この週末、地域若者サポーター養成講座の第2回に参加して感じたことと、日曜礼拝に参加して感じたことなど、ブログに書き込みたい話題がいくつかあります。
こんなことなら、昨日のうちに書いとけば良かったなと。
それぞれ、違う方向に思えるんで、一緒に書くと混乱しそうですから、数日に分けて書くかもしれません。
もしかしたら、時間が経過したら書くのをやめるかもしれないですけどね。
で、何を一番書いておきたいかと自分に問うてみたところ、先日の講座で出会った方とのご縁について、うれしい気持ちが強いのでそのことを。
前回は前の方に座ったんで、周りの方の様子があまり分からなかった(誰が質問してるかわからない状態)んで、今回は後ろの方に陣取って講義を受けておりました。
その内容について思ったことは今日は置いておくとして、休憩時間明けに「近くに座っている人と自己紹介する時間を持ちましょう」という主催者の言葉で、そのような時間を持つことになりました。
若者支援という形で、相手の話を聞くというのはかなり重要な位置を占めるでしょうし、私自身そのこと(コミュニケーション・スキルを考える)が第一の目的でしたから、こういう時間を設けてくださること自体がうれしいことでした。
私の座った机には、後二人の方が居られ、おひとりは休憩で外に出ておられたので、まずはひとりめの方に自己紹介。
その後、相手の方の自己紹介を聞いているところにもうおひとりが帰ってこられました。
その方は、自分の子どもがこういう支援活動を受けたことで一歩進むことができたから、今度は自分の体験を支援活動に役立てることが出来れば…ということで参加されていました。
私自身、こういう講義というものが苦手なこともあり、どうしても机上の部分を聞くことが多いなと感じていたところに、自分の身をもって感じていることを聞かせてもらうのは、すごく響いてきました。
生の声って言う感じですね。
もちろん、講義してくださる内容は大事なことですし、話すことを専門にされている方が整理して上手に話してくださるんですが、私はそういう言葉より、心底から響いてくる言葉を欲しているようです。
その方は、お子さんとのことでかなりつらくしんどい思いをされてきたようで、そのことをいろんな方に支援してもらった喜びを話されました。
同時に、「もう二度とこの方には話したくない」と思わせるカウンセラーと出会われたこともあるようです。
そのとき、ついついカウンセラーの擁護をしかけて自分が居て、自分に驚いた瞬間もありましたが、そのことにはこだわらず、いろいろ聞かせてもらっていました。
そして、自分自身のカウンセリングに対する思いと響きあったところで、私の思いが明確化されてきたこともあります。
そこにはおそらく「プログラム」という形でこれだけの成果がありましたというそれまで講義で聞いてきたことに持っていた違和感にもつながる所でしたね。
「到達点」があり、そこに向けて動いていく流れや、導いていく形のカウンセリング…そのことの重要性や意義は分かった上で、私の思っているカウンセリングはそういう流れに乗せるのではなく、やはり「今・ここ」のところ以上でも以下でもないところで、「一緒に居る」ということを考えていますね。
今回出会って、お話させていただいた方の体験であり実感であるところも、動かそうとするカウンセリングにしんどい思いをされ、寄り添うカウンセリングに出会えたことを喜んで居られるように感じました。
カウンセラー側の思惑もいろいろあり、クライエント側にもいろいろな思いがある。
それを確認しあって、共感し、純粋であり、肯定していくのは、プログラム的に動くのではなく、たとえ時間がかかっても、いやむしろ時間をかけて作り上げられる関係の中で生まれてくるものだと思います。
逆に、行政や教育・労務が主導する支援は、期限や対象に制限があり、その中で出来ることを精一杯やっていくことなんだろうなと。
そのことの大事さを教えてもらうことで、より「パーソン・センタード・アプローチ」ということが私の中で浮き彫りにされてきましたね。
最初の「自己紹介しましょう」という時間はほんの5分でしたが、講座が終わってからも同じ机に座っていた3人で少し話をしていました。
どのくらいの時間でしょうか、もう他の人はみんな部屋を出て、主催者が申し訳なさそうに片づけを始めていました。
出会うって、こういうことでしょうし、「あぁ、なんかご縁ですね」とお互いが口にしている不思議な時間でした。
こんな出会いがあっただけでも、この講座を受けて良かったなと。
次回は、法座の講師を受けていますので一週お休みしますが、それがもったいない気がしてきました。
法座は法座で、すごく楽しみなんで、贅沢な悩みなんですがね。