3日目
この日は宮沢賢治を巡る旅を中心に
彼の作品に現れる死生観、その繊細な部分に触れることができれば、と。
連れ合いにとっても、仕事に大いに関わる体験として
前日、宿にしたのは北上市
ここに宮沢賢治ゆかりの碑が数か所あるというので、朝から巡ってみる
案内サイトにあった公園に行くが…それらしきものは見当たらない
他の数か所も観光地図頼りに行くが…
ということで、断念してメインの花巻市へ
まずは「宮沢賢治童話村」
メインの「賢治の学校」ではファンタジックな世界を体感的に
視覚的に色々仕掛けがあるので、視覚に問題のある私にはかなり足元が危うい。が、それが妙な浮遊感になって面白かった
ログハウスを巡る「賢治の教室」では、テーマに沿って「研究者宮沢賢治」の世界を
そのほかも自然あふれるスペースになっているのでのんびり過ごせた
次は「山猫軒」で昼食
ご存じ「注文の多い料理店」だ
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」という看板に迎えられて入る
案の定観光客で混んでおり、待っている間は土産物に目が行ってしまうという(笑)
そして入り口にはしっかりと、「クリームの壺」「塩の壺」が用意されるという徹底ぶり
そして「宮沢賢治記念館」へ
こちらは子どもが楽しめる「童話館」とは違い、かなり硬派な展示が中心
様々な作品の背景が楽しめる
私が宮沢賢治に深く触れたのは、これまた漫画の影響
少年誌に連載されていた「六三四の剣」が岩手が舞台で、たびたび宮沢賢治の詩に触れていた
メインはライバルである「修羅」に関わる「春と修羅」の一説
そしてもう一つは主人公の「六三四」が授業で触れたときに「なぜか涙が止まらない」となった「永訣の朝」
「めゆじゆとてちてけんじや」の一説は私の脳裏にも深く刻まれたフレーズだった
今回、展示の中にはもちろんこの部分も掲示されていた
今の私には、この詩は亡き妹にも通じるもので、様々な思いと共に立ちすくんでいた
妹が息を引き取る朝、その前の夜から私は病院に付き添っていた
呼吸器をつけながら一生懸命何かを伝えようとしていた妹
結局聞き取ることはできなかった
聞き取ろうとする努力をしなかった
そのまま、朝、妹は息を引き取った
私にとっては逃れようのない体験だ
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あぁあのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
宮沢賢治は、祖父が真宗門徒で、様々な先生を招いて子どもらにも法座を開いていたようだ
なので、彼の中に真宗的な思想が垣間見える
その後、真宗を否定して他宗にも傾倒しているようだが、私にとっては底はどうでもよく、彼の「生命」への感じ方…それは当然「死」を見つめるまなざしに心惹かれているのだろう