コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

いろんな考え方が認められる世界 「聞き方・伝え方」学習会5月

2011-05-30 01:40:21 | 「聞き方・伝え方」学習会

土曜日は「聞き方・伝え方」の学習会。

 

朝まで仕事した後、軽く睡眠とってたら連れ合いからメール。

子どもを目医者に連れて行ってたんだけど、診察が思ったより時間がかかり、彼女の午後の予定にギリギリだから迎えに来て欲しいと。

あと1時間は寝たかったけど、ここは仕方なしに起きてお迎え。

 

前日からの雨模様もあいまって、ちょっとけだるい感じで学習会会場へ

悪天候もあってか参加者は3人(うち二人は世話役さん)と少ない。

でも、なじみの方々なんでリラックス。

 

いつもどおり、2分間の静かな時間を持って、それぞれの今の感じを伝えてもらう。

3人3様の感じを聞かせていただき、ゆったりとスタート。

 

いくつかワークを考えていたけど、今回は伝え方の方に重点を置いて、自分の中の感情をキャッチして言葉にする練習を。

といっても難しいことじゃなく、目の前に題材を置いて(今回はお仏壇のお花)そこから感じられるものを言葉にしていってもらうだけ。

ただ、ちょっとだけ意識的に”感情の言葉”に気づいたらそれを言葉にしていくことを大事にしてもらう。

 

 

3人ともこの学習会に慣れてきておられるので、こちらが特に動かなくても、発言しだした方を大事にして、他の方が話してる間は聞き手に徹しておられる。

なんてことはないのだが、じつはこれが自然と出来上がる場になってるのは結構すごいこと。

 

また話される内容も、最初は目に映る花のことを話し出してるが、そこから連想される話題に次々とシフトしていく。

「話し手が話したいことを話たいように」

この原則が自然と出来上がってるから、時間も区切らず、話に耳を傾ける。

 

3人がそれぞれ、ゆっくりと話し、途中気づいた感じを言葉にし、そこから自身の深いところまで語っていく時間。

人数が多ければ、何組かのグループにわけてしないとなかなか取れない時間を、今回は私入れて4人だから全員で持つことが出来た。

 

他の方が話したことに対しての感想もそれぞれ話してもらったけど、それぞれが他の方の話に感心している。

認め合う世界を感じた。

 

 

その後も休憩挟んでゆったりと自由に、エンカウンター的に話合いの場を続けたけど、この学習会を続けてきていることで変わってきているコミュニケーションに対する意識をそれぞれの方から感じた。

 

 

ひとりひとりの成長というものもあるんだろうけど、他の方の姿を通して気づき、自らも変わっていく姿に、響き合い育ち合うという言葉が浮かんだ。

 

あぁ、このことを先達や先生方から見せてもらってきたんだなぁと。

 

真宗カウンセリングという看板を掲げてはいない集まりだけど、私の中にある真宗カウンセリングが体現されている場なんだなぁ。

 

 

6月は残念ながら日程調整がうまくいかずお休み。

(最初予定してた日に、PTA絡みの予定が入っちゃった)

7月は…決まり次第ブログなどでお知らせします。

 

6月は19日に日曜礼拝の法話担当もあるし、26日は京都支部法座

7月に入ってすぐに真カ研のワークショップもあります。


自由参観・英語の授業

2011-05-27 12:51:21 | PTA

この3日間、自由参観だったので一昨日と今日、少しではあるが観にいった。

一応息子らに「どの授業を見に来て欲しい?」と確認はしたが、こちらの仕事都合でそうそう合わせてはいられない。

(次男などは、「一日中観てて」などと…)

 

そんなかで、できるだけ観たいなと思ってたのが「英語」の授業。

今年から5年生6年生に組み込まれたものだ。

 

で、先ほど観てきたが、これが実に楽しい。

ゲーム形式で、英語に”慣れ親しむ”ことに主眼が置かれてるのかな。

会話に使われる「Stand Up」とか「Come Here」「Head Down」なんかを自然に学んでいけるのも良いと思うけど、それにプラスしてゲームに使う題材が「感情の言葉」なのが良いと思った。

9枚のカードを使うが、「Angry」や「Hungry」、「Happy」や「Sleepy」などをイラストで表現(多分手書きだと思う)してある。

子どもらは、そん感情を身振り手振り交えながら、言葉として発していく。

 

二つ目のゲームは、3枚黒板に張ったものから、代表者がサブカード(黒板に張っているものと同じもの)を隠しながら選び、生徒がどのカードが選ばれたか当てるゲーム。

ただ当てるんじゃなくて、まずは代表者が「How Are You?」と尋ね、生徒が「I'm ○○」とその感情をジェスチャー交じりで答える。

そして、生徒の方から「How Are You?」と尋ねて、代表者が「I'm ○○」と答えを発表し、正解ならそのまま立って、間違ったら座る。

これを難解か繰り返して、最後まで代表者の選んだものを当てていた人が「Winner」

 

「以心伝心」ゲームということだそうで、Winnerは「”Isihindenshin”Master」として次の代表者になる。

 

文法的な理解は後回しで、感情をジェスチャーで表す…コミュニケーション的にも大事なことの学びだねぇ。

 

私の世代だと、英語の勉強といえば「文法」から始まって、日本語で意識したものを文法的に正しく英語に変換するもの。

また、単語のスペリングを正しく記憶していくもの。

あまり楽しかった覚えがない。

 

それよりも、Beatlesを聞き出して、そのタイトルが意味するものを覚えていく方が楽しかったし、「Yesterday all my troubles seemed so far away」とかいう歌詞で言い回しを覚えていくのが楽しかった。

そこから連動していって、「Seem」なんかだったらRod Stewartの「Seems Like A Long Time」が理解できてくるし、そういう「Like」の使い方が分かったらBob Dyranの「Like A Rolling Stone」が「転がる石が好き」じゃなく「転がる石のように」ってのが分かっていった。

最初から「Like~」の用法は…なんて習ってもねぇ。

(と、英語が苦手ないいわけですが)

 

と、話がそれたが、子どもらは実に楽しそうに英語に親しんでいた。

 

 

帰り際に職員室に立ち寄って、教頭先生がいたんでその感想を伝えたら、ちょうど作成中のプリントをいただいた。

6月にある保護者研修会の案内だが、「国際化」という文字がある。

この英語の授業を見ていたら、英語が特別なものだという「垣根」は子どもらは薄いだろうなと。

むしろ、親たちが「外国」というものを特別視していて、大きな垣根を作っている。

「子どもはその姿を見ていますから、まず親がグローバルな視点を持って欲しい」という先生の言葉に、まったく同感だったし、理解的に「垣根をなくす」ことよりもまず、垣根の向こうにいると思っている人たちと触れ合って、理解しあって、同じ生命だということに気づいていければ…。

 

これは、人種的なことだけでなく、あらゆる”垣根”に通じることだけどね。

 

みんなちがって、みんないい

 

6月には、支援学校PTAの方との交流もあるし、この研修会もあるし、またいろいろと”知己”の機会がいただける。

火曜日・水曜日に多くあるのがちょっと困ってるんところだけどね。

 

 

あと、参観といえばもうひとつ感じたこと。

次男の方の授業を観ていると、多くの子どもが手を上げて質問に答えてる。

先生が「まだ答えていない人に」と言ってつぎつぎ当てていくが、そのうち一度答えた人もあたる。

そのときに「○○さんは、もういっぺん答えてるからずるい!」と声が上がる。

うーん、そこに嫉妬するほど自分が当てられて答えたいんだなと。

まだ3年生だからかなぁ…

自分が子どもの頃は、どう”当てられないように手を上げる”かに苦心してたような記憶が(笑)

 

ともあれ、子どもらが楽しそうに授業受けてる姿を見れてうれしかった。

先生方、ありがとうございます。

 


今日は何の会議?

2011-05-26 13:52:58 | PTA

PTA会長になってから、知らぬ間に多くの組織の参加者となってきている。

今まで知らなかったこととはいえ、あまりに複雑な成り立ちに困惑している。

が、整理してみたら多少は複雑さが緩和されるかもと思い立ち、どうせならこのブログ上で整理しておこうかと。

もしかしたら、今後同じような立場になる人が検索してくるかもしれないしね(そんなことはないか)

 

まずは基本的な位置づけとしては

 

子どもが通っている京都市立九条塔南小学校の「PTA会員」

これは、子どもの保護者であれば自然となる立場。

一応、学校の職員も「PTA会員」となる。

 

で、そこから学内の立場を表すと

 

「PTA会員」→「PTA本部役員」→「PTA会長」

ということですね。

ここはまず問題ない。

 

で、PTA組織としてさかのぼると

 

「PTA会長」=「単P会長」(単位PTA)→「南P連会長」(支部PTA連絡協議会)→「小P連理事」(京都市小学校PTA連絡協議会)

ここでは「支部PTA連絡協議会」の南ブロック(京都市南区)13校のうち、当番で南ブロック会長が当たっており、結果13校の単P会長の代表として「京都市小学校PTA連絡協議会」の理事となるわけですね。

 

で、組織としてはさらに

京都市の幼P連・中P連・高P連・総P連が集まって「市P連」(京都市PTA連絡協議会)があり、「日P」(日本PTA全国協議会)の所属していると。

さらにややこしいのは、京都の「市P連」は、「近畿ブロックPTA連絡協議会」と「政令指定都市PTA連絡協議会」の平行して所属しているという…

まぁ、私が会議などに参加するのは「小P連」までですが、全国大会・政令指定都市大会・近畿大会などのイベントには参加することがあるかもしれません。

 

と、この一本の道ならばまだ理解しやすいのですが…

 

「単P会長」の所属する地域として、中学校区ごとに「地生連」(地域生徒指導連絡協議会)というのがあります。

うちの場合は「九条中学校」の校区に「九条弘道小学校」「九条塔南小学校」があり、この3校で「九条中学校区地域生徒指導連絡協議会」となります。

で、こちらのほうも当番制で会長が決まるのですが、今年度は我が校が当番…ということで、私が会長ということに。

これも地域によってはさらにブロックでまとまるようなのですが、南区はブロックはなく、各中学校区の会長がいきなり「全市地域生徒指導連絡協議会」に参加となるようです。

 

「単P会長」(単位PTA)→「九条地生連会長」→「地域生徒指導連絡協議会」

この全市の方はまだ会合に参加してませんので、ここでも役割があたるのかどうかはまだ…。

 

 

もうひとつ学校がらみで行くと「学校運営協議会」というものがあります。

これは地域の自治連、社福協議会などの「学校評議委員」(PTA会長もこの理事になります)によって学校運営方針などを話合い、「学び」「豊かな活動」「安心安全」の3部会で活動していきます。

 

さらに「塔南自治連合会」にも参加各種団体長として「小学校PTA会長」が名を連ねています。

 

そして行政として「南区まちづくり推進会議」があります。

これは単P会長としては「自治連合会」に所属し、その「自治連合会長」が委員となっているので末端会員なんですが、「南P連会長」が委員になるということで…

 

と、書いてるだけで疲れてきましたが。

 

すでにいろいろな会議に参加してきましたが、単年度の役職ですと、今までの活動を理解するまでも行かず、新たな提案を発するまでに一年が経ってしまいそうですね。

実際、総会に出ても「意見・質問は?」と問われて応えられるものを用意できていませんし。

PTAがらみでも、学校側がお膳立てしていて、役職だけPTA会長が担うってのもありますしね。

 

でも、それだけで終わるのもなんか悔しいのですが。

あまり欲張ると大変なんで、まずは単Pとして内部の充実を優先しながら、「小P連」あたりまでは積極的に。

あとは窓口として、小学校の保護者からあがってくる要望・問題などがあるときに、その橋渡し役として地域や行政に絡んでいく立場かな。

 

しかし、「一年間、PTA会長をお願いします」という言葉を受けただけなのに、えらいことになってしまってますね。

 

単Pの方は、自分の都合も考慮して会議日程を決められるんですが、他の組織となるとなかなか思い通りに行かず、ミニカンや勉強会を休むことも増えるかもしれません。

そこはちょっと困ったもんですね。

とりあえず、スケジュール管理をしっかりしなくっちゃ。

 

 

 


悲観するだけじゃないと思うよ

2011-05-24 01:57:30 | 日常雑感

先日、ネット上で見つけたニュースをもとにmixiというところで話題(日記)にしたところ、いくつか反響のコメントがあった。

その日記を書いてから、5分と経たないうちに200人以上のアクセスがあった様で、結構多くの人が興味を持ってる話題なんだな。

 

日本では子育て費用や働く環境などへの不安から、すでに子どもを持つ人が2人目以降の子どもを持つことをためらう傾向が強いことがわかった。

YOMIURI ON LINE

 

 

このニュースに対するコメントの多くは、子育てにお金がかかることを嘆き、政府の無策ぶり(あるいはKYな政策)に憤り、不安を語っている。

 

私自身が、4人の子育てをしていることや、お金では得られない喜びもあることを語ると、何人かの方が賛同してくださった。

 

4人の子どもそれぞれが性格が違い、それだけでも楽しい。

いや、楽しいことばかりじゃなく、怒らされたり、悩まされたり。

でも、喜怒哀楽を刺激してくれるこの子らがいなければ、人生はもっと面白くないものになっていただろう。

 

 

などとここ数日考えているのだが。

 

しかし、経済的なことを考えると、大変なのは確かだ。

同じ収入レベルだとしたら、独身貴族の友人はもっと趣味や遊びにお金を使えているだろうし、子どもがいない友人は夫婦での時間や旅行などにお金を使えているだろうし、子どもの少ない友人はもっと一人の子どもにお金をかけたり遊びに行ったり…

 

と、ついつい他を基準に考えてしまう悪い癖が出る。

他人と比べてため息をつくのは仕方ないことなのかもしれないが。

わたしから見たら夢のような生活をしている人でも、それで満足しているかというとそうではないらしい。

欲というのはきりがない。

 

そう思えば、2500年前に、王子として華やかな生活をしながら、その現状に満足できずに「どんなにその一瞬が楽しくとも”苦”からは逃れられない」と、家を捨て家族を捨て、目覚めの道を目指した人がいた。

 

そんなおしゃか様のような境地にはなれないが(笑)

 

 

わたしから見たら楽しそうに思える独身貴族も、子どものいない人も、子どもの少ない人も、すでに子育てが終わった人にも、それぞれに苦しみがあり、果たされない欲がある。

 

そんな満たされない思いをどうするのか。

 

「そんな自分だけど、もっと大変な人もいる」と、上を見ずに下を見てごまかす方法もあるだろう。

「いや、これは本当の私じゃない。これからもっといいことがあるさ」と、将来に希望を持って今をやり過ごす人もいるだろう。

「今の状態が、これでしか得られない結果につながるさ」とポジティブに考える人もいるだろう。

「理想ではないけれど、今の状態は今の状態で、これが私」と”今・ここ・わたし”を受け入れていく人もいるだろう。

「幸せな奴にも、きっと不幸は訪れるさ」と、他を呪う人もいるだろう。

 

どれが良くてどれが駄目ってことはない。

私を見てみると、こんないろんな思いが時によって現れたり消えたりしている。

うん、欲の世界から抜け切れられんなぁ。

 

 

不安はあるかもしれないけれど、「もうひとり子どもがいたらなぁ」って気持ちがわいてきたら、それにしたがっても良いと思うよ。

「今、わたしはどうしたい?」って問いかけを、じっくりと時間かけて向き合ってみるのは大事なことだと思うから。


過去との遭遇  ミニカン2回目・月例会を通じて

2011-05-20 12:11:13 | ミニカウンセリング

この数日も非常に密度の濃い日々となっております。

 

火曜日にミニカンの2回目があり、その後友人と飲みに(私はその後仕事があったんでソフトドリンクでしたが)、夜勤仕事の後、水曜日は朝から華光会の「親鸞聖人750大遠忌事業」ミーティング(その様子は別ブログにて)、夕方から真カ研月例会。

で、ミニカン、ミーティングを通じてもいろいろ味わいがありましたが、それらが月例会でのチェックイン時に言葉となって明確化されてきました。

 

 

ミニカンでは、2回ある実践のうち最初はタイムキーパー役なんで、私は1回だけの実践。

今回初めてミニカンに参加されたNさんと。

1回目に別の方とペアを組んで実践され感じておられた、「聞くことの難しさ」を聞かせてもらい、私は最近のPTAの関わりの中で感じていることを話しました。

初実践だったので、10分間という短い時間でしたが、やはり言葉にしていくことで明確になってくるものがあります。

Nさんは初めての実践ということで、まだ聞き方は力が入りまくりなんですが、一度だけしっかりとレスを返してくださいました。

そのレスが私にとっては大きな意味があり、そこまで話したかった話題の中に流れる”気持ち”を一旦抑えることが出来、そこから先になる根っこの問題にシフトしていけました。

残念ながら10分ではその入り口までにとどまったんですが、最近の問題が実は過去からの問題につながっていることがハッキリとするきっかけをもらえたんです。

ミニカンのすごさと、レスの大切さをあらためて実感できました。

 

そのあたりからのつながりも含めて、ミーティングの中で気持ちが動いていきます。

 

ある提案に対して、過敏に(私はそう思ってなかったけど)反応している場面がありました。

軽い気持ちで「ちょっと不安がある」ということを口にしていたんですが、そのことを具体的にどういうことか問われました。

漠然とした”感じ”として話していたことを、具体的に伝えようとすると困ってしまい、無理やり言葉にしようとして空回りします。

それこそ、「単に”感じ”があるだけです」が本当の気持ちなのに、「分かってもらおう」と力が入るにつれて、自分のものから離れていくんですね。

結局、過去の出来事を引き合いに出して、また”そうなること”を恐れているという話をしているのですが…

 

そのことが夜の月例会チェックインのときに振り返ることで、ちょっと明確化されてきました。

恐れているのは、その”過去の出来事”ではなくて、その出来事があったときに私自身が負担になり、不安になり、押しつぶれそうになった”私の気持ち”なんですね。

「また、あんな経験をすることになったらどうしよう」

 

実際は、まったく同じことが起こることはまずないでしょうし、私自身いろいろと成長してきていますから、出来事に対する対処はいろいろ幅広くなってると自負しています。

しかし、心根のところでの”弱い部分”はそのままで、「弱い部分がある私」という受け止めは出来るようにはなっても、「弱い部分を克服」したわけではないんですね。

(その受け止めだけでもかなり昔とは違う自分にはなってますが)

 

 

前の日のミニカンで、一度レスで押さえてもらった言葉は「引きずっている」という言葉でした。

自分が発した何気ない言葉ではあるんですが、カウンセラー役のNさんが「引きずってる」と言葉にしてレスしてくださったことで、「そう、わたしは引きずってるんだ」と、自分自身で在れたんですね。

それが違う形で、やはり「引きずってる私」に出会うことになれました。

 

それぞれファクターは違うんですが、私の本質の問題はそこに在ります。

(他にもいろんなファクターを引きずってます)

 

ミーティングのときに、その時は意識できなかった「引きずっている私」によって、閉じてしまったことにより押し出せなかった話題がいくつかあります。

それらの話題を、次の機会にもう一度「私の気持ちとしてどうしたいか」ということを含めて持ち出したいと思ってます。

 

もうちょっと深いところまで意識化・言語化したい気持ちもありますが、毎週あるミニカンで徐々に触れていければいいなと思ってます。

(来週はPTAがらみの会合があるので、ミニカン欠席しなくちゃなりませんが)

また、月例会でもロジャース氏の論文輪読が始まりますから、楽しみです。

 

理論と実践…いいご縁に恵まれてます。


「規範」という言葉で感じること

2011-05-17 13:09:15 | PTA

 

先の日曜日には日曜礼拝の「花まつり」、月曜にはPTA関連でいくつかのミーティングがあり、相変わらずネタには事欠かないのですが、じっくり書き込んでる時間がなかったりします。

 

そんなミーティングの中で出た言葉であり、今年の市P連の目標でもキーワードになったものが「規範」というものでした。

 

この「規範」ということからいくつか、いろいろな深さで感じることがあります。

 

 

まず、「子どもに手本となる」というところでは、このブログでも「挨拶の見本を普段から親が示す」ということや、「子どもの言動は一番の手本の親の模倣である」ということで取り上げてます。

(よければこちらをご覧ください)

「挨拶しなさい」としつけるなら、普段から挨拶する姿を親が見せることが大事ですし、子どもが汚い・きつい言葉遣いをしているならば、自分がそういう言葉を子どもに投げかけたいませんかってことですよね。

 

今日は、そこからもう一歩進んだところで、最近感じることを書いてみます。

 

「ルールを守る」というのは、親から子どもに伝える大事なことの1つですよね。

で、そういう自分はちゃんとルールを守っているかということを振り返ってみて欲しいんです。

 

例えば、横断歩道で「赤信号は止まって待ちましょう」ということがあります。

これは誰でも知ってる当たり前のことですね。

子どもが小さい頃は、親に手をつながれながら、しっかりと信号の前で止まっていますよね。

ふざけて車道に身を乗り出そうものなら、危ないとしかる。

 

そんなとき、車が途切れたから渡ってしまう大人がいます。

こどもが「あっ、赤やのに渡ってる」というと、「あかんのになぁ」と答えますよね。

では、子どもと一緒にいないときはどうでしょう。

家の近所など、どこかで知ってる人が見てるかもしれないと思うとちゃんと信号を守るでしょうが、「誰も見ていない」というとき…ちょっと自分を振り返ってみてください。

 

よく大阪の人間性で笑い話にされますが、周りが渡りだしたら「なんとなくOK」として渡ってしまいませんか?

これは大阪に限ったことじゃないですよね。

 

そんなとき子どもが「赤なのに渡っていいの?」と聞いて来たらどうするでしょうか。

「そうだね、ごめんね」と思いとどまって、多少周りの迷惑になってもルールを守りますか?

「止まってると他の人の迷惑だから…」と、ルールよりも実情を大事にしますか?

「ここは特別なの」と言ってルールに特例をつけたりしてしまいませんか?

 

子どもにとっては「特例」なんてことは話がややこしくなるだけで、ルールはルールとして守ることを見本として見せないと駄目ですよね。

 

いや、他人を批判しているのではなく、自分自身の体験から来ることなんです。

 

あるとき、車を運転していました。

次男は男の子らしく、車のことにどんどん興味がわいてきます。

私もそんな息子との会話が楽しく、運転しながらいろいろ教えます。

車の信号には、歩行者よりもややこしい部分があります。

前の信号が「青」だから右折すると、目の前の信号は「赤」ですよね。

子どもにはそれが理解できないらしく、「赤なのにすすんだ」と言います。

まぁ、これはこちらに落ち度はないので、なんとか説明しようとしますが、「赤は停まる」というルールを大事にしている息子には難しいようです。

また、信号は「赤」なのに、矢印がでて右折する交差点が京都には多くあります。

それどころか最近は「赤」のまま、まっすぐと左折の矢印が付いて車が動き出し、やがて右折の矢印がでて青にならないまま「黄」から「赤」で終了…

まぁ、子どもが運転しないからいいんですが、「ルール説明がややこしくなります」

 

まだ、これは大人も「間違った行動」はしていないので後ろめたくはないのですが。

運転していて、信号の次に興味を示すのに標識があります。

「停まれ」の標識のところは、危ないから一旦停止。

「青に矢印」は一方通行で、車はこちら向けしか通れない。

子どもは興味があるもんですから、どんどん吸収します。

 

「数字が書いてあるのは、この数字以上スピード出したら駄目」

当然、こういうことも教えます。

それを聞いた息子は、スピードメーターを見て「60になってる」と指摘します。

心にブレーキをかけて、標識の「50」を守るようにしますが、交通の流れから行くとちょっと危なかったりします。

さらには、高速道路で遠出するとき、早く目的地について遊ばしてやりたいとついつい…

子どもは当然指摘します。

「メーターが80以上になってる」

こちらは子どものためにと…

そんなときつい言ってしまします。

「ここは”特別”で、危ないから他の車と同じスピード出してるの」

もう、最悪ですね。

「事情があればルールを破ってもいい」という見本を示してしまいました。

 

まぁ、これらは子どもの手前としてのものですが、それ以外の「社会的規範」ということは大丈夫ですか?

 

近年問題になっていることに、飲酒運転があります。

痛ましい事故があり、社会問題になり、本来は「規範意識」で解決すべきのところを「罰則強化」という手段を使ってまでも、「ルール遵守」に動いています。

しかし、この手のニュースが出ない日はあるでしょうか?

綱紀を守る先頭に立つべき公務員や有名人、挙句の果ては取り締まる警察組織や消防組織に属する人が違反して事故を、下手すれば殺人を犯しているのが現状です。

 

自分だけは大丈夫。

今日は特別。

 

こういう気持ちの下には、ちょっとしたルール違反は目をつぶろうという意識があります。

まずは、子どもためにも、「赤信号は停まる」という見本を示すところから「規範意識」を振り返ってみませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 


南支部PTA連絡協議会 新旧協議会 その2

2011-05-14 20:24:04 | PTA

 

11日に食事(お酒も)をいただきながらの南P連新旧協議会の後、その日は夜勤の副業があり(それもあってお酒は控えめにしましたが)、明けて12日は朝から学校PTA(今後は単Pと呼ぶのが紛らわしくなくていいかも)の学級委員会。

立候補、選挙の結果をうけて選出された各クラスの委員さんが顔をそろえての会議ででした。

その日の午後は本職の仕事で奈良へ出張。

さらには夜半から翌日の仕事のために車で四国へ。

で、13日に高松で1日仕事したあと、車で帰ってきて副業の夜勤へ…。

合間合間に睡眠をとってはいますが、今週は結構ハードでした。

 

これだけ密度が濃いと、先の新旧連絡協議会もすでにかなり忘却のかなたにあるのですが、前回は軽く触れただけなんでもう一度振り返っておきます。

 

 

本年度の会長としてあいさつの時間をいただきましたので、一年間引き受けるに当たっての思いを少し話させていただきました。

本来こういうあいさつですと、昨年度の役員さんをねぎらったり、校長会のみなさまにきっちりあいさつをすべきなんですが、私の前にあいさつした校長先生がきっちりと挨拶をしてくださったので、思いを話すことを中心にしました。

 

その思いというのは、この南P連の集まりがある前にすでに3回市P連の集まりに参加しており、そこで受けている”感覚”の部分を伝えること。

様々な事務的連絡は書面などで伝達されるでしょうが、南P連会長として市P連理事会に参加した私だけが伝えることが出来る、”人間的な熱の部分”はこうして顔を合わせたときしか伝えられません。

 

まずは、この役を引き受けて今まで知らなかったことが一杯あったということ。

実際PTA役員を引き受けたのが昨年が初めてで、一番上の子の入学から考えると12年はこの小学校にお世話になっているのですが、10年間はPTAの意識がありませんでしたから。

役員になって始めて学校内部のことが分かり始め…というより”知らない私”だということが分かり、今年会長になって一気に南P連から市P連のことまで広がったんですから。

そういう意味では、南P連だけでもわたしより長く携わってきた方が一杯いるのに、でしゃばって申し訳ない気持ちが今してきました。

 

次に、市P連会長が掲げられた「やる気、根気、元気」というスローガンについて。

言葉は伝達されますが、この言葉に込められた「始めてみて(やる気)、継続して(根気)、前に進んでいく(元気)」ということを、南P連でも実践していきたいということが言いたかったんです。

例年通り、継続してこなしていくということもとても重要なことです。

それにプラス、できうるなら新しいことも動き出してみたいなと。

 

もう1つは「伝える」ということ。

これも市P連でテーマに掲げられていることは先のブログエントリーで触れていますが、私もこのことは常に大事にしていたので、改めてこの挨拶で言葉にさせてもらいました。

具体的には、私はこのブログという手段を持っているので、聞いてきたことを広めて行きたいという思い。

さらに、南P連で「報告会」というものが出来るならば、市P連の情報を単Pに伝えてもらい、単Pからの情報や問題提起を市P連に伝えていくことが出来るんじゃないかと。

話を「聞かせてもらう」ことは私の得意とするところですので、私がこの南P連会長となるご縁は、そういった私がやることで意味が出てくるんじゃないかと(勝手に)思っています。

ただ、これは私ひとりで出来ることじゃないので、場所や時間、手段など周りの協力が必要になりますので、独断専行しないように少し慎重にとは思っています。

 

そして、この「伝える」のエピソードとして、最初に市P連の集まりに参加したときに感動した、「名前を呼ばれたら大きくハイと返事する」ことを取り上げました。

実際、この挨拶の時司会者から呼ばれた際に大きく「ハイ」と返事をしてから登壇しました。

そして、これは卒業式などで生徒に「名前を読んだら大きくハイと返事しなさい」と教えるならば、大人が率先して見本を示そうではないかという話を市P連で聞いたので、実践することと伝えることをこの場でしました、と。

 

と、振り返ってみると全部市P連で聞いてきたことばかりなんですが、(市P連会長の影響、かなり受けてます)ただの伝達役として話題を話しているのではなく、それに「感動した」という私自身の思いも添えたつもりです。

 

 

 

その後、各校の紹介があったのですが、会長の選出の仕方も違えば、学校自身の規模や中小の連携度合いの様々。

また、来年度合併を控えているところもあります。

そういうことも、この会で聞かせてもらわなければ知らないことばかりでした。

(様々なインフォメーションがあったんでしょうが、こういう役にならないと情報が素通りしてたんでしょうね)

 

そういう意味でも、もっと各校の会長さんとご一緒して、いろいろ聞かせてもらう集まりを持ちたくなってきました。

 

ちょっと欲張りすぎてる感じもあるのですが、短い期間の役職なので、動くなら早めかなと。

 

あんまりこちらを楽しんでいると、家庭内がおろそかになって問題もあるのですが…笑

 


南支部PTA連絡協議会 新旧協議会

2011-05-13 02:19:22 | PTA

11日の夜、京都市南区の小学校PTAが集まり、総会と交流会が開かれました。

 

これより先に、市P連のほうの会議に何度か出てますし(過去のブログ記事にしています)、その市P連でもらった熱を、南P連会長としてどのように伝えていくか…前日のミニカンで浮かび上がってきていた私のテーマでした。

 

本年度の新役員紹介の後、会長として一言あいさつさせていただく時間をいただけたので、素直に思いを述べさせてもらえたように思います。

 

その内容をある程度記録しておきたいのですが、大型連休あけのうえ、いろいろとPTA絡みでも時間を割いていますので、本職の予定のほうがなかなかにタイトになっております。

 

今日も、朝から自校の学級委員会が午前中いっぱいあり、午後からは奈良まで出張。

今この時間から、明日の仕事に向けて四国へ移動を開始するという…

 

明日一日は出張ですので、週末にじっくりと振り返れればいいなと思ってます。

 

 

ただ、今回の交流会でも結構名刺配ってブログの宣伝しましたから、早い目にごあいさつ兼ねてアップだけでもと。

 

新たにこのブログを訪問された皆様、こんな感じでやってますのでひとつよろしくお付き合いくださいませ。


ミニカン研修会 1回目  PTAに関わる思いも含めて

2011-05-11 09:36:01 | ミニカウンセリング

いよいよ10週間のミニカン研修会が始まりました。

待ちに待ってた・・・と言う気もしますし、気が付けばこの日を迎えていた…と言う気もします。

 

今回は新しく参加される方が3名、継続して参加される方が3名、そして世話人3名の9名です。

最初に自己紹介を兼ねてのチェックインがあったのですが、これがまたいい時間。

特に、初参加の方がその動機を述べられたんですが、これがまた3者3様であり、それでいてどれもまさに「真宗カウンセリング」につながってくるもの。

10週間学ばれることで、”今の自分”に対する答えが、きっと自分の中の気づきとして現れるだろうなと期待しています。

そう、研修と言っても、何かをお教えするんじゃなくて、体験することで気づいていく作業の繰り返しなんだと思います。

 

そのあと資料に沿って、ミニカウンセリングの歴史、手順、効用などが説明されていきました。

その過程でデモンストレーションとして、私ともうひとりの世話役Sさんとで5分間のミニカン実演。

 

そういえば昨年もやったよなぁと思い出し、昨年のブログを見たらちゃんと記録してました。

 

今年は5分と言う短い時間だったので、一番言葉にできそうなところで、ここ数日のPTAに関わる話をしました。

最初のチェックインでもその話題に触れていたので、そういう意味でも最初の説明が省けますから。

 

 

京都市の小P連会長の思いに感動していること。

それを受けて行動してみたい気持ちがあること。

一方で、あまり動きすぎると周りや、後に続く人に迷惑をかけるんじゃないかと心配していること。

 

この時点で、「心配している気持ちがある」ということが私のテーマになってきます。

しかし、話進めるうちにちょっと違う側面が出てきました。

 

その「行動してみたい気持ち」を11日にある集まりで周りに投げかけてみたいけれど、うまく伝わるかどうか心配。

 

最初は動くか動かないかという揺れの中での心配でしたが、話しているうちに「行動してみたい」という私が本当の私だと気づき、次は「行動する」前提でそれが受け入れられるかどうかの問題に変わってきています。

 

 

カウンセラー役のSさんが、最初の「心配」ということをうまく受け止めてくださり、「心配」という感情を経験しきれたために、自分の気持ちが明確化され、その問題から次の問題に進んでいけました。

 

いやぁ、5分のデモンストレーションとはいえ、しっかり聞いてもらえると言うことは自分の中で気持ち・思いがシフトしてくるもんですね。

 

まずは形の所から入っていかれるでしょうが、新しく経験する方々の姿を通じて、当たり前にしてしまっている部分をじっくりと精査する勉強がさせてもらえそうです。

(天狗の鼻を折ってもらえるって事ですね)

 

 

ということで、いいタイミングでミニカンがあったので、月曜日に刺激を受けて動いている私自身の思いを、今晩の「南支部PTA連絡協議会」にぶつけてみようと言う気もちになっています。

反応が悪ければ、それはそのときで。

 

うん、活き活きしてる自分が居ますね。


「伝える」と「伝わる」  第2回小P理事会に参加して

2011-05-09 23:26:12 | PTA

第2回の小P理事会に参加してきました。

 

天気もいいので、30分ほどの距離なら自転車で…と軽~い気持ちで出かけましたが、思ったより暑く、スーツで自転車にはきつい気候でした。

 

遅めの昼食を会場近くで取って、ほぼ時間通りの到着。

同席した校長から、いくつかの連絡プリントをもらったんですが、南区の「まちづくり委員会」からの召喚状が4月28日発行で、参加の締め切りが本日の9日…一見余裕があるように見えますが、その間の8日間はGWで休み。

直接家庭に郵送されるものならばいいんですが、学校など公的機関の連絡メール網(電子メールではなく、紙媒体の書簡網)では、校外にいる私の手元に届くのはタイムラグがあるので、もう少し考慮して欲しいものです。

 

もう一通は、過日に行われた小Pの役員会議事録で、チラッと読んだところ「1分間スピーチは50名行うと50分もかかるので、役員だけにしてはどうか」ということが検討されたとの文字が…

 

実は、今日の理事会召喚状に記載されていた進行表の中で、参加者の「1分間スピーチ」としてあったのがうれしく、楽しみでもあったので…

 

私自身、いろんな集いやワークに参加しますが、最初の自己紹介を兼ねたチェックインの時間はとても大事だと思ってます。

 

多くの人が、何らかの集まりに参加するときは、そこに”思い”をもっていると思います。

その思いを、ほんの一言でも口にすることが出来たなら…

人の話を聞くというのはとても難しいことで、聞く側が抱え込んでいるものがあるとなかなか人の話が入ってきません。

一度それを話す・放すことで、中身が空になったコップのように、注ぎ込まれるものが入って来るんですね。

 

そんなちょっとした陰な思いを抱いたまま会は始まり、挨拶、急ぎの連絡事項が伝えられた後、「1分間スピーチ」として役員の方々の話が始まります。

ひととおり終わった後、会長から一言「せっかくですから皆さんにも一言ずつ」と。

抱えていた思いが報われた気がしました。

こういうところにも、会長の姿勢と意識が感じられます。

 

この各自の一言がなかなか強烈で、何年も関わり続けている方の言葉であったり、子どもとの関わりの中で「背中を押された」エピソードであったり。

ただ単に、「役割として集った人々」から、それぞれの経験と意識を持った”ひとりひとり”の集まりへと深まりましたね。

 

私自身は、前にもこのブログに書いた「伝える」ということを今年のテーマのひとつにしたいという会長の思いに賛同したことと、「伝える」ということに関して、カウンセリングを通じて学んだことを少し話させてもらいました。

 

「伝える」というのは一方的な発信者の思いであるけれど、「伝わる」ということは聞き手が「発信者の言葉」を「受け取った」と確認して、初めて「伝わった」と言えるということ。

 

良くあることですが、伝え手側の自己満足で、伝達事項を羅列して「はい、伝えました」と終わっているのは困りもので、多くの情報を短い時間で早口でまくし立てられても、聞く側は困るだけで、「困った」と言う気持ちだけが残り、肝心の内容が何も伝わらないまま終わってしまいます。

(子どもをしかるときに、声のトーンが上がり、早口になるのもこのパターンですね)

聞く側の視点に立ち、少しずつ伝わっていることを確認しながらの「伝達」

これは、口先のテクニックじゃなくて、まずは伝え手側の意識の問題なんですね。

そこに居る人を中心としたアプローチ(person-centered approach)の大事なところです。

 

と、限られた時間なんでここまで詳しくは話しませんでしたが、伝えるには「聞くこと」も大事だと言うことと、じっくり時間が必要だと言うことも交えて話できました。

(何人かの方が反応してくださり、うれしかったです)

 

そのあともいくつかの連絡事項などが報告された後、部会に分かれてのミーティング。

私の参加してる部会では、あいさつ運動のポスターに関わる話合いが成されました。

「あいさつ」ということは、こちらの思いを「伝える」大事な行為ですから、そういう意味でも運動意義の大事さを「伝える」媒体として、じっくりいいものが作れればいいですね。

これは次回の集まりで深まっていくことでしょう。

 

 

今回の参加者の何人かの言葉にもなっていましたが、この小P連での”思い”が、支部のP連、各校のPTAにすべてが伝わっていない感があります。

結構、そういう部分で参加者の意識を感じられましたので、今後理事会や研修会を通じて、共に方策を探っていければ面白くなりそうです。

 

ただ一方で懸念は残ります。

私があんまり熱くなりすぎて、いろいろ動かしだしてしまうと、後を引き継ぐ人が困ってしまうのでは…と。

今回の理事さんのなかでも、推薦理事として継続的に活動してる方々(10年されてる方も居ます)を見ていると、継続していけるからこそ積極的に動いていける部分があるんだと思います。

この辺のバランス問題ですね。

 

11日に私が引き継ぐ「南支部」の集まりがあります。

いろいろ動きを探って、提案してみようとは思ってますが、周りの反応がどうでるか。

あと、自校の活動がおろそかになっては意味がありませんから、そちらとの調整も必要ですしね。

 

と、心配ばかりしても始まらないので、まずは「やる気」をモチベーションに動き出してみましょうか。

「伝える」と言うことに関しては親子コミュニケーションでも大事なことでいくつか話題にしています。