い封筒一つで金封筒を描くことができるのは、必ずしも「ブラックマネー」ではないにしろ、金を他人に渡す時に封筒に入れる韓国的な文化のためだ。
そもそも「封筒」という包装の名称が「カネ」、あるいは「ワイロ」を意味するのは、韓国以外の国で目にするのは難しいそうだ。そのためか『先生キム・ボンドゥ』の白い封筒は、韓国人にとって最も身近で、そして面白い描写といえる。
金明煥(キム・ミョンファン)記者
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/04/08/20030408000040.html
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