今月は私がご法話の担当を受けていました。
子どもたちに向けて仏法の話を聞いてもらう…すごく難しいですね。
毎月ある日曜礼拝ですが、法話はちゃんと考えられてテーマが決まっていきます。
4月には新学期ということもあって「仏様のお話を聴くというのはどういうことか」、5月には「はなまつり」を通して「おしゃかさまのおさとり」を聞かせてもらいます。
そして6月から「罪悪」「無常」「因果の道理」「お救い」と続いていきます。
ということで罪悪のお話。
2週前には骨子は固まっていたんですが、先週の支部法座で「二種深信」のお話を聞かせてもらった時点で「罪悪の話だけだと”機の深信”に偏ってしまう…なんとか”法の深信”まで話せないか…」などと悩んでしまいます。
まぁ、大人でも二種深信を理解(?)するのはなかなか難しいようで。
私の場合はイメージ先行で受け取るんで、はなから理解は捨ててますが…
と、「下手な考え休むに似たり」なんですが、ここは当初の予定通り、「わるいこと」を”身口意の三業”として、話しました。
いや、これだけでも壮大なテーマなんですが。
「十悪」を「子どもの聖典」を参考に、子どもの言葉に置き換えて、黒板に並べてから三つに分けていきます。
そして、心で思うことはつかまったりおこられたりしないけれど、「地獄行きの種」ということは変わらないということを。
あと、自分では「わるいこと」だと思っていなくても、「ほとけさまの目」からみたら「わるいこと」がある。
たとえば「食べもの」って思っているのは「いのち」をいただいているということ。
ここに絞って話してみました。
できるだけ具体例を出していったつもりですが、原稿時点で考えていた「私の経験談」をすっ飛ばしちゃいましたね。
この法話は、録音されたものをいただきましたので、原稿化しようと思ってます。(というか、依頼されています)
元の原稿のままでもいいんですが、実際に話したことを起こしてみて、それぞれの足りないところを補ってまとめようかなと。
最初は元原稿のままHPのコラムにアップするつもりでしたが、せっかくなんでまとめてからアップして、ここでお知らせします。
思いのほか、子どもらからの応答があったので、ちょっと楽に出来たのと、やっぱ若くともお育ての力はすごいなと。
法話のあとは学年ごとの分級座談会になるのですが、各分級の先生方も法話を元に子どもらと話をしてくださったようで、心強かったです。
私は、大人の分級で、大人向けに少し詳しく三業を話させてもらい、後の時間でみなさんと深めさせてもらいました。
「自分の心で犯す罪悪、迷いに迷ってきている間に溜め込んだ業魂、そこにめがけての南無阿弥陀仏」
ご縁を通じて、味あわせていただけました。
いや、形だけ「先生」などと持ち上げられますが、聞かせていただいているのは私のほうですね。
先生役が回ってくるのは「さぼっとらんで聴聞せんかい」のお心ですね。
得させていただきました。