コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

冬期研修会打ち上げ

2006-03-30 22:45:59 | エンカウンターグループ
昨晩は冬期研修会の打ち上げがありました。
ようは飲み会なのですが、10回のワークで少しずつ深まってきた仲間達と交わすお酒は格別のものがあります。

残念ながら、普段のように円座になることが出来ないのでどうしても正面や横の人との関わりが中心になります。自然といくつかの話題に別れ、気になる話題が耳に届いても間にいる人を頭越しにして話に加わるのは難しいです。

逆に言えば、円座になって空間を共有しながら深め合っていくエンカウンターグループの素晴らしさ…それを再確認できた気がします。

とはいいながら、あまり膝突き合わせて話する機会が少なかった方とじっくり話しできましたし、自転車で来てた女の子を(私も自転車で行っていた)家まで送る間にもいろいろ話できました。

また5月から新しいグループでミニカンが始まります。また参加する予定です。
今回知り合った人たちの少しでも多くの方と再会したいですね。

春にはあとわずか

2006-03-26 12:22:34 | 真宗カウンセリング
昨日は子どもが通う保育園の卒園式(うちの子は送る側ですが)

年によっては桜満開の時もありますが、今年は梅と桜のはざまでしたね。今、遊びに来ている近所の公園の桜は蕾が弾ける直前。

昨日、卒園するお母さんたちに、新しいホームページをお知らせしました。もう少し仕上げて公開します。


冬期研修会 10回目

2006-03-24 01:07:58 | エンカウンターグループ
いよいよエンカウンター最終回。

今回は10回の研修を通じての思いなどを話し合いました。
私としては、回を重ねるごとに深まっていった感じがあります。初めて出会った方々も、話題の中心になり話をしてくださるごとにその”ひととなり”が見えてきて、どんどん親しくなった気がします。
しかし、それは錯覚で、それくらいでその人が判ったつもりになるとえらい事です(笑)でも、すべてを知らなくても、その人の歴史があるってことを受け止めることで、すごく近づいた気がするんです。

私自身のところでは、調子の良かった前半・中盤に比べ、後半失速(というか沈んだというか)時期があり、皆様にご心配をかけましたが、「気にしてもらっていた」ことを皆さんが表明してくださり、消えきっていない自身のエネルギーを揺り動かされ、この日の研修会では活きが少し戻っていたように思います。(皆さんにも顔色が違うといっていただきました)

さて、この日は通常の語り合いだけでなく、一人のメンバーが予告していた「おいしいケーキ」を用意してくださり、別の方が紅茶を用意してくださって、リラックスしたサロン的な雰囲気を持ちました。
さらに、ある方(今回のグループのメンバーではない)が描かれた絵を皆で鑑賞し、感想を述べ合う時間がありました。

よく、心理テストなどで「絵をどのように見ているか」で判断するものがありますが、一つの絵なのにいろんな見方があることが面白かったですね。またそれだけにとどまらず、他の方の感想を聞くとまた違った見え方がしてくる。
ひとりだと固定してしまう感覚を、グループで話し合って影響し影響され、相互に響きあっていく様は、まさにエンカウンターだと実感しました。
ミニカンを通じて、実感を言葉にすることを覚え、エンカウンターグループでそれを深め合っていく体験が出来ました。

また同じメンバーで同じ時間・空間を過ごせることはまずないと思います。
貴重な10回のグループワークでした。

また、春からミニカンに参加する予定ですが、次は自分の得た「カウンセリングで自由になっていく喜び」をクライエントに感じてもらうことを意識して”勉強”の段階に入りたいと思っています。

その実践として、時間の制約が少なくて済むインターネットを利用した、カウンセリングの実験を始めます。
もう少し、整ったらここでも発表することにします。

あぁ、もう、なにやってるんだか(苦笑)

2006-03-09 00:15:28 | 日常雑感
さっきアップしたブログに
>気持ちが急浮沈…ジェットーコースター状態です。
って書いたけど、ふと出てきたその言葉の元はMr.Childrenの「Not Found」って曲の一説
「ジェットコースターみたいに浮き沈み」っていうところから。
で、今、頭の中でその曲が何度も何度もリフレイン。

そのさびの部分
「昨日探し当てた場所に
 今日もジャンプしてみるけど
 なぜかNot Found 今日はNot Found」
っていう言葉が突き刺さってる。
昨日まであった”もの”が今日は見当たらない。
あ、この曲の場合は見あたらないのは”愛”なんだけど、わたしの場合はそれじゃないからね(って、誰に言い訳してるんだか…)

うーん、なにか書けば書くほど負のエネルギーに支配されるねぇ。
でも、書く事で発散してる部分もあるだろうし、他所のところじゃ迷惑だろうけど、ここはわたしのパーソナルスペースだから勘弁してもらおう(笑)

冬期研修会 9回目…とその前後

2006-03-08 23:51:27 | エンカウンターグループ
先週から気持ちが急浮沈…ジェットーコースター状態です。
今は…底から少し浮き上がってるあたりかな。

先週、ある方からお便りをいただき、知り合って数回の間に色んな関わりができてお互いに「あなたに興味がある」状態になっていたことがうれしかった。なんかウキウキする感じがして、次に会う時を楽しみにしていた感じがありました。

その後、いろいろあってどん底へ。いままで蓄えて、発していこうとしていたエネルギーが吸い取られたような感じで、途方にくれた感じに。

自分に興味を持ってくれた人に、そんな負の状態をさらしたくない気持ちにもなったけど、そういうものも含めて”私”だと…ある意味、どのようなことになってもそれがその時の”私”だという受け止めを支えに参加したのが今回の研修会でした。

参加の皆様には負のエネルギーを振りまき、申し訳ないなと。しかも半分くらいの方がちょっと遅れての参加で、事情もそこそこしかわからない状況での流れに戸惑われたのではと思います。にもかかわらず、色々関わってくださる。参加してよかったです。

なんて、このブログだけで見てる方は余計に事情がわからんでしょうね(苦笑)

もうエネルギーがなくなっていたかもと思ってましたが、色々な流れの中で動かされている私もいましたので、まだエネルギーは残っているようです。

が、しかし、その少しのエネルギーがまた私を苦しめています。

今日、華光会でも打ち合わせがあり、いろいろと動いていこうとする他の方のエネルギーを浴びました。また、ネットで紹介される話題やワークに、がんばっている、前向きに進んでいる方々のエネルギーを浴びました。すごく刺激される…なのに、うごめこうとする私のエネルギーを自由にさせてあげられない私がいます。

うーん、こんなこと書いてていいんだろうか。
ま、これも紛れも無い私だからねぇ。
さて、真宗カウンセリングへの道はどこに向かうのだろうか…。


冬期研修会 8回目

2006-03-02 18:43:45 | エンカウンターグループ


最初のチェックイン時に「スケジュール帳をみたら今日が8回目。早いですねぇ」とおっしゃる方がいた。ほんとうにそう思う。私もこういう形でタイトルに回数をつけてブログにしてるから、残りが少ないことを痛感する。

今回は、前のブログに書いた「思っていることを話してみた」ということをまず投げ出し、あとは場の流れに任せていた気がする。

流れの中心は、ある参加者の最近の心境。自身と仏法の関わりを通じて「変わってきている自分」というところを話してくださった。いつもなら一緒に法座に参加している仲間が半分いるのだが、今回はそのうち3人お休み。そのことが逆に「専門用語を使わずに伝えたい」という発言者の思いになり、私としては”面白い”展開になった。

他の方が発言者に質問をし、それに答えていくという展開なのだが、もし法座で同じやり取りになったら私が説明したり言い換えたりして整理しようとしたり、質問者の質問の内容ではなく”なぜその質問をしようと思ったのか”に気持ちの重点がいっていたと思う。(逆にいつもそう思って動きすぎていることが見えてきた)

今回は、「言葉に出来ないところを伝えたい」ということで発言者が奮戦していたが、発言者の言いたいことが上手く伝わらなかったかもしれない。でも、「何か伝えたいと思っていることが伝わってくる」という質問者の言葉にあるように、言葉ではなく発言者の”熱(エネルギー)”がその場にあふれ、皆に伝わっていた気がする。

「説明でなく、体験のところで」というアドバイスもあり、話が徐々に具体的になり、聞いた人がまたたとえなどをだして「私にはこう聞こえるのですが」と返していかれる。すごく動いている場だと感じた。

私自身はほっとくとどんどん説明したり整理したりするのから「ちょっと控えておこう」と言う思いに捉われ少し不自由さを感じていた。一方で、動いている場に任せていることの心地よさも感じていた。その辺は今後の課題として心にとどめておこうと思う。

話の内容のことになるのでここに書くのが適切かどうか迷うところではあるのだが…
話題の一つに「(自身のこだわりを)手放した」という言葉があった。流れは「どう手放した?」「何か力があった?」という質問になるのだが「何がとかどうとかじゃなく、手放していたと言う感じ」
このことが私にはすごく共感できて、そう感じている彼にうれしさを感じた。
手放すことが大事と教えられ、手放そうと頑張ったり、どうすれば良いかと悩んだり、手放した人を疎んだりする人を多く知っている。「手放すことが大事」と本当に聴いたら、その刹那手放している…これが本当に響いたってこと。頭で聞く・理解するのではなく、心で応えていくところ。ここは、体験の世界で、言葉にはできんのよねぇ。