ここ2週間ほど、非常に充実した刺激的なご縁が続いている。
”刺激的な”の中身は、単純にうれしいこと・楽しいことに限らず、中にはネガティブな、ダークな、隠してある心のひだひだがさらされるような、そんなものをも含んでいる。
なのに、”今”という時間を輪切りにしてみると、そうそういやな感じじゃない。
ただ、それらを記録する絶対的な時間が不足してる。
いや、睡眠を削れば時間が作れないことはない。
が、次の出来事・用事を考えたときに、睡眠時間で多少なりとも回復することは確保したい。
まぁ、昔なら多少寝ないでもアクティブで居られたところが、かなり衰えてきたとは思う。
いざとなったら、睡眠を削っても二日ほどは集中して活動することは出来る。
そのあと数日、その活動時間以上休息を取らないと参ってしまうと言うことも実感してるけど。
と、相変わらず無計画で前置きを書き出すとこんな風にだらだらとしたものになってしまう。
それで気力がなくなって中途半端な書き込みに終始してしまうことも、なかなかブログが更新できない理由かもしれない。
で、今までなら記録的にでも書き残してきた出来事が、かなりの量、溜まってきている。
日の目を見るか否かはわからないが、記録のための記録を…
17日(日)京都支部学習会 10月
19日(火)エンカウンターグループ 第4回 (記事済み)
20日(水)真カ研月例会 10月
24日(日)日曜礼拝 10月
26日(火)エンカウンターグループ 第5回
28日(木)ミニカン継続学習会 10月
その合間に、面談・電話・メールなどでの相談やカウンセリングもいろいろな刺激を受けるし、ちょっとしたメールやブログで受ける刺激、仕事や生活で受ける刺激もある。
一見、これらの出来事は別々のものなんだけど、こうやって振り返ってみると、今の心境を支えている元に17日の学習会「聞き方・伝え方の学び」があるように思える。
そのことだけでもひとつの記事になるんだけど、ちょっと時間が過ぎてきていることと、他の出来事での気持ちも混じっているんで、かるーくなぞる感じで書いてみる。
この日の学習会は、久々に遠方から参加くださった方や、初めての方が2名居られたり、いつもとちょっと違った感じになった。
ただ、この日を迎えるにあたって、私の中でひとつのテーマが出来上がってた。
「ゆったり、ゆっくりしたいな」というもの。
いつも学習会では、何かしらのワークのようなものや、ひとつのテーマに沿ったプチ講義などを用意している。
もちろん、参加の顔ぶれを見て多少アレンジするんだけど。
しかし、この「ゆったり、ゆっくり」というのは、そういうものを用意せず、その場の動きに任せてみようというもの。
まぁ、ここ数ヶ月、同じ顔ぶれでの学習会が続いたんで、目新しいものより深まる方向がいいかなっていう思惑もあった。
なので、顔ぶれがいつもと違うってことは、なにか「示唆的」なものがいるのかも知れない。
でも、「ゆっくり、ゆったり」を優先した。
そうしたかった。
いつものように最初に2分間の静かな時間をとって、自己紹介を兼ねたチェックイン。
「ゆっくり、ゆったり」したいという私の気持ちを伝えたうえで、いつもの順番だとミニカンの実践が真ん中に来て時間を分断するので、先に実践を行って後の時間ゆっくりとエンカウンター的に進めることを提案。
初めての方が居られたので、ちょっと丁寧に実践のことを説明して、分かれたグループそれぞれに世話役が入るようにして実践。
このとき、初めてで要領がわからない方に、世話役の方がしっかりと意味合いを込めて形式を説明してくれていた。
1年と言う時間、少しずつでも経験をつまれていることが良くわかる風景だった。
この実践の分かち合いのときから、場が動き出した。
初めてクライエントをされた方が話題の中心になっていく。
ある意味、10分間という時間では話し足りなかったこともあるかもしれないが、「あぁここならこの話も出来る」という感じを受けてくれたそうで、少し重たい出来事の話もゆっくりと話したいように話してくださる。
周りの参加者もじっくりと話を聞いていく。
中にはご一緒された方が当事者になる話題も含まれていたが、本人が前に居ても大丈夫だという空気があったのかもしれない。
流れの中で、逆にその方も自分の話題を話される。
お互い「○○さんにだけは黙っておこうと思ったけど」というような話も。
そして口をそろえたように、「ここなら話しても大丈夫だと感じた」と言ってくださった。
そのことがなによりうれしかった。
先にミニカン実践で「聞いてもらえる」という体験をし、グループになっても回りのものがしっかりと聞かせてもらう態度で、なによりさえぎられることなく「話したいように話する」ことが実現された時間。
私が目指した「ゆったり、ゆっくり」は、私自身のために欲しかった雰囲気だったんだけど、参加者もそれを感じ実践してくださった。
この学習会があったから、その後のエンカウンターや学習会の場で、「ありのまま」の自分で居ることが出来、その他の出来事、それがネガティブなものであれ、ディープなものであれ、「受けて構える」余裕が生まれていたように思う。
土曜日からは真宗カウンセリングワークショップ。
ぎりぎりまで心配したが、しっかりと定員が埋まる参加状況。
ここ数週間の様々な動きが、この二日間に集約されそうな予感がある。
二日間も「ゆったり、ゆっくり」できる場があるというのはなんと幸せなことだろう。