コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

身体が辛いと書けなくなる

2005-10-31 23:05:44 | 日常雑感
風邪がなかなか治らず、もう1ヶ月近くのお付き合いになりますか。
ここ2週間のあいだでも、真宗カウンセリングに関わる出来事がいっぱいあったのですが、ブログにする気力の分を、寝て身体を回復させることに使いました。
でも治らない…これは辛いです。

今は、明日の研修会で発表する逐語録をテキスト化してます。
というか、いまごろやっと半分。
明日、大丈夫なんだろうか。

今回の逐語録担当での、私のカウンセラー役分、先週の研修会、そして私がクライエント役でとった逐語のとき話。
ネタはいろいろありますが…ちと新鮮味をなくしてきてます。
とりあえず、明日発表の逐語録を作ってから、徐々に埋めていきましょう。

秋期研修会 4回目

2005-10-19 00:41:55 | ミニカウンセリング

昨日急な出張が舞い込んで、朝一の新幹線で九州へ。大分で仕事した後、研修会に間に合うように急いで岐路へ。(でも乗り換えの小倉で、あまりにおなかがすいてたのでラーメン食べに行っちゃいました)

そんなこんなで京都駅に戻ってきたのはもう8時過ぎ。研修会場に着いたときは後半のミニカン実践が始まってました。そーっと部屋の端に入って、長い電車で疲れた身体をほぐしながらじょじょに雰囲気に入っていきました。普段は目にいる人の話を聞くか、話するかしてるので、他のペアの雰囲気はわからないけど、こうしてみていると色々面白い。深刻な雰囲気のところは聞く人もぐっと身体を前に乗り出して、閉じている感じ。明るく話しているところは開いた感じ。あくまで私の印象ですけどね。どちらが良い悪いじゃなくて、どういう形であっても、話そう、聞こうという空気は真剣そのもの。こういう感じが好きな私がいました。

ペアのカウンセラー・クライアントを交代するところで、世話役のIさんが「私と代わりましょう」ということで、今までクライアントしていたTさんがカウンセラーで、私の話を聞いてくださいました。

Tさんとはもう普段から話を聞きあってる仲なんで、何の遠慮も無いのですが(笑)今日は雰囲気に浸るだけでいいかと思ってたのでちょっと緊張。でも話し出したらTさんの”ウェルカム”空気もあって、徐々に今話したいことが出てきました。週末、飲みながらいろんな人の話を”楽”に受け止めていた自分のことを話し、それをまとめてもらった時点で、自分が思っていた以上に自分のことを表現してもらえて、すごくうなづける私でした。今の自分を通して「今まではこうだった」ということがはっきりしてきて、それでいてそんな過去の自分も受け入れるている自分がいました。

出張に西光先生の「真宗カウンセリング入門」と「華光誌」を持っていったのですが、以前と違いカウンセリングも真宗も、どちらかの立場ではなく「タカハシキョウスケ自身」として受け入れ、ひっかかりなく自然でいられる。なんか不思議な境地に至っています。その引っ掛かりの無さに少々不安もあるのですが、それも含めて今の自分を受け入れられる。すごく楽な感じです。


秋期研修会第3回

2005-10-15 18:05:43 | ミニカウンセリング

今週はかなりバテてたのと、一度打ち込んだ原稿がアップ時に消えてメゲてたのとで、かなり遅くなりました。今は家族と遊びにきている蒲郡の遊園地で携帯から打ち込んでます。

先週から゛出来事゛がいろいろあり、かなり疲れた状態での参加。私の中でのテーマは、万全じゃない時に、聞いたり話したりできるかどうか。今後カウンセリングに関わっていくならそういう状態もあるだろうしね。

蓄語録はKさんの話をTさんが聞いたもので、ポイントはかろうじて押さえられた気がするけど、全体のイメージは散漫にしかついていけなかった感じ。ほかのひとの押さえを聞いてやっと流れがつかめた。

後半のミニカン実践は、蓄語のKさんとペア。先にカウンセラーで聞かせてもらったけど、今のしんどい気持ちが全面にでていて、引き込まれるように聞かせられた。クライアントのエネルギーの前には、こちらのありようは問われないのかもしれない。そこまで引き込まれていてもいいものかどうかは今はおいといて…。

ついでクライアントとしては、その疲れているしんどさを訴えることから始まったのですが、話しているうちに、身体はしんどいけど、それらの゛出来事゛を問題にしていない自分ということが、はっきりしてきました。その時は「仙人のような境地」などとのたまわってましたが、一時的にでも、障りからときはなたれたかもしれません。カウンセリングは面白く、不思議です。


さかのぼって秋季研修会1回目の話

2005-10-09 00:22:06 | ミニカウンセリング

このブログを始めたときにはもう済んでいた1回目の研修会。
久々に懐かしい(といっても2ヶ月空いただけだけど)面々と逢えると思ってたが、今回の参加者は少なめ。一人の復帰メンバー(春には不参加)が加わって5人(他に世話人一人と先生が二人)
その分、いろんなワークが濃密になりそうだ。

逐語録は私がクライアントとして録音したものをペアを組んだTさんが起こしてきたものを聞いての検討。自分が話し手なので、上手く話せているかなど余計なところも気になるが、Tさんが上手く聞いてくれているので、思ったより話が出来ていたようだ。10/3の書き込みにも書いているが、自分が思っていたことと違うことが湧き上がってきて話している。出し切ったと言う気持ちよさが、あらためて逐語録を見ながらテープを聴くことでよみがえってくる。

その後、クライアント以外の参加者で検討するのだが、一人待っている私はあちこちに聞き耳を立てるような感じで、不安なひと時を過ごす。もうこの時点で「良く見られたい」という我執の塊。何でも受け入れる柔軟性がない。しかし、そういう柔軟性がない自分と言うことは受け入れられる。その辺が少し変わってきたところだ。

後半のペアはIさんと組む。自分の話したことは忘れてしまったのだが(研修会が再開してカウンセリングに触れる喜びを話したと思う)カウンセラー役で話を聞くときに少し緊張していた。相手のIさんは自分よりずっと上手く出来る人、っていう固定観念を持っている私がいるから。うん、これは不自由だ。私はよく出来事に対してもRESするのだが、今回は出来るだけ出来事は流して感情を抑えていこうと気合を入れていた(苦笑)ところが、聞こえてくる話は延々出来事が続くのだ。頷きは出てくるのだが、RESを控えていると私の中に違和感が出てくる。しかし、後半、それらの出来事を通じての気持ちの話しになると、すごくホッとした気持ちになり、楽に聴いている私だった。振り返りのときにそのことも話したのだが、そういう私を受け入れてもらい、さらにホッとした(ということは受け入れなかったら…というところに固執してたかもしれない)最後にIさんに「高橋さん(私のこと)はチャレンジャーですね」と言っていただいた。なんとも照れくさいのだが、できるだけ”素”でありたい私は、現状の「良く見られたい」病から脱するのもチャレンジだと思う。チャレンジしていきたい私がいる。
そのあと、ミニカンと振り返りを通じての思いを分かち合う時間があるのだが、出来事が長く困っていた私の話に先生が「出来事も聞いてほしいんですね」とおっしゃったことを心に留めた。これは大事なことだと。

今回は意識して出来事よりも感情をと思っていたが、無理に分けるのではなく、「聞く」に徹すること。そう分けようとするからいらん力が入るのかもしれない。


考え方の幅を受け入れる

2005-10-07 00:00:00 | 日常雑感

先月の終わりごろから、仕事の関係で他所の会社のお手伝い(加工機械のオペレーター)として、週のうち4日間を大阪の堺で過ごしている。

普段は一人きりの事務所で気楽に仕事をしているのだが、ここでは数人の女性(と一人の管理職の男性)の空間で、空気や、耳に入ってくる会話などかなり趣が違う。少し前までの私だと、かなり気を使ったり、合わせようとしてかなり窮屈な気持ちになっていただろうと思う。しかし、最近の私はそのあたりを無理してない感じがする。そういう人間関係で疲れていく感じがあまりしないのだ。そこの人たちが結構気さくなのもあるだろうとは思う。でも、私自身の受け止め方にやわらかさがある気がする。

一般的に言う社会での関係…ある程度不特定な人たちとの関係、を考えるとき、営業やサービス業で培ってきた「滅私奉公」による円滑なコミュニケーションが大事だと言う考えを持っていた。自分を殺して相手に合わせること。それで相手が喜べば、自分の喜びにつながるのだから…という考え方。
もちろん、今でもそうすることが大事だとは思っている。自分を自由にするために、思いを前面に出す…これは相手に対しては諸刃の剣だと感じているから。しかし、無理に自分を不自由にすることなく、楽に相手と”合わさっていく”関係作りも出来るという感じがしている。

その時々で、いろんなところに力点がある自分だが、その幅を楽しんでいるのが今の自分だ。


今日は秋季研修会の2回目。

2005-10-05 00:06:52 | ミニカウンセリング
まずは事前に私がカウンセラー役をした逐語録の発表・検討。

細かくレスをしすぎて流れを止めたのではとの不安もありましたが、レスがあることで聞いてもらっている感じがして次々話が出来たということをクライアントの方に言っていただきかなりホッとしました。先生からもいい感じだと言っていただき、ひと安心。ただ、これで天狗になるのが私なので、そこは用心用心。(ま、天狗になったときはそれはそれで私だということで…)

今回テープを起こすときに気になったことがひとつ。クライアントが笑うとき(照れ隠しだったりもする)に、つられて一緒に笑っているのですが、これはカウンセラーの態度としてはどうなんだろうと。先生のアドバイスは「特に自覚せずに付き合う(一緒に笑う)」「(照れ隠しなど)防衛の態度を感じたら、その防衛意識をも認めてあげる」「同調(一緒に笑う)しないで、流れを受け止める」と、その流れによりいろんな態度があるということでした。そして「そういうときどうすべきか」じゃなく「自分の感覚で対応する」と。そう、私は「そういうときどうすべきか」に捕らわれていたことがわかりました。つい昨日に、知人の掲示板でそのことを言っていたところなのに…(苦笑)自分のことは見えてませんね。

後半のペアによるミニカン実践は先生とペアを組みました。クライアント役の最初は今の話ではなく、ここ2週間の間に起こったことによる気持ちを切り出したのですが、「そのことを今、言いたい」という自分の気持ちに気付いたとき、言いたいことが深まり、遠い話を頭の中で引っ張り出すのではなく、腹底のほうからあふれ出てくる言葉に変わった気がします。別の場所での先生の態度に、頑なになっていた自分の心がすくわれたこと…それを話する”今”のよろこびの気持ちになったとき、先生にもその”うれしさ”を受け止めてもらい、逆にカウンセラー役になったときに、先生の感じる”うれしさ”が話の中から伝わり、それがまた私に響いて嬉しくなってくる…そのときはカウンセラーの態度は吹っ飛んでおり(先生曰く態度はカウンセラーであったといってもらいましたが)ただただ先生の話に共感して喜んで(涙ぐんでまで)いた私でした。ただ、以前はそういうときに「カウンセラーがこれではいかん」というこだわりにとらわれていた私ですが、今日は”そういう私”も受け入れて、その場になじんでいた気がします。

先生の言葉「飛び上がるような喜びではなく、ゆったりと、落ち着いて、じんわりとこみ上げてくる喜び」を感じていました。

研修会の後、別件で先生と話し合いの時間があったのですが、そこでも自然に自分の湧きあがる気持ち、態度を受け入れる私がいました。それがまたよろこびになっていきます。

カウンセリング研修会-ミニカウンセリング

2005-10-03 23:45:16 | ミニカウンセリング
今参加している研修会は、9月27日から10週、毎週火曜日にある「秋季ミニカウンセリング」です。春の部に初めて参加したのに続いてのミニカウンセリング。流れとしては、「逐語録を聞く」「全員で検討」「先生の解説指導」「ペアを組んでのミニカウンセリング」「分かち合い」という感じでしょうか。

最初に聞く「逐語録」は事前に二人がペアを組んでカウンセラー役とクライアント役をきめて15分間録音をします。その後役割を交代して録音。それをそれぞれが持ち帰って、テキスト化して研修会当日に皆で聞きながらクライアントの心の変化を捉えたり、カウンセラーの応対・態度に気付いたことなどを出し合って検討します。

今回の研修会では世話役さんから事前に連絡があり、1回目と2回目の担当をすることとなりました。 Tさんとペアを組んで、9月22日の夕方に録音。相談して1回目の発表(カウンセラーが逐語録をテキスト化)をTさん、2回目が私となりました。今はその2回目の発表のための逐語録をまとめています(発表は明日です) 録音当日、春の研修会から日が経っているので、久々のカウンセリング実践ということでかなり緊張していました。これはTさんも同じだったようですが、お互い一呼吸してから録音をはじめ、徐々に緊張も取れ温まってきた気がします。

私がクライアント役で話をしたとき、始めに話し出した話題がどうも深まらない感じがしていました。そのとき気になっていたことを話してはいたのですが、どうも状況の説明のようになってしまう。一息ついたときに、Tさんが聞いてくれている安心感からか、今まで話していた出来事に対する自分の気持ちがふっと湧きあがってきました。それを話し出すと、どんどん言いたいことが出てくる。最初に話しようと頭で考えていたものは、嘘ではないのですが何かよそ行きの感じで、自分の意思から離れた所から出てくることは、紛れもなく私の奥底に眠っていた気持ちのようです。もとろん、それを呼び起こすためには最初の状況の話が必要だったのですが。

これが、私がカウンセリングを通して感じている大きな気付きの一つです。聞いてもらうことで、自分でも気付かない、あるいは隠していた私自身が現れてくる。それを、驚きつつも、受け入れていける自分がいる。 この”受け入れる”安心感というのは、仏法に出会って気付かされる私の中のどろどろしたものを「それこそが私自身だ」と受け入れるところに通じている気がします。

携帯からのアップを試してみよう

2005-10-02 15:39:33 | 日常雑感
最近、携帯を買い換えた。
前のは時々液晶がホワイトアウトして、誰からかかってきたかもわからないし、メモリを利用してかけることもできない。
かなり依存度が高くなっていて、非常に困ったことになったので買い換えたのですが、おかげで今までできなかったことが出来るようになった。
そのひとつがブログや掲示板を携帯で見るのが楽になった。(今までは機能的に制限が多かった)
そうなると、気軽にブログ更新も出来るようになるかなって思ってます。

でもやっぱり携帯で長文は苦手やな。