ドラマ「スクール」にはまってきた
偶然の感じで見始めたドラマ「スクール」
今回は見ようと思って録画しておいたので、ある程度先入観(これは所詮ドラマだから)ってのをもって視聴。
まぁ普通ありえない感じの校長像はドラマだからと割り切っておいて、また子ども同士のキスの話題もドラマゆえってんで。
っていうか、実際にこども同志の恋愛感情はそれこそ様々な形で存在してるだろうし、情報だけでいくともっとどろどろしたものもある。
こんなドラマみたいなきれいな、爽やかな恋愛って…なんていうのは”大人”のくすんだフィルターを通して見てるからですね。
うーん、純真じゃないなぁ。
で、やはり私が気になるポイントは一つ。
二つの家庭が(あいかわらず極端だけど)でてきた。
裕福で親も祖父母も子どもを好意的にかまっている家庭。
共働きで、夫婦間に問題があり、子どもにとって迷惑な親の家庭。
が、どちらも子どもに向き合っていない。
上のほうの親は、自分たちは精一杯向き合ってるつもりだろうけど、それは自分の感情(好意)の押し付けで、子どもが望んでいるものを受け止めようとしていない。
また、自分の子ども至上で、他を攻撃する。
下のほうの親は、自分こと中心で、自分の見方であるかどうかがまず子どもへの評価だったりする。
そういう意味では目いっぱい向き合おうとする主人公は輝いて見える。
というか、それが狙いだから親は対極に描かれてるんだろうけどね。
しかし、実際にこのドラマに出てくるような(あるいはもっと劣悪な環境の)子どもがこのドラマを見たらどう思うだろうか。
自身のもっている傷を、テレビドラマでまで見せ付けられるのは…
実際、私の両親は離婚していて、そういう場面をドラマで見るだけでいやなものが胸にざわめきだす。
そのざわめきは理屈じゃなくて、ドラマ的にあとでハッピーエンドが待っているとしても、そう簡単に心は晴れない。
まぁ、そういうのはフィクション・ノンフィクションに関わらずあるんだけど。
今の私はかろうじて、そういういやなものでも、目に触れるのはそれなりのわけ・縁があって、そういうざわめいている心もまた「今・ここ・わたし」だと受け止めるだけの根っこはいただいている。
とはいえ、こういうドラマを「まだましじゃん」と見るか、「これは極端でありえないよな」と見るかは、そのときの個人個人のありようってことで。
ただ、こういうドラマを鏡にして、ただひとつ「私は子ども(親)と向き合ってるかな?」って考えてみるきっかけになればいいかなと。
で、とくに子どもには「向き合ってみて欲しい」なと。
たいしたことは出来なくても、子どもが話したいと思っているときに、まずは一度、聴いてあげる事からでもね。