コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

新年の挨拶らしきものも兼ねて

2012-01-09 16:30:50 | 日常雑感

 

すっかりブログをほったらかしにしていました。

一応、新年最初のエントリーなんで、今年もよろしくお願いします…と言うところなんでしょう。

いえ、もちろん、よろしくお願いはいたします。

が、別に2012年と言う年号の間に限らず、常によろしくしていただいておりますし、これからもお願いしたいわけです。

 

2011年と2012年の切り替わる刹那に、私の中の何かが変わった訳ではありません。

ちょうどその時間は、連れ合いの実家寺にて除夜の鐘を付くお手伝いをしておりました。

その行為で108あると言われる煩悩が払われたかというと…まったく変わらずの煩悩まみれでございます。

 

じゃあ、除夜の鐘に意味はないのか?

いえいえ、こうやって108もの煩悩があるということを改めて知らしめる大きな意味はあるでしょう。

 

新年の挨拶も同様に、こうやって1年ごとの節目を意識することで、”今”命があることを意識させてもらえるんですね。

 

さて、年が変わる刹那に何も変わっていないとは書きましたが、実際は常に変化は起こっています。

1秒前と同じ私はいません。

常なる物は無いんですね。

そういう変わり続ける過程を意識することは出来ませんが、振り返ってみると”変わっていた”ということは意識できます。

 

毎朝、鏡を覗き込んで、昨日とどこが変わったかは分かりません。

しかし、そこに映されているのは、以前のイメージの私とは違います。

「こんなはずじゃなかった…」思わず、ため息をついてしまいます。

どの瞬間かで変わったのではなく、常に変わり続けた”結果”ですね。

 

 

そういう変化、無常ということを振り返ると、この一年単位でも大きく変化していたことがわかります。

いろんなものの”距離感”が変わって来ています。

その多くは思いがけない変化であったりします。

 

”絶対”ということはない…頭の理解ではしっかり根付いています。

しかし、この関係がこうなるとは…ということが私の中でいくつも起こっています。

もともと、私の中で興味の中心となるものはうつろい続け、ちょっとしたトピックでシフトしていきます。

 

昨年は、PTA活動の”立場”が変わることで、非常に多くの出会いがありました。

それらは、今では”かけがいの無い”ものとなっています。

一方では、一番近くにあり続けるであろうと思っていた関係の距離感が変化していたりもします。

キャパ的に、時間・労力に限りがあるので、ある物が増えれば別の物が薄まるのも必然でしょう。

が、今回のそれは、そういう”割り振り”の物ではなく、もっと根源的なところでモチベーションの変化を起こしてしまっています。

 

そう、変わらないと思っているものでも、ほんのきっかけで変わってしまいます。

 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 


よろずのこと みなもって そらごとたわごと まことあることなきに

 

 

基本的に、あいも変わらない私だと思ってます、これからもお付き合いください。

気が付けば、いろいろ変わっている私だと思います、こりずにお付き合いください。