前回書いたことを少し深めてみたいと思う。
4人の子ども(それぞれ性格や行動が違うから面白い)を育てていることや、親子コミュニケーションの集いなどに何度か参加している経験で、いろいろ知らされることがある。
その中の一つに「否定じゃなく、受容の態度」の大事さがある。
子どもがグズって泣くときに「泣くな!」と言うことは簡単である。こちらとしては泣かれて困っているわけだから「泣くな」といいたいのは当然だ。これを少しやわらかく、私メッセージにして「おとうさんは泣いて欲しくないと思ってる」と伝えることも出来る。コミュニケーションとして相手に強制するのじゃない「私メッセージ」は大事だし、心がけるべきである。
次に「何で泣いてるの」と問いかけることが出来る。
その理由を聞いて解決できることなら解決してあげたい。そうすることで泣く必要もなくなるわけだし、私も大助かりである
しかし、子どもにはそれは通用しない。
子ども自身、いざ泣き出したら「なぜ泣いているか」を正確に伝えるなど出来るはずがない。またその要求はおおむね子どもの「わがまま」が多いから、「何で」を聞いたとたんに「それはあなたのわがままだから駄目」となってしまうことうけあいである。泣くのも駄目、要求も通らない…子どももどうしようもない。こっちもどうしようもない。それよりますます泣き続ける子どもに、こちらの余裕はなくなり、声を荒らげ脅しはじめてしまう。
子どもにとって「要求を通したい」と言うのもあるだろうが、ほとんどはその時点で「ただ泣きたい」だけである。ならば泣かせてあげればいい。いや、泣き続けるのは困るのだが、「ただ泣きたい」ということを受け入れてあげることは出来るんじゃないだろうか。
「そうかー○○ちゃんは泣きたいんかー。いいよ、泣いてもいいよー」
すぐには泣き止まないだろうけど、受け入れられているということは子どもにも伝わるはずだ。態度として抱きかかえてあげることもすれば、ますます受け入れてもらえることが伝わる。すると子どもも落ち着いてくる。徐々に要求の底にある気持ちを表明してくれるようになる。
「○○が欲しかった…」「○○ちゃんに意地悪されて悲しかった…」
「そうか、欲しかったんか」「そうか、悲しかったんか」と気持ちを受けてあげたらさらに受け入れてもらえることが通じていく。
そこで買ってもらえたり、意地悪の相手に謝らせたりという「解決」ではないのだが、気持ちを伝えることが子どもにとっては大きなことじゃないだろうか。それを聞いてあげることが出来るか出来ないかは大きな違いがある。
最初は形のところでしか出来ないかもしれないが、通じ合えたらうれしいものである。