コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

みんなちがってみんないい

2011-02-28 16:56:05 | 日常雑感

昨日、初七日逮夜を済ませ、ちょっと一息の感じです。

葬儀の日の夜、PTAの臨時総会がありました。
少し迷ったのですが、新会長として承認される場でもあったのと、時間的にその日の法事を済ませてからでも間に合うので参加することにしました。

その臨時総会の後、「家庭教育学級」が行われ、あわせてそこに参加しました。
教育委員会の講師をお招きして、「困った児童」に関する認識のことをいろいろと講義してもらい、普段カウンセリングで学んでいることとリンクする事例も合ったりして興味深く拝聴させてもらいました。

その中で、ちょっと違和感を感じる部分もあったのですが、講義後の質疑として一人の参加者が意見を述べてくださいました。
そのことがボヤーッとしてた違和感をハッキリしたものにしてくれました。


講義としては、AD、ADHD、アスペルガー症候群のことなどを紹介して、「そういう児童が居る」ということ、その特徴を知って、「特異的に見るのじゃなく、共に過ごそう」という流れだったように思います。
「この子はおかしい」と見るのじゃなく、「こういう子もいるんだよ」という視点を、地域でも持っていこうということだと。

実際、様々な価値観の中で、「大勢を占める」考え方が中心となり、外れるものは疎外することを知らず知らずしていることはよくあります。
「もっと頑張ればいい」とか「なんでそんなことができないの」とか、「今のありよう」を認めずに、自分の”よし”とするものに合うか合わないかで判断してしまう。
それを「今のありよう」もOKだと見ていくことを話てくださいました。

その中で、「環境的に受け入れる」様な話があったのですが、一方では「理解」によって特別じゃない(差別しない)事を言いながら、その「環境」の部分で「他の子と同じ土俵に上がれるような補助」という考え方が示されました。
視力が弱ければ、コンタクトなどで矯正し、動きに弱いところがあればロボット技術でフォローするというものです。
実際、外骨格的に機械を装着することで、歩くことをカバーしたりして、車椅子から歩行へと変えていく技術があることも知っています。

ただ、それは「普通=○」「普通じゃない=×」として、×を○に近づけようとする考え方で、「普通じゃない」という決め付けであり、「今のありよう」を認めないものにつながります。

もちろん、そういう技術で持って、別の「今のありよう」を求める人も居ますし、それはそれでOKです。

意見を述べてくれた方は「機械を使って他の子と同じように走って、それでよかったねと思われたいんじゃないです」とおっしゃりました。
「うまく走れなくても、それが特別じゃないという見方をして欲しい」と。

録音や記録をしていたわけじゃないので、実際におっしゃったことと多少違いがあったり、私の思いが混じったりはしてると思いますが。

大勢に沿わないものを、大勢に引き上げるんじゃなくて、沿わないものをも含んで「ありよう」としていくことは大事だと思います。

そういえば、以前別の集まりでも「弱者が共存できるシステムつくりを」と強く主張していた方が居られ、現状を打破していきたい熱い思いは感じましたが、どこかに違和感を感じていました。
共存ではなく「弱者」という見方、認識の仕方を無くしていくことが出来れば…

もしかしたらそれは理想論で、それより先に具体的に現状を変えるシステムのほうが望まれるのかもしれませんが。


先の意見を述べられた方と学習会後にしばらくお話させていただきました。
そのとき話題にでてきた「みんなちがってみんないい」という金子みすずさんの詩が大事なことを教えてくれるような気がします。

私と小鳥と鈴と

  私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面を速く走れない。

  私が体をゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴る鈴は私のように、
  たくさんな唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。


あわれというも中々おろかなり

2011-02-22 23:32:12 | 真宗

今朝、おばあちゃんが死んだ。
ずっと病院で寝たきりだったし、93歳ということもあり、そう遠くない時期にこの日が来ることは予想できた。

先週には知人の訃報があった。
今まで知人の告別にはできるだけ赴いていたが、なぜか今回は気が向かなかった。
家庭や仕事の予定がやりくりつかず、葬儀には連れ合いだけがいくことになったときは、不思議な安心感があった。

日曜日には日曜礼拝で法話をし、その知人の話題を持ち出しもし、大人の座談会では当然のごとくその話題にもなった。

でも、メールや人の言葉で知人の死をしるだけで、面と彼の姿と向き合うことを避けて、リアルではないところに自分を置こうとしていた気がする。

今から思えば、この来るべき祖母の死…よりー身近なリアルな死を予感していたからこそ、逃げていたんじゃないだろうか。

昨晩、病院からの連絡があり、院長先生から状況を聞き、今後の方針を相談した。
その中の一部は家族の同意が必要な項目だったために、呼ばれて説明を受けた。
その時点で、結末は予想できた。
でも、予想なんてものは妄想妄念と同じで、リアルなものではなく、自分の想像しえる範囲で作り上げたものでしかない。

連れ合いに連絡をし、時間が遅かったんで寝ていた息子二人を残して、娘二人は最後の挨拶をさせた。

付き添うという母だけ残して帰宅し、朝に母からかかってきた電話で病院に向かった。
その電話をかけて病室に戻ったときには、すでに息を引き取っていたそうだ。
私はそんな状況でも「まだ間に合う、会える」という、何の根拠もない思いを旨に、朝の混雑した道を車を走らせていた。
そう、この期に及んでも、おばあちゃんが死ぬということはリアルではなく、想定外だ。
まったくもって、自分の都合でしかものを考えていない。

病室に居たおばあちゃんは、穏やかな顔をしていた。
呼吸マスクやいろんな装置がすでにはずされていたため、これまでよりも楽そうに見えた。
手は暖かかった。
私の手なんかより、はるかに生気があった。
でも、命はそこになかった。


お寺、葬儀社など、いろんな手続きを請負い、事務的にこなしていく。
逆に、感情的なことを感じることがない感じで、淡々とことを進めていく。
一度、家につれて帰り、今後の相談をする中、祖母が世話になっているお寺のご住職が来られ、枕経をお勤めしていただく。
臨済宗のお勤めで、南無妙法蓮華経。

日時などを打ち合わせして、家族交代で家に帰り色んな準備。
私は夕方に一度帰り、子どもらをつれて戻った。
普通の布団に寝ている、身近な状態を息子らに見ておいて欲しかった。
祖母の家に向かう途中で、息子らに初めて祖母の死を告げる。
どこにどう反応しているのか、泣きじゃくる息子ら。
説明や理屈じゃないところなんだろうと思う。

祖母の家に着いたら、うちの家族と母とだけで白骨の御文章をあげさせてもらう。
何かお勤めをしようかとも思ったが、息子らに聞いてもらうにはこの方がいいだろうと。
御文章そのままあげたあと、その意味を説明する。
浄土真宗に縁の浅い母にも何か伝わればと。

祖母の残した写真やノートをみんなで見る。
私と出かけたときのことを記して「食事に連れて行ってもらった。うれしかった」などと…

そのままそこで食事をして、今帰ってきた。

おばあちゃんの死を、受け止めることが出来ているのか、まだリアルじゃないのか、それすら分からない感じに包まれている。

ましてや、自分の死などまったく現実感がない。

白骨の御文章を、今一度拝読すべきはこの私のほうだ。
このあはれなものに問われているのだ。

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。
一生すぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

 

 


まぁ、これも流れか

2011-02-09 19:05:17 | 日常雑感

水面下…というか、水面あたりを出たり入ったりしながら進んでいた話が一段落し、来年度から新たな役職に赴くこととなりました。
って言うほど大層なことでもないんですが、名前だけの役職になるのか、責任を担った大役になるのか、動いて見なければ分からないなぁって感じで。

まぁ、この話はもう少ししたら公に出来るんですが、今はこんな”感じ”だけのところで。
で、この役を受けていく上で、結構調整役的な動きが多くなりそうな予感があります。
そこで、変に解決に動くより、当事者の対話の場面を出来るだけ作りたいなという思いがでてきてます。
それこそ、ここ数年カウンセリングの場で学んできたことが役立ちますし、私がその立場になる意味がそこにある気がしています。
まさに「聞き方・伝え方」を、その場に参加する人が意識してくれれば、新たな関係が生まれるんじゃないだろうか。
それを1年(もしかしたら2年)かけて…
うーん、無難に役をこなすなら、淡々と進めていくことも出来るんだろうけど、そういうことを引き受けて背負っちゃうのがMANU.所以ということで。

まぁ、主に会議的な話し合いの場が多くなると思うんだけど、そこに持ち込みたいことの1つが「私メッセージ」であり、相手を否定・非難する言葉で進めるんじゃなく「私はこうあって欲しい」という伝え方。
本当は、小手先のテクニックじゃなく、相手を尊重するマインドが伴ってこそなんだけど、まずは形からだけでも、ずいぶん風通しがよくなると思う。

なんかしらの意見を述べるとき、そこには「こうあって欲しい」という理想があるんだろうけど、ほとんどの場合「そうでない現状」を問題にし、その当事者のやり方を否定し、非難し、「なぜ分かってくれない」と責めてしまう。
そこを、お互いの立場や現実を尊重しつつ、「こうあって欲しい」ということをゆっくり受け取りながらコミュニケーションを取っていければ。
おそらく、そういう場を作るにはファシリテーターとしての役がいないと難しいと思うし、それを私がやり切れるかは不安でもあるけどね。

などということをここ数日、考えたり、人に話したりして、自分のなかでゆっくりと熟成されていってる感じがします。

リアルにしろ、ネット上にしろ、つながっていたいと思うから何かしらのアプローチをし、コミュニケーションを図ろうとするんだろうけど、その手段(発信のしかた)がずれてしまうと、”つながっていたい”ということよりも攻撃的なものが先に伝わってしまい、当然相手は防衛に走ってしまうし、場合によっては守るために逆に攻撃に転じてしまう。
幾度となくそういう場面に出くわしてきたし、時には無意識のうちに攻撃する側になっていたこともあった。

おかげさまで、まだまだ完璧とはいえなくとも、攻撃エネルギーが枯れ始め(老齢化か?)比較的ゆったり受けることが多くなってきた(当社比)し、逆にそういう攻撃的な空気に過敏になって、こちらが燃え盛らないように距離を置くことも覚えてきたしね。

と、いつものように話がずれてきたけど、こういう「伝え方」の部分を今一度深めてみたいと思ういいタイミングで、今週の金曜日(11日・祝日)に「聞き方・伝え方の学び」が行われる。
最近テレビでの露出が増え、好感度の高いある方の「話し方」を参考に、そのあたりを参加者と深めてみたいなと思ってる。
といいつつ、いつもその場の面子や雰囲気で流れに任せて動きを変えたりもするんだけどね。

さらに、来週の日曜日(20日)には日曜礼拝の講師役を引き受けている。
当初予定されていた先生が急遽駄目になったんで、ピンチヒッター。
こちらは今のところ「聞き方」の部分を、子どもたちに合わせて話しようかと下案を練ってる。


うーん、刺激にはことかかないんだけど、私個人の糧にはなっても、家族の糧(経済的に)ならないってのが目下の問題だなぁ。

最近話題にしてるドラマ「スクール」で”貧乏”なんてことをテーマにされた日にゃあ、心穏やかざる状況で見てたしねぇ…(苦笑)

 

2月11日(祝)「聞き方・伝え方の学び」

2月20日(日)「日曜礼拝」