来年度のパンフレットの打ち合わせもあるということだったので、久しぶりにミニカンに参加した。
過去にミニカンについてもこのブログで取り上げているが、私にとってとても心地のいい空間で、話を聞いてもらうことで自分で気づいていない(あるいは気づいていても隠している)自分自身に出会える時間だったりする。
逆にそのことが「自分に向き合いたくない」気持ちを持っているときは近づきたくない時間・空間になってしまう。
そういう感じがあったので、1年以上ミニカンから離れていた。
しかし「打ち合わせ」ということと、たまたま連れ合いが早く帰宅したことで「出られるときに出ておこう」という気持ちになった。
その時点では「近づきたくない」という気持ちを”忘れていた”
開始時間になり、部屋に入った瞬間は「あぁ久しぶりの雰囲気だな」という気持ちがメイン。
しかし、チェックインで順番に今の気持ちを話していくにつれて、私の「今の気持ち」は「しまった」というものに変わってしまっていた。
ただ、その気持ちを誤魔化すのではなく、そういう気持ちでいることを、ちょっとだけ意識して言葉にしてみた。
ある意味、それが自己一致の状態だったのか、少し楽になった気がする。
その後二人の方とペアを組んで、2回実習をした。
最初は昨日あった出来事を通して、具体的に現れていた感情の話を。
二人目には、ここの所ずっと感じている、漠然とした思いを。
聞き役のときはブランクがあるわりに、自然と話を聞かせてもらっていた。
しかし、二人目の方に話をしているうちに、どんどん自分の底の方にある気持ちに近づいている。
じょうごに水を注ぐと、周りのほうから渦を作りながら中心に流れていくように、漠然と周辺の話をしているうちに中心の方へ進んでしまうのだ。
結局、自分のやばい部分に向き合いたくないという気持ちまで到達したところで、そのやばい部分には触れないという確固たる気持ちを選択した。
そういう気持ちを持っている今の自分だという所までは向き合って、その中身はそっとしておく…
言葉にすると良くわからないかもしれないが、私の中でははっきりと限界点が現れている。
ある意味、そういう自分に”ならせてもらえる”というミニカンの醍醐味は味わえた。
とても素晴らしい時間だ。
だからこそ、今の自分にとっては怖い時間だ。
ミニカンの時間じたいは良かったのだが、その後出来事が起こった。
いつもは閉ざしている部分を結構むき出しにしている状態のときに、ある人から投げかけられた言葉…普段なら何気なく受け止める言葉が、妙な部分を刺激した。
あふれだすネガティブな感情。
自分を開いていくという快感と、無防備になってしまう弊害。
まぁ、問題は問題として向き合うとして、自己完結ではなく又誰かに聞いてもらうことで整理していければ…良いんだけどね。
こういうことを書いてしまうのも、無防備の現れの一つか。
まぁ、これも私の姿ってことで、さらしておくことにしよう。
「でなきゃよかった」とだけは思いたくないしね。