コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

心を開く…?

2018-06-15 01:50:01 | 真宗カウンセリング

前々回触れた

「心を開ける場」を誤解

ということについて少し言葉にしてみたい

カウンセリングを学んでいて重要な要素のひとつに「心を開ける場・時間の提供」ということがある
受容、共感、純粋性などを学び、実践していくことで相手の方が「そのままのわたし」で居てもらえるように努力する
まぁ、努力しているうちはテクニックに固執して不自然なんだけど、相手の方を尊重するに越したことはない

なので、そういう学びの方が集まる場では、1対1のカウンセリングでなくても、その場にいる人を尊重しようと努めてくださる

が、こういう言葉を投げかけられる
「心を開いて話せる場を用意しましたので…」
グループの問題解決を図るミーティングなので、解答が求められる
そのために、心を開いて話し合おうというのだ

「心を開く」前提の場…
これは何かが違う
「私は心を開けているだろうか?」と自問の時間が続く
しかもその時は私が心を閉ざす要因となる人物も同席している
守秘義務などもあり、状況説明もままならない状態
自己一致のところで表明するならば「困ってます」の言葉になる
が、問題解決の場ではそれでは進展しようがない

「心を開く」ことを強要するのはとても危ういことだ

 

別の場面ではこういう言葉を投げかける方もいた

「私がこんなに心を開いているのに、どうして応えてくれないのですか」
まぁ、簡単に答を言うと、
「あなたが開いていると満足しているだけで、私が心を開ける状況を提供してくださってませんよ」
もちろん、言葉にはせず、ただ黙るしかなかったですけどね


相手の方が「心を開ける場」だと感じてもらうにはこちらも「心を開く」のは大事
が、そういたからといって「心を開く」かどうかは相手の方の自由だし、尊重すべきこと
もちろん強要することじゃない


カウンセリング、傾聴の学びを、テクニックが身についてことでマインドを見失う方が多いのは残念なことだ

まぁ、そこは皆が通る道ではあるけどね

 


尊厳死

2018-06-12 22:35:07 | 日常雑感

「尊厳死はせんといてな」
先日息子らと話をした時の息子の一言

まぁ、正確な意味からするとちょっと外れてるとはいえ、言いたいことはわかる。
そこからいろいろ話題が発展した

小学校高学年から中学にかけて、見近な人の「死」に触れた次男
特に、曾祖母はそこそこ元気な時から、病院で寝たきりになり、焼き場で骨になるまで見ている
彼にとって感じられる「死」はそこから来ているのだろう
また、小さいころから法座に出さしていたこともあるだろう


今回の話し合いで、私の心身の不調を伝えた
彼の中で「死」とつながったんだろう
簡単に死んでほしくないってことがこの言葉につながったというのも想像できる

そのうえで、私の「死生観」を伝えたくなった


病気などが進むと、まずは投薬が始まる
自然な身体の状況(衰え、悪化も含めて)を科学的に補正する
これはイコール「不自然」
まぁ、薬の時点はまだ自身の身体ではある
もう少し進むと、「器具」によって補助する段階になる
これは私の身体ではない

人工血管だろうが、人工○○だろうが、脳が自前ならば「自我」は私のモノだと言える
がその時点でベッドに寝たきりになり、チューブにつながれ自由がない…
これは「死んでいるか」というと「死んではいない」
好きなものは食べられない、好きなことはできない
が、脳は働いている

あるいは、身体は支障がない
が、脳に損傷がありいわゆる植物状態だったら
「脳死」という言葉を使うのならば、これは「死んでいる」のか?

サイボーグ009、ハカイダー、仮面ライダー etc.etc.
全身が機械で、脳だけ元の人って時代はやってくる
それを異形の人とするならば、何%自然から離れたらその人でなくなるのか
整形などで元の姿を変えた人は、何%から「アンドロイドと同じ」になるのか

法を聞き、念仏を称えよ
と教えられることがある
補聴器、骨伝導、マイク…どこまでが聞いたことになる?
人工声帯、タイピイングして合成音声で発信…どこまで称えたことになる?

AIが発達して、ある程度の受け答えができるようになる
Siriが念仏称えたら、悟りになる?
(ややこしいんで、今は信心の問題は置いといて)

 

さて、私が「生きている」ってことはどういうことなんだろう
生きることをやめざるを得なかった妹や祖母は不幸なのか?


「尊厳死」に関して、延命のためだけの治療ならば不要だと息子らに伝えた

自死や安楽死を望んでいるわけではない
でも、周りのものが判断をゆだねられる苦痛を味合わせるのなら、それはちょっと嫌かな。

 


手塚先生の「ブッダ」や「火の鳥」をもう一度読みたくなってきた
「ブラックジャック」も今読んだらまた違った見え方するかな


まぁ、こういうことをうだうだ考えてる間は「活きている」といえるかな


「死にたい」とつぶやいた友人、高校時代の先輩の訃報
そんなことも飛び込んできたので、余計にいろいろ考えてる

当然、答えが出るとは思ってない


現況告白

2018-06-10 21:32:47 | 日常雑感

息子二人が高校生になったので、一度じっくりと話す機会を持ちたいと思っていた
それぞれ忙しくしていたが、やっと機会を持つことができた
話したいテーマはいくつかあったが、私の現況を伝えておきたかったのは大きい

いろいろ担っていた立場も。各種総会が終わり一段落したのでそういう意味でも
そして息子に話したことを自分なりに振り替える意味でも

まぁ、そういう「今まで表明できなかったことを開く」のがこのブログの元々の意図
なれど、立場と、周りの方の反応を気にして相変わらず「口を噤む」方に走っていた気がする

ということで、本題

健康のことを心配しだしたのはPTA活動の初期から
もしかしたらそれ以前から異変は感じながら、それに向き合わずにいた

大きな転機は同い年の義弟が急逝したこと
急逝とはいえ、兆候は知っていた
それを機会に診察を受けた
それまでも受けるべしだったが、経済的な要因で後回しにしていた

その結果は、予想以上にショッキングなものだった
疾病はおいておくとして(あちこち問題があるのでね)、それらの影響で一番インパクトがあったのが「血管年齢99歳」というものだった

いわゆる「動脈硬化」
そこに、「高血圧」「ドロドロの血」とう3拍子がそろっていた

入院はお断りし、その代わり食事制限と投薬で改善しましょうと
そして生活環境
「ストレスは大敵です」

その影響とも思える兆候で、視力の低下と手足のしびれは以前からあった
結果、「技術職」という仕事は断念した
指先を駆使した細かい作業、PCを凝視しての作業
これに支障があれば、お客さんに迷惑がかかる 
それは同時に経営者として「資金繰り」というストレスが増大することにも

そして、転職を決意した
当初は「PTA活動も併用できる環境で」
しかし、そう簡単なものではない
多くの方に迷惑をかけながら、「身体状況がぎりぎり許される務め人」となった

同時に、いろいろ引き受けていた立場を放棄することも
中には人間関係でストレス源となり、身体以上に精神に負担を与えているものもあった
「時間が経てば変化があるかもしれない」
という淡い期待を元に我慢して続けていたが、「時間が経つ」ことを待っている状況じゃなくなった
それは同時に「大事な居場所」を奪われる、ストレスのたまる状況でもあったが、湯煎すべきは「今」の改善だった

ストレスといえば、昨年度末、引き受けていたPTAで立て続けに「トラブル」が起こった
なんとか収束はしたが、その期間に「眼球内の出血」に見舞われ、今も大きな影が残っている
ストレスによって、硬くなっている血管が破れる
場所によっては命にかかわる
(視力に影響あるだけでも大問題だけどね)


ほんとうは、こういうことを「開いて」話できる環境があればいいけど、一番信頼できるはずの「カウンセリング」を学んでいる人達もこの「心を開ける場」を誤解してたりする
(そのことはまた別の機会に)

ということで、取りあえず愚痴を省いたところで、現況を息子らには伝えた
彼らを一人前と認めているから

仏教的なお育てもあって、冷静に聞き、そこから生死観、倫理観なども話で来たことは望外の喜び

うん、読んでる人には迷惑だろうけど、ちょっと放せた気はする