コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

真カ研月例会 6月

2007-06-25 23:34:37 | 真宗カウンセリング

もう先週のことになりましたが、水曜日は月例会でした。
以前からご縁のある方で月例会には初めて参加された方がおひとり(私は初対面だと思います)あと、先日のワールドワークに参加された方おふたり、こちらも月例会には初参加。他にも久しぶりの方がおひとり(この方もワールドワーク参加組)すごくにぎやかな月例会になりましたね。

私の中では、ここしばらく続く流れの中にこの月例会もあり、論文と言うテキストを元にしながら、流れの中で動いている”今”の自分のところで話し合いに参加していましたね。

ただ、その後も考えないといけないことや、気持ちを動かすことがいっぱいあったために、肝心のこの日のことがあまり頭に残ってません。楽しかったことだけは覚えてます。

「かりもん」氏のブログに話題にされていますので、中身はそちらをご覧ください(怠慢だ!)


春期研修会 7回目

2007-06-22 02:05:20 | ミニカウンセリング

火曜日はミニカン

先週末のワールドワーク、蒲郡まで出かけての法座、その前後の移動時間にMさんとずっと話したことや、蒲郡で仲間と話し合ったことなど、この数日にかなり”放し”した感じがあります。同時に吸収もしてますか。かなりエネルギーを感じた濃い日々を受けてのミニカンです。

この日の逐語録は、私が起こしたもの。クライアントはMさんでした。そのときの感じは「逐語録作成」にて書いたとおりです。そこに書き記した「沈黙では在ったが、表情や息遣いなどを感じていた」ことも発表に添えることが出来ました。
で、私のカウンセラーとしての態度を参加者に聞かせてもらうのですが、一部のレスに余計な箇所があったことを指摘されました。少し前に返していることを、違う部分にもう一度くっつけて返していたんですね。その違和感を表明した人が居り、先生もその箇所を指摘されました。言われてあらためて振り返ると、少し「動かしてみよう」という意思があったやもしれません。こういう指摘を受けだしていくところに、私の次のステップが在るのかもしれませんね。謙虚に受け止めさせてもらいます。クライエントさんは私とペアになってすることを楽しみにされていたことをあらためて聞かせていただき、ちょっと照れる感じもありますが、とてもうれしいですね。

後半の実践はTさんと。なんか、この日に組むべくして組んだ感じです。(ある意味Tさんと組むのは避けていて、一番最後になったんですが…笑)最初はTさんの話を私が聞く役です。この日の出来事をいくつか並べられたのですが、朝一番におおきな出来事があり、そこから気付かされることと、同時にそんな大きな感情の揺れがあっても他の問題が起こるとそのことを忘れていく”自性”の話。この場ではカウンセリングの研修ということで、そう意識した聞き方をしましたが、Tさんとの関係もあるので別の機会にじっくり聞かせてもらいたいと思ってます。交代して私が話する番ですが、最初は今聞いたTさんの話に気持ちが引きずられていること。あとはここ数日の出来事で私がどういう境地にいるかを話しました。最初に書いたようにすでにいろんな方と話していることではありますが、あらためて整理できた感じがあります。Tさんに絶対的な信頼が置けることと、上手に聞いてくださることで、よりいっそう楽に見つめることが出来ましたから。


ワールドワーク その2

2007-06-19 01:51:45 | コミュニケーションワーク

昼食をはさみ、午後の部です。

最初に午前に決定したトピックを出されたAさん詳しくお話を聞かせていただきます。そしてそのことについて質問や感想などエンカウンター的に話し合っていく途中のある言葉に先生が反応され「そこを大事にして見ましょう」ということで、ロールプレイをすることになりました。意見を主張するAさん、その対極にAさんが問題とされる対象の人役Bさんが座ります。そしてAさんと思いを同じくする人二人がAさんの横に、Bさんの横にも二人。この時点で6人の方が前に座って、再度Aさんの主張を聞きます。回りの参加者も自由に中に入れますし、Bさん側の方がAさんがわに行くのも自由、逆もあり。最初の参加者が外に出るのも自由。場合によっては退室するのも自由。そういうことを説明していただき、スタートです。私は当然(笑)どうすればいいかわからないので、外の輪で座っています。

内容のことは書きませんので、流れがわかりにくくなるかもしれませんがご了承ください。
じつは、エンカウンター的に話している時点で、Aさんに対して言いたいことを持っていました。そのことを抱えきれなくなったとき、私はAさんの正面側に座りにいっていました。ここまでは意識的に動いています。
”場”はAさん側とBさん側という対極構図にとどまらず、石庭の石の様にあちこちに要素があり、それぞれのところに波紋が広がり、ある波紋は交じり合い、ある波紋は反発しあい…そういう状況だったように思います。思いますというのは、私は客観しできる状態に無く、石の視線で波紋の中に入り込んでしまっていましたから。
流れの中で、私は遠くの方で分かり合っている人の声を聞いています。私もそこにいって一緒に輪に入りたい…違うところには、わかって欲しいと手を伸ばしている景色も見えます。その時「動けない私」がいました。輪に入りにいけばいいのに、手を伸ばせば良いのに、伸ばされた手をとりに行けば良いのに…その「動けない」ということを口にしていたようにも思います。口にしようとして出来なかったかもしれません(この辺、あやふやです)
次に気がついたときは、ある方が後ろから背中に手を置いてくださっていました。その温かさを覚えてます。何時しか、その手は肩に置かれていました。その手に自分の手を合わせばいい…頭はそう思っているのですが、自分の手は自分の腕を抱えるだけで他には動けません。どれだけの時間がかかったでしょうか、何がきっかけかわかりませんが、肩に置かれた手を握りいっていました。
私の悪い癖で、後で分析してしまうのですが…もしこの手が正面から来ていたら私が後ろに向いていたと思います。この手が握り返すことを強要してきたら振り払ったと思います。
「ある関係に置いて、自分からは動きたくない。でもつながりたい。なのに、つながれ言われると素直にしたがえない。まことに勝手な話だが、時がくるまで待って欲しい…」
いやはや、なんとも…もう参りました。こんなにはっきり現れてくるとは。でも、スッキリしました。

このあと、一度場から離れ、外の輪に戻りました。Aさんをめぐる動きはまだ続いています。新たな登場人物も現れ、問題の収束点にむかっていっているようです。「行き着くところまでハッキリさせた方がいい」という声もあります。それに対し、「待って欲しい」という私が反応していました。それはAさんの側でもあり、Bさんの側でもある私の思いです。その時点でのAさんとBさんの間に座っていました。後から考えるとAさん側で「待って欲しい」その後Bさん側に移ってもう一度「待って欲しい」という動きの方が正確だったかもしれません。(そういう風に双方に動いている方も居られましたから)

かなり、意識化出来ていなかった、あるいはしていても隠していた部分を刺激されましたね。
こういう自分の内部で起こったことだけ書きましたが、ワークを通して教えてもらったこともたくさんあります。
私の中で起こっていることはグループでも起こる。グループで起こることは社会でも起こる。社会で起こることは世界でも起こる。世界で起こることは、社会で起こる。社会で起こることはグループで起こる。グループで起こることは私の中で起こる。今回は目の前のグループと私との関係だけでしたが、そのことを知るには充分でした。
もうひとつ、起こることには意味がある。そこにいる人には意味がある。動いている人だけじゃない、傍観者にも意味があり、受け入れられない・反発する人にも意味がある。言葉だけじゃなく、本当にそう思わせてもらえるのは桐山先生の指導の下に目の前で起こっていることがしっかり説明してもらえたからですね。

「ここにいてくださってありがとう」ちょっとしたところで放たれた言葉でしたが、私に深く染みていました。

一緒にいてくださった皆様、ありがとうございました。

今の時点で、この日のことをブログなどに書かれているところをリンクしておきます。
「かりもん」氏のブログ
「とのひろ」氏のブログ


ワールドワーク

2007-06-19 00:54:01 | コミュニケーションワーク
土曜日に真宗カウンセリング研究会に桐山先生をお招きしての「ワールドワーク」がありました。(「かりもん」氏のブログに案内状の一文が掲載されています )

実は、私はお金を払ってワークに参加するのは初めてです。法座の一部で、経験者が取り入れたワークに参加したことがあるのと、あとは人づてに様子を聞いたくらいです。まさに身を持って体験した初めてのワーク…一言で言うと、「意識下にある自分と意識を離れた自分」を体感したものでした。

最初、先生によるワールドワークの紹介の後、簡単に自己紹介。次に頭の先から順番に身体の感覚を味わいそれを意識していく作業を行いました。私は途中で左手にしびれている感じを覚え、あとはずっとそこに気持ちが行き他の部分を尋ねていけなくなりました。「その部分に空間を与えて自由に動かしてあげてください」という指導を受けるのですが、「自由にしてあげる」というのがよく分からない。「先生のいうとおりにする」事が大事だとは思うのですが、「自分のしたいようにしてみよう」という選択をし、右手で左手をさすっていきました。すると、それまでは左手の痺れを意識してたものが、「左手が感じる右手の温かさ」に気持ちがシフトしていきます。その感覚を覚えて以降、「右手で左手をさする」という行動が、「身体感覚を意識するスイッチ」になっている気がします。

そのあと、ペアを組んで今自分に起こっていることを分かち合ったのですが、上に書いたようなことを話していたと思います。

次に、午後のワークで最初の入り口にする話題(トピック)を決めるために、皆で自由にトピックを出し合いましょうという指示をいただきました。「こういうときの身の振り方」に不安があるのと自信が無いこととで当初は傍観者になっている私です。最初に人間関係の問題が出され、いくつかそれに続く感じがあったので「やはり人間関係や真理的なものが中心か」と考え出していた頃、社会問題や非常に個人的な問題など多岐にわたるトピックが出だします。「カウンセリングだから人間関係問題」という感じで固定概念に捉われてしまう、枠を作ってしまう私自身が浮き彫りにされましたね。一方、そういう自分に気づいたことで少し自由な感覚が生まれだし、私も率直に思って言ることを出して見ました。「好きなことだけに自分の時間を使いたい」翻せば、自分の思い通りに時間を使えてない不自由さを感じていることが私の中にあったんですね。「わたしもそう思う」と近くの方がつぶやかれたことで、ちょっと安心していました。そうですね、率直に出しているつもりでも、回りの評価を気にしているんですね。まったく…って感じです(苦笑)

多くのトピックを丁寧に反応を聞きながら、メインのトピックに絞っていきます(この丁寧なプロセスにも感心しました)そして、ひとつのトピックを傘に、他のトピックをその下に自由に取り入れて午後のワークにしましょうということで、午前の部が終わりました。
(長くなるので一旦アップしましょう。このまま続きを書くかもしれませんし、時間を置いてから書くかもしれません)

春期研修会 6回目

2007-06-13 23:36:13 | ミニカウンセリング
早くも折り返しです。
最近はこのブログへの書きこみも遅れがちですが、こんかいはちょっとがんばって早めの更新を。

逐語録検討はSさんがクライエントで初参加のHさんがカウンセラー。
ミニカンは始めてということですが、意識されていたとはいえうなづきもレスも頑張って入れておられます。これは私も経験あるのですが、頑張ってレスをつけようとすると言葉の区切り区切りに「オウム返し」をしていきます。逐語になるとよく分かるのですが、出来事の方が返しやすいですし、話題についていく手助けにもなりますから「オウム返し」が多くなります。しかし、「クライエント中心」と考えると、時には逆効果を招くことがあります。Hさんの聞き方は、つい先日までの私の姿そのもの。その違いがわかるくらいには勉強させてもらいましたし、僅かですが成長もさせてもらってるかな。もっとも、道は長く、まだやっと歩みだしただけですが。とても世間の前で「カウンセラーです」といえるレベルでは有りませんしね。

後半の実践はM先生とペアを組みました。なんか満を持して、この日組むべくして組んだって感じがあります。
最初は先生がクライエントで私がカウンセラー。話題の内容は書きませんが、カウンセリング研修だけでなく、仏法の上でも師と仰ぐ先生の”生身”の話に、聞きながらも心が動いていきます。そういう”生身”の先生が、大きな大きな法を伝えてくださる。生身のところでは虚しさを感じながらも、大きな大きな働きをしてくださる。先生自身のことも大切だし、その先生を動かす大きな大きな願いにも思いが流れていきます。振り返りのときに、そのことも「聞いた今の感じ」として返させていただきました。
交代して、私がクライエントとして話をしだしたのですが、最初は先週末の支部長研修会で思わず飛び出した気持ちによって、しばらく取り付かれていたもやもやがなくなり、鏡面の水のように落ち着いている感覚を話しました。話しているうちに、もやもやがまったくないわけじゃないけど、今はそれが問題にならないという風により感覚が深まってきた感じです。しかし、そのことを一通り話し終えて落ち着いたときに、さっき先生の話を聞いたときの「少しショックだった」という気持ちが見え出しました。ある意味、自分の話題じゃなく聞いたことに対する感想にもなりかねなかったのですが、”そのとき”に感じていることとすれば間違いなく”今”の私の思いだと、口を開いて見ました。
実践時間が終わり、カウンセラーの振り返りの時間になったのですが、最初は丁寧に前半私が話したことを整理してくださり、その上で後半の話に触れてくださいました。

お互いが振り返ることで、それぞれに抱いている「包まれている」感じを共有し、認め合い、還ることが出来ました。法の話をやり取りするのでもなく、相手に説くのでもなく、一方的に聞くのでもなく…それぞれが自身の思いを語ることで深め合っていく…すごく貴重な時間でしたね。

真宗カウンセリング研究会…今回のこのために用意されていたと確信を持っています。

春期研修会 5回目

2007-06-12 15:47:49 | ミニカウンセリング
今期の研修会は参加者が少し少ない目なので、全員が逐語録を作成しても全部の会の分がありません。そこで、今回は逐語録検討はなく、前半に実践。後半はいままで研修してきて疑問に思ったことなどを話し合うなど自由にして見ましょうということになりました。

前半の実践はYさんとペア。
先にカウンセラー役をしたのですが、「○○でうれしかったことを話します」と最初の方でおっしゃったので、そのつもりで聞いています。すると前半の事柄の話のときに「ここがうれしさにつながるのかな」というような”意識”した聞き方をしていたことに後で気づきました。その一瞬一瞬の話に流れているものではない。
よく、クライエントの辛い話のときなど、その辛い出来事に引きずられてしまう聞き方をすることがありますが、こういう具合に「うれしい」ということでも先にその感情を頭に刷り込んで、その枠で聞いてしまう…面白い経験でしたね。

交代して私がクライエント役ですが、最近の家庭での愚痴を話していました。それまでの数日の間もいろいろそのことについて思いをはせていましたし。自分なりに自分の感情を見つめたりはしていましたが、こうして聞いてもらうことで、「言葉にする」-「並べて見る」-「整理する」-「見えてくる」という作業が出来上がっていきます。明確になってくる。それでスッキリするとか解決するとかじゃないけれど、問題にしていることが明確化されるというのは、後になれば大きなステップだったってことになる部分だと思います。

後半は結局エンカウンターのような形になりました。ある方の提案をめぐって、それをするしないだけじゃなく、「どうしてやろうと思ったの」かとか、「あなたのことをこう思ってました」などと、話が展開していきます。

いつもエンカウンターの研修会のときは、最初からそのつもりで参加しているから気づかないんですが、今回ミニカンの研修会の中でエンカウンター的な動きがあったときに、1対1で「育ち合う」ミニカンの感覚と、グループで「響き合う」感覚との違いを味わえました。似ているようで違う深まり方があるんだなと。

マニュアルどおり知識を高める研修じゃなく、実践で感じていく基調な場ですね。私にはうれしいことです。

春期研修会 4回目

2007-06-03 03:42:12 | ミニカウンセリング
先週29日の研修会はIさんがカウンセラーでTさんがクライエントの逐語録検討から。ひとつの話題を話したところで”つっかえ”がとれたか、後半はかなりの勢いで話をされたTさん。終始話についていったカウンセラーさんとの間に”関係”が生まれたからだろう。レスが少しずれたところもあったかもしれないが、その確認を通じてクライエントさんが「そうじゃなくてこうかな」と深めることも出来たかも。先生のアドバイス「クライエントさんが勢いで話されているときは、レスをせず流れに任せるのも良いですよ」というのが収穫。私自身、なんとかレスを入れようとする意識がありますから。

後半の実践はHさんとペア。今回の研修会から参加された方ですが、西光先生の本を購入して勉強もされているようです。最初は私がカウンセラー役。安心できて気分のいい集まりと、上手くかみ合わなくしんどい集まりとの話をされました。これが、いっぱい話したいことがあるようで話に勢いがある。何度か繰り返される主題と思われるところがあるのですが、まとめのレスはせずにできるだけうなづきだけで。先ほどの先生のアドバイスを早速実践して見ました。本当のカウンセリングではなく、研修会ですからいろいろ試すことができます。結果は「流れる水のように聞いてもらえて、話しやすかった」と言っていただきました。まずはクライエントが障りなく話しきれることが大事ですね。こちらで無理にまとめて、気づいてもらおうと頑張ることは不要かも…ですね。
ついで私がクライエント役になって話しさせていただきました。近所での問題について話したのですが、話の状況よりもそのことに対する私の気持ちを話するうちに、”相手への復讐手段”を考えてしまう”私”が浮き彫りにされてきます。損自分が「アホな奴やなぁ」と見えたときに、フッと力が抜けました。「アホな奴」と見ることができる自分を通じて、仏法の力を感じたのと、それに気づけたり話したりできるカウンセリングの力を感じたのです。
いつもなら研修会で仏法の話をするときはちょっと慎重になったり説明したりする傾向があるのですが(特に初めての方相手のときは)今回は気にせず話していましたね。それもうれしかったりします。

仕事が決算の追い込みで辛い時期だったのですが、いい気持ちで帰れました。

春期研修会 3回目

2007-06-03 03:41:26 | ミニカウンセリング
逐語録作成のことは書いたのですが、研修会のことをサボってました。

今回の研修会ではいろんな形を試して見ようということで、この回は先に実践をして後半に逐語録検討をしようということになりました。

ということで実践のペアはIさんと。その日は直前に逐語録のために15分話した後なので話題に困りました。しかし、その15分で一番気になっていたことを話できたので、ちょっと楽になった状態でその日にあった「子ども見守り隊」という地域活動に関する話題をしました。けっこうゆったり話できた感じと、共感してもらえた感じがありましたね。交代して私がカウンセラー。「特に話すこともないのですが」と淡々とマイペースで話されるIさん。ゆっくりかみ締めるような話し方を通じて、いい時間を共有できた感じが残ってます。

後半に逐語録検討ですが、そのIさんがクライエントでTさんがカウンセラー。Tさんの聞き方は流石だと思わされます。相手の気持ちをしっかりと押さえていかれる。一緒になって笑う場面に関して、「クライエントが笑っているときでも、その笑いの裏にあるものを冷静に聞いていくことも必要」という意見が検討時にでましたが、なるほどと頷かされました。一方で「その笑いでリラックスできました」というクライエントさんの言葉にもなるほどと…
どちらが正解とかじゃなく、いろんな立場やパターンを聞かせてもらえるからこその研修会ですね。

自分ひとりじゃ体験しきれない様々な”かかわり”を見せてもらえるのは、なによりの勉強だと思います。