コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

仙台訪問2014 その2

2014-11-21 00:32:38 | PTA

前回の記事の「地域医療センター」この写真は総合運動公園側から見たもの。
この高台の建物の2階付近まで水が上がってきたということ。

 

その高台から港側を見た図がこちら。
整地されているところは建物が一杯あった場所。

そしてその下側から「地域医療センター」を見上げた図。かなりの高さがある。

初めて訪れた仲間もじかに眼にするこの光景は感ずるものがあるようで、どんどん言葉少なになってくる。
当初予定していた時間よりゆっくりめに見て周り、そのままこの療養センターにある復興食堂で昼食をとることにした。

そこにあったパンフを眺めながら、帰り道を少し外れれば寄り道できる復興商店街「きぼうのかね商店街」に立ち寄ることにした。

プレハブ建ての商店街、視察の方向けの名物販売や、普通に生活に関するものを売るお店も。
銀行や郵便局も固まっており、いわばモールのような感じ。

そこから来た道を引き返し、石巻市へ。
2年前は通過しながら、その道のあちこちで1階部分が壊れたままの建物を見て回ったが、今はそういう建物はほとんどなくなり、更地か建て直しかされていた。
石ノ森章太郎博物館も復興していた。

次に前回は立ち寄らなかったが、事前に調べた日和山公園へ。
海に近い高台の公園。
最初に、先ほど通った石ノ森章太郎博物館がある中州が見えるところへ。
パッと見普通の中州の様子だが、古い写真をみるとその両岸にたくさんの建物がある。


さらに海側に行くと、女川と同じように荒涼とした更地が現れる。
公園の柵には、そこから見えた震災前の風景の写真が飾られている。
訪れるものにとって、被災前の様子と比べられるのは意義深いが、被災された方にとってはどのように映るのだろうか。

そこから、仙台市へ戻るために車を走らせた。


仙台訪問2014

2014-11-10 21:47:31 | PTA

8月からこの11月まで、怒涛のイベント続き。
まだまだ続きはしますが、京都市から外へ飛び出しての活動はひと段落。
いろいろ記録として残しておきたいのですが、順番を気にせずぼちぼちと。

で、「残す・伝える」ということならば、やはりこのことを早期に。
今年も「仙台市PTAフェスティバル」のお手伝いと、東北の”今”を見せてもらいにいきました。

土曜日早朝の飛行機で仙台空港に向かい、1日目はレンタカーでの視察です。
2年前は当時の仙台市PTA会長に案内していただきましたが、今回は私が前回の行程を軸に案内。
そして、案内しながら、私自身がこの2年間の変化と変わっていないところを感じています。

今回はハンドル握ってるので写真は少なめですが。

まずは空港の展望から空港の様子を。
タブレットで空港に水が入ってきたときの様子も見ながら、その恐ろしさを目の前の風景とリンクさ
せます。
以前タペストリーがあった辺りに当時の様子や復興の様子がパネル展示されていました。
そして柱に「津波到達高さ」を示すものが。

レンタカーに乗り高速の入り口へ
前回はまだ瓦礫置き場になっていたあたりはすっかりきれいになっており、面影はありません。
高速で仙台市内を抜けるあたりも、海側は多くの更地がありますが、市内側は普通の町並み。
海側も、高速に沿うあたりは新しい家が次々に建っているようです。

高速を降り、石巻の市街地へ。
前回見かけた仮設住宅の列は見かけられず、おそらくこのあたりだったろうと思うあたりは新しい家
がニュータウンのように連なっていた。
きれいな学校も見かけたが、これも前回は校庭一杯にプレハブが建っていたところじゃないかと。
(正確な位置はわからないんで、憶測混じりですいません)

比較的被害が少なかった内海のあたりを通り、最初の目的地の女川町へ。
待ちの入り口あたりに「女川マリンパル」が。
お昼時なので駐車待ちの列ができるほどの賑わい。
これはもともと港にあった施設ですが、被災したので内陸で復興しています。
そこを過ぎると、前回と同じく家の基礎部だけが残ったエリアに。
がけ側の柵もそのままのところがちらほら。

そして目の前に現れる、倒壊したビル。
今もそのまま残されていた。
前回は近くに車を止めて見学したが、今は整地工事真っ最中で停めるのがはばかられたのでそのまま通過し、仮設住宅の設置場所になっていた高台の総合体育施設へ向かう。
その通路でもある前回瓦礫置き場になっていた地域はすっかり瓦礫が取り除かれきれいになっていた。
仮設住宅はまだ残っていて、多くの方が生活されていた。
仮の役場もここに設置されている。
駐車場に車を止め町並みを見る。
広大な更地…それ以上でもそれ以下でもない。

もう一方の高台である「女川町地域医療センター(旧町立病院)」へ向かう。
ナビの指示の道が通行止めなので、脇の道へ…
が、それは女川中学校へ向かう道だった。
まったく予定してない行動だったが、そこに設置された石碑と出会うことができた。
「女川いのちの石碑」そこに彫りこまれていた言葉が突き刺さる。

「ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。
もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。
逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。
家の戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。」


2年前の様子はこちらをご覧ください

後日写真を追加する予定です