コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

ぐるーぷ わ

2013-02-27 11:14:02 | 「聞き方・伝え方」学習会

土曜日に新しいグループをスタートさせた。

以前このブログでも紹介させていただいた「ぐるーぷ”わ”」

わ=輪 であり、演壇から話すのではなく平座で皆が同じ目線。
普段は立場や役割を背負ってるけど、それぞれが一人のパーソンとして。
なので、名前も毎回「こう呼んで欲しい」というものを自己申請で。
ちなみに私は「京ちゃん」

わ=和 であり、「なごみ」と「つながり」
場所と時間を決めることで、日常から切り離してゆっくりしていただく。
それぞれがなごめれば、自然とつながってくる。
もちろん、対立があっても、それがその時のグループの有り様ならそのように。
(意味があるならね)
ただ、無法地帯にならないようにするのは私の役目。
 
わ=話 であり、話したいことを話せるような場を共有。
ギリギリまでは「発言したい方は発言したいままに」
吐き出したいことは吐き出せる場所でありたい。
ただ、誰かを攻撃したり批判・否定されることのないようには「場の提供者」として参加者の安心安全は心がけて。
 
 
とりあえず「誰もこなかったらどうしよう」という不安は裏切られ、来てくださったかたと素敵な時間を共有させていただいた。
次回の3月23日までは会場を予約済み。
4月以降も最終土曜日に設定するつもりだけど、ちょっとPTAなどの様子をうかがってから。

さて、どのようなものに成長していくか楽しみ。

いろんな考え方が認められる世界 「聞き方・伝え方」学習会5月

2011-05-30 01:40:21 | 「聞き方・伝え方」学習会

土曜日は「聞き方・伝え方」の学習会。

 

朝まで仕事した後、軽く睡眠とってたら連れ合いからメール。

子どもを目医者に連れて行ってたんだけど、診察が思ったより時間がかかり、彼女の午後の予定にギリギリだから迎えに来て欲しいと。

あと1時間は寝たかったけど、ここは仕方なしに起きてお迎え。

 

前日からの雨模様もあいまって、ちょっとけだるい感じで学習会会場へ

悪天候もあってか参加者は3人(うち二人は世話役さん)と少ない。

でも、なじみの方々なんでリラックス。

 

いつもどおり、2分間の静かな時間を持って、それぞれの今の感じを伝えてもらう。

3人3様の感じを聞かせていただき、ゆったりとスタート。

 

いくつかワークを考えていたけど、今回は伝え方の方に重点を置いて、自分の中の感情をキャッチして言葉にする練習を。

といっても難しいことじゃなく、目の前に題材を置いて(今回はお仏壇のお花)そこから感じられるものを言葉にしていってもらうだけ。

ただ、ちょっとだけ意識的に”感情の言葉”に気づいたらそれを言葉にしていくことを大事にしてもらう。

 

 

3人ともこの学習会に慣れてきておられるので、こちらが特に動かなくても、発言しだした方を大事にして、他の方が話してる間は聞き手に徹しておられる。

なんてことはないのだが、じつはこれが自然と出来上がる場になってるのは結構すごいこと。

 

また話される内容も、最初は目に映る花のことを話し出してるが、そこから連想される話題に次々とシフトしていく。

「話し手が話したいことを話たいように」

この原則が自然と出来上がってるから、時間も区切らず、話に耳を傾ける。

 

3人がそれぞれ、ゆっくりと話し、途中気づいた感じを言葉にし、そこから自身の深いところまで語っていく時間。

人数が多ければ、何組かのグループにわけてしないとなかなか取れない時間を、今回は私入れて4人だから全員で持つことが出来た。

 

他の方が話したことに対しての感想もそれぞれ話してもらったけど、それぞれが他の方の話に感心している。

認め合う世界を感じた。

 

 

その後も休憩挟んでゆったりと自由に、エンカウンター的に話合いの場を続けたけど、この学習会を続けてきていることで変わってきているコミュニケーションに対する意識をそれぞれの方から感じた。

 

 

ひとりひとりの成長というものもあるんだろうけど、他の方の姿を通して気づき、自らも変わっていく姿に、響き合い育ち合うという言葉が浮かんだ。

 

あぁ、このことを先達や先生方から見せてもらってきたんだなぁと。

 

真宗カウンセリングという看板を掲げてはいない集まりだけど、私の中にある真宗カウンセリングが体現されている場なんだなぁ。

 

 

6月は残念ながら日程調整がうまくいかずお休み。

(最初予定してた日に、PTA絡みの予定が入っちゃった)

7月は…決まり次第ブログなどでお知らせします。

 

6月は19日に日曜礼拝の法話担当もあるし、26日は京都支部法座

7月に入ってすぐに真カ研のワークショップもあります。


こちらの思いと相手の思いが、必ずしも一致していないと言うこと

2011-04-26 01:15:38 | 「聞き方・伝え方」学習会

土曜日に「聞き方・伝え方」の学習会を行った。

 

いつものように2分間の静かな時間の後、それぞれの今の感じを尋ねるチェックインを行う。

先月もそうだったが、3月の震災以来、色んな形でみなの思いに影響が残っている。

いや、残っていると言うより今も進行形の形で日々の感情に影を落としている。

 

先にひとり15分間の聞き手・話し手にわかれての実践の後、エンカウンター的な座談会を開いたのだが、その話題の材料に二つのニュース記事を持っていった。

カウンセリングであったり、そこまで行かなくても誰かの話を聞いてあげるときに大事な考え方の1つ。

こちらの思いと相手の思いが、必ずしも一致していないと言うこと。

 

1つは、私もブログでよく話題にする「頑張れ」と言う言葉をめぐっての話題。

 

ACのCMに代表されるようにテレビでは「がんばろう」「前を向こう」といったメッセージが繰り返し流されている。だが、当の被災者からは、戸惑いとともにこんな声が聞こえてくる。


「当初はとにかく家族や家をなくして茫然自失だったので、何か声をかけてもらえるだけで嬉しかった。でも、長引く避難所生活のなかで“がんばって”といわれても、どうがんばればいいのか。他人事だからそんな風にいえるんだって、正直、ムカついてくる」(30代男性)


「東京も随分と揺れたらしいけど、家もあるし、電気もガスも水もある。自分は安全地帯にいて、現地のことを何も知らない人に“一緒にがんばろう”なんていわれても、嫌な気持ちになるだけ」(40代女性)


もちろん「がんばろう」というメッセージは善意から発せられたものだ。被災者もそれを理解しているがゆえに、“心の声”が表に出てくることはない。


日本中にあふれる励ましの言葉。しかし、そうした「非被災者」の言葉は本当に励ましになっているのだろうか――。 宮城県南三陸町の佐藤徳憲総務課長が語る。


「この間、県の保健士さんのカウンセリングがあり、“知らないうちにがんばりすぎてるから、とにかく休みなさい”といわれました。自分では、今の状態ががんばっているのかどうか、よくわからないんです。(亡くなった)職員たち一人一人の顔が浮かんできて、精神状態が正常なのかどうかも、よくわからない」

 

被災者「安全地帯東京から“頑張れ”といわれると嫌な気する」

 

 

「頑張ろう」の発信者には悪意はないだろうし、なんとか相手の気持ちに寄り添ってあげようとしているのだろう。

実際、この言葉をきっかけにして、一歩踏み出していける人も少なくはないはずだ。

しかし、まだ悲しみ足りない人には「それではいけない」と言うメッセージになってしまう。

「今、悲しんでいる」「今、どうすればいいかわからない」ということを否定されることほど辛いことはない。

様々な理由で頑張れない人もいるのだ。

 

もう1つ、相手の気持ちに土足で踏み込んでしまうもの

 

 慰めようと思って発した言葉に、被災者の心が傷つけられることもある。

 

「ボランティアの人たちには感謝している。でも、“大丈夫です。絶対に明日はやってきます”“お気持ちはわかりますよ”なんて同情の目でいわれても、あんたたちにわかるわけがないとつい思ってしまう」(仙台市の避難所にいる40代女性)


 気仙沼市在住の50代男性は、被災後2週間ぶりに発見された父親を弔う通夜の席で、参列者の一人にこういわれたという。


「遺体が見つかってよかったですね」


 男性が“遺体だけでも見つけてあげたい”と必死に探し続けていたのは確かだ。遺体が見つかったときには、安堵も覚えたという。


「それでも、死んだのに“よかったね”なんて、人にいわれたくないんです。逆の立場だったらどんな気持ちがするか考えてみてほしい」


 精神科医でたかはしメンタルクリニック(岩手県宮古市)の高橋幸成院長はこういう。


「自宅に家族、仕事も失い、自分だけが生き残ったと苦しんでいる個々の人たちはがんばろうにもがんばれない。虚しく響くだけです。“今日1日を生きましょう”、私はそう話します」

 

被災者の心を傷つけるNGワード「絶対に明日はやってきます」

 

これは普段の関わりの中でも見受けられる、相手に同情して何とかしてあげようと言うときの励まし。

同情と言うのは、こちら側の”してあげたいこと”で、相手が”してほしいこと”ではない。

傾聴ということがあるように、ひたすら聞いてあげる。

それはなにもテクニック的に自分の言いたい事を我慢すると言うことではなく、相手が今感じていたい感情を、自由に体験させてあげること。

悲しいと言ったらなら「悲しいんですね」、苦しいと言ったなら「苦しいんですね」と、こちらの想像や思いを交えずに、相手のかんじょうをそのまま受け止めてあげるだけ。

余計な詮索やアドバイスはいらない。

私からすれば、記事の中の「今日1日を生きましょう」もいらないくらい。

 

こちら側が善意と思って投げかけるもの…相手もそれが善意だと思うからむげに反発するわけにも行かない。

逆に、反発したい気持ちを押し殺して、さらにしんどくなってしまう。

「いやな気持ち」になったり「あんたにわかるわけない」なんて気持ちになったり、それを表に出せなくなってしまう。

 

これは震災のことに限らず、普段のコミュニケーションでも言えること。

「聞き方・伝え方」の学習会では、そういうことを学んでいきたいと思っています。

 

5月は28日の土曜日に行います。案内

また他の集まりでも、こういう学習会や講習を行いますので、気軽にお問い合わせください。
講習などの案内

メールはこちら
manu.takahashi@nifty.ne.jp


京都支部学習会 10月(今を語るためにはこの記録を)

2010-10-28 23:37:32 | 「聞き方・伝え方」学習会

ここ2週間ほど、非常に充実した刺激的なご縁が続いている。
”刺激的な”の中身は、単純にうれしいこと・楽しいことに限らず、中にはネガティブな、ダークな、隠してある心のひだひだがさらされるような、そんなものをも含んでいる。
なのに、”今”という時間を輪切りにしてみると、そうそういやな感じじゃない。

ただ、それらを記録する絶対的な時間が不足してる。
いや、睡眠を削れば時間が作れないことはない。
が、次の出来事・用事を考えたときに、睡眠時間で多少なりとも回復することは確保したい。
まぁ、昔なら多少寝ないでもアクティブで居られたところが、かなり衰えてきたとは思う。
いざとなったら、睡眠を削っても二日ほどは集中して活動することは出来る。
そのあと数日、その活動時間以上休息を取らないと参ってしまうと言うことも実感してるけど。

と、相変わらず無計画で前置きを書き出すとこんな風にだらだらとしたものになってしまう。
それで気力がなくなって中途半端な書き込みに終始してしまうことも、なかなかブログが更新できない理由かもしれない。


で、今までなら記録的にでも書き残してきた出来事が、かなりの量、溜まってきている。
日の目を見るか否かはわからないが、記録のための記録を…

17日(日)京都支部学習会 10月
19日(火)エンカウンターグループ 第4回 (記事済み)
20日(水)真カ研月例会 10月
24日(日)日曜礼拝 10月
26日(火)エンカウンターグループ 第5回 
28日(木)ミニカン継続学習会 10月

その合間に、面談・電話・メールなどでの相談やカウンセリングもいろいろな刺激を受けるし、ちょっとしたメールやブログで受ける刺激、仕事や生活で受ける刺激もある。

一見、これらの出来事は別々のものなんだけど、こうやって振り返ってみると、今の心境を支えている元に17日の学習会「聞き方・伝え方の学び」があるように思える。
そのことだけでもひとつの記事になるんだけど、ちょっと時間が過ぎてきていることと、他の出来事での気持ちも混じっているんで、かるーくなぞる感じで書いてみる。


この日の学習会は、久々に遠方から参加くださった方や、初めての方が2名居られたり、いつもとちょっと違った感じになった。
ただ、この日を迎えるにあたって、私の中でひとつのテーマが出来上がってた。
「ゆったり、ゆっくりしたいな」というもの。
いつも学習会では、何かしらのワークのようなものや、ひとつのテーマに沿ったプチ講義などを用意している。
もちろん、参加の顔ぶれを見て多少アレンジするんだけど。
しかし、この「ゆったり、ゆっくり」というのは、そういうものを用意せず、その場の動きに任せてみようというもの。
まぁ、ここ数ヶ月、同じ顔ぶれでの学習会が続いたんで、目新しいものより深まる方向がいいかなっていう思惑もあった。
なので、顔ぶれがいつもと違うってことは、なにか「示唆的」なものがいるのかも知れない。
でも、「ゆっくり、ゆったり」を優先した。
そうしたかった。

いつものように最初に2分間の静かな時間をとって、自己紹介を兼ねたチェックイン。
「ゆっくり、ゆったり」したいという私の気持ちを伝えたうえで、いつもの順番だとミニカンの実践が真ん中に来て時間を分断するので、先に実践を行って後の時間ゆっくりとエンカウンター的に進めることを提案。
初めての方が居られたので、ちょっと丁寧に実践のことを説明して、分かれたグループそれぞれに世話役が入るようにして実践。
このとき、初めてで要領がわからない方に、世話役の方がしっかりと意味合いを込めて形式を説明してくれていた。
1年と言う時間、少しずつでも経験をつまれていることが良くわかる風景だった。

この実践の分かち合いのときから、場が動き出した。
初めてクライエントをされた方が話題の中心になっていく。
ある意味、10分間という時間では話し足りなかったこともあるかもしれないが、「あぁここならこの話も出来る」という感じを受けてくれたそうで、少し重たい出来事の話もゆっくりと話したいように話してくださる。
周りの参加者もじっくりと話を聞いていく。
中にはご一緒された方が当事者になる話題も含まれていたが、本人が前に居ても大丈夫だという空気があったのかもしれない。
流れの中で、逆にその方も自分の話題を話される。
お互い「○○さんにだけは黙っておこうと思ったけど」というような話も。
そして口をそろえたように、「ここなら話しても大丈夫だと感じた」と言ってくださった。
そのことがなによりうれしかった。

先にミニカン実践で「聞いてもらえる」という体験をし、グループになっても回りのものがしっかりと聞かせてもらう態度で、なによりさえぎられることなく「話したいように話する」ことが実現された時間。
私が目指した「ゆったり、ゆっくり」は、私自身のために欲しかった雰囲気だったんだけど、参加者もそれを感じ実践してくださった。

 

この学習会があったから、その後のエンカウンターや学習会の場で、「ありのまま」の自分で居ることが出来、その他の出来事、それがネガティブなものであれ、ディープなものであれ、「受けて構える」余裕が生まれていたように思う。

土曜日からは真宗カウンセリングワークショップ。
ぎりぎりまで心配したが、しっかりと定員が埋まる参加状況。
ここ数週間の様々な動きが、この二日間に集約されそうな予感がある。
二日間も「ゆったり、ゆっくり」できる場があるというのはなんと幸せなことだろう。

 


京都支部学習会 9月

2010-09-28 15:53:39 | 「聞き方・伝え方」学習会
相変わらず「やることがいろいろある」を理由にブログの更新をサボりぎみ。
この2週間だけでも、日曜礼拝、真カ研月例会、娘の学校の学園祭、京都支部学習会、PTA会議など、ブログの記事にしたい話題は山積みなのに…

で、ちょっと時間の余裕があるときに少しでもとっかかろうと思うんだけど、さてどれから手をつけるか。


ということで、今日は学習会の記録として。

8月に一度お休みした「聞き方・伝え方」の学習会。
今月は祝日に会場の空きがあったんで23日の祝日に開催。
参加はレギュラー4名に、久々参加の(とはいえ他の機会にしょっちゅう会ってるんで会うのは久々じゃない)1名。
まずはいつものように2分間の静かな時間を設けて、今の気持ちの分かち合い。
つい数日前の「聞法旅行」の話題があったり、日常のコミュニケーションでの問題表明があったりと、じっくり話を聞いていきたい話題には事欠かない感じ。

そのことも心にとどめて、迷いもあったけどちょっと試してみたかったセッションをしてみる。

それをしてみようと思ったのは、先日の「日曜礼拝」のときに「ほとけさまと聞いて、思いつくことを何でも言ってみてね」と投げかけたときに、子どもらからなかなか反応がなかったことから。
「思いつくこと」と言われてもなかなか難しいかもしれないので、お仏壇のほとけさまを見て「何でも言ってね」と問い直してもなかなか反応なし。
結局、M先生が口火を切ってくれて、大人の方がいくつか話してくださった後にやっと子どもから反応がちらほら。

で、みたままのことを言葉にするのも難しいのかな?ってことを考えて試してみたくなったワーク。

方法は、あるもの(絵でも花でも)をみんなで眺めて、見えることを見えるままに言葉にしてみようというもの。
今回はとっさの思いつきでもあったので、何も題材を用意してないから、会場の部屋のお仏壇の前にみんなで集まって、お仏壇を見ながら「見えるものを言葉にしてみてください」と。
ただし、そこに感想は交えず、見えている事実だけを言葉にすることを意識しましょう、と。
これは、以前参加した「心の天気」のワークのときに、皆が書いた「心の天気」の絵を、「見えるものを見えるままに伝える」というセッションを参考にさせていただいた。

やってみると、皆さん結構難しいらしく、一生懸命「形容詞」を駆使して表現しようとされる。
たとえば「きれいな黄色い花がある」という具合。
「黄色」というのは共通認識(まぁ、厳密には色も人によって取りかたに幅はあるけど)だけど、それを「きれい」と表現するのはその人の「感じ方」になる。

もしかしたら、私はその黄色い花を「きれい」だと思えないかもしれない。
でも伝える側の「きれい」と「黄色い花」という伝えたい「事実」があるのだから、こちらの感じとは別にそのことを受け止めることは大事だ。
だからこそ、「共有できる事実」と、「感じている事実」があることを意識しておくことが大事なんじゃないかなと。

「見たまま」のあとに、一度「今度は感じることを言葉に」というセッションをはさんで、ちょっと「見たまま」と「感じていること」の違いを話して、もう一度「見たまま」を言葉にしてもらった。

その後、いつもより時間をかけてじっくりと分かち合い。
この学習会を始めてから「自分の・相手の感情の言葉をしっかりと受け止める」ことを大事にしてきたけど、自分を内省しながらや、人の話を聞きながら「自分の感情の言葉と事実」を分けて意識するのは結構経験が必要な気がする。
難しいけれど、ここが意識できれば、常に100%の意識を集中しなくても、「事実を事実として」受け止めながら、そこに起こってくる「感情」がでてきたときにスウッと入り込んでいける。

このことはカウンセリングの視点から行くと、相手の状況や境遇にこちらの感情が刺激されて「共感した気になる」「判った気になる」ということを避けることに関連してくると思う。(このことはいずれ「共感」という話題で記事にしたい)
また、仏法の視点から行くと、仏願や法語に自分の感情やつもりを交えずに、「知らされる事実」(機の真実・法の真実)をしっかりと聞かせていただくことにつながる。


そう、よほどのことがない限り、聞こえる(見える)事柄に対して、思い込みや想像を働かせて、刺激された感情を交えて、総合的に判断してしまいがち…というか、そうせざるをえないのがこの私なのだから。

そこにいる相手を、そこに居るままに受け止めること…
このことは、先日の月例会での「肯定的配慮」につながるんで、その記事はまた別に。


ちょっと記事にするには言葉足らずなきがするけど、躊躇してるとますますアップできないんでね。

来月は17日の日曜日に行います。

京都支部学習会 7月

2010-07-30 06:51:04 | 「聞き方・伝え方」学習会

先日の日曜日は「聞き方・伝え方」学習会でした。
久々の日曜開催でしたが、前週に大きな行事があったり、地方でも行事があったりした影響か少な目の参加者。
その分、今回も濃い学習会になりましたね。

まずはいつもどおり、2分間の黙想と分かち合い。

予定してたワークもあったんですが、その前段階での「一致・不一致」の説明で、みなさんの反応が思いのほか盛り上がったんで、流れに任せてエンカウンター的に楽に進めていきました。
放っておいても他の人の発言に影響を受け、自分自身を探りながら言葉にしていく様は、まさにこの学習会で目指してきた「相手を尊重する関わり合い」の姿でしたから、指示的にすすめるワークは必要ないなって感じで。

ちょうど、先週の水曜日にあった「真カ研月例会」(後日アップします)での学びがちょうどこの「一致」に関することだったので、私も一番心動かされてた話題だったこともあるでしょう。
そのまま最後まで進みかねないエネルギーにあふれてました。
(雑談に流れていくのもご愛嬌で…)

まぁ、せっかくの学習会なので、ちょっと休憩を入れて「聞き手・話し手」の実践を。
私以外で4名なので、二人組みを二つ。
私が両方の傍観者役で。

久々なんで、ついつい「聞き手」に徹しきれない方も居られたり、逆に「聞き手」に徹しようと力が入ってるという方も居られたりしましたが、そういうことも「傍観」していた私が分かち合いで指摘する前に、それぞれの振り返りで「こういう私だった」と内省されています。
またその内省をしっかりと言葉にして、発言される姿があります。

継続していくということはすごいことなんだなと実感できます。

8月は学習会の枠で「講習会のおさらい会」をしますので、「聞き方・伝え方」学習会は9月に。
日時はまだ未確定なので、決まればお知らせしますね。
その代わり、8月には広島でのワークショップがありますから、ぜひご参加を。


京都支部学習会 6月

2010-06-27 11:15:43 | 「聞き方・伝え方」学習会

 

会場となる華光会館の予定と、わたしの予定をすり合わせた結果、今回は平日夜の開催。
土日ならば…と参加してくださる遠方組も、仕事をされてる方々も参加できず、また終了時間が遅くなるため、家庭の事情や体調の面で夜はちょっとという方々も参加できず。
まぁ、予想はしてましたが。

「平日でも夜ならば、学生さんや会社員もいけるかな」という皮算用も、「あまり遅くなると家族の世話されてる方が難しくなる?」なんて”配慮”も入れた「八方美人」の性格が災いし、17時スタート20時終了したことで、どっちつかずに。
いやぁ、勉強させていただきました。


で、参加はわたしを含めて3名。
いわゆる世話役の3人ということで(笑)

なので、予定通りの進め方をしながらも、この一年間でのお互いの成長や気づきを確認する会となった気がします。

2分間の黙想、それぞれの感じの分かち合いと進めた後、今回用意していたちょっとしたワークを三人で。
まずは、”腹底”から湧き上がる感情で震えた”心”の様子を眺め、それを意識して言語化することを説明。
また、そこに”頭”の働きで「いいかっこしたい」「うまく伝えたい」ということが混じって、口から出る言葉が本心と一致していないということの説明。
なので、できるだけ心の感じているメッセージをそのまま口にしてみる練習をしましょうというもの。
それは、話の流れ・つじつまを重視しないで、心に浮かんだ感覚・言葉をそのまま口にしてみるワーク。

たとえば、外を走る救急車の音が気になったら
「あ、救急車の音が聞こえる」
そこで、家で留守番してる家族が気になったら
「家のほうじゃないだろうなぁ」
その瞬間になんかニヤついてる自分を感じたら
「あ、なんでかニヤついてる…」

という具合に、コロコロ変わっていく心を、それまでの話題や思いに固執しないで「とにかく言葉にして出してみる」

今回は設定5分で、一人が思いのまま口にし、後の二人は「救急車の音が聞こえたんですね」とつぶやいていく。
黙って傾聴してもらって気づいていくことも考えたけど、つぶやいてもらうことで自分が発した言葉を意識して、自分にフィードバックしていくほうが刺激があるかなと。

新しい試みは当然不安があるでしょうし、「誰からやりましょう」という言葉にお二人の戸惑いを感じたので、まずはわたしから。
さっきの救急車の音から、ニヤついてる感じまで、その瞬間瞬間を言葉にしてみる。
その瞬間瞬間に放り出したもんだから、今振り返ってもあまり覚えてないけど。

続いてお二人に順番にやってもらうけど、やはり簡単にはいかず、基本「今、話できる話題」を軸に流れていく。
でもその合間合間に「でも、今こう気づきました」とその瞬間に現れたものを言葉にしていかれる。
これだけでもすごいこと。

休憩を挟んで、後半は「聞き手・話し手」の実践をと思ってたけど、休憩からの話の流れでそのまま3人での座談。

「話し手を大事にする」という意識は十分あったまってる面子だったので、そのまま1時間ほど。
その最中でも、この日意識した「今突然感じたことを自由に言葉にしていく」ことも実践されている。

理屈と体験が伴って、深まっていくのが感じられました。

来月は7月25日 日曜日。

お待ちしております。

 


京都支部学習会 5月

2010-05-25 08:09:21 | 「聞き方・伝え方」学習会
久しぶりに日曜開催となった京都支部学習会「聞き方・伝え方の学び」
他の場所で支部法座があったり、かなりの大雨だったりしていつもの顔ぶれが見えなかったりもしたけれど、初めて参加してくださった方が数名。
同日に日曜礼拝の遠足があるので、子どもをそちらに預けて参加してくださったおかあさん方や、以前から参加したいと思いながら二の足を踏んでましたという関東から(!)の参加者など。
また、お仕事の関係で日曜でないとなかなかさんかできないって方も久々に。

事前に始めての参加者があるだろうということを聞いていたので、事前にいろいろはかりごと。
あまり意識せずにいつも通りって方がいいとも思うけど、ついつい欲張ってしまう。

始まる時間の時点ではちょっと少なめの人数。
いつもどおり2分間黙想して、外の音や自分のうちからのメッセージを意識してもらう時間。
そして自己紹介しながら分かち合い。

初めての方の緊張を少しやわらげる事が出来ればと、ちょっと企画ものを。
「流れ星のエクササイズ」というものをやってみる。
以前、別のワークでS先生に教えてもらったもので、いつか機会があればと暖めていたもの。
約一年間参加して慣れてきた方も、初めての方も、「いかに聞いていないか」ということの確認。
ほとんどの方が、「自分の思い込みで話を聞いている」という感想。
そのことにちゃんと気付いて、またそれをしっかり言葉にして返してもらえるところに、参加してくださってる方の成長を感じる。
絵を描くことや、間違ってるかもしれない、上手く出来ないってことなんかに抵抗や不安があって当然なんだけれど、そういうことも含めて「今・ここ・わたし」ということにオープンになって、素直に出来ていないことを言葉にしてもらう…これってすごいことじゃないかなと。

この分かち合いの時点ではじめてのお母さんお二人が送れて参加。
エクセサイズを経験してもらいたかったなって思いと、途中からだとちょっと緊張するかなってことが気になってたけれど、ここはそのまま分かち合いを続ける。

一息ついて、「聞き方・伝え方」の実践。
今回はいきなり3人組になるんじゃなくて、まずは「聞く態度(聞いてもらう態度)」を確認するワーク。
これは以前「地域若者サポーター養成講座」で教えてもらったもの。
といっても簡単なことで、ペアを組んで話し手と聞き手に分かれるけれど、最初の数分は聞き手は「反応しない」というルール。
今回は最初3分が無反応で、残り2分は好きなように聞いてもらうということで。
予想通り、最初はついついうなづいたり返事したり。
そこをぐっと我慢してもらって”壁”になってもらう。
この作業で「聞いてもらってる」ってことの喜びを体験してもらう。
やはり反応してもらうとうれしいし、聞くほうも反応しながら聞くほうが楽しい。

でも、普段の生活の中で、ちゃんと反応してるかどうか…そのことを振り返る機会にもなると思う。

休憩を挟んで3人組の実践。
いつもはランダムにペアを決めるけど、今回は私を含めて3名の世話役を振り分けて、初めての人が固まらないように配慮。
後の分かち合いを含めて、「聞くことの難しさ」と同時に、「聞いてもらえることのうれしさ」を感じてもらえたようでうれしい。


家庭や友人たちの間で「話を聞いて欲しい」というのは当然の欲求で、それが満たされていないとしんどさが残る。
ある程度は聞いてもらえる仲間や環境はあったりする。
しかし、ただ聞いてもらうだけではなく「ありのままの私」を聞いてもらうことはすごくまれなことで、とても難しいこと。
どうしても、話の内容に対して「聞き手の思い込み」や「分かったつもりの同調・同情」なんかが混じってしまい、ひどいときは話題を「聞き手の話題」に摩り替えられて取られてしまったりする。
余分なものを交えず、足さず、話し手の「言いたいこと」をその通りに聞く。
そのことで、話し手が自分でどんどん自分を振り返っていくことが出来るし、奥の奥にある自分自身に出会っていく。

話し手を「大事」にする聞き方…
それは話し手が、「ありのままでいられる」ように聞いてあげること。

うん、この学習会は私のための学習会だなとあらためて…

次回6月は、会場や私の予定の関係で平日の夕方に開催。
6月23日(金) 17時から20時です
近日、案内をアップします。

京都支部学習会 4月

2010-04-18 23:35:19 | 「聞き方・伝え方」学習会
土曜日は京都支部学習会「聞き方・伝え方の学び」
先週参加した伝道研究会で聞いた話や、最近の関心事から、この日の学習会を楽しみにしていた。
参加者は9名。
初めての方から、久しぶりの方、レギュラーの方など様々。

いつもどおり2分間の黙想。
初めての方も居られるので、外から聞こえる音と、身体の内から現れるメッセージを意識してみることを先に説明して行う。
そして感じたことの分かち合い。

今回はミニカン実践の前に、少し試してみたいと思っていたことを。
ある「お題」をだして、そこから感じることを紙に書いてもらい、あとで皆で分かち合うという作業。
このワークをやってみたいと思ったのは、法座などで「どんな感じがしていますか?」などとたずねたときに、「わからない」「何も無い」と言う反応が増えてきていると言う話から。
私としては「何も感じていない」ということは無いんじゃないかと思っていて、感じていることを言葉にすることに抵抗があったり、相手に気に入られる答えじゃないからと否定したりしてるんじゃないかな、と思ったりしている。
なので、感じたことを言葉にしてみる練習って出来ないかなと。

そこで、まずは答えやすい「お題」を。
その中身は、また別に機会に行うかもしれないんで内緒にしておくけど、まぁ出るは出るは、その人の個性が現れるものから意外なものまで。

ここで大事なのは、どんな「感じ」があったとしても、それを批判したり詮索したりしないこと。
だから、ひとつのことに対して「白」と感じる人もあれば「黒」と感じる人がいてもOK。
さらに、他の人が表明してから「わたしもその感じがある」と後乗りもOK。
「似てるけどちょっと違う」というものも、独立したものとして拾い上げていく。
それらを黒板に書いていく。
「いろいろあるなぁ」という声が聞こえてくる。

そう、「いろいろある」んだけど、それをなかなか表明できない。
その場に「操作的なもの」があったり「抑圧的なもの」があったりすると、それにそぐわないものは他の誰でもない「この私」がまず否定して、「これは表明したらだめ」と決め付けてしまう。
だから、楽に、自由に、それぞれの感じたことを出してもらえたのはとてもうれしかった。

二つ目の「お題」はちょっと深いものに。
でも、一つ目で「なんでも表明しても大丈夫」という空気を皆が作ってくれたので、こちらも結構いろいろ。
「いつもの法座だったらまず言えないだろうなぁ」なんて声もきこえることも出てくる。

いやぁ、やっぱりみんないろいろ「感じ」を持ってるんだなぁ、と。
それを「出すと駄目かな」とさせるものがある「場」もある。

ちょっとそのことを確認させてもらった気がした。

そのあとで、3人組に分かれて、いつもの「聞き手・話し手・傍観者」にわかれて10分の実践。
初参加の方の組に入らせてもらって、私も参加。

ちょっとは「聞いてもらうことで、勝手に話していく」と言う感じを味わえてもらえたようで、ほっとした感じも。

その後、実践の分かち合いも兼ねて自由な座談に。

最初のワークが思いのほか盛り上がったんで、座談の時間が少なくなったけど、とても充実した学習会に。
参加の皆さんがどのような感じを持ったか、それこそ様々だろうし、様々でOK。
私はうれしかったってことで。

来月は、久々に日曜日に開催。
23日(日)
ぜひ、お試しを。

京都支部学習会 3月

2010-03-28 23:50:40 | 「聞き方・伝え方」学習会
どうも最近は更新が滞りがち。
いろいろ刺激は受けたりするが、以前書いた「安心・安全の場」ということを考慮すると、ここで話題にすることは躊躇したりする。
いずれ、一般論として話題にすることも出来るだろうけど、いろいろ勉強させていただくことを今は一人で味わっている。

で、できるだけ行事のことはブログで追っかけて行きたいとおもってるのだが…

先週木曜日は月一回のミニカウンセリング継続学習会の予定だったが、参加希望者が少なく中止。
この時期は年度末なので学生も社会人もいろいろ変動の時期で忙しそう。
ということで、ブログに出来る話題がひとつ減ってしまった。

土曜日は京都支部学習会。
こちらはいつもより人数は少ないなりも無事開催。
遠くは広島から、あとは京都・大阪からで私を入れて9名。
少ないながらも、全員何度か参加経験のある方だったので、説明などの部分が省略でき少し楽に進める。

まずはいつもどおり2分間の黙想と分かち合い。
先に書いたとおり参加経験者ばかりだったので、今回は私が話をせずに皆さんに「私がこの学習会で大事だと伝えてきたことを、皆さんの味わっているところで分かち合いましょう」と提案。
復習もかねて、皆さんの言葉で。

大事なところを各自それぞれの切り口で話してもらえて、いい時間になった気がする。
「気付き と 成長」
そんなことを感じたので、そのことをお伝えして、あとはいくつかの質問にお応えしてみる。

「話を正確に聞く」ということと「感情を受け止める」ということに関して。
私としては、段階的にお話してきたつもりのところが、人によってはその興味の持ち方によってポイントが変わってたりする。
そのことも、教えるのではなく、実戦経験のなかで気付いていってくださる。
場が成熟していくのを感じる。

3人ずつ3組に分かれて、ミニカンの実践。
今回は私も入らせてもらった。
私としては最近「聞く」側のことが多いので、話したくなっていたということもある。

最近の生活を通して「休まっていない」ということを話したのだが、話しているうちに「衰え」「老い」ということが問題になっていることに焦点が当たってくる。
自分では避けるようにしているキーワード。
聞いてもらうことで、そういう避けている部分に出会っていけるのは、ミニカンの醍醐味だとあらためて感じる。
混じってよかったなと。

実践の分かち合いの後、グループでの自由な話し合いの時間を少し多めに。
実践であったまっているのか、ゆったりと「このメンバーならでは」の話が進んでいく。
もうちょっと時間が欲しかったけど、ここは時間厳守で。

ミニカンの実戦形式をとってはいるけれど、狙いは「安心・安全の場」で、邪魔されることなく「話したいこと」に向き合っていく経験をしてもらうこと。

「カウンセリングはちょっと…」と思っている方もぜひ参加して欲しいなと、あらためて思ってます。

4月は17日の土曜日。
お待ちしております。