順番は入れ替わりますが、先週の水曜日に真宗カウンセリング研究会の月例会がありました。
今回から新年度として(4月は総会)新しい論文の輪読がスタート。
この論文は数年前にされていたそうですが、メンバーも変わってきているし大事な部分なのでもう一度ということで。
「ロジャーズ選集」から「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」と言う論文を。
参加者は7名。
常連のうち数名が体調不良や他の予定で欠席。
今回は次回からのレジュメ担当の決定などをした後、まずこの論文を含む章の解説文を輪読。
つづいて論文の序文と、「問題」という章まで。
解説の部分では、この時代(論文がまとめられたころ)の研究者たちからの評価(主に批判)や、逆に表彰されたさいの表彰文を通じて、その位置づけを再確認。
専門的なことを深く追求し、「分かるものにだけ分かる世界」を求めていく人たちからは「軽い」という評価をされていたようだが、ロジャーズ氏が一つの「わかりやすい」結論を導くまでは、数多くの仮説とそれを実証する実践が費やされていることを軽視しすぎている。
事実、ロジャーズ氏が明らかにしてくださった「必要にして十分な条件」というのは、今に引き継がれてきて、さらにそれを根底において様々なアプローチにつながっている。
いま、私が様々な形で人と関わっていくことには、直接的に学んだり、あるいは人の姿を通して学んだりした「必要にして十分な条件」が大きく影響している。
もし、ロジャーズ氏がただのセラピストで、自分の前に訪れるクライエントだけを相手にして、そのセラピーに終始しただけならば、今の私は無かったかもしれない。
自らが達した「確信」の世界を、後に伝わる言葉にするためにさらに検証を続け、論文として記述することに努められた。
その決意的なものが、論文の序章に書かれている。
「理論のごく小さな断片を取り上げて、もっと完全にそれを記述し、そしてその意味と実用性を探求する」
おそらくセラピーの現場ではロジャーズ氏に内在している理論を、そのクライエントに合わせて断片的に応対することで、完璧に近いセラピーを実践されていたんだろう。
それを「完全に記述」することで、「意味と実用性」を後進のものにわかるようにしたのだ。
自らの悟りを、自己だけで完結させずすべての衆生に伝える決意をしたお釈迦様のように。
また、自らの信を何とか伝えようと言葉を尽くしてくださった先達のように。
今の私を作り上げている小さな断片には、様々なおかげが満ちているのを感じる。
仏法の三量のように、カウンセリングの学びとしても、自らの了解と、学術的・理論的な学びと、活きた実践の世界が補い合い、引っ張り合いして、わずかずつでも歩ませてもらっていることが、とてもうれしい。
早速、来月のレジュメ担当になったので、ロジャーズ氏の世界に触れていこうと思うし、それを発表して他のメンバーの話を聞いて深めるのがとても楽しみだ。
今回から新年度として(4月は総会)新しい論文の輪読がスタート。
この論文は数年前にされていたそうですが、メンバーも変わってきているし大事な部分なのでもう一度ということで。
「ロジャーズ選集」から「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」と言う論文を。
参加者は7名。
常連のうち数名が体調不良や他の予定で欠席。
今回は次回からのレジュメ担当の決定などをした後、まずこの論文を含む章の解説文を輪読。
つづいて論文の序文と、「問題」という章まで。
解説の部分では、この時代(論文がまとめられたころ)の研究者たちからの評価(主に批判)や、逆に表彰されたさいの表彰文を通じて、その位置づけを再確認。
専門的なことを深く追求し、「分かるものにだけ分かる世界」を求めていく人たちからは「軽い」という評価をされていたようだが、ロジャーズ氏が一つの「わかりやすい」結論を導くまでは、数多くの仮説とそれを実証する実践が費やされていることを軽視しすぎている。
事実、ロジャーズ氏が明らかにしてくださった「必要にして十分な条件」というのは、今に引き継がれてきて、さらにそれを根底において様々なアプローチにつながっている。
いま、私が様々な形で人と関わっていくことには、直接的に学んだり、あるいは人の姿を通して学んだりした「必要にして十分な条件」が大きく影響している。
もし、ロジャーズ氏がただのセラピストで、自分の前に訪れるクライエントだけを相手にして、そのセラピーに終始しただけならば、今の私は無かったかもしれない。
自らが達した「確信」の世界を、後に伝わる言葉にするためにさらに検証を続け、論文として記述することに努められた。
その決意的なものが、論文の序章に書かれている。
「理論のごく小さな断片を取り上げて、もっと完全にそれを記述し、そしてその意味と実用性を探求する」
おそらくセラピーの現場ではロジャーズ氏に内在している理論を、そのクライエントに合わせて断片的に応対することで、完璧に近いセラピーを実践されていたんだろう。
それを「完全に記述」することで、「意味と実用性」を後進のものにわかるようにしたのだ。
自らの悟りを、自己だけで完結させずすべての衆生に伝える決意をしたお釈迦様のように。
また、自らの信を何とか伝えようと言葉を尽くしてくださった先達のように。
今の私を作り上げている小さな断片には、様々なおかげが満ちているのを感じる。
仏法の三量のように、カウンセリングの学びとしても、自らの了解と、学術的・理論的な学びと、活きた実践の世界が補い合い、引っ張り合いして、わずかずつでも歩ませてもらっていることが、とてもうれしい。
早速、来月のレジュメ担当になったので、ロジャーズ氏の世界に触れていこうと思うし、それを発表して他のメンバーの話を聞いて深めるのがとても楽しみだ。