2002年2月22日 オーマイニュース(リンク)「慰安隊」は、予備隊兵力の「第5種補給品」 前線での戦闘を終えて、交代で後方に送られた予備部隊の兵力が慰安婦を利用できたというのは、他の、将軍たちの回顧録とも一致する。チャ・ギュホン将軍(予備役陸軍大将)も、自身の回顧録「戦闘」(1985年)で、予備隊時代に経験した移動式軍慰安所制度について、次のように回想している。 (1952年)3月中旬の気候は . . . 本文を読む
韓国国軍慰安婦についてのタンジ日報(→リンク)の中で紹介されていた、2002年2月22日付のオーマイニュースの記事を、以下に訳出します。2002年2月22日 オーマイニュース(リンク)韓国軍も「慰安婦」を運用した 【創刊2周年発掘スクープ(1)】日本軍従軍経験の遺産韓国戦争期(1951~1954年)3~4個中隊規模で運営…年間、少なくとも20数万の兵力を「慰安」 . . . 本文を読む
2016年7月27日 タンジ日報(リンク) まとめよう。 仁川上陸作戦以降、韓国軍と連合軍の北進にともない、いわゆるパルゲンイに対する懲罰も実行された。その過程で、女性への懲罰は性暴力の形をとった。そうした雰囲気の中で、1951年の夏、戦線が膠着し、「特殊慰安隊」すなわち韓国軍慰安隊が設置されたのだ。陸軍本部が正式に設置したのだが、その動員方法は以前と大差なく、拉致などによる強制動員であり、そこで . . . 本文を読む
2016年7月27日 タンジ日報(リンク) このように、韓国軍慰安婦の存在を否定する余地はない。大韓民国陸軍本部から発刊された「後方戦史」だけでなく、当時、軍に身を置いた者たちの回顧録や自伝のあちらこちらに、韓国軍慰安婦の記録が見いだせる。この確かな証拠にもかかわらず、韓国軍慰安婦が急速に忘れられていったのは、実際に自分たちが慰安婦であったことを名乗り出る証人がいなかったためだろう。 そして、韓国 . . . 本文を読む
2016年7月27日 タンジ日報(リンク)大韓民国陸軍特殊慰安隊 1950年6月25日、韓国戦争(朝鮮戦争)勃発後、北韓(北朝鮮)の人民軍は瞬く間に南韓地域の大部分を占領し、同年9月15日、仁川上陸作戦をきっかけに、韓国軍と連合軍は、北韓地域の大部分を占領するに至る。以後、中国人民志願軍の参戦により、1950年12月から1951年初めの間に、北韓がソウルを再占領するという「1.4後退」があった。1 . . . 本文を読む
2016年7月27日 タンジ日報(リンク)[社会] 韓国軍特殊慰安隊:韓国戦争(朝鮮戦争)の第五種補給品は「女」だった記者:あかいそら 1950年6月25日、北韓(北朝鮮)の人民軍が38度線を越えて進軍を始める。そしてまたたく間に南韓地域の大部分の占領に成功する。 キムさんは十代の少女だった。花のような年齢、木の葉が落ちても笑いがこぼれる年頃、ひときわ華やかなはずの時節だったのに、戦争の前で、少女 . . . 本文を読む
韓国にタンジ日報というネット新聞があります。私はずいぶん前に、韓国の国定歴史教科書を批判したタンジ日報の記事を翻訳、紹介したことがあります。日帝時代の検証~食料収奪①日帝時代の検証~食料収奪②日帝時代の検証~食料収奪③日帝時代の検証~食料収奪④日帝時代の検証~3・1運動①日帝時代の検証~3・1運動②タンジ日報-翻訳後記 これは、「クルマ」という記者が、日本留学中に日本の歴史教科書を読み、それまで . . . 本文を読む