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コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

京都支部学習会 2月

2010-02-14 00:48:55 | 「聞き方・伝え方」学習会
今日は京都支部学習会でした。

今回も遠方から広島・富山・三重から。
また大阪や奈良からも参加してくださいました。

はじめに2分間の黙想。

初参加の方も居られるので少し趣旨説明。
そのあと、今回は簡単なワークをしました。
ワークと言うとちょっと構えてしまう方も居られるのですが、私の場合はちょっとテーマを絞った”お試し体験”的な位置づけです。
取り入れたのは「自己紹介のワーク」(こういう名前かどうかは知りませんが)
ペアを組んで「私は、○○です」ということを話します。
最初は「私は高橋です」「私は男です」などというところから、「私はいまこんな不安な気持ちです」と言う風に、自分の内側を探って、感じたことを言葉にしていってもらいます。
これを5分間ずつ、役割を交代して。

今まで、紙に箇条書きしていく形のワークや、もうちょっとテーマを絞って「私の長所は…」「私の短所は…」という風にペアを組んでやったことがあります。
そういうときに、私は言葉にすることで、自分でも普段感じていない「意外な一面」に出会うことがありました。

まぁそこまで行かなくても、パッと心に浮かんだことを言葉にする訓練的な思いがありました。

で、やってみて…
「私は…」というルールにこだわって、かえって話しにくかったとか、もうはなからルールは飛んでいって思っていること(話したいこと)をどんどん打ち出す方まで。
お聞きしていると、カウンセリング経験などがあって、「自分の内に浮かんできたこと」をすっと言語化できる方は、形の制約が無いほうが自由に自分を語れるようですね。
本当は、苦労してでもルールにのっとって、短い言葉で今浮かんだことを言葉にしてみる経験を味わって欲しかったのですが、そこまでがっちり固めない感じがこの学習会の雰囲気だと思ってますので、これもよしかなと。
まだまだ入り口ですから、なんでもまずやってみるところから、ほんの少しでも何かを感じてもらえればうれしいですから。

続いて、ペアを組んでのミニカウンセリング。
あまりペアを増やすと、狭い部屋で近く同士の声が気になるので、4隅に分かれられるように3人組二つ、4人組二つに分けて。
いつもの話し手・聞き手・傍観者・(4人の所は一人待機)の役割を決め、4回やるのでちょっと時間を短く7分間のミニカウンセリング体験。
初めて参加された方も、聞くことの難しさや、いままで自分の都合に合わせて聞いていたことを表明してくださり、大きな気づきをしていただけた気がします。

何度か体験されている方も、それぞれに新たな気づきをしてもらえる…こちらがあれやこれや教えるんじゃなくて、そうやって気づくことがうれしいですし、お一人お一人に任せておける私がいました。

一度体験してみること、続けることが大事ですね。
ここ数日の思いも交えて、もう少し書けそうな感じもあるんですが、今日はここまでにしておきます。

3月は27日の土曜日に行います。

京都支部学習会 1月-2

2010-01-28 00:27:25 | 「聞き方・伝え方」学習会

先週の学習会の件つづきです。
と言っても世間事にかまけてる間に気持ちもうつろってます。
記憶に残っていること中心に、今の気持ちで書いていきましょう。
結構大事なことを話したと思ってますから。

「聞き手・話し手」の実践・分かち合いをした後、その「話し手を大事にする」感じを座談に活かす方法として、昨年「円座禅」のワークで教えてもらった「シャベラー」君を使った形式を取り入れました。
円座禅のようすはこちら

誰が話し手なのかはっきりさせることが目的で、話し手が「話しきった」と判断するまで他の方はしっかり聞き手に回る練習です。
話し手をはっきりさせるだけじゃなく、一人代表の聞き手も設定します。
誰もいなければ私がするつもりでしたが、「誰かお願いできますか?」とたずねると一人の方が手を上げてくださったのでお願いすることにしました。

何人かの方がシャベラー君を手にして話してくださり、そのあと分かち合いをします。
話す方は最後まで聞いてもらえる安心感を。
聞き手の方は聞いていて応えたくなったことを言うタイミングがはっきりすると言う安心感を。
それぞれ感じてくださったようです。

誰かが話をして、そのことに答えたい。
でもまだ話が終わってないから聞いていようと思う。
そのうち他の人が話し手の言葉をさえぎって質問したり、言いたい事を言い出してしまう。

こういう場面は座談に限らず良くあることですが、そのことで
言いたいことがいえない
いつ応答してあげたら良いかわからない

というしんどさを感じている人がいっぱい居られます。

今回はシャベラーくんという象徴を使うことではっきりしますが、「そこにいる人を大事にしたい」という気持ちが浸透していけば、普段でも出来るようになってくるはずです。

その後、いくつかの話題や感想を通じて、ひとつだけ「学習」としてお話しすることにしました。

「上手な聞き方」というのは、言葉で伝えて身につけていくのは難しいのですが、「上手くない聞き方」というのは事例を挙げて示すことが出来ます。
その中から、「話し手が自由に話すことを阻害する聞きかた」について。

分析する聞き方
評価する聞き方
誘導する聞き方

言葉は違ったかもしれませんが、この三つについて話しました。
すべて、話し手の方の言葉に、聞き手である私の考え方や思いを乗せてしまう聞き方です。

世間の関係では、ことを早く進めるために、聞きながら想像力を働かせて、「一を聞いて十を知る」ことが美徳とされます。
しかし、話し手の思っている「十」と本当に一致しているでしょうか?
むしろ「十」聞いても「一」も受け止められていないんじゃないでしょうか。

だから、話されることに足さず引かず、想像したり先走りして引っ張り出したりすることのない聞き方。
これは簡単なようでとても難しいですね。

このことだけでまたいろいろ書けそうですが、今回は記録として、この辺までにしておきます。


京都支部学習会 1月

2010-01-24 23:31:08 | 「聞き方・伝え方」学習会
土曜日は京都支部の学習会でした。

広島から、石川から、愛知から…参加したいという気持ちを持ってきてくださいます。
とてもうれしいことです。
あと、京都大阪の方々を加えて総勢14名。
ちょっと一人で気を配るには多い人数ですが、何人かの任せて安心できる方々も参加してくださっていたので、無理に気負うことなく。

最初に2分間の黙想。
この黙想が終わって分かち合いをしているときに一人、また一人と少し遅れてこられる方がおられます。
まったく気にならないといえば嘘になりますが、そういう方が居られてもゆったりとお迎えして、今の状況を説明しどうして欲しいかをお話できる自分を感じていました。

まったく初めてカウンセリング的な集まりに参加する方も居られましたので、この学習会の趣旨を少し話させていただきます。
これが私にとって新鮮で、初めて半年たったところでもう一度初心を振り返るいい時間になりました。
これがまた、私をすぅーっと静かに収める効果がありましたね。

こうして初顔の方と、常連の方が居られると「双方に喜んで欲しい」という欲がむくむくと湧き出すのですが、「事情で途中で帰らなくてはなりません」という方が居られたので気持ちはすっきりと、最初に「実践」しましょう、と落ち着きました。

人数組みが難しかったのですが、3人組が三つとペアが二つ。
私は外れて全体を見せてもらうことにしました。
まったくミニカンが初めてというお二人を3人組に入れることにして、あとは座った順に番号を振ってもらって同じ番号の人と組むという方法。
これがまた図ったように各組に任せておける経験者が。

「どういう役割があるか・時間は・聞き手の注意すること」をお話して、あと場面設定のルール「10分間は○○さんの時間・自由にお話ください・秘密は守ります」という宣言とその意味を説明します。


で、各組で「聞き手」「話し手」「傍観者(観察者)」の役を決めてもらいスタート。
私はちょっと足の怪我もあったので壁際のいすに座ってあちこちを見せてもらいます。
すると、最初に「聞き手」になっている方がどの組も安心して任せられる方々。
その聞きぶりも、対する話し手の楽な感じも、チェックすることなんか何もない感じ。
そんな状況にひとりホッとしてる私でした。

その間にちょっと自分の気持ちを見つめていました。
いつもは役割を「観察者」としているのですが、なぜか今日は「傍観者」という言葉が出てきました。
参加者から指摘があり「観察者では?」とも言われたのですが、なぜか「今日はこの言葉が使いたい気持ちがあります」と答えています。
それがなぜなのか?
ちょっと考えてみたときに浮かんできたのが「傍観」というのを、一般的に使われている「一歩ひいて当事者から離れている」という消極的な感じではなく、その字が表す「傍らで観ている」という感じで「そばで寄り添っている」というイメージを私が抱いていたんだなと。

まぁこれは余談ですが。

ひととおり役割を交代して終えた後、分かち合いです。
今回はちょっとテーマを提示しました。
ひとつは「うなづけていたと思うか」
もうひとつは「話し手の時聞いてもらってるという感じがあったか」
これは毎回参加している経験者向けの課題かなとも思ったんですが、尋ねてみたい気持ちに任せて。
その奥には、全体を見せてもらってるときに、ずいぶんみなさん上手にうなづいて聴いておられるなと感じたことがあります。

まだ前半ですが、一度この辺でアップして、続きは次の機会に。

京都支部学習会 12月

2009-12-22 04:40:35 | 「聞き方・伝え方」学習会
日曜日は京都支部の学習会。
今月は遠方からの参加者は居られなかったが、大阪から学習会は初参加の方が。
別の場所でいろいろとお悩みを打ち明けておられたのだが、意を決して寒い中バイクで参加してくださった。

毎回参加のレギュラー組が6名、プラス大阪からお一人の計7名と少なめではあったが、逆に十分目が届く感じ。
最初に黙想の後、今の感じをたずねる。
このやり方にも慣れてこられ、それぞれが自分の身体感覚や湧き出る感じを言葉にしてくださる。
また逆に集中できないのならばそれを正直に表明してくださる。
「いま・ここ・わたし」を「そのままありのまま」ということが染み渡っていく感じがして、まったくの手探りからスタートした私自身が引っ張ってもらえる感じがする。

ちょっとしたワークも用意してみたが、その持ち出し方に失敗し「テストじゃないですけど、自分の今の聞き方を見つめてみるワークをするか、いつも通り実践してみるか…」と言う言葉に、「まだテストは怖い」という気持ちを起こさせてしまった。
ということで、ペア二組と3人組がひとつの三つに分かれて「聞き手・話し手」の実践。
私はフリーにしておいてもらい、実践中に順番にお邪魔して観察役。

今までは、人数を合わせるためにどこかに入ってましたが、慣れた人がいない組にはとても不親切だったろうなと思い、今回は自由に動き、その代わり感じたことを後の分かち合いで話させていただく形に。

型にはまった聞き方というのはやはり難しいんでしょうが、それでも少しずつ意識して「聞き方」が上手になられています。
なので、もう一度基本の聞き方「うなづき」「つぶやき」などを確認し、なぜそうするかの意味を少しお話しました。
これも、実践した上で皆さんが「こういう場合は」「こういう気持ちのときは」などと積極的にたずねてくださるので、それにお答えする形で。

言葉は違いますが「相手の尊重」ということを今回はお話できたと思います。

そのあと、一人「話し手」をお願いして、私が「聞き手」になって実践の見本を。
ちょうど「放す」のが良いんじゃないかと思っていた方に、話してもらいました。

問題・課題を持っておられ、そのことを話されるのですが、私は具体的な内容はそれとして聞きながら、問題に対する「気持ち」を返すことに徹します。
私が問題の中身を解決したり、指針を与えたりすることは一切ないですから、その方の持っておられる問題は解決していないでしょう。
しかし、「話が出来た」ことで楽になられ、問題との向き合い方・距離感に変化が起こったようでした。

このことはちょうどいろんなご縁で「真宗カウンセリングって?」ということを問いかけられていた私にとってのひとつの確認にもなります。

宗教的な、あるいは生活的な「問題解決」を促すものではなく、やはり「育ちあう」というところだと思います。
宗教的に悩んでいるから「真宗カウンセリング」ということではなく、問題解決はその方の”歩み”であり、こちらは寄り添うこと。
それが相手の方の「尊重」ですね。

この辺は、またあらためて言葉にして行きたいと思います。

来年はいろんな行事の関係で、土曜日に行うことが増えそうです。
とりあえず、1月は23日の土曜日です。


今日は夜に真宗カウンセリング研究会の先生と、来年の予定や案内パンフの打ち合わせをしました。
おかげで、いろんな流れ、動きに関わらせてもらえそうです。

出していくもの・入ってくるもの…
とても面白いですね。

京都支部学習会 11月

2009-11-08 00:37:02 | 「聞き方・伝え方」学習会

今月は他の予定の関係もあり、土曜日の開催です。
ちょっと参加者が減りましたが、今回は遠く広島から参加の方がお二人。
ありがたいことです。

いつものように2分間の黙想。
今回はここに少しテーマを付けてみようと思いました。
ひとつは「身体の感じ」、もうひとつは「心の感じ」
それを黙想の後分かち合っていく時間に、「今日参加しようと思った気持ち」の3つをそれぞれ話してください、と。

これは私自身が最近参加したワークで、自然とこういう流れで「今の感じ」をキャッチしてるなと意識したからです。
いろいろ話したい事が渦巻いたりしますが、身体から入って心の感じに意識を流していくと、すぅっと「心の感じ」に入りやすいんです。
逆に、こういう流れをしないと「心の感じ」を味わっている途中に「身体の感覚」が襲ってきて、どちらとも着かないザワザワした感じになりますね。

そういうことがあるんで、ちょっと試してみました。

一通り、自己紹介と今の感じの表明をしていただいた後、今日の学習会に対しての希望や、今気になっていることを出していただきました。
必ずしもそれぞれの思い全部に沿っていくことはできないんですが、一旦出していただくことで、その思いは確実にわたしの中に入ってきます。
意識・無意識いろいろありますが、何も聞いていない時点の私とは違うので、このステップも大事だと思ってます。
(時にはいろんなかたの思いを背負いすぎるときもありますが)

そのあと、ミニカンの実践。
広島からの参加者も、別の場所でカウンセリングの実践をされているのを知っているので、ここはスムーズに入ります。
人数的に組み分けで迷ったんですが、今回は4人組を二つ。
私と、もう一人ミニカン実践経験豊富な方がそれぞれの組に入って、気がついたことを伝えていく事があると、より学習会として機能するかなと言う思いもあります。
なので、いつもの3人組にもう一人加わった形。
役割は「聞き手・話し手・観察者・サポーター」としました。

あとで、「観察者を見るもうひとつの視点があって、今までと違う感じがした」と言っていただけたので、こういう方法もいいなと。

休憩を挟んで、実践の分かち合いですが、今回はちょっと新しい方法を取り入れてみました。
新しい方法といっても、この学習会では初めてってだけなんですが。
以前「円座禅」のワークに参加させていただいたときに体験した「シャベラーくん」を使って分かち合いをしようと。

ミニカン実践で「話し手を大事にする」ということをみんなで学んでいます。
なので、グループでも「話し手」の時間はじっくりその方の時間を尊重していこうと思い、そのことが良くわかるように「シャベラーくん」を使います。
「話し手」が自分のペースで話し終えるまで、「シャベラーくん」を手にしていますから、回りの方は「聞き手」意識を持ちます。

みなさんいい感じで意識してくださったんじゃないでしょうか。
あとから「シャベラーくん」を使って話された方に「話し終えてどんな感じですか」と尋ねて見ましたが、「最後まで自分の時間にできてよかった」と言う声をいただきました。

この方法だけに固執するつもりはありませんが、この方法とフリートークと、参加者や場面によって取り入れていけるという感じがしましたね。


細かい内容は書きませんが、「聞き方の学習」というところから今の自分を見つめて、そこからフッとお仏壇に視線が行って「ほとけさま」を味わう方も居られました。
また、そういう方の姿から、突然出てきた「ほとけさま」というキーワードに身構えてしまう方も居られました。

それぞれが、そういうことを言葉にして表明してくださった事が、私にはうれしく、尊いなと感じましたね。

そこからどう展開するかはいろいろですが、まずは「いま・ここ」のところを捕らえて言葉にしてみる…これって、すごく大きなステップですから。


あと、個人的な思いですが、円座禅にしろ、真宗カウンセリングワークショップにしろ、私が身を持って参加して経験してきた事が血肉となって、全然別の場面でもにじみ出てくる感じ…経験が活きているし、私の中に”在る”ってことを感じます。

来月は12月20日(日)
また案内が出来上がったらアップしてリンクします。


京都支部学習会 10月

2009-10-18 23:47:31 | 「聞き方・伝え方」学習会

 

学習会と銘打って始めての第2回。
前回は9月の初めでしたからちょっと間があいた間隔です。

今回は10名の参加、遠く福井から参加してくださった方も居られました。

前回のことをブログにしたものを読み返してみましたが、その後のいろんなワークや法座、出会いを通じて、私の中にもいろいろ変化が起こっているようです。
そういうことを場に打ち出してみて、またそのことからフィードバックしてくることを私の中に取り込んでいく…こういう風に動いてみてこそですね。

今回もお礼のあと2分間の黙想。
自己紹介を兼ねて、「今の感じ」を。
でもあまりこだわらず、「今、言葉にしたい日ごろの想い」もOKということで。
一見同じことのようですが、「今」ということにこだわるといろいろ意識されることもありますので、今回は「ゆるやかに」を私の中のひとつのテーマとして、提案の仕方を工夫してみます。

「聞き手・話し手」に別れての実践の前に、少し「聞く」についての味わいを話させていただきました。
ちょうど先日読んだ新聞の話題を切り抜いており、それを読ませていただきます。
ある方が「傾聴ボランティア」をされて感じておられることの話題です。
相手の方の言葉に、励ましや叱咤をするのではなく、ただただその言葉を受け止めていく…
すごく具体的な話題として、これからの実践に関わる話になったと思います。
(ネット上に話題が載っていれば紹介できるのですが)

そのあと先月と同じように3人組になってミニカウンセリングの実践。
1セッション10分を提示しましたが、「長い気がする」のご指摘で5分に。
そしてじっくりと分かち合いに時間をとりました。
(ここが先月の反省ですね)

何人かの方が体験的なところで話をしてくださったのと、逆に具体的な疑問を話してくださったので、そこにお応えさせてもらうことで、この集まりに対する私の気持ちが明確になってきました。

そこでは二つの事を話していました。

ひとつは、実践は1対1だけれど、そういう場面をうまくこなすのがゴールじゃなくて、法座での多くの人との関わりの中で、その時点の「話し手」の方を大事にすることを学んでいきましょうということ。
この学習会のきっかけは「グループ(支部)でもうちょっと上手く分かり合えたら」という思いから始まったものがあります。
そのために、その時点の「話し手」の方を大事にしてあげられれば。
まずは”形”からになっちゃいますが、そこを意識する事が出来れば、「同じ考えじゃない人」も「初めて会った人」も、大事に話を聞くことから始める事が出来ます。

また一番曲者なのが「ほとんど同じ考え」の人との関わり。
心境が近いと「わかるわかる」となって、自分の思いとその人の思いを混同させます。
大まかには同じかもしれませんが、決して同じと言うことはありません。
でも、その少しの違いを誤魔化しにかかってしまうと、本当のその人の気持ちとはかけ離れていきます。
だから、自分の思い…「そうそう」も「違う違う」も横において、まずはその方の言いたいこと・思っておられることを”そのまま”聞かせてもらう。
このことを知っておくのは大事なことだと思っています。

もうひとつは「真宗カウンセリング」に関しての思い。
進行上、どうしても「カウンセリング」の言葉を使いますので、逆に「今生事」「後生事」をわけて考えなければと思ってしまう方が居られます。
かくいう私がずっとそうでしたから。

そこでカウンセリングの基本は「Person-Centered Approach」であり、そこにいる”人”を大事にしていくこと。
それが、法座での関わりであれば、放っておいてもお互いが「仏願」に照らされた同士の関わりになる…今生事の話をしていても、そこにほとけさまに照らされた私が語る今生事ですから。
だから「Dharma-based Person-centered Approach」(仏法を根底にした人間尊重のアプローチ)という「真宗カウンセリング」を先生方が立ち上げてくださり、あたりまえのように法座で仏法の話を”関わりながら”すすめているんですね。
無理やり、「カウンセリングの勉強は仏法の話をしたら駄目」なんて決めることは無いですし、勝手に「仏法に触れている私」が出てきますしね。

私自身がこのことを言葉に出来たことで、この集まりを継続していくエネルギーがあふれてきましたし、どういう形であれやっていけるなという芯が生まれてきました。

参加の皆様に感謝です。

来月は11月7日土曜日に行います。

京都支部学習会11月の案内

 

 

 


京都支部学習会 9月 ~ 前途多難…多分に私の問題

2009-09-06 23:31:26 | 「聞き方・伝え方」学習会
第1回の学習会が終わりました。
ご参加のみなさま(予想以上の12名)ありがとうございました。

結果のところからいうと、この継続は難しいな…というもの。
いや、継続していくのが無理ってことじゃなく、簡単にはいかないだろうなってこと。
翻せば、次回からはよーく考えて進めようと。

そういうことを体感したのが、今回やってみて一番の収穫ですね。

おそらく、私がやろうとしている中身は変わらないものですね。
「聞き方・伝え方」を意識して、実践を通じて気付いてもらいたいってこと。
あとは、持って行き方。

事前に打ち合わせをしている世話役の方々とは、ここの基本…このことを学習していこうと言う意思の所はすりあわせ済みですから問題なし。
逆に、そういう方に合わせて私の中のベクトルが出来上がっています。

しかし、実際に参加された顔ぶれは多彩。
そこをどう工夫して、ひとりひとりを大切にしていくかがわたしの課題になりますね。
まぁ、そこのところでの腹は決まってますから、私の芯だけブレなければOKです。

その芯のひとつは「私が上手く出来なくても、ここにいる人たちの成長力を信じる」ということ。
数年前なら全部私がひっかぶって、「なんとかしなくちゃ」ってなるところです。

そこで、表の部分で大事にしたのは「ゆっくりと」ということ。
時間の制限はあるけど、ここは意識して。

まぁ、かなりエネルギーを消費しましたね。
(ということは、まだ無理してるところがあるんですね)



そんなことを意識の留めながら進めて行きました。

まずはお仏壇にお礼の後、2分間の黙想をします。
(これを黙祷と言ってしまい、後で指摘されちゃいました 笑)

今の気持ちをまじえて皆さんの自己紹介。

ついで趣旨説明。
初めてお目にかかる方も居られますし、前回の支部法座はお休みされた方もおられます。
上手く通じるかどうかは置いておいて、ここはわたしの思いを出させていただきます。

今まではここで(できるだけわかって欲しいから)多くを話しすぎるのですが、今回は簡潔に。
伝わらないところはあとで聞いてもらおうと言うことで。

次に、「聞き方・伝え方」をテーマにすることだけをルールにして、あとは参加の皆さんの「何がしたい、してほしい」をじっくりと聞かせていただきます。
おそらくこちらから「これこれをしていきましょう」と講義して実践を勧めていくほうがみなさん楽かもしれません。
しかし、今回はあえて、私のほうからは出していかないと言うスタンスで。

ここにじっくり時間をとってよかったと思います。
こういう時間の経験者の方はそれなりに、初めての方は不安や手探りなところを、多くの方が思いを出してくださいました。
それを板書にまとめながら、私はできるだけ(提案に応えたいのを押さえながら)受け止めていくことに徹します。
「どんな思いでも出してもらっていいですよ」という空気を少しは受け止めてもらったんじゃないでしょうか。

もっと時間があれば、ここででてきたものをじっくり参加者で分かち合いながら進めることもできたと思います。
(以前参加したフィールドワークで経験したやり方ですね)
今回は、そのあたりはわたしが受け止めて進め方を任せてもらうと言う方向で。

一旦休憩をいれて、まずは「聞き方・伝え方」を実践的にやっていこうと言うことで、「聞き手・話し手・観察者」の三人組をつくって、まずは役割だけ決めて自由に(時間だけは厳守)時間を使ってもらいました。
そのあとで、感じたことなどを皆さんに出していただき、それを板書していきます。
ちょっと後の時間も気にしながらですが、できるだけゆっくりと。
みなさん、いろいろ話してくださり、黒板も一杯になるくらいです。

「講義的なものもしてほしい」ということを事前に聞いていましたので、ここで皆さんの言葉を使って、「聞き方」のことを少し話しさせてもらいます。
先に講義していたら、おそらく「私の言葉」で進めますから、それぞれの気付きではなく「教えられたもの」になりがちでしょう。
ですから、こういう形を取りました。
時間はかなりかかってしまいますが。

そして、もう一度三人組で実践。
ここの分かち合いに時間が取れればもっと良かったんでしょうが…

これが失敗だったと思うんですが、「出来るだけ多くの方の希望を取り入れる」というスケベ心が、終盤駆け足にしてしまった事が反省点ですね。

最後に30分だけ座談の時間を取りました。
初めて京都支部の集まりに来られた方も居られますし、学習会からはなれたところでお話を聞きたいということもありましたから。
結果としては、ほんの30分でも座談の意義はあったと思います。

逆に、「聞き方・伝え方」として最低限こういうことは話せればな、と思っていたことの多くが積み残しのままです。
継続して学習していこうという主旨ですから、ここは欲張らずにいけばいいんでしょうが。


と、文章にしてみて、今日のレポートとしてはかなり伝わりにくいものになりましたね。
まぁ、私自身の振り返りと言うことで、ご容赦願います。

次回、どういう顔ぶれになるかで、今日のことが問われてくるかもしれませんね。
どういう形になっても、その時のことでやっていけるということだけは、わたしの中でスッキリと見えています。


つくづく、「法座」とか「カウンセリングのワーク」だとか、参加する方の意識がハッキリしている集まりは楽だなと…(自分の未熟をさしおいてなにいってんだか…苦笑)