コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

身体に起こっていることを言語化する

2020-09-08 13:55:16 | 発達障がい支援
前々回、内面のことを言語化することを推奨したこともあるので、もう少し身体に起こったことを書いてみます
特にワーカホリックの方は気にかけてみてください

法座やワークショップに参加していたころ、よく手をさすっているのを見られた方が多いと思います
最初に身体に現れたのは、四肢の冷たさ
夏場でも指先は冷たく、足に至ってはひざから下が氷のように冷たく紫色でした
もちろん、実際は氷点下なんてありえませんが、体感的に普通の体温の個所に比べてかなりの冷たさです
おかげで、夏に暑いときに寝ていると、子どもらがくっついてきてアイスノン代わりにしていたほどです
同時に、ケガが治らないというものがあります
その頃の仕事上、台車や荷物がよくスネに当たります
当たったところは紫斑だったり出血だったりするのですが、そのまま跡が消えません
この状態を5年は放ったらかしにしてたでしょうか

また、汗のかき方がかわりました
汗をかくのは胸の心臓のあたりだけです
暑いときや辛い物食べたときの汗は額にもにじむのですが、胸だけ滝のように汗が流れます
調子が悪いと、その汗が甘い香りがします
そういうときはおしっこも甘い香りになります
(おいしいお菓子のような甘い香りならうれしいのですが、それとは違う感じです)

素人考えでも、おしっこが甘いので(なめてみたわけではありませんが)糖尿だろうと推測してました
しかし、ハードな仕事(そのころは自分の会社と夜中にアルバイト)と、空いている時間も前回書いた奉仕作業に充てていたこと、疲れたら甘いものが良いだろうとジュースやチョコを摂取していたこと、など、身体を労わることはしません
時間的にも金銭的にも、医者に行こうと思いませんでした
仕事の支払いなどを優先して、健康保険は後回しで、保険証も無効になっていましたから(自営の方など思い当たるかもしれません)

常識なら、そこまで追い込まれているなら報酬につながらない活動をやめればという判断になるのでしょうが、そこが依存症的に突っ走っているので、引き返せません
褒められることに依存している心理状態なので、非難されるような選択は論外です(盲目的ですね)

きっかけは妹の死
妹も経済的に苦しく、子どもを育てるために無理して働いていました
義弟は単身赴任です
ちょっとした不調で検査に行ったら、そのまま入院、闘病生活を経て半年で治療を断念することになりました
葬儀などで単身赴任から一時的に帰ってきていた義弟もそのすぐ後に脳梗塞を起こしました(彼は同い年です)
一旦回復し、仕事も復帰したのですが、一年後再発しそのまま命を終えました

さすがに不安になったので(ほかにも精神的に追い詰められてましたし)受診することにしました
糖尿は予想通りでしたが、それよりもショックだったのが「血管年齢99歳」というもの
手足が冷たいのは低血圧で血が通っていないんだろうと素人考えしていましたが、血管が硬くなり末しょうまでまで血が通わない
コレステロールで血がどろどろなのも拍車をかけます
血糖値が高いことで、血管をボロボロにする症状もあります
結果、思っていたのとは逆で、相当の高血圧も
たまたま症状が手足なので良かったのですが、これが脳内や心臓で起こっていればやばい状況です

視力の問題(前回書いた、線がまっすぐに見えない)と指先の感覚喪失は、暗かったり狭かったりする場所での、手先の感覚で微妙な調整をする技術職の困難を示します
そこで会社をたたむことを決意
しかし、収入がなければ医者にもかかれないので、再就職先を探します

それまで、PTA活動などには、自分で予定調整できるこれまでの仕事が便利でした(なので転職を渋っていたこともあります)
が、市P連(同時に近Pや日Pもついてくる)を退いたことで、雇われの仕事も選択できました
地元のPTAは、会長なら自分の都合で予定を決められるので(降りられない事情もありましたし)子どもの卒業まで続けましたが

投薬や食事制限での治療を始めましたが、一番の不安は高血圧による負担
それはいわゆるストレスによる突然死のリスクです
そこで、それまで依存を満足させていた様々な活動、それは同時に人間関係などでストレスを与えていましたので、それらから退き、安寧な生活を心がけることにつながります

ここは難しいところで、依存を満足させていることから離れるストレスと、つらい人間関係を続けるストレスとの取捨選択です
バランスよく付き合う方法もあるのですが、そこに「0-100思考」の私のもう一つの特性が邪魔をします
特定の人物とのストレスを排除するため、その関係から一切手を引くという決断です

病気や自分の弱さを公表する気にもなれませんでしたので、その理由は多く語らず、「家族との時間のため」とうことを表に出します
じっさい、身体をケアしていくことは「家族との時間」を少しでも永らえるものでもありますから
(そのせいで、あちこちでいろいろ噂されたりしたようですが)

まぁ、食事や生活の改善と言いながら、仕事の都合や嗜好の関係で徹底はできず、あちこちの弊害は続いて今に至りますが

とりあえず、糖質コントロールのために今まで好きだったビールや日本酒は断念
完全禁酒すると精神的によくないので、糖質の少ない酎ハイやワインに移行します
ジュース類は一切やめ、水かお茶に
あとは無糖のコーヒー・紅茶

野菜などを多くとることで、好きな麺類は猶予…としていましたが、今回そこも問題になってきたので、避けることになるでしょう
ラーメンは汁まで飲み干さないと料理人に失礼
などという変なこだわりがあるので、当面我慢ですね

今後は糖分コントロールと減塩を並行させるという…料理を作ってくれる家族にはハードルの高いものになりそうです

境地的にはいつ死んでも構わないのですが(先日連れ合いと話してて、ここに帰結するのが問題だよねぇ、と)大事に使えば死ぬまで使える身体なので、できるだけ専門家の助言にしたがいましょうか


なんか、「しくじり先生」みたいな投稿になっちゃった


依存症ということについて

2020-09-07 14:54:45 | 発達障がい支援
私は依存傾向があります
薬物依存やアルコール依存のような病的なものではありませんが、例えば収集癖が極度に固執するなどの傾向があります

ただ、固執といっても長期的に及ぶのではなく、その時々にマイブームになるものに捉われるという感じですか

好きなものの一つにプラモデル(いわゆるガンプラですね)がありますが、一度作り出すと、作り終えてもすぐ次の作品に取り掛かってしまう
途切れるのがいやなので、前のを作っている途中に次のものを買って補完しておかないと気が済まない
そのくせ、何かのきっかけでほかのものに気が行くと、何か月でも(作っている途中でも)ほったらかしにして平気だったりします

そのプラモデルに取って代わるのがゲーム
こちらは新しいものをどんどん買うのではなく、同じゲームを何度も何度もクリアしようとします
(いまだにWiiで遊んでます)

最近では、空いてる時間があれば、CDラックにあるCDをパソコンに取り込む作業に狂っていました
まぁ、こちらは前に取り込んでいたパソコンが壊れたので、新しいものにしたことを契機に、また、断捨離のためにCDを整理する意味もあるのですが
これも、やりだしたら固執していました

で、このCD整理をして気が付いたのは、ある時期に集中してCDを買い込んでいるということです
仕事で出張が多かった時期、新幹線を一本遅らせても、駅のそばのCDショップに立ち寄って、欲しいものをあさります
欲しいものがなければ、視聴コーナーでいろいろ聞いて、ふっと気に入ったものを買い込みます
こうなると、音楽を聴くことよりも、「持っていないCDを購入する」ということが目的になり、「買わずにいられない」という依存傾向がみてとれます

いろんなことにバランスよく時間を使えば良いんでしょうが、この固執するというところに「過集中」の傾向が見られます

と、ここまでは趣味的な話でまだよいのですが、ここからが本題です

この固執、依存傾向が、私の人生で大きな波があり、そのことであちこちに迷惑をかけたり、また私自身の身体を蝕むことになっています
この行動に現れる依存のもとは「褒められたい」「頑張っていると認められるとうれしい」という心の動きが根っこにある気がしています

20代のころ浄土真宗に出会いました
そこに依存という感覚はありませんでしたが
最初は今の連れ合いがお寺の娘だったこともあり、親御さんに気に入られることが目的です(褒められたい)
そしてご聴聞・求道するわけですが、自分のためというより周りの目を気にして、「若いのにえらいねぇ」と言われることがモチベーションだったように思います
その一方で、宗教的な邂逅など、依存とは別次元の話もあるのですが、それは別の機会にしましょう(それは損得を超えた世界ですから)

そうして、自分自身の求道から、聞法集団の運営をお手伝いすることになります
宗教的な境地を原点にしていますから、特別に報酬ももらわず、ほぼボランティアで空いている時間を提供します
(金銭的な提供もあります)
僧侶や伝道師の資格を取ることもしないので、職業としては活動しません
でも、問題ではありません
その活動に依存し、周囲から評価されることが本望だったからです

やがて、カウンセリングに触れました
伝道のありかたを、「超越的な存在と人間」としていたところから「人間同士の生身の交流」というところに、時にはクロスオーバーしながら、時には別のものとして取り組みます
ワークショップの開催や、世話役として多少の報酬はいただきましたが、カウンセラーとしての公式資格は習得せず、もちろん職業ではありません
でも問題ないのです
その活動に依存し、関わる方が喜んでくだされば本望ですから

時を同じくして、PTAにかかわります
最初は子どもが通う保育園の保護者会会長
4人もお世話になっていますから、頼まれれば断るすべはありません
結局10年間引き受けました
そこでいろんなお母さん方と交流があったことから、最後の子が卒園した後、小学校のPTAに誘われ、中学・高校と引き受けることになります
これが6年間
もちろん、PTAは無報酬です(時々公的な会議に出席して報酬をいただくこともありましたが)
多くの方は嫌がる活動でしたが、単位PTAから小・中PTA連絡協議会、市のPTA連絡協議会、果ては近畿や日本PTAと関わりが濃くなればなるほど、魅力的な方々と出会い、私の依存度はあがります
楽しいのです

さらには、カウンセリングやPTAの影響で「発達障がい支援
」の活動も始めました
こちらは活動しながらNPO化をすすめ、多少なりとも報酬につながることもありましたが、その立ち上げや活動に関わる時間的拘束や持ち出し費用などを考えると、経済活動とはいえません
PTAにしても、地域の学校のPTA活動だけなら(時間的負担はあれど)経済的に持ち出しということはありませんが、市や近畿など大きな組織になると、会議後の懇親会などで飲食代が発生します
多い時には週に2・3回会議があるときもありましたから
他人に任せられる大きな店や会社を経営してる方には少ない負担でも、個人経営だと時間がとられる分収入減少ですから、毎月どんどんたくわえを吐き出す始末

このように、私の依存感は満足させられたものの、仕事や家庭の時間、収入を削っての活動は弊害を伴います

その一番が、身体の不具合を省みずに、その時々の依存感に浸ったこと
まぁ、経済的な問題もあり、医者を敬遠していたこともあります
妹など、身近な人間を亡くしたことで立ち止まったとき、すでにあちこちガタが来ており、結果、それまでの技術的な仕事もできなくなるほどでした

もちろん、長い人生で考えて、仕事一筋で満足する方がいるように
公益にかかわって満足な私がいます
私が望んでいた、目の前の人に褒めてもらうことが、いろんな場面でできていたのですから(その分、身近な家族らに褒めてもらえませんが)
目の前の喜びに目を奪われて、大事なもの(健康や家族)を失う
形は違えど、薬物やアルコール依存で警告されていることと同じですね

ということで、依存症は恐ろしいというお話でした

内面のことを言葉にする

2020-09-06 10:42:54 | 発達障がい支援

身体に起こっていることを言語化する

これって結構難しいものです

発達障がいの支援をしていたころ、傾聴の手法を教えることで、い発達障がいで困りを抱えている方は、「自分のことをわかってほしい」と思いながら、それが果たせずに戸惑っています

一番大きな問題は、聞き手側が「おそらくこういうことを言いたいんだろう」と慮って、話し手の言葉を最後まで聞かないこと

「一を聞いて十を知る」スキルのある人ほど、陥りやすいです

 

一方で伝える側も、その一をうまく伝えられない

それは、自分に起こっていることが「わかってもらえている」錯覚していることです

 

ここからは私の身体に起こっていることを一例に話します

 

私はもともと普通の「見えかた」をしていました

普通というのは、あくまで自己判断で、ほかの人が世界をどのように見ているかがわかりませんので、確かではありません

でも、自分の見え方を基準にするしかありません

 

そこそこ年齢を重ねてくると、乱視でものが2重3重に見えだしました

そのときは「最近ものが見えにくくなってきたな」という程度の知覚ですが、眼鏡を作ったらはっきりしました

かけているときとかけていない時で違いがあります

 

右が2重、左が3重

眼鏡をかけているときと外しているとき、それぞれの目だけで見ることでその違いが判りました

やがて、病気が進み、右目に異変が起こります

まっすくな線が歪んで見えます

モニターに四角形が映っているはずなのに台形に見えだします

そして、とうとう真ん中のほうが時には黒く、時には白くかすんで、片目だけでは見えているものを認識できません

 

こうなってはじめて、遠近感がうまく取れていないことに気づきます

そういえば、家族と行くUSJなんかの3Dアトラクションが、そんなに特別飛び出してくる感じがなかったのも、すでに両目の差があって本来の遠近感を錯視させる効果がなかったのかもしれません

 

と、つらつら書きましたが、私は元の状態と変わってしまった状態を段階的に経ているので、できなくなっていることを認知しています

 

これが生まれつき機能的に普通と違う人ならどうでしょう

今見えている状態がその人の「普通」であって、ほかの人ができることができなくても、自分の何かがおかしいとは気づけません

遠近っ感がとりづらく、鍵穴にすうっとカギが入れられないとか、少しの段差でけつまづくとか

それをおおくの「普通に見えている」人たちは

あなたはおかしい、どんくさい、いらいらする

などと責めてしまいます

「じつは左右の視力差があって、遠近感が苦手です」

と、自分に起こっていることを認知し、言語化して、他人に受容してもらえれば、少しは関係が変わるのですが

 

で、書き始めの発達障がいに戻りますが、こういうことが目の機能的なことで起こるのではなく、脳の働きによっておこります

言い換えると、機能的なことはメガネなどの補助具で修正できますが、脳の働きは修正できません(厳密にはいろんなホルモンや脳内物質の補助で改善するものもあるようです)

さらに、自分の中で起こっていることで、ほかの人とどう違うか認知できないし、言語化もできずに困ってしまいます

いや、困っていることもわかってもらえません

 

それに加えて、うまく伝えられないことで、聞く相手が途中で自己判断したり、想像で受け止めたりいしてしまう、最後まで話を聞かずに「普通じゃない」とレッテルを張ってしまう

そうされると、ますます閉じてしまうことになります

ここでは見え方を例にとりましたが、ほかにも聞こえ方であったり、行動の癖であったり、考え方の癖などがあります。
自分では普通にしてるのに、多数派の常識を基準に考えられてしまうので、発信することが抑えられてしまいます

 

 

そこで、この文章を目にとめた方、自分の「普通」が必ず

しも相手にとっても「普通」だと思うのではなく。また逆に「異常」だと思うのでもなく、「いろんな普通がある」ということを心にとめてください

また、できるだけ相手が「伝えたいことを伝えたいように」できるよう、傾聴ということを意識してみてください

 

いろいろ困っている方には、傾聴・カウンセリングを学ぶことで、自分の中に起こっていることを言語化する学び・訓練ができることをお知りおきください

 

私自身の体調のこともあって、大きなワークショップなどは開かないようになりましたが、私が学んできたことをお伝えすることはできるかもしれません

積極的には動きませんが。お手伝いできることがあれば


名前にこめたもの

2020-09-05 07:41:26 | 真宗

子どもらに仏法を聞いてもらいたい

その根本願望は、力が入っていた時も力が抜けた今も変わりません

私の願望は願望として

でも、それを「絶対」とはせず、子どもらは子どもらの「選び」として

 

とはいえ、ご縁はつけておきたいので、子どもらの名前を付けるときに思いっきり願いを込めています

子どもらの生まれたときは「絶対に聞かせよう」と思っていたから余計にこだわってますね

 

4人の子どもがいますが、すべてほとけさまの「おはたらき」を紡いでいます

 

一人目は「深法」

「みのり」と読みます

「法」というのはほとけさまの願いそのもの

ほとけさまの願いを「仏法」と呼び、願いを聞くことを「仏法を聞く」といいます

法だけのことを「御法」といい、「ごほう」あるいは「おみのり」

といいます

私がほとけさまの願いに出会わせていただいたのが浄土真宗で、その宗歌のはじまりが
「深きみのりに遇いまつる」

なので、その漢字をいただき、深い法で「深法」

 

二人目は「真実名」

「まみな」と読みます

「名」というのは名前、ここでは阿弥陀仏という名前のことです

この「阿弥陀仏」というのはただの呼び名ではなく、あるほとけさまが、すでにご自身は悟りを開いているのに、衆生を救うためにわざわざ仏の位を捨て修業しなおしてくださった、そしてこの私を救う手立てが出来上がったときに「阿弥陀仏と名乗る」と誓われた

つまり、その名乗りが「お救い」でありほとけさまのおはたらきそのものなのです

「称名」というのはそのお名前を称えさせていただくこと

先に書いた宗歌の中に「六字の”み名”をききひらき」とあります
なので「まことのみ名」なので「真実名」

よく「真美名」と間違えられますが、”真実”というところに意味があります

 

三人目は「光」

「こう」とよみます

ほとけさまは姿・形がありません

みなさんがよく知る姿は、拝みやすいように人間の形を模して表されたもの

(だから偶像崇拝だと批判する方もいます)

ではどういうものなのか…一番イメージしやすいのが”光”です

まぁ、これも人間の知覚に合わせたイメージですが、光り輝くものは神々しく感じる、崇高に感じる、そういうことですかね

そしてもうひとつ、”光”には、ほとけさまの「知恵」「慈しみ」「願い」という側面もあります

お経を和訳したもののひとつに

ひかりといのち きわもなき

とはじまるものがあります

光明無量 寿命無量

のことで、そのお知恵やお命に限りがないと讃えているものです

だから、いつでもだれでもどこでも「いまそこにあるまま救う」と誓ってくださっています

 

四人目は「聲」

「しょう」とよみます

残念ながら、この漢字は常用漢字ではないので、学校などは「声」にしています

最近では「聲の形」という漫画・アニメになったので、少しメジャーになった字ですね(その勢いで常用漢字化してほしいのですが)

聲というのはほとめさまの呼び声

お前を必ず救うぞ

という力強いお誓いのことです

名聲超十方

という言葉がありますが、その聲は十方を超えるというもの

十方は四方八方に上下を加えたあらゆる方角、いやさらには過去も未来も超えた「あまねくいまここ」

 

と、どの名前にもほとけさまそのもの、願いそのものがこめることができました

 

その想いを子どもらに知ってほしいという力みはやはりありますが、こちらからの押し付けでなく、いつか子どもらが自分から向き合ったときにきっかけ、機縁となれば

 

そのときに直接伝えられたらいいのですが、こうして記録しておくことで

まぁ遺言ですね


伝道ということ

2020-09-04 09:46:11 | 真宗

自分が出会いお聞かせに預かった「仏法」というもの

これをどう伝えていくか

この人生の半分以上をかけて模索してきた気がする

活力ある頃は「聞かせていただいたものを、次に伝えるのは当然のことだ」という半ば使命感のようなものでとらわれていた気がする
特に、我が子に対して「それが親の責務だ」と

 

そう思わされた根拠は「この”私”において」お聞かせにあずかったのは、先達たちが私に伝えずにおれないという思いをもって伝道してくださった事実があるから

もしその流れの誰かが「もう伝えるのをやめよう」と思っていたら、私への道は閉ざされていた

だから、私が止めるわけにはいかない、と

 

しかし、いつしかそれは相手に対しての押し付けの感情となり、「私が止めるわけにはいかない」という思いへの自己満足となっていることに気づいた

 

相手のための伝道ではない、自分のためのものだ

もちろん、そのことは私にとって意味がある

 

もう一方で、子どもへの執着という面もある

この子が私のことして生まれてきた”ご縁”は、仏法を聞くためだ、と

しかし、その思いも力が入りすぎていたように思う

親子といえど仏法の前では「個」だ

子どもの後生・迷いの世界の責任を親がとることはできない(もちろんその逆も)
独生独死

 

もしこのまま我が子が仏法と縁がなく、哀しむべきことになったとしても私はその責任をとれない

そして、私がその哀しい思いをする責任は子どものせいではなく、私が私の”業”によって、引き起こし、引き受けていかなければならないもの

仏法を聞かない子どもと縁があったのは、私のせいなのだ

もし、喜ばしいことに仏法に出会う子になってくれたとしたら、それは私の手柄ではなく、仏様の手柄だ

当然のことだろう

 

などということを最近漠然と考えていた

伝道を押し付けることはしないが、私の思いを残すことで、もし何かが生まれるのならば

そんなことを考えて、少しずつ記録しておこうかなとも思う

 

ちょっと思索にふけるまとまった時間をもらう環境になったので

でも、長時間のPC作業に目が耐えられないので、とぎれとぎれになるのはご容赦願いたい
(あと、誤字脱字や文章の区切りのおかしいのもご容赦を)