コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

まぁ、私にもこういう面があるということで

2012-02-24 00:54:53 | 日常雑感

今回の書き込みはちょっと感情的な部分が入り込みます。

 

感情を一切殺すことはできないまでも、できるだけ怒りの心は抑えるように努めています。

しかし、自分の中に「刺激されたくない」部分があり、そこに抵触されるとその感情はどうしても噴出してきます。

 

先日の「傾聴トレーニング研究会」でのロールプレイで、最近の出来事を話しているうちに少しその正体に触れた気がします。

 

私の父親との関係を意識せざるを得ない状況になるとき、思わぬ反応が私の中からでてくるようです。

 

父親に「こうあって欲しい」という幻想を抱いていて、現実はそうではなかった部分…それを誰かに投影して、それが裏切られたときにもそれは起こります。

 

父親のように思いたかった人がそうでなかったとき、ある程度距離を置いて冷静に「求めているものは幻想だ」と落ち着こうとします。

実際、関係が薄れ、沈静化していきます。

 

その後、ちらほらと関わりが出来たりするのですが、まぁ気持ち的に処理できる程度でした。

 

しかし、ある一線を超えてしまうと感情が揺さぶられます。

 

あるとき、直接的なアプローチがありました。

まぁ、今までの例に倣って距離を置こうとします。

しかし、こちらの感情を逆なでするアプローチに変わってくる。

 

と、ここまで書いてきて、こうやって振り返っていくこと自体が嫌になってきました。

 

噂では私の名前を使っていろいろ動いているようです。

まぁ、噂ですからその真偽はわかりません。

(直接確かめる気もおこりませんから)

 

今では怒りの感情よりも、情けない気持ちの方が大きいでしょうか。

 

 

本当は、噂と言うことについて書きたくて、その序章としてこの話題をさらっと触れるつもりでしたが、ちょっと気持ちがざわついてうまく着地できません。

噂の問題は、また落ち着いてからふれることにします。


傾聴トレーニング研究会 第1回プレワーク

2012-02-20 00:15:40 | コミュニケーションワーク

 

 

金曜日に参加した新しい研究会。

びわこカウンセリングルーム」を会場に、4月からの本格開催に先駆けてプレワークが行われた。

 

真宗カウンセリング研究会でご一緒している「びわこカウンセリングルーム」の所長さんから半年位前にお話をいただき、私も世話人として名を連ねさせていただいている。

基本的な方針は定まっているが、その内容は参加者で話し合って進めていくことになりそうだ。

 

案内(こちら)にも記載されているが、「相談される立場」のかたのトレーニングが主体。

とはいえ、自分自身が「聞いてもらう」立場を経験し、相談者の気持ちに立ってみることがなければ、相談される立場として心もとない。

 

私なんかは、学術的理解より、先に現場で「聞く」実践を積んできたものだからそうは思っていなかったのだが、介護や福祉の現場に立つために勉強してきた方は、実戦経験が少ないまま現場に赴くことも珍しくないようだ。

そういう方には、実践形式で学ぶ場に参加することはとても大きな意味があると思う。

また、様々な相談現場に従事している方も、客観的に見直すことや、自らの経験を参加者で分かち合って、相互成長することも大事だ。

 

 

そういう意味では、単なる体験学習だけではなく、異分野間での”気付き”合いが、みんなが同じ方向に向かって学ぶのとはまた違う(時には回り道もあるかもしれないが)面白さがあると思う。

 

 

と、前置きが長くなったが、この日やっと動き出すこととなった。

 

今回のプログラムは、参加者代表2名によるロールプレイをほかの方が観察しコメントする実践、私が提供したアイスブレークのワーク、びわこカウンセリング所長による統合失調症の座学の3つ。

 

今後、参加者が持ち回りで担当する時間も設けられていくので、様々な角度から学んでいくことが出来る。

 

まさに、これから育っていく研究会となるだろう。

私自身、新たな扉の前に立ち、そっと扉に手をかけた感覚でワクワクしている(私なんかが世話人で良いのだろうかという不安もあるが)

 

この研究会があるおかげで、PTAなどの集まりで学んでいくことがまた楽しくなってくる気がする。

インプットしたものをアウトプットする機会がもらえるのだ。

人に話すと言う行為ほど、自分が聞いてきたことを深められるものはない。

自分で聞いただけなら「自己流解釈」に留まってしまうものが、反すことによって確認されるし是正もされていく。

 

3月7日にもう一度、見学無料のプレワークがある。

興味のある方はぜひお問い合わせください。

manu.takahashi@nifty.ne.jp


小P連研修会 「児童虐待防止と地域の役割」

2012-02-15 23:48:03 | PTA

先週あった小P連の理事会や、最近の息子とのやり取りなど記事にしたいことがいくつかあります。

しかし、先に、今日聞いてきた話を言葉にしておきたいなと。

 

小P連23年度の最後のイベントとして研修会がありました。

花園大学の津崎哲郎先生で「児童虐待防止と地域の役割」

 

統計的な数字や、分類的な虐待の実態のお話に始まり、その原因や背景、その影響から最後は地域で出来ることを聞かせていただきました。

 

内容に関しては、中途半端に私が説明するよりは、機会があれば直接お聞きいただきたいと思います。

 

とても良い話…というか、身につまされる話でした。

 

児童虐待といってもいろいろあり、

身体的虐待、ネグレクト、性的虐待、心理的虐待の4つが「児童虐待防止法」という法的な分類になるんですが、私の関心は心理的虐待にありました(もちろん、他のものも重大な問題ではあります)

 

ほかの三つは、虐待に限らず犯罪として立件される事柄です。

しかし、心理的虐待は目に見える証拠が無く、脅迫や親との関係をなくしたくないという子どもの弱い部分により隠蔽される危険のあるものです。

身近で気付かすに行っているケースもあります。

たとえば「お兄ちゃんは出来るのに、どうしてあなたは出来ないの?」というものも心理的に与えている虐待です。

また、直接子どもへの働きかけが無くても、父親が母親にDVを行っているのを目撃していることも、子どもにとっては心理的にダメージを受ける=心理的虐待を受けているということを聞きました。

 

DVと言われると「そこまでひどいことは自分の家庭ではないから関係ない」と思うかもしれませんが、母親のいないところで父親が母の悪口を言っていれば、子どもにとって大事な母親が「責められている」と子どもには映るかもしれません。(先生はここまでおっしゃってませんでしたが)

そうなると、とたんに身近な問題になります。

 

このように、直接身体に怪我や傷をつける以外にも「加害者」ンあっているケースがありえると言うことです。

 

その原因についてもいろいろお聞きしましたが、特殊な事例だけでは無く、私自身も「気分によってはありえる」状態…経済的な不安定や親の人格の未熟などもあるようです。

もちろん、慢性的にそういう状況にあれば大きな虐待につながる事例になるのでしょうが、「ついカッとして」ということはあるんじゃないでしょうか。

 

私自身は、いかなる理由があろうと「体罰」は傷害行為だと思っていますから手を出すことはしませんが、「もう帰ってこんで良い」とか「お父さんはもうしらん」と言う言葉で突き放していることがあります。

これも立派な心理的虐待ですよね。

 

児童虐待に対する援助としては、行政的にもいろいろ施策されてはいます。

しかし、プライバシーも絡むと難しい部分があります。

ニュースなどで虐待死などのニュースを聞くと、その対応が”足りない”と思ってしまいますが、それは結果論で、十分な対応は難しいことがわかります。

 

一気に広範囲の対覆うに携わるのは難しいのですが、地域としてできることはいろいろあるとお聞きしました。

普段出会う子どもを気にかける。

変わった様子があれば分かりますからね。

しかし、これを監視的な観点で行うと、コミュニケーションとして問題が起こることもお聞きしました。

なので、単純に普段から声かけをして、何かあれば「聞いてあげるよ」という関係を作っておくこと。

そして、根本的なところでは子どもよりもその親と関わりを持つこと。

 

些細な問題が重なって、気がつけんば「どうしようもない」と追い込まれることになりかねません。

些細な時点で、ガス抜きできれば、何かが変わってくるでしょう。

 

PTAとしてイベントなどで普段のコミュニケーションをとることは出来ると思います。

ただ、そういうイベントに「出て行きにくい」方も多く居られること。

訪問するタイプの支援が理想だと言うことですが、なかなかそこまで動くのは難しいなと考えています。

 

根っこの対策として、親御さんとのコミュニケーションが良いのは分かりますが、まずは子どもに声をかけることからなら始められそうな気がします。

幸い、PTA会長という立場をもらってますから、子どもに声をかけることは”変なこと”ではありません。

むしろ、学校の子どもらは私のことを知ってますから、声をかければ反応してくれます。

 

 

今回の話で一番深く残ったのはもうひとつあります。

虐待を受けている子どもたちは、周りとのコミュニケーションが苦手になってきます。

そういう子らに対して「変わった子」「コミュニケーションの取れない子」とレッテルをはり、蔑視してしまう行為…これを無意識に(意識的は当然ダメですが)周囲がすることで「二次虐待」をしていること。

気付かずに虐待の「加害者になっている」という事実があることを知っておく必要があります。

 

 

虐待を受ける子どもは、そういうコミュニケーションが「普通」だと思って育っていくことがあります。

どうなるか…自分の子どもに対しても、そういうコミュニケーションしか取れないですよね。

 

 

虐待はニュースや雑誌で見る「遠い問題」ではなく、私自身やっているかもしれない問題だと、今一度考えてみることから始めることが大事だと思いました。

 

 

今回の書き込みも、研修に触発された私の思いですので、先生の思いとは異なることもあることをご了承ください。


学校保健会研修会

2012-02-13 07:40:07 | コミュニケーションワーク

先週、南支部学校保健会研修会の講師をさせていただきました。

 

養護教員や校長先生が対象ですから、専門的に児童心理などを学ばれて来られた方…「釈迦に説法」なんですが。

まぁ、私も学び・実践してきた部分もありますし、実際に子育てや、お母さん方の相談に乗っていることもありますので「カウンセリングに学ぶ、子どもとの向き合い方」というテーマで。

といっても、「子どもに向き合う」ということで何かを教えるよりも、「子どもと向き合う私」に向き合ってもらうことを中心にすえることで、私の中では方向性が定まりました。

1時間半、講師としてしゃべるなんておこがましいですから、実践的ワークをしながら「気付いたことを分かち合う」

これならいつものスタイルです。

 

流れは以下のとおり

 

2分間の静かな時間

(外の音を聞く・身体の様子を尋ねる)

 

「聞く」ということについて

(常に耳から音は入ってきている・意識化しているのはホンのわずか・聞いていないのではなくて、意識に停めない)

 

「流れ星」のエクササイズ実践

(話を聞き絵を書く・周りの人と比べながら分かち合う)

 

親子コミュニケーションの心がけ

(出来ていないと嘆かない・同じ目線・見本を示す「ありがとう」「きれい」「おしゃべり」・「しつけ」と「暴力」・わたしメッセージ)

 

5分間のミニカウンセリング実践

(うなづき、つぶやき、レス・テクニックじゃなくマインド・3つの設定)

 

ミニカンに学ぶコミュニケーション

(相手の話を最後まで聞く<受容>・自分の考えに置き換えない<共感的理解>・出来事より気持ち・話し手がありのままでいられる<自己一致>

 

2分間の静かな時間

(今の気持ちを、色や天気で意識してみる)

 

レジュメを配布しなかったんで、参加された方は思い返す参考にと。

 

 

私の心がけとしては、ゆっくりと話すこと。

やっぱり、人の前にでると緊張して早口になっていきますから。

間にワークを挟むことでそこそこ落ち着きながら出来た気もします。

それぞれの話やワークの目指すところはこのブログで今まで書いてきたことばかりです。

いろんなワークや講習会で聞いてきたことも、私の中に取り込まれた形で「高橋の考え方」として昇華されてる気がしますね。

誰かの考え方を持ってくるんじゃなくて、(偏った理解もあるかもしれませんが)私が今言葉に出来る形でのトピックとして。

 

あと、一方的な講習は面白くありませんし(ってか出来ませんし)なるべく参加者の声を聞く時間を多くすることも心がけました。

そういうときでも、発言された方の言葉をできるだけレスして、聞き方のコツを示します。

そのことは言葉にしませんでしたが、様子で感じてもらえたんじゃないかなと。

 

ミニカンの実践では、時間が短いのと、近くにいた方とのペアなんで、本当の「今、話したいこと」になったかどうかちょっと心配はありますが、「邪魔されずに話す」「傾聴する」のさわりは体験してもらえたと思います。

そいういうことを"普段していない”と気付いてもらうだけでも、大きな意味がありますもんね。

 

あらためて、「聞き方」の学びは、"気付き”に基づくことだと再確認しました。

 

 

ある参加者は「2分間、ゆっくりすること」でいつもと違う感じを体感してくださいましたし、ある方は「いい事を言ってあげようと思ってたけど、まずしっかり聞いてあげることなんですね」と言ってくださいました。

そういう声を聞かせてもらうこともうれしいですよね。

 

私自身、いろんなことを再確認できましたし、また同じ機会があればもうちょっと時間配分を考慮してできるかな、と。

 

できれば、この”さわり”だけではなくて、継続的にカウンセリングを学んでもらえるとうれしいんですが。

そのためには、私が発信し続けることですかね。

 

私のHPやブログを紹介させていただいたところ、多くの方が覗いてくださったようです(アクセスが一気に増えてました)

これからも覗いてやってください。


小P連南支部 指導者研修会

2012-02-09 18:40:21 | PTA

今年の南支部指導者研修会は盲導犬協会の方をお招きしての「盲導犬と私たちの生活」ということでお話を聞きました。

 

会場はお隣の小学校会議室。

部屋に入ると、今日のゲスト、盲導犬のフェロー君がストーブの前で気持ちよさそうに寝てます。

 

最初の話題は盲導犬の育て方。

「子育てにも通じますよ」という先生のお話は、「間違ったら叱るのではなく、間違ったら正しい方法を何度でも繰り返し教えます」ということ。

実際に障害物をよけるための訓練を実践しながら、「正しく出来たらほめる」ということをひたすら繰り返しながら、「こうやったらほめてもらえんるんだ」という気持ちにさせることに重点を置かれていました。

 

次に、白杖や盲導犬を伴っている方々にどう接するのが良いのか。

「困っていることがあるようなら声をかけてあげてください」ということ。

中途半端な関わりや、周りの音などの情報を邪魔することはかえってよくない。

あと、盲導犬は誘導という「仕事」をしているので、興味本位で犬に声かけて邪魔しちゃダメ。

 

そしてもうひとつ、全然見えない方のほかに、いろいろなパターンの「見えづらい」状態の方がいるという話。

弱視といっても、ぼやけるけど全体が見えている方と、視覚が狭く部分的にしか見えない方では全然違うということ。

実際に「レンズつきでぼやけて見えるゴーグル」と「ふさがっている状態に一点だけ穴が開いているゴーグル」を使って実践。

私は後者の方のゴーグルで体験。

 

で、分かったことは、ピンポイントしか見えない場合、大きな字より小さな字のままの方が見やすい。

ただ、紙全体が見えないんで少し離したり、大きく顔を動かして文字を追っかける必要がある。

逆にレンズつきの方は、大きな字で書いた紙をめに近づけると読むことが出来るが、小さな字は全然ダメ。

あと、移動するとき、視覚が狭いと前から人が来たときによける必要があるのはわかっても、よけるほうに何があるかはまったく見えていない。

だから前や横や足元を何度も何度も見て確認しないと、一歩も動けない。

逆にぼやけるほうは全体は把握できるんで、すれ違うのは問題ない。

 

このことを通して、文字を読んでいるから「普通に見えている」というのはこちらの思い込みだということ。

普通にすれ違ってるから、「普通に見えている」というのはこちらの思い込みだということ。

 

人くくりに視覚に障がいがあるといっても、いろんなパターンがあるから、出来ていることがあるからって「あなたは大丈夫」と決め付けることは怖いんだなと。

 

これは、自分の状態を把握して説明できる大人だからまだ分かりやすいけど、「普通に見える」ということがどういう状態か知らず、今「どういう風に見えている」か説明できない子どもだと、こちらが判断しづらい。

そして、理解できないまま「ちゃんと見なさい」とか、「どうしてそんな本の読み方するの」とか、自分の「普通」を押し付けてしまってないだろうかってことを考えた。

 

これまで、いろんな研修会や講習会で学んできたことが、ここでもつながっている。

自分が知っていると思い込んでいること、自分が標準だと思い込んでいること、そういう自分の物差しを一旦横において、「知らない世界」のことを謙虚に受け止めていくことの大事さ。

 

この日は午後にコミュニケーションに関する研修があったので、そこに話はつながっていく。

その件はまた改めて。

 

なお、このブログに書いてるのは「高橋はこう聞いた」っていうもので、きっちり記録したりしてないので、抜けてたりポイントがずれてたりすることも多々あると思います。

ご容赦を。


日々是刺激也

2012-02-06 13:36:55 | 日常雑感

昨年からフェイスブックを始めたことで、日々の感じなんかをそちらに書き込んでおり、まとめて気持ちを書き込むこのブログがおろそかなってしまいます。

いや、まとめて書きたいことが無いわけではなく、いろいろ刺激を受けることで「語りたい」ことはあるんです。

が、仕事が立て込んだり、先月は中盤に1週間ほど体調不良があったりで、キーボード叩くのが二の次に。

 

で、ここらで最近の流れをまとめておくのと、今後の流れを記し宣伝することで、いろんな興味の方の橋渡しになれば良いなと。

 

1月には自分の学校でのPTA活動でイベントが二つ。

ひとつは「むかし遊び」の授業で、1年生対象に体育館で「おじゃみ」「こま回し」「けんだま」「福笑い」なんかのコーナーをつくり、順番に体験。

本当は、女性会・自治連合会のおじいちゃん・おばあちゃんたちと交流しながら、ベテランの味を教えてもらうんだけど、ご年配もなかなかに忙しい昨今、PTAも担ぎ出されたしだい。

私は「けんだま」コーナーを担当しましたが、これがなかなか難しい。

コツを教えたりしながらも、自分がうまくできない。

でも、最期に子どもたちの感想で、「難しいから、けんだまが面白かった」という声がちらほら。

うれしいもんです。

 

もうひとつはPTA主催の「親子であそぶデー」とおやじの会主催の「凧作り体験」の共催。

土曜日に凧作りに20名ほど、ピンポンやドッチボールにも30名ほど集まってくれました。

天気がよければ凧揚げ大会も出来たんだけど、グランド状態が悪いのでそれは中止。

来年に向けて、「おやじの会」が活動的になれば、こういう土曜学習の機会も増えるんだけどね。

(誰かが言い出せば…ってやつは、私が動き出さないと動かないだろうし…)

 

京都市の小P連活動もあったんだけど、ちょうどその日に体調を崩してて欠席。

毎月顔あわしてる理事さんたちと会えないのはかなり残念なこと。

新年会もあったから特に…ね。

 

その代わりと言うわけではないけれど、「日本PTA全国大会」の活動をお手伝いすることに。

他の分科会はスタートしてるんだけど、私は全体会部会に所属。

会場になる「国際会館」の視察から始まって、今までに2回会議。

ちょうど今日が「200日」のカウントダウン。

単なるお祭りにするんではなく、これをきっかけに「PTA活動って?」と意識してもらえるものになれば良いなと。

そのための裏方をしっかり勤めさせていただきます。

「日本PTA全国研究大会」

 

カウンセリングの方では、毎月の「ミニカン継続学習会」や「聞き方・伝え方の学び」

月例会の世話人会もあったんだけど、こちらは体調不良のときだったんで欠席。

さらには、初めての試みで「1日エンカウンター・グループ」を世話役として開催。

昨年のエンカウターグループ参加者の継続的な意味合いと、新たな参加者を含めての出会いの意味合いと。

ワークショップのファシリテーターとはちょっと違う、エンカウンターグループを意識した関わりを体験したりもしました。

 

今月からは、4月から新たにスタートする「傾聴トレーニング研究会」のプレワークも始まります。

「傾聴トレーニング研究会」

 

 

他にも、講師依頼を受けている「保健委員会研修会」で、カウンセリング目線での子どもとの関わりをお話させてもらう機会をいただいています。

対象が保健の先生や校長先生なんで、「子どもとの関わり」では私以上に勉強されてる方々ですが、点検の意味を込めて私なりの「経験」を話したいなと。

 

あと、月末に家庭教育学級があり、その企画として地域の警察署交通安全課の方とミーティングもしました。

これも、PTA会長を引き受けたからできた関わりですね。

(これまでは違う形で警察の方と関わりはありましたが…爆)

 

他にも、毎月のミニカン継続学習会、月例会、聞き方・伝え方の学び、小P連理事会、日P全体会部会がありますし、はぐくみ委員会の研修会や小P南支部の指導者研修会など、刺激を受けることは一杯あります。

 

真カ研の研修会もあるんですが、こちらは法事もあったりして欠席。

(祖母の他界から1年なんですねぇ…)

 

どれだけブログで振り返ることが出来るかわかりませんが、読んでくださる方がいるのでがんばりたいと思います。