コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

3.11 の思い

2019-03-11 13:23:53 | PTA

3.11ですね

私のPTA活動と東北震災はいろんなところでつながっています

ちょうど私がPTA役員になったときに起こった震災
翌年度支部の理事として全市の理事会に参加することとなり、震災後に支援に行ったPTAの先輩方の話を聞くことになります
単に自分の学校のPTA会長をこなせばよいという考えから、「絆」という言葉を通じて「子ども”たち”のために」という意識に変化しました

ちょうど、PTA全国大会が京都で行われるお手伝いをしたこともあり、PTAだからこそできる東北への支援もいろいろ行われました

それ以前から「PTAフェスティバル」を通じて仙台市とも交流があったことで、仙台にお伺いして「仙台市PTAフェスティバル」のお手伝いもしましたし、その際に被災地を案内してもらいました

モニター画面越しに見た震災が、空気感を伴って肌で感じることにもなりました


ここからは、PTA現場を離れ少し時間が経ったことで、やっと言葉にできる話です
(そういうことをいつか書ければよいなとブログリニューアルしたのはもうだいぶ前ですが)


仙台市のPTAフェスティバルには「政令指定都市PTA」のつながりで多くのPTA協議会がお手伝いに来られており、「ともに前に進もう」という意識でつながりを持ちました
私にPTAのことを教えてくださった先輩方の熱い思いもよく聞かせていただきました
この思いを後につなげていくことが私の役割だと…

しかし、私が全市の役員を受けた代でこの活動が途絶えてしましました
もちろん、形を変えて「絆」はつながっていますが

他都市などは同じ方が数年続けてTOPになられたり、数年いっしょに活動した方がのちにTOPになったりします
しかし、基本1年で全市の会長が交代する京都です
それぞれのひとの考え方、やり方があるのは当然ですから、なにもかも前年踏襲というわけにはいきません

また当時の行政側の担当者が影響力のある先輩と距離を取りたがり、いろいろ変えようとしたことも影響します
(酔うと余計なことや暴言を吐くタイプの担当者ですから、その先輩に影響されてる私はいろいろ言われました。まぁ、酔った勢いなので本人は覚えてないでしょうが、酔っても意識が残るタイプの私は全部覚えてます)

でも、その翌年に私がTOPを引き継いだりすれば、元に戻す提案もできたことでしょう
が、家庭事情や個人的なことで辞退することとなります(そのあたりもいつか話せる日がくるか…)
そのことだけは今も心残りです

昨年、久々に東北の地を訪れることができました
PTAとしての関わり、気持ちの中ではひと段落つけました

でも終わってはいません
次は身近なわが子らに伝えていくこと
出来れば、現地に連れて行ってやること

「忘れないでください」
仙台の方に託されたメッセージを伝えていきます

昨年の記事


呉竹総合支援学校地域交流会 講演

2018-07-21 01:00:00 | PTA

今回の講演はカウンセラーの古川先生
シンガーソングカウンセラーとしても有名で。京都のPTA関連ではよく講演をされている
私もなんどかお話を聞かせていただいている

以前お聞きしたことをブログの記事にしています
以前のブログ

お母さん目線の歌で、参加するお母さん方を滂沱の涙に誘うのがお得意だが、今回は歌はなし

ご自身の「総合支援学校」との関わりが前半、そして後半は「オープン・ダイアローグ」のお話だった

「統合失調症に効く薬はないが、この手法が効果があると近年話題になっています」
ということでした
(すいません、メモを取ってるわけではないので、表現に誤差があるかもしれません)

一聴していると、私もよく関わっているエンカウンターグループの様
「対象者が話しやすい環境をつくる」
「自らが自分を語る」

もちろん、いろんなプロセスがあるんだろうけど、今回お聞きした実践はこういう感じ


 ・問題を抱えた当事者数人とファシリテーターでグループワークを行う
 ・当事者の保護者が外側で(同じ部屋)それを聞いている
 ・一定時間話が進めば、保護者が席に座り当事者が周りに座る
 ・「今の話を聞いて語りたいことがありますか?」と促す
 ・一定時間をおいて、また当事者が中心になり、保護者は外側へ
 ・「保護者の話を聞いて語りたいことはありますか?」と促す
 ・一定時間をおいて、保護者が中心になり…

 と何セットかで繰り返すそうです

当事者と保護者が直接話し合えないことを一旦俎上に出す
当然、同じ場にいるのだからオープンな場所で共有する
同じ場にいるけれど、別のセッションなので本人が「語りきる」まで口をはさむことはない

と、話を聞いて理解はできるのですが、私が関わってきた「安全に語れる場」としては、当事者は当事者、保護者は保護者と分けることで「相手に知られることがないからこそ」語れる場作りでした
もちろん、理想は誰がその場に居ようと安心して「素の自分でいられる」場

このあたりがどういう効果をもたらすのか、あるいは弊害をもたらすのか
もちろん心理支援に「正解」はないのですから(この手法の統計上”効果がある”と言われているだけでしょうし)


でも、新しい”可能性”を知ったのはうれしいことです
今から学んで実践…というところまではエネルギーがないですが(苦笑)


呉竹総合支援学校地域交流会 2018

2018-07-20 00:27:12 | PTA

地域の総合支援学校「PTA交流会」に参加させていただきました
ブログをさかのぼると2011年に初参加
8年目ですね

過去に参加した時のことも記事にしています
2011年
2012年

 

講演内容で感じたことは別で触れるとして、この交流会自体のことを


地域の小中学校には「育成学級」があります
全部の授業を一緒に受けられなくても、学校内で交流しながら育ちます
学校によっては「ことばときこえの教室」というふうに特定の障がいに対するケアを行う学校もあります

一方で、障がいの度合いによって、地域の学校ではなく「総合支援学校」に通うお子さんも居られます
同じ地域にいるPTA・保護者でありながら違う学校に通うことになります

また、小中学校(義務教育)では地域の学校のケアがあるけれど、受験によって進学先が決まる高校だと選択肢は狭まります
そうして、高校から総合支援学校に通うお子さんも居られます

そういうことだけでも共有できる機会
それが総合合支援学校のPTAさんが一生懸命企画され、継続されている「地域交流会」だと思います

私が毎年参加させていただく「呉竹総合支援学校」は伏見区と南区の一部学区から子どもらが通っています
この「一部学区」ってのが困ってしまいます

京都市のPTAでは5校種の連携が重視されています
が、それぞれの校種で構成される地域が違う

小学校では南区の小学校が一つのグループですが、一部の小学校は「西総合支援学校」の校区になります
すると、小P連の南支部で、呉竹さんの交流会を共有できない
中学校になると「下京・南・東山支部」となるので、通う支援学校はさらに複雑になります
なので、学校単位に案内が来るのですが、学校側の「意識」次第で、「大事な行事」になるか「その他多くの行事の一つ」になるか分かれます
実際、私の現役時代も「案内来てませんか?」と聞くまで、育成学級の保護者にしか案内が届いていない年もありました


実際は子ども同士の交流はあり、運動会や学芸会など地域のお子さんを招いて一緒に活動することもあります
でも、そのことをPTAや本部は知らないままだったりします

毎年、いろんな地域の保護者の方とグループワークをご一緒させていただき、毎年出てくる悩みは同じようなものです
各地域、学校で、この交流会のことを報告し、引き継いでいけば、もう少し何かが変わる気もします
(その辺を強制できないのが昨今のPTAのもどかしさですね)

私は、毎年の交流会でいろいろ学ばしていただきました
今年も、現役ではないのに、わざわざメアドを調べてお誘いくださいました
一方、私のいた学校からは誰も参加していませんでした

「知らなかった から 聞いたことがある」へ
別の活動の言葉ですが、最初は皆知らないので、まずは一歩踏み込んで知ってみること
知らないことは恥じゃない


来年、呉竹さんの交流会は20回目を迎えます
そこまで待たずとも、12月のPTAフェスティバルでいろいろアピールをされるようですので、気が早いですがぜひ皆さま足をお運びください


「青少年いいねット京フォーラム」

2017-08-07 21:00:00 | PTA

「青少年いいねット京フォーラム」が行われるという情報を聞き、うまい具合に予定が空いていたので見に行かせていただきました。

スマホ、ネットに関わる危険や情報は日々変化します。
できるだけ最新情報を得ておくことは大事ですしね。

事務局が「京都府府民生活課青少年課」なので、京都府のイベントになると思います。
京都府警さんがいろいろ協力してますし。

京都の府・市・私立小中高校が協力し、事前学習会や発表準備を行ってくれていたようです。
司会進行も高校生が行います。
彼らをサポートするのは兵庫県立大学の竹内先生。
近畿や他府県でのこのような取り組みでもお名前を聞きますし、直接お話を聞く機会もありました。

最初にアンケートによる現状報告です。
今年からアンケート対象に小学生(5・6年生)も加わり、2289人の答えを竹内先生が分析してくださってます。

年々増えるスマホ所持率は
小学生男子 15.2%
小学生女子 34.7%
中学生男子 65.7%
中学生女子 78 %
高校生男子 92.4%
高校生女子 95.4%

小学生はこれにガラケー所持が20-30%加わります。
不所持が50%超えているのは小学生男子だけでした。
「小中学生には情報端末は必要ない」とPTAで訴えていたのは、ほんの3・4年前だったのですが…
持たせないことよりも、持っている前提でどう危険を避けるかにシフトしているのは仕方ないことですね。

 

他の端末も含めて、日常的にネット接続しているのは
小学生男子 61.7%
小学生女子 68.6%
中学生男子 88 %
中学生女子 91.5%
高校生男子 96.3%
高校生女子 97.7%

用途はいろいろあるでしょうが、男子はゲーム、女子は友達との会話が主なようで、ともに動画視聴も多くあるようでした。

ネットの接続時間データもあったのですが、今回は「一日4時間以上」を依存としてありました。
高校生男子が21.8%と最多でした。

あと、全く使わない・4時間未満・4時間以上に分けて、いろんな設問での分析をされていましたが、4時間以上使用している子は「1時より遅く寝ている」「イライラしている」「5分間隔でメール(LINE)チェックしている」「1分以内に返事している」などの依存症状が見えています。
そして「面識ない人とでもネットで知り合い、会う」ということです。

子どもたちが班に分かれて話し合い、スマホ危険の啓発ポスターやスタンプをつくる活動の報告や、啓発動画の発表を挟んで、後半はパネルディスカッションです。

貴重な生の声がたくさん聴けました。

印象的だったのは、
「長文を流されるのは腹が立つ」
私の感覚では、直接の会話よりも文章の方が補足説明が必要になり長くなってしまうのですが、短文やスタンプだけの方が相手の気持ちが伝わってくるのだとか。
「いつまでもスマホをするなと言われるのはストレス」
ストレス解消のためにスマホを触っているのに、邪魔をされるととても腹が立つので、放っておいてほしいのだとか。

会場から質問があるかという促しがあったので、思い切って質問してみました。
「機器代や通信料は保護者が払ってると思うけど、貸してもらってる感覚ある?」
私としては、「スマホ18の約束」を基にした約束をあてにして、子どもにスマホを渡しています。
パネラーの高校生も「食事のときは触らないと約束してるから」などと、親との約束を意識してる発言もありましたから。
で、回答は…
「そんなん、与えてるのは親やから、渡されたらこっちのもん」
「与えるほうが悪いやろ」
(表現はもっとやわらかでしたが)
その考え方が良い悪いではなく、子どもはそういう風にとらえてるんやな、と。
そういう生の声がいろいろ聞けた、素敵なパネルディスカッションでした。

最後に竹内先生から示されたデータは
「ネット時間と学力テスト点数の関係」でした。
1日の使用時間が長いほど点数が下がるのは想定通りでしたが、全くしない子より1~2時間使ってる子の方が点数が高いという結果です。
私は「持っていない子には貧困問題が絡んでくる」と思ったのですが。竹内先生はすでにそのことも調査し、原因はそこにはあまりないということでした。
この数字を見た高校生の意見が「1日1時間だけっていう子は自制心が働く子。そういう子は勉強もしっかりやる」というものでした。

自制心をもって、適度にストレスを解消する

ここが今の子らに正しくスマホを使わせるポイントだと感じています。
そして、そのためにどうするかは、親が決めて押し付けるのではなく、子どもらが自ら考えて実践することが最良の道かもしれません。


新旧入り混じる季節です

2017-05-07 19:33:00 | PTA

新年度のスタートでいろいろ動き出した4月
5月に入るとその新旧が入れ替わる節目になります。

そのスタートが昨日の「中P連 下京・南・東山支部 新旧引き継ぎ会」でした。

九条中学の28年度副会長として、また29年度会長として参加です。

なんだかんだで5年連続の参加という…

その間に、支部構成が変わったり、校長先生も5年前から変わらない先生は二人だけだったり。
というか、3年間の中学生活で、5年も本部にいる私が稀なんでしょうけど。

一方で、同じ時期に子育てをしているので、保育園で一緒に役員した方や小学校の会長時代に他校で活躍されていた方との再会もあります。
逆に、高校のPTAでご一緒した方が、下のお子さんで中学の役員をされていたり。

そういう皆さんは、「仕方なく」ではなく、喜んでPTA活動されていてうれしくなりますね。

逆に、新しい出会いもいっぱいあります。

残念ながらお子さんの卒業とともに会長を降りられる方々から新会長を紹介していただき、今年一年共に歩んでいきます。

そんな中のおひとり、支部理事校の会長さんの挨拶が素敵でした。
近年のPTA不要論にも触れられましたが、「それでも大切な活動だ」と力強く話してくださいます。
あとで直接お話しさせていただくと「実は最初はアンチでした」と。
だからこそ、PTAに疑問を持つ方の気持ちもわかりますし、私のようにやってみていろいろ知ることができますというお話をきいて、さらにうれしくなりました。

こういう方が支部代表の理事として、中学校PTA連絡協議会に参加してくださいますから、全市的にもますます活発になっていくだろうな、と。

私が中P連会長していた頃の仲間は、どんどん高校PTAで活躍されrていますし、そのころ小P連で活躍されていた方が中学PTAで活躍されています。

私の子どもは今年で全員義務教育終了。
最後の一年、単P会長として、フレッシュな皆さんの全市的な活躍を応援していきます。

 

その息子がこのGWに素晴らしい結果を残してくれましたが、そのことはまた改めて。


人権パレード 2017

2017-04-16 00:56:10 | PTA

 

人権月間啓発の京都市PTA人権パレードに参加してきました。

市内の5校種PTA会長、人づくり21世紀委員会の方が参集し、パレードをします。

昨年は副会長に退いていたのと別件があったので欠席しましたが、毎年参加しています。
このブログにも始めて参加した6年前のことを記事にしていました。

憲法月間 人権パレード

このかわいい息子が、ほんの6年で私に迫る身長になっているのも驚きですが。


思い返せば、この年にPTA会長として「京都市PTA連絡協議会」のイベントにいろいろ参加することになりました。
そこで学んだことは今の私の考え方の基礎になっています。

子育てのためには、保護者が学び育つこと。
危険に対して、しっかりと向き合うこと。

ちょうど悲しいニュースもあり、PTAや見守りを通じて子どもと接することにも「危険」が潜んでいるような流れがあります。
確かに、そういう危険は0ではなかった。
でも、そういう活動で守られた命・存在も0ではない。

子育ての指針となる、「京都はぐくみ憲章」の言葉を、今一度私自身かみ締め、。伝えることで、一人でも二人でもいいので意識をして欲しい。
大きな役はできませんが、身近な方に
「知らなかった から 聞いたことがある」
ようになればと願います。

いろんな式典の祝辞や、これから続く総会などの挨拶に、この思いを交えて生きたいなと。

6年前と変わらない思い、6年間で学んだもの
会長7年目であり、いろいろカウントダウンが始まったこの一年でできることをできるだけ。


(行動理念)

わたくしたちは,

・ 子どもの存在を尊重し,かけがえのない命を守ります。
・ 子どもから信頼され,模範となる行動に努めます。
・ 子どもを育む喜びを感じ,親も育ち学べる取組を進めます。
・ 子どもが安らぎ育つ,家庭の生活習慣と家族の絆(きずな)を大切にします。
・ 子どもを見守り,人と人が支え合う地域のつながりを広げます。
・ 子どもを育む自然の恵みを大切にし,社会の環境づくりを優先します。

京都はぐくみ憲章公式サイト

 


高校入学式祝辞 2017

2017-04-13 22:11:27 | PTA

高校の入学式に参加しました。
こちらは 新年度役員がまだ未承認ですので、前年度会長(つまり私)が祝辞を述べます。
少し雨模様
それもネタにして

「門出は晴れのほうがよいけれど、雨の日が好きな人も居るはず
 そんな人が、私は雨が好きって言えることはとても大事」
なんて話も盛り込みました。

一応原稿は作りますが、今のわたしは壇上で細かい字が読めません。
なので、祝辞の用紙には見出しだけ。
一応頭に入れては居ますが、細かいところはアドリブです。

ですので、以下の原稿とは違う話もしてます。

大まかは先の中学入学式と同じですが、高校なので長くなるの覚悟で話題を一つ増やしました。
、 


もうひとつだけ、今の時代はスマホやインターネットが当たり前に身近にあります。便利な道具ですからどんどん活用してください。ただ、それだけに頼ることなく、広い見識を持って欲しいと願っています。

目的地を検索したらすぐに経路が示されます。そこに移動する目的は達成できます。でも地図を広げて目的地を探したら、そこに至るまでに寄り道をしたら素敵な場所があることを知ったりできます。

辞書機能を使えば知りたい言葉がすぐにわかります。でも紙の辞書を使うと、捜す言葉以外にも目が留まり、意外な言葉の使い方や意味を知ることになります。

音楽を好きなときに聞くこともできます。でも実際に演奏している場所に行くとデジタルでは表現しきれない、身体に響く音や、音にならない音を味わうこともできます。

多くの景色や情景を部屋に居ながら見ることもできます。でも、実際にその場所に立つことで、音や空気の匂いや五感以上に語りかけてくる「なにか」に触れることもあります。

私は以前、東北大震災の被災地を訪れたことがあります。高台から見下ろすと、海まで更地が広がっています。そこには以前人が居て町があって。それが無くなっている風景は、テレビやネットでも見てきました。しかし、そこにあった「生活」が無くなっている感覚は、そこに立ってそこの空気を吸って、全身で味合わないと気づけませんでした。その感覚は数年経った今でも、私の全身に残っています。
ぜひ、体験する、体感するということを、若いうちにたくさん出会って欲しいと願います。

 結果、副会長から「長すぎる」とお叱りを受けましたが、普段いろんな方から学ばせていただいたことを伝える機会はまれですので。


これでしばらく礼服はお休みです。 


中学校入学式祝辞 2017

2017-04-07 22:45:37 | PTA

少し雨
晴れの門出も素敵ですが、ちょっと潤いを含んだ桜も素敵です。

今年も、お祝いの言葉を述べさせていただく機会をいただきました。
校種や機会は違っても、同じ事を、その時々の言葉にしてお話している気がします。
目の調子のせいで、祝辞の用紙を読むのが困難になってきました。
なので、ほとんど原稿どおりには話せませんが、言いたいことは定まってるのでアドリブも交えながら大体のことは伝えられたと思います。
(こちらが伝えたと思っているだけで、伝わったかどうかは別問題ですが)

先生方からお褒めもいただいたので、ここに残しておきます。


伝えたいことは山ほどありますが、今日は1つのことをお話します

 

それは命の尊厳ということです。これから中学校生活を迎えると、様々な学びをしていくことと思います。勉強も今までと違った形になり、多くの知識を得ることでしょう。そういう学びと共に、勉強だけでは学べない、人間同志のふれあいをいっぱい学んで欲しいと思っています。楽しいこと悲しいこと、色々あると思います。けれどもその悲しさや辛さはひとつのことを大事にすることで無くしていけると私は信じています。それは目の前の人を「尊重」すること。特に「命の尊重」です。
自分の命を大切にすることもひとつ。そして、目の前に居る命を存在を「尊重」する。中には自分とは考え方の違う存在もあるでしょう。国籍や宗教観が違う存在もあるでしょう。多数派・少数派もあるでしょう。そういう違いがあっても「あなたはそこに存在しているんですね」と慈しみ、許し、尊重する人であって欲しいと願います。

いろんな考え方を認めるとはどういうことか、ちょっと例をあげてみます。みなさんは「目玉焼き」って知ってますよね。卵料理の目玉焼きです。何をかけて食べますか?
「えっ、普通ソースでしょ」「うちは醤油やで」
どちらかが多ければ、そうじゃない人は間違ってるんでしょうか?
「マヨネーズに決まってるでしょ」「いやいやケチャップでしょ」
「塩だけで卵の味を生かすのが最高でしょ」
こんな意見も出てくるかもしれません。
それぞれの好みがあるだけで、そこに正解はありません。
また、「アレルギーで卵は食べないようにしてる」「元々卵きらいやし」っていう人も居るかもしれません。
自分の大切にしている考え方は否定してほしくありません。それは相手も同じです。
「あなたはそう考えるのですね」と相手のことを尊重してあげてください。
そしてできれば「今まではソースが当たり前と思ってたけど、醤油も試してみようかな」っていうふうに、相手の考え方に一歩歩み寄ることができれbはとても素敵なことだと思います。

昨日まで別々の小学校だった人が今日から同じ「K中学校」の仲間です。

別々のチームのファンだった人が、WBCやワールドカップ、オリンピックになると同じ「自分の国を応援する仲間」になれます。

そういう風に、くくり方が変わればそれまで別々だった人が「同じ仲間」になることができます。そのことをぜひ経験してください。
やがて、南区の仲間、京都の仲間、日本の仲間、アジアの仲間、地球の仲間と尊重の輪が広がれば、世界から争いが無くなります。


来週には高校の入学式があり、またお話しする機会がいただけます。 
たとえ話はアレンジしますが、本筋は変わらないでしょう。
高校生なんで。あとひとつふたつ、伝えたい項目増やすかもしれませんが。

祝辞を述べさせてもらうことも素敵なんですが、こういう機会を通じて自分の考え方を再確認できることが嬉しいですね。
どう維持に、自分自身に言い聞かせることでもあります。

世界がまたちょっとキナ臭くなっています。
だからこそ、まずは目の前から。 

 


久々に講演のレポート  「子どもたちをどう育てる~ネットいじめを手がかりに」

2016-02-07 17:46:35 | PTA

「子どもたちをどう育てる~ネットいじめを手がかりに」

原先生のお話を聞きに行ってきました。
「伏見青少年センター開館50周年」事業として、講演・ミニシンポジウムが行なわれ、協力の「京都おやじの会連絡会」会長にお知らせいただいたので、隣の行政区ではありますが、あつかましく参加させていただきました。

「仏教大学 原清治」先生のお話を聞かせていただくのは3回目ですが、毎年のように変化するネット環境に絡む話題ですから、一度聞いてOKというものではありません。
私自身2年半ぶりですが、底に流れる問題は変わらずとも、新しい手段であったり、継続して研究してこられたことで見えてきたことは興味深く聞かせていただきました。

具体的はお話は、ぜひ機会を作って直接お聞きいただきたいと思います。
で、個人的ですが少しでも広めることができれば、と。

数年前からLINEにまつわるお話は聞かせていただいてました。
以前のそのイメージは「グループ関係での問題」でした。
「既読したらすぐに反応しないといけない」という、手放せない問題
また、そのことによる深夜までの使用の問題
逆に、その関係が疎ましくなって「既読スルー」する問題。

今回はそこに新たに「既読の対応の仕方で出来上がるカースト制度」と言うことをお聞きしました。
グループ内で「みながすぐに返信する」上位者と、「しばらく放っておいても大丈夫」な下位者。
露骨ではなくとも、そこに「いじり・いじめ」が生まれてきますよね。

さらに、「グループの外」に問題が広がっていることを知りました。
「LINEはずし」ということで、グループから追い出したりする形態のいじめ問題は聞いていましたが、今はさらに「晒し」という手法があるそうです。
それまで仲良しだったので、IDや携帯番号などの個人情報が交わされています。仲が良い間はいいのですが、何かの原因で仲が悪くなったとき、第3の場所に名前やIDを晒したり、または成り代わって「さびしいから連絡頂戴」という書き込みをしたり。
本人の知らないところで、そういう情報を求めている「不特定多数」に知られてしまうんですね。

「ちゃんと使わないと、個人情報が漏れたり特定されるよ」と言う視点でスマホの怖さを考えていましたが、いじめやリベンジに使われる…とても怖いですね。

簡単に加害者になれる
「さらし」をする当人に、加害者と言う意識はほとんどなく、ほんの数クリックでできてしまう。
確かに私の時代でも文字通りの「便所の落書き」でそういうことは行なわれてきました。
ただ、ネットの問題は、拡散の速さと広さが半端ないということ。
落書きしてしまって、ビビッて次の日に消しに行ったら広がりはほんの少しのものです。
しかし、ネットは数分あれば「なかったことにするのは不可能」な世界です。

他にも、今まで知らなかった画像アップのはやりも聞きました。
ついこの前、「最近はこんなのあるんだ、怖いなぁ」と思っていたサービスはもう古いんだとか…

恋人とのキス画像をアップするサービスがあって、それを検索利用で知っている人に見てもらうんだそうです。
怖くてまだやってませんが、娘の名前をそこで検索してヒットしてしまったら衝撃を受けるでしょうね。


1時間足らずの講演でしたが、その中身はとても濃かったです。
ユニークな原先生の口調もあり、あっという間の時間でした。

 

後半はシンポジウムやグループワーク。
以前から一度体験したかった谷口先生のファシリテーとは、参加者としても楽しかったですし、グループワークの勉強にもなりました。

中身としても、伏見の地域・青少年活動センターの方々の取り組みが目に見える形で現れていて驚きでした。
子どもと大人、いろんな立場の方が同じテーブルに座ってワークする。
しかかりとそれぞれの立場で意見を述べて、感心させられる提案が生まれてくる。

本当に、いろんな面での刺激をいただけました。

 


仙台市PTAフェスティバル ~今年はごめんなさい~

2015-11-07 23:36:35 | PTA


昨日の近Pで感じたつながり。
そのつながりを別の形で味あわせてくださるイベントが「仙台市PTAフェスティバル」
昨年まで3年続けて参加させていただきました。
毎年、仙台の実行委員の皆様が笑顔で迎えてくださってました。

そのうち、3年前は仙台の方に案内していただいていくつもの被災地の様子を。
昨年はそれをベースに私が主導で、京都市の仲間を案内。

そして、そこで見聞きしたことを少しでもご縁のある方に伝えることをしてきました。

今年は立場が変わり仙台Pフェスに参加できません。
京都市Pとしての参加も無いと聞きました。

今年のことは、今年の方々が決めることなので、仕方ないことですし、役割を離れた私が口出しすることではないですしね。


でも悔恨は沸きあがります。
私は、私の先輩達から仙台を訪れる意味と、そのことに対する気持ちを伝えてもらいました。
もう少し、私がうまく伝えられていたら、違う結果になっていたんじゃないだろうかと。
私が、いろいろ決定する立場にとどまり続けたら、違う結果になっていたんじゃないだろうかと。

そうならなかったのは、私がまいた因の種であり、そうならなかったことで心を痛めるのは私に返ってきた果の芽でしかないんですよね。
誰のせいでもない、自業自得とはこういうことですね。

と、嘆くばかりでも仕方ないので、今の私ができるつながりは…

せっかくこのブログに残してきたので、今一度リンクと言う形で仙台のことを、これを読まれている方に”つながり”をつけること。

あとは、お一人お一人の御計らいにて。

仙台の皆様、今年も仙台でお手伝いされる各地のPTAの皆様。
遠くより応援させていただきます。
今年も素敵な仙台市PTAフェスティバルとなりますように。

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