コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

親子コミュニケーションのちょっとした心がけ 46

2012-07-22 17:23:19 | 親子コミュニケーション

かつて力を入れていた「親子コミュニケーションのちょっとした心がけ」シリーズ。
2年半前に45回目を書いてから、間が空いている。
インデックス化も途中で止まったままだ。
気負いをはずして軽く書き続けようと初めた「親子コミュニケーション・Light」シリーズからも半年以上経ってる。
多少、親子に関することは「PTA」カテゴリーで書いてる気もするが。

で、最近SNS上でお友達が書いてた話しがほほえましかった。
私が「親子コミュニケーション」として大事にしていることを実践されている話だ。
ご本人の了解ももらったので、紹介したい。

 

今週の話。

小3の娘、なぜか何日もご機嫌ナナメ。

そんなある日、朝起きると「お腹いたい」と言う。
でもそんなに大ごとではなさそう。

ご飯を食べてしたくもしたのに、学校に行く時間になるとグズグズ。

待ちきれないお兄ちゃんは、先に出てしまった。
(あー、私が学校まで送っていかなくちゃな・・・。)

それでもいつまでもグズグズしてて、なかなか出かけようとしない。

私はつのるイライラを抑えながら娘の正面に座り、
「何かあるなら言ってごらん」

娘:「お兄ちゃんが具合悪いときはお医者さんに行くのに、私のときはどうして行ってくれないの」
(息子はしばらく頭痛が続いていて、少し前に耳鼻科で副鼻腔炎が見つかったのです。)

あ~、そういうことか。

私:「お医者さんに行くくらいお腹痛いの?」
娘:「うん」

私:「じゃあお医者さんに行ってから、遅れて学校に行こうか」

娘、顔がパッと輝く。

羨ましかったんだな~。
お兄ちゃんばっかりで、私のことは心配してくれない・・・って。

二人で歩いて小児科へ。
診断は「お腹の風邪」でした。

そのあと、一緒にドーナツ屋さんでお茶。

実は私、子どもを医者に連れていったあと、よく一緒にお茶します。
たいていは、息子か娘のどちらかだから。
子どもは私と二人きりの時間を喜んでくれます。
「今は自分だけのためにお母さんがいてくれる」と思うのかな。

どちらも愛しているのに、二人とも大好きに決まってるのに、
兄弟ってどうして親の愛を競い合うんでしょうね~。

ドーナツ屋を出て学校まで送っていくと、娘は元気に教室へ上がっていきました。

まずは、こちらから「どうこうしなさい」ではなく、話を聴いてあげる態度(心がけ 11
正面に座って向き合う姿勢(心がけ 1
環境を変えて息抜き(心がけ 13

ブログ記事にしたのは結構昔に話になっちゃいましたが、懐かしく思い出しました。
別に私のブログを見てこういう対応をされたわけじゃありません。
ちゃんとされてる方はいるんだよなっていう嬉しさもありますね。

今はPTAの活動の方が忙しく余裕がないですが、落ち着いたらこのシリーズも整理していきたいなと思います。

 親子コミュニケーションのちょっとした心がけシリーズ インデックスはこちら

 

Special Thanks to M.N


支援学校地域交流会2012

2012-07-20 13:12:51 | PTA

気がつけば、また数週間更新していない。
かなりの時間をPTA活動、特にこの夏の大イベント「日本PTA全国研究大会 京都大会」に振り向けている。
いや、これが本職と言うことではなく、空いている時間の大半と言う意味だ。

このPTA活動が負担かというと、そういうことではない。
そのおかげでいろんな人と出会い、経験をし、研修会などで新たな知識を得ることが出来る。
これは今の私に必要な流れだ。

そんな一つ「呉竹総合支援学校PTA地域交流会」に先週参加してきた。
昨年に続いて2回目。
(昨年のこともブログにアップしている)

そこで話された内容をどのくらいまでここでアップして良いか迷うところも在るが、わたしが出会い、聞かせていただいたことに深く教えられた部分を中心に。

今回の講習はひとりの保護者の方のお話。
福島に在住されていたが、原発被災により京都へ来られた。
その経緯と感じられている事のお話だ。

被災地での生活は、京都に居る私には”知識”レベルでしか知ることはなく、想像の世界でしかない。
しかし、同じ体験をすることは出来ないが、実際に体験された方のお気持ちを聞かせてもらうことから始まるものがある。
さらには「障害児のための学校」という限定された状況では、被災地で出来ることにもかなり制限があるということ。
もちろん、もろもろの制限はそれぞれの立場であることでもあり、どれがきつい・軽いということではない。
たまたま、今回は「被災地で障害児と共に生活することの困難さ」を語る方が目の前に居られたので、想像だけで終わらないレベルで教えてもらえた。

その状況を変えるために県外への疎開を検討されたのだが、そこにも問題が山積していたそうだ。
様々な理由による「受け入れ拒否」
そんなバカなとも思うが、実際に「被災地の人のために」といっている口で「震災がれきの受け入れはちょっと…」ということが現実に在るのだから、その立場の方にとってはとても悲しまれ苦しまれたことだろう。

この話をしてくださった方が訴えられていたのは、こういう現実を何とかしてくれでも、この気持ちに同情してくれでもない。
こういうことが今なお続いているという「事実」を知ってください、ということだった。
そして「居場所」を求めている人が一杯居るということ。

他の方から聞いたお話でも、「同情や支援もありがたいが、終わったことにされるのが一番怖い」と聴いたことがある。
原発再稼動の問題にシフトしているきらいがあるが、「では福島(東北)は今はどうなんだ?」という視点も忘れないようにしたい。


後半はグループに分かれてのワーク。
会長さんとお知り合いになっているからか、進行役をおおせつかった。
体育館一杯の参加者が、何十というグループに分かれて、丸くなって話する。
すぐ背中には別のグループがあり、あちこちの熱気あふれた声が響いてくる。
ワークとしては厳しい環境だが、私のグループに入られた方もそれぞれ思いを持って参加されている。
限りある時間ではあるけど、できるだけ話されている方を大事に、それでいて全部の方に機会を持てるように配慮していた。
語られる中身は、みなさん「自分」の話なので、評論的や一般論ではない形で深く重い。
だからこそ、一緒に居るメンバーで共有(共感とは違う)してうなづいていく。

周囲の無理解ということがひとつのテーマとなったが、理解しあうためにはコミュニケーションをしていく事が大事だというところに話が進んだ。
というか、私が話をするとそうなってしまうのだが。
ひとつの形として、自分の子どもの話をちゃんと聴いているかの確認。
そこから相手の話を聴いているか、どう聴いてもらえば伝わった感じになるかってところを分かち合い…しかけたところで時間となった。
ちょっともったいなかったが。

私のグループには、先に講演してくださった方も入られた。
大勢の前では恥ずかしくて挙手できなかったが、同じグループになったご縁で
「ようこそ京都へ来てくださいました」
と、このご縁を喜ばせてもらい、ここが居場所になればいいですね、とお伝えした。

いちどに多くの方と関わりを持つのは難しいが、ひとりひとりの「ここに居ていいんだ」と感じる機会が広がっていけば良いなと思う。