コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

「ヒヤリ・ハット情報」マップつくり

2012-06-29 00:10:00 | PTA

京都府安全まちづくり推進課が行なった「『ヒヤリ・ハット情報』マップつくり説明会」に参加してきた。
これは京都各地区の「子ども見守り隊」向けに案内されたもので、ウチの学校ではPTA会長も「安心安全委員会」に所属しているので、見守り隊としてお誘いがあった。
上手く日程が空いていたのと(後になって別の予定が重なったが)4月以降の交通安全見直しに役立つのではないかと、事前から期待していた。

今回のメインは、スマホを利用してつくるマップ。
実際に地域を歩きながら、危険箇所についたらGPSとマップで場所を指定し、その場でどういう危険があるかを打ち込んでいく。
場合によっては写真をとり、一緒に送信する。

そのデータを集約し、マップ上に反映していくことで安全マップが出来上がり、パソコンなどを通じてだれでも情報を共有できると言うもの。

普段スマホを使っていたり、ナビで地図上の情報を検索したことがある人ならさほど難しいシステムではない。

情報を打ち込むソフトも、かなり簡単に使用できるよう配慮されている。


説明のなかでは、どういう場所が「危険な場所」なのかという話から始まり、従来の学校で児童中心に作られるアナログのマップ作りの取り組みなどが紹介されていく。

そして、今回のシステムの説明。

今回の説明会に参加する前に、FB(フェイスブック)の方に
「マップ作りも重要だけど、これを利用してPTAと地域で活動するきっかけにして、協力して安全意識向上へつながれないいなと。」
と、書いていたけれど、まちづくり推進課の方の主旨もそこにあったようで、情報の共有と安全意識のための”ツール”としてこのシステムを利用して欲しいとのこと。

このシステムを利用してマップつくりをしたければ、担当者に申し込むことで指導をかねて見回りに参加してくださるし、必要な機材(スマホ・タブレット)の貸し出しもしてもらえる。
一度マップを作ってからは、自分のスマホにソフトを入れておくことで、情報の更新や、別の機会に見回りをしなおすことも出来る。

後半は質疑を交えながら、セキュリティに対する不安や問題点なども答えてもらった。
私としては、システムとしても使い勝手があるし、地域との連携手段のきっかけとしても活用できると思う。


と、ここまではシステムの話だけど、今回の説明会で感じたこともいろいろと。

まず、参加者の多くは「見守り隊」として現場で子どもたちを見守って下さっている方が多いのだろう、半分以上が年配の方だった。
なので、システムのこと以上に「現状への不満」が質問の多くを占めた。
担当者さんは根気よく答えてくださっていたが…。
あと、スマホやタブレットを使うことに対する不安感はかなりあったようで。

この質問タイムと、個別に質問されている方の話を聞いていると、根本の部分での不満が聞き取れた。

ボランティアとしてや自治会の役割として「見守り」をしているけれど、学校やPTAにもっと協力欲しいという感じがありあり。
この辺はいつかまとめてみたいとも思うけど、各立場でのできることとして欲しいことに差があること。
そりゃあ、時代が違えば家族構成も違うし、仕事などに拘束される時間も違う。
同じようには行かない。
でも、「子どもの安全のために」というテーマがあるのだから、ここは大人のエゴではなくて、「少しでも今より良い状態に」というところで手を結んでいければな、と。

うちの自治体でも来週会議があるし、その前に学校で役員たちと話しする機会もある。
このシステムをせいぜい利用させてもらおうかなと。
(ってこれは、私のエゴか?)


最後に閑話休題
今回の質問タイムで私が聞いたこと…
「府の事業で行なっているが、市立小学校の行事で行なって問題ないですか?」
答えとしては企画段階で市の協力も得ているし、協力してもらう警察は「府警」として市内の地域と活動してますから大丈夫ってこと。
いや、”市”と"府”の関係を気にしている私がもろに現れたなと(爆)


システムはまだ本格稼動していないので、ネットなどで詳細を見ることはできませんが、依頼すれば説明会や資料をもらうことは出来ると思います。
担当さんと名刺交換してますので、興味のあるかたは私へご一報を。
manu.takahashi@nifty.ne.jp 

関連事業として「京都府府民協働防犯ステーション」についてはこちら


「傾聴」について

2012-06-28 00:12:54 | 真宗カウンセリング

最近、いろんな出来事のなかで「傾聴」についていろいろと考える。

その根底にあるのは、隔週で行なっている「新しい傾聴を生み出す会」の活動。
そして、5月から始まった真宗カウンセリング研究会のミニカウンセリング。

これまで、カウンセリングの学びの軸足は真宗カウンセリング研究会で、「傾聴」に関してはとてもベーシックな「傾聴」をすすめてきた。
聴き手の思いは交えず、ひたすら話し手が話したいようにすることを大事にし、こちらから何かを促すことなく、話し手が自分で話す言葉のなかで気付きを得ていく。
いや、言葉にするととても難しくなるのだが。

そこに、「新しい傾聴を生み出す会」ではそのベーシックなものを大事にしながらも、「ケースによっては少し逸脱することもあって良いのでは?」という視点でいろいろと試している。
一例としては、なにか「答え・指針」を欲しがってカウンセリングを受ける方に、なんらかの「お土産」を持って帰ってもらうことは果たしてダメなのだろうか?という感じ。

このことを改めて意識したのは、最近あったやり取りのなかで、「ただ『傾聴』してもらうのではなく、情報交換や聞かせてもらうことを望んでいたかもしれない」といわれた言葉。
私としては、やはりまだベーシックなところを大事にしていて、詮索やアドバイスをすることには抵抗があることに気付いた。
相手の方のことをしっかりわからない状態で、自分の想像の範囲の答えを返すことが適しているのだろうかという疑問。
いや、もしかしたら、ただ単に自信が無いだけなのかもしれない。

そんなときに、ネットで知人が話している言葉に出会った。

「今までも当然みんなには聴いてもらってたはずなんだけど はじめてほんまに聴いてもらえた嬉しさがあって びっくりして 『聴くというのはこういうことなんだ』という衝撃があった」
純聞学 ホームページ

あぁ、こういうことだな、と。
何かを与えることではなくて、聞いてもらうことで「聴いてもらえた」と感じる体験。
いろんな情報を得ることよりも、まず先に「聴いてもらえた」という嬉しさ、そしてそこから始まる、自分自身を聴いていく事であり、そこからの気付き。

答えをもらうんじゃなくて、自分のなかにある答えに至るプロセス。

「傾聴」はテクニックや手法ではなくて、話し手がそう感じられることへのお手伝いなんだなと。

ミニカンで実践していくなかで、いろんな方が質問してくださることもこのあたりが絡んでくる。
そういう場面にご一緒させていただくことで、私も実感的に深めてもらえる。


いまだに、この「傾聴」のことをうまく言葉にして表わせられないでいる。
が、私のなかには確たるものが生まれてきている気もする。

まぁ、「傾聴」出来ていない場面に遭遇することで気付くことは多いんだけれど。

と、ここまで書いてみて、あらためて「傾聴」は「傾聴」として、その上でニーズに応えていくことも模索できればな、と。
「新しい傾聴」そういうものがあるのかないのか(笑)
 

そして、この探求はまだまだ続いていく。


あなたはここにいてもいいんですよ

2012-06-15 01:45:20 | 真宗カウンセリング

前回取り上げた「みんなで発達障害を考える会」のあと、ブログで書いたこと以外にもいろいろと思いがわいていた。

そういうものを抱えながら、火曜日にミニカン研修会に参加したけれど、終わってからサークル囲炉裏の方々と少し話をして、思いを言葉にして見ることができた。
もしかしたら否定的な言葉に取られるかもしれないと心配していたこともあるけれど。

じつは、この日のミニカン実践で、初めてペアを組んだ方に自分でも意外と思うことを話していた。
PTA活動でのことを話したのだが、そこに現れた私の根底にあるもの。
何かを表明しようとするとき、「うまく伝わらなければどうしよう」「否定非難されたらどうしよう」そんなことを次々考えてしまう。
そして「こう言われたらこう返そう」というシミュレーションを何十通りも考えていく。
実際にはほんのひと時で済む関わりの事を長い時間思い描くクセ。
それだけで疲れてしまう…でもやってしまう。
そんなことが浮き彫りにされてきていた。

そのせいか、終わってからのひと時では、そういう壁を取り払って言葉にすることが出来ていた気がする。


「発達障害」をめぐる取り組みで、この「考える会」には多くの方が参加されていた。
その目的であり効果として現れるのは、発達障害のことをよく知らない方、誤解している方に、少しでも正しく認知してもらうことの気がする。
もちろん、私も「よく知っていなかった」ことが浮き彫りにされたのは、前回書いたとおりだ。
また、当事者を家族に持つ方のしんどさを共有する場として、同じ境遇の家族や、そういう家族と向き合ってきた当事者さんとの交流の場というのはとても意味がある。

ただ、私が見受ける範囲では、こういう集まりに参加されている当事者さんは世間の場に出てくることが出来る(出来るようになった)方で、受け入れてもらえる場に出会えた方の気がする。
もちろん、そこまで様々な無理解に対する苦悩があったことだろうし、それは現在もいろんな場所で続いているのだろう。


もう一方で、まだそういう一歩を踏み出せていない当事者の方も一杯居られる。
そういう方が、自分のことを客観的に見つめる「正しい理解の場」も必要だ。
この「考える会」はそういう場になりえる。

しかし、その前段階として、「ゆっくり、ありのままで居られる場」ということに触れて、やっと自分を見つめることが出来るんじゃないだろうか。
それには、大人数で、プログラム的に進められるものではなく、それこそ囲炉裏や縁側のような”なんでもない居場所”ということじゃないだろうか。

非構成エンカウンターグループというのは、その一つの回答だと思う。
言葉で説明するのは難しく、実際に体感してもらうしかないのが難しいのだが。

「ただ何もしない」ということとはまた違う、ファシリテーターという存在によって守られる居場所。


うーん、やはり上手く言葉には出来ない。

そういうものを目指している、一つの集まりが6月の終わりに開かれる。
少人数による 真宗カウンセリングワークショップ。
まだ、参加者の募集をしています。

案内はこちら

 


一般的理解では足りないもの  ~「みんなで発達障害を考える会」~

2012-06-10 16:46:18 | コミュニケーションワーク

「みんなで発達障害を考える会」に参加してきました。
主催のサークル囲炉裏の方々、今回の講師の新田氏とは真宗カウンセリング研究会などで長くご一緒させていただいている方々。
新田氏のブログ 

「発達障害」と言うことに関しては、次女や次男の言動にいろいろと傾向を感じ、今までも何冊か本を読んだりネットで記事を読んだりしていました。
また、昨年小P連はぐくみ委員会が「発達障害」を年間テーマに上げ、いくつかの講演会・研修会も参加させていただいています。
発達障害についての講演会について書いたブログ
そんな中、新田氏と話しをする機会も増え、大阪での集まりにも参加させていただいたりしています。

そして今回の「考える会」となりました。
そこで話された内容に関しては、私が中途半端に抜粋して提示するのは怖いなと言う想いがあります。
というのも、今回一番感じたことは、いろんな本や情報、講演などで聞いてきたことで「多少なりとも知っている」と思っていることが一番怖いことだと痛感したのです。
おかげで、まったく知らない、関心が無い時期に比べると、かなりアンテナを張り巡らせて「より正しい」知識に向かっているとは思います。
しかし、「わかったつもり」というのは非常に怖く、下手をすれば当事者を傷つけてしまうことにもなりかねません。

定型発達の方の思う常識…「自分がこうだから相手もこうだろう」という思い込みから一歩はなれて、「違う視点、違うこだわりがあるかもしれない」という柔軟な受けとめ方からスタートすることは理解できますし、心がけることは出来ます。
しかし、そういう「傾向」だと知っているだけのことと、その傾向の元になる「仕組み」まで知っていることには大きな差があるようです。

今回の気づきの一つに、ある情景を認知するために「必要な情報で判断し認知する」ことが出来るとして、発達障害の方の中には「一部に固執する」傾向もあれば、「時間をかけて情報を集めて言語化していってから…というプロセスを踏まないと進めない」傾向もあるということを教えてもらいました。

実際に息子と会話するときに、ある指摘をしたあとすぐに反応が無いことで怒ることがあるのですが、もしかしたらこういうプロセスに時間がかかっているのを、こちらが待ちきれずに反応がないと判断してしまっているんじゃないかと。

そういったいくつもの「思い当たるふし」が、一般的な発達障害の「行動理解」では取り上げられない部分にあることを知りました。

その過程で、私自身にも当てはまる項目がいくつもあることに、妙に納得したりもしています。


中途半端に、知ったことを伝えていく怖さも感じてはいますが、同時に「少しでも知りえたことを広めていくことで、周囲の対応が変化すればいいな」と言う思いもあります。

たとえば、授業で黒板に集中できない子が増えていると聞いています。
そのすべてが発達障害の傾向のせいではないでしょうが、たとえば「黒板の周りにいろんな掲示物があると、そういうものに視線・気持ちがひきつけられて、黒板に集中できない」という特性があります。
ならば、集中できないことをしかったり、そういう労力をさせて疲弊させるよりも、黒板の周りの掲示物を取り払って、黒板しかないようにすることで環境が変わるのならば、大きな変化になりえます。
そういうことを、PTAへの関わりという私の立場で広めていけば、ほんの一つだけでも要因がとりのぞかれるんじゃないだろうかと。

もちろん、そういうことをしっかり正確に伝えるにはまだまだ学びが必要です。
深めてから動くことと、とりあえずでも動けること。
そこを上手くバランスとりながら、何か少しでも支援につながれば、と言う思いがあります。


この会に参加している途中から、無性に次男を抱きしめたい衝動に駆られました。
今までの無理解を知らされたのでしょう。
残念ながら、この会の後に別の会議に出席し遅い帰宅、さらにはその後夜勤で出かけました。
しかし、今日は日曜、夜勤明けで寝ているところにやってきた次男を、布団の中に招き入れてほんの数分ですが抱きしめました。
怪訝な顔してましたが、もともとくっついてくるのが好きな子ですから、向こうも腕にしがみついてきます。

こういう気分の時だけじゃなく、できるだけ常にこうありたいなと。


山の家2012

2012-06-08 00:21:29 | PTA

相変わらずなかなか更新できないでいますが、日々様々な刺激を受けて過ごしています。
前回アップしたエンカウンターグループ以降も、ミニカウンセリングの研修会が毎週ありますし、PTAの行事もいろいろと。
また、8月の日本PTA研究大会の準備も着々と進んでいます。

そんな中、今年も「花背山の家」の長期宿泊体験のお手伝いをしてきました。
昨年も書き込んでいます。
http://blog.goo.ne.jp/buddist18/e/57b8a8772c7efbcbf8e45d0452625a4e

今年は月曜に出発して金曜に帰ってくるという日程。
保護者のボランティアも平日だとなかなか厳しいものがあります。

ただ、参加する学年は今年一クラスだけ。
児童数が少ないと言う利点はありますが、その分担任の先生は一人だけ。
一人の先生が2泊以上できないので、半分は担任以外の先生が面倒を見ることになります。(もちろん、校長先生や教頭先生も交代での参加です)

他の先生も普段から接してはいるのですが、やはり子どもたちにとって「担任」というのは特別の存在で、居るとき居ないときでは雰囲気が違うようです。


私は3日目から1泊してお手伝い。
3日目のメインイベントである、登山に遅れて参加。
遅れていって追いつけないと困るので、ゴール側から一人で山に入って合流します。
(普段、山に親しんでいるわけではないのでかなり不安でしたが)

まぁのんびりと自然を楽しみながら、普段は歩かない山道を歩いていきます。
合流の目安である「三本杉」はかなりのオーラがあり、昔の人がこういう自然に畏怖や敬意を表して奉った気持ちもわかる気がします。

夜は天体観測。
あいにくの曇り空ですが、月と土星を望遠鏡で見せてもらいました。
中学時代からの天体好きですが、土星を肉眼で見たのは初めてです。
先日の金環日食といい、今年は天体がらみで良い体験をしています。


こどもらは、やはり「すぐに静かにして話を聴く」というのは苦手なようです。
昨年はこの点をかなり書いていましたが、今年は少し違った目線で見ていた気もします。
怒られながらであっても、普段触れる事のできない自然に出会って驚くだけでも十分な体験だろうなと。

まあ、今年は私がいろいろと自然に触れて良い気持ちにさせてもらったってのもあるでしょうけどね。

4・5月とかなり複雑な精神状態にありましたから、こういう開放感はちょっと心に風を吹き込んでくれたようで、それ以降結構良い感じでいれたりもします。

その辺の心理状態に関する攻防は、書ける時が来たら書いてみましょう。