荒浜小学校では校長先生が案内をしてくださった。
パッと見はしっかりとした建物が残っている。
しかし、1階部分の窓の破損などが震災の被害を訴えている。
なにより校舎だけがぽつんと残り、周りには何もない状況…
1階から順番に説明を受けながら進む。
建物と言うハードの被災状況だけでも心が痛む。
玄関から入ると天井に無数の傷がある。
流れてきた様々なものが傷つけていった跡だ。
2階に上がると、廊下の一番はしにあるベランダが目に飛び込んでくる。
鉄の手すりが折れ曲がっている。
この階にいた先生が目撃したものは、どんどんまして来る水かさ、やがて2階にも浸水してくる、そしてベランダの向こう側から押し寄せてくる家。
なんとか3階に駆け上がり無事だったそうだ。
4階は被災した地域の方が避難してとりあえず命をつないだ場所。
仲間を励ましたり、気遣ったり、そして救助されたあとに残された感謝の言葉などが残っていた。
屋上から見る周囲の風景は、更地にしてこれから発展していく再開発地区のようだ。
しかし実際は危険地域として、この周囲に生活圏は作れない。
一通り見せていただいた後、じっくりと校長先生のお話を聞かせていただいた。
夕暮れの学校は、電気が通っておらず明かりは一切ない。
見せてくださる資料を、見学者の携帯ライトが照らしながらのお話だった。
当時の状況などいろいろお話いただいたのだけれど、一番最初におっしゃった感謝の言葉が印象的で、マスコミなどのどんな言葉よりも響いて離れないもの。
「皆様のおかげで、やっと普通のことを普通にできるようになりました」
ここでおっしゃった”普通”は、1年8ヶ月経って、ほかの学校に場所を借りながら「授業に子どもらが出席してこれる状況」のこと。
そういう最低限のことすらままならなかったんだと言うことがこの言葉には込められてるように聞こえた。
本来の家があり、本来の学校があり、本来の級友が集う…それが”普通”だという感覚の私がいる。
さまざまな支援が行われ、1年半以上経って「復興」という基準で語られるようになっているけれど、実際はまだ「復興」以前の状態であるということを思い知らされた。
もちろん、東北の方々は復興にむけて一生懸命前を向いておられるし、力強さも感じる。
でも、「復興が進んでいるから、私たちの支援はもう良いかな?」なんて錯覚するのならば、それは怖いことだ。
それはなにも、瓦礫の撤去や整地が進み、建物が補修されることが、復興が進んだということではない。
ランドセルが被災地の子どもに行き渡る事が復興が進んだということではない。
私たちが”普通”と思うことが、被災地の方も「これが普通」だと思えるような状況になって、やっと一歩進めんるんだと思う。
今回被災地を訪問して、今後いろんな場所でこの経験を話させていただく機会があると思う。
ひとつは女川町で感じた、人が生活していた空間を肌で感じたこと。
もうひとつはこの校長先生が伝えてくださった「普通」をめぐる思い。
せめてこの二つは、私なりの言葉で伝えてみたい。