コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

お礼参りツアー 2018秋 その5

2018-12-31 20:55:00 | お礼参り

神通寺

ここのご住職とお連れ合い様は連れ合いの大学同級生
京都に居られるときにも何度も一緒に遊びに行きました

そして縁が深まったのはネットでのつながり
かれこれ30年前ですか(苦笑)

そのころ、私はある聞法団体で求道してました
仏法という「まこと」とピュアに向き合おうとしていたがために、その純粋性からはずれるものを受け入れるということをせず、それは儀式儀礼を重んじるお寺や、大きくなりすぎた組織護持をする教団を疑問視していました

そんな思いを発散する場が、神通寺さんが開設していたホームページの掲示板でした
限られた文字数だけで自己を表現することも、相手を理解することもできるはずがないのに、寝る間を惜しんでPCに向かっていたのを覚えています
(当時は夜間だけ通信料が定額になるプランでしたから)

他人に、自分が味わっている領解を伝えるには、自分が感覚的に味わっているものを、自己に問い直すことが必要になる
同じ主教用語を使っていても、それまでのお育てや、学術的バックボーン(その辺は真宗学を学んだ方々にかなうわけない)の浅い深いですれ違う
いや、すれ違っていると思わずに、通じていると思っているから余計に始末が悪い
でも、それこそが私にとって求道であった


お寺がなければ、教団がなければ、今の私に真宗は伝わってこなかった
これは大きな事実

儀式儀礼や、教団護持を大事にする人もいるし、そういうことを通じてでも阿弥陀仏の願いは届く
これも大きな事実

 

何十時間、何百時間を費やしたこの時が、今の私に生きているのは間違いない
真宗の枠を離れ、カウンセリングにも触れた今の私ならもうちょっと違ったアプローチもできただろうけど、それは「たられば」の世界

 

などということを考えながら、事前の約束はしてなかったので、門前でお参りとお礼だけして神通寺をあとにした

 

夜は、その30年前からの付き合いで、ともに求道時代を過ごしたソウルメイトブラザーズを呼び出して会食
懐かしい話や最近の話
そして3人の底に流れる「法の味」

「で、京ちゃん、今はどうよ?」

なんて、過去のことじゃなく、過ぎたことじゃなく、”今”のところで問いかけをくれる、稀有な存在

在りがたいことです
南無阿弥陀仏



若き頃、私らを導いてくれた大恩ある先輩方…気が付けば3人ともそういう恩師の歳になっちゃってます

こうして顔を揃えることはないかもしれんけど、行く先はっきりしてるし、ソウルはつながってるし、ね。


〆は高山ラーメンで
呑み屋&ラーメンなんて、今の私には”毒”ですが…今宵くらいはね

 (賢ちゃん、画像使わせてもらいました)


お礼参りツアー 2018秋 その4

2018-12-30 23:00:00 | お礼参り


うーん、年越しちゃいますね

いよいよ2日目です

名古屋を後にし、目的地への中間点になる可児市で朝を迎え出発です




最初の目的地は下呂温泉
高速は使わず、川沿いを走る国道41号でのんびりと


法座や仕事で何度も高山や美濃に足を運んでますが一度も立ち寄ったことありませんでした

朝早くついてまずは街をぶらぶら、天気にも恵まれきれいな紅葉


沸いてる温泉を触れるスポットや数か所の足湯でほっこりした後、開店を待って温泉「白鷺の湯」へ



ヒノキの湯舟一つと簡単な休憩場所だけだが、全面ガラスの壁は川に面しており、山と河の絶景をながめながらのんびり


下呂をあとにし再び国道41号を北上、目的の高山市へ
ここへは何度来ただろう
まずは昼食、久々の国八食堂


ちょっとお昼時間から外れたので並ぶことなく入店、ホルモン定職をいただく(昔なら焼き豆腐も追加したところだけど)


宿は町の真ん中の古式ゆかしき民宿
チェックインしたら徒歩で街をぶらぶら


古い街並みの地域や陣屋
そして、友人のお寺へ

 


ニーズがあれば…(応機)

2018-12-23 00:45:34 | お礼参り

放浪の旅からちょっと横道
というか、本来自分の思いと出会うことが目的の旅なので本筋と言っても良いかも

1日目の”出会い”を通じて、私の中の思いが言語化できてきたこと
テーマ的な言葉で言えば「ニーズに合う」とうこと


縁あって浄土真宗に出会い、私自身が悟っていく道で重要だったことは「後生の一大事」ということ
私の知識や認知力を超えたところで、私の行く末を案じてくださる存在がある
それは、今現在生きている世界(今生)でのあれやこれやなどとは比べ物にならない苦の世界であり、そこから解脱することで得られる悟りの世界
なので、「今生の大事に右往左往するな」と

このこと自体は「まこと」であり、ぬかすことはできない
そして、このことの「純粋性」を大事にする法座に当たり前に接していたことで、ここから逸脱することは考えられなかった

自分自身にも枠ができ、相手にも枠を示す…時には押し付ける
だって、「まこと」なのだから

また、浄土真宗というカテゴリーにありながら、この「まこと」の純粋性から外れる教団やお寺の現状に憂いを感じていた
「なぜ、純粋に後生のことを問わないのか?」と

しかし、カウンセリングにも触れるうちに変かが起こった
いくら「まこと」を大事にしていても、目の前で関わるのは「人間」という存在同士であり、それは「目の前の出来事に右往左往する愛しい存在」であるということ

さらに「受容」ということを重んじるならば、その右往左往を、その苦悩をそのまま受け入れることの是非が問われる

純粋性や「まこと」を押し出して、「いまそこにいるあなた」を切りつけてよいものか

あるひとは、先祖の供養が大問題で宗教に触れているだろう
あるひとは、占いやまじないの結果に心の安定を求めているだろう
あるひとは、癒しやヒーリングで苦しみを軽減しているだろう
あるひとは、今晩の食い扶持に困って腹の足しにならない説教なんて見向きもしないだろう

そんなことが「後生の一大事」に関係ないからといって切り捨てられても、責めることではない
「あなたはそうなんですね」と受容する

振り返れば、弥陀の誓願は「あまねく衆生を救う」というもの
それを「救うというのだから何もせずにお任せ」となると少し違ってくるのだが、受容という点ではこちらの「ありよう」を超えて、「今欲するもの」を超えて、願い、誓ってくださっている


と、話がまとまりにくくなってきたが、大元が「受容」の塊なのだから、人間同士の関わりにおいて「純粋性」だけを是としなくともよい
弱い弱い人間という存在同士で、供養であろうが癒しであろうが、「いまここのあなた」が求めるものに応じて接する

ニーズがあるのならば、供養を大事にする集まりであっても、癒しを与える集いであっても、一宿一飯を与える場であってもいいじゃないか、と

 

かたくなに「まこと」だけにそぎ落とされた集まりも、ニーズがあるならそれでよし
「まこと」なんて思いが至らなくても、目の前の関わりとしてゆったりお茶を飲んでいてもよし

もちろん、どっちかに決めなくとも、その時その場所、その時の仲間で、右に行こうが左に行こうがよし


まぁ、このよしあしってのも所詮私のものさしの範囲ですけどね


お礼参りツアー 2018秋 その3

2018-12-18 18:34:58 | お礼参り

 

今回の放浪、最初の目的地である名古屋の西念寺さんへ
昔の友人が夫婦となり、いま僧侶夫妻として居られるお寺

この西念寺というお寺自体には初めてのお参りだし、何の思い入れもない
でも、ご縁のあるお二人が居られる場であり、今という時でもある

ちょっと入り口に迷いながらも、門をくぐった瞬間に出会うご住職、そしてすぐに迎えに来てくださったお連れ合い様
本堂の写真も撮るのを忘れて、招かれるまま本堂へ
懐かしいお二人のお顔を拝見しながら、阿弥陀様にお参り

ようこそ、この二人を迎えてくださいました、と


このお二人とは、学生として京都に居られたときのご縁
私が参加していた法座にお参りされ、熱心に求めておられた
その彼らが、僧籍を習得し、お寺を護り、御法の相続をされている
じつに尊いことであり、そのことが今の私を投影して「さて、私は?」と問いかけをくださる

最近の出来事や昔話を行ったり来たりしながら、至福の時間

かつて、彼らを含む学生世代が熱心に「真宗カウンセリング」を学び、熱く語っていた影響を受け、私も真宗カウンセリングを学びだした
そう、大事な先輩でもある


私自身は、歳を重ね、熱く関わるエネルギーが尽きてきている
対して、彼らは今まさに、どんどん学び、新たなものを吸収し、新たな出会いを通じ、「法脈」を”今”に則した形で伝えてくれている

羨ましさを感じながら、そおういう彼らと触れることで今の私が味わっている「(悟りの)境地」に思いを馳せ、そのことを言葉にすることができた


ほんのわずかな時間
しかし、今の私にとても必要だった時間


しあわせそうなネコの姿にも、言語は人間同士でしか伝わらないけど、言語を越えた何かが彼らから伝えられているんだろうなと感じた


そうやって気ついたり、深まった味わいについてはまた改めて


お礼参りツアー 2018秋 その2

2018-12-14 20:56:51 | お礼参り



津島を後にして目的のお寺へ…

の前にもう一つ寄り道

「京介」といういかにもな名前をもらいながら、実は私名古屋生まれ
途中岐阜大垣を挟みつつ、幼稚園卒園までは名古屋人でした

で、産まれた地は記憶にないのですが、幼稚園時代を過ごした場所はおぼろげに記憶がある

とうことで、「又穂団地」に立ち寄りました
近頃のナビは便利ですね

よく考えてみると、幼稚園時代から50年!!!
地名はありましたが果たしてどうなっているのか
思い出は甦るのか

ちゃんとありました~(T_T)
当然、改修や塗り替えなどはあるんでしょうが、イメージはそのままです

住んでいたのは2号館


確か廊下の端から名古屋城が見えてた記憶があるんですが…
外に出れなかったので確認できませんでした

そしてなにより記憶をワサワサさせたのは公園
半分テニスコートになってましたが、記憶にある遊具があります

この砂場の壁にある穴から顔出して他の覚えてます
なぜか、子どものころの妹の顔が思い浮かんできました

この滑り台、前かがみで階段登って、登り切って安心して体を起こしたら毎回このアーチで頭ぶつけてたの思い出します
きっとそのせいで頭が悪くなったんだと思ってます


テニスコートのあたりは広場でした
NHK教育の「手をつなごう」というコーナーが収録に来てて、私も参加
でもオープニングの歌の時こけて、泣きながら部屋に帰りました
オープニング映像は団地屋上から俯瞰で撮ってたんですが、一人だけ輪から走って逃げてく私が映っていたのを鮮明に思いだします

団地の横に床屋がありました
帰りに飴とかキャンディーくれたの覚えてます
お店は残ってたけど、営業してる気配はなし

その横には駄菓子屋があり、夏の暑いときに「キャンディー」買ってきてと言われ、ミルキーを買って帰ったら「頼んだんわアイスキャンディーや」と怒られたのを覚えています
思えば5歳のころからオヤジには萎縮の勧請しか残っていないことを今思い出しました

 

団地を後にして、通ってた幼稚園へ
「金城幼稚園」
さすがにうろうろして中を覗いたら不審者に思われるので、向かい側に車を停めて
門柱に乗ってる人形、なんとなく覚えがある気が…
でも、幼稚園自体はあんまり覚えてないですね

名古屋時代、当たり前だと思っていて、京都に行ったら当たり前じゃなかったこと
「幽霊城のドボチョン一家」を誰も知らなかったこと
「シロ・クロ・マッチャ・アズキ・コーヒー・ユズ・サクラ~」と歌ってもだれも反応してくれなかったこと

覚えてないこと
私も、ナモ とか ダギャー とか言ってたんだろうか???

 

50年ぶりの地
結構おもいでの刺激を受けました


お礼参りツアー 2018秋 その1

2018-12-10 09:42:46 | お礼参り



最初の目的地は名古屋のお寺

の前に、せっかくゆっくり放浪をするのだから回り道
ただ目的地に移動するのじゃなく、いろいろと思いを馳せながら

ということで、早めに高速を降りて津島へ

ここは大恩あるAさんの居られる地
いろいろあって袂を分かったが、それで恩が消えるわけではない

まだ仏教・真宗についてなにも知らなかったころ
ただ好きあった相手が寺の娘だったというだけで、宗教を”理解”したいと思った
いや実際は、宗教で悩んでいた彼女を、宗教の呪縛から解き放つために飛び込んだという方が正しい
そうして初めて参加した法座にAさんがいた

いまでも思い出せる光景

法座のあとの懇親会で
「お酒の場は楽しみましょうよ」という人を相手に
「なにいってんの、お酒呑むから本音で話せるんじゃない」と、熱く語るAさん
宗教的な話題の中身はちんぷんかんぷんだったが、その”熱”は理解できた
いや、理解を越えて、熱にほだされていた
周りはどんどん寝ていくが、この二人の問答はお酒が尽きても終わらない

何かわからないが、眼を放してはいけない場にいる

私も朝まで二人を観ていた

今の私の感覚でその時に起こっていたことを述べることもできるだろうが、それはやめておく

私の宗教観がどう変遷しようと、その日のそのひと時がなければ今はないってのは確か


おうちも数度お邪魔したが、もう何十年も前なので住所地に行ってもわからなかった
なので、名前は知っていたが訪れたことのなかった津島神社で紅葉を楽しんで次の地へ向かった



お礼参りツアー 2018秋 序章

2018-12-07 11:51:40 | お礼参り

ここ数年実現できているお礼参りツアー
私にとっての「終活」
二つの流れがあって、一つはお世話になった方々(人だけでなく諸仏も含む)を通じて、今までと今を振り返る旅
もう一つはずっと苦労をかけてきた家族へのお礼

もちろん、両方兼ね備えてる場合もある

きっかけは心身の不調
「死」が身近になり、観たいものも見れず、行きたくとも動けずってのを感じる
そうすると、ますますいままでのご縁がありがたくなる

同時にいろいろ引き受けてきたものを手放すことで時間が取れるようになった
自分や連れ合いとのことに時間を向けられる

こう思うようになって何か所か巡ることができた
最初は連れ合いと休みが合う週末に日帰りで行けるところ

お世話になった方々や「念仏碑」に思いをはせるべく、兵庫県日高の地を出石や城崎温泉をかねて

私にとっての法脈の大きな師、伊藤康善先生のお寺や活躍された道場を巡り、法隆寺へもお参り(ほんとうは宇陀の方の恩師のお寺も計画してたけど時間切れ)

夏休みなどは宿泊も兼ねて、私は仕事でよく行ったけど連れ合いはあまり行ったことのなかった四国一周とか
今年の夏はPTAでお世話になった地でもある仙台から東北へも

今回、仕事の関係でまとまった休みが取れたけど、平日でもあり連れ合いは忙しい時期だったので「ひとり放浪旅」を敢行

仕事や法座への参加以外でひとりで宿泊を伴う旅なんてなかったなぁ…と気が付いた


テーマは。お世話になった人々と地を巡り、思いを馳せる旅
まさにお礼参りだった

愛知から岐阜、富山に抜ける国道41号線ツアー2泊3日の旅
いろんな方にお世話になりました