コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

秋期研修会 5回目

2006-10-28 02:15:58 | エンカウンターグループ
今回も忙しい日々の合間だったが、先週に比べたらかなり調子は上向き。自然と口も開く。対して、他の皆さんは結構お疲れのようだったが…

前半はYさんとMさんが中心。そこに私が加わるといった感じだけど、結構間に沈黙があった。確かに少し重たい話題ではあったが、私としては結構自分の身に引き寄せられる話題で、その沈黙の間にいろんな思いがわきあがってきた。ただ、そのことを口にするのは断片的な感じだったので、話題が広がらなかったようにも思う。

対して後半は「ぜんぜん違う話題になっちゃいますけど」とOさんが口を開き、そこから日常的な話題で話が広がっていった。

どちらがどうということではなく、沈黙をともなった重いものはそれで大事な時間だし、その中でそれぞれのメンバーの内でいろんなものが湧き上がり流れているだろうし、話題が広がったら広がったなりに、それぞれの中で起こっているものが表に現れている。

どちらも、グループが動いている感じを受け止めた日だった。

真カ研月例会 10月

2006-10-21 03:05:44 | 真宗カウンセリング
火曜のエンカウンターに引き続き、水曜日には月例会があった。
振り返ってみると、7月と9月(8月はお休み)の月例会の報告をサボってる。
なので、今月は忘れないうちに。

とはいえ、内容は基本的にテキストに沿って進められるので、そのあらすじだけにしても長くなるからパス(笑)
テキストはロジャーズさんの論文だが、私にとっては法座やミニカン・エンカウンターで体験していることを理論づける機会としてしている。したがって、体験の有無によって、身に迫って受け取れるところと、想像でしかない部分がある。勉強によって知識を高めるというのを苦手としているからだ。

むしろ、その内容に触発されて、参加者が話し合う内容に惹かれる。私よりも実践されている先輩諸氏の言葉は深みがあるし、私に足りないところを補ってもらえる。

「セラピィの過程」の話だったのだが、最後のほうで「今までの自己概念を組み替え、次第に新しい経験を取り入れられるように再構成する」というところに導かれるのだが、そこを聞いたときにカウンセリングに出会って変化してきた私自身を思った。しかし、そのことについて「まさに、『今、ここ』の精神ですね」という発現を聞いた瞬間、すでに過去の体験を自己概念としてしまって、さらなる新しい経験をはねつけていた自分に気付いた。
うーん、すぐに出来上がろうとする自分がハッキリしますね。

振り返りの時間があれば、そのことを話してみようと思ったが、時間がなくそのまま終わってしまったので、忘れないうちに書いておきたかった。

来週のエンカウンターから仕切り直しです。

「かりもん」氏がこの月例会のことをブログに書かれているので、リンクをしておきます。みなさんもご参照ください。
「かりもんの実践的!真宗法座論」

秋期研修会 4回目

2006-10-20 01:40:33 | エンカウンターグループ
火曜日のエンカウンターグループ、参加はしたのですが疲労がピークに達しており、そこに居るだけの感じでした。
本来身体を休めるはずの週末に急ぎの仕事が入ったため、土日をつぶし、さらに朝から夜中3時ごろまで機械を動かし続けないと間に合わない仕事。やっと、火曜日の午前に仕上げ、出荷してほっとした状態での参加でした。

少し遅れてこられた方もいましたが、秋期でははじめての全員参加。嬉しいですね。

前々回の「感情を押さえてしまう」ということと、前回の「相手に伝えたい気持ち」の二つのテーマが再び皆の前に出され、行きつ戻りつそれらの話題を共有しながらすすんでいった感じです。

私自身は、聞いてはいるのですが、「発言しよう!」というものも起こらず、しかし輪には入っている感じでした。

しかし、聞くというのは非常にエネルギーの要ることで、一対一のミニカンならば少ないエネルギーでも沸き起こして聞こうとする態度になるのですが、自分が中心にならなくても流れていくエンカウンターではそこに無理をしない私が居ました。

実は、ここに深い意味を感じていまして、以前なら「そんな引いてる感じではダメだ」とか「もっと聞かないと相手に悪い」=「悪く思われたくない」という気持ちに支配されているのが私でした。それが「一生懸命聞いていない」自分でもOKとしている。新たな境地を感じていました。またグループに参加したら、この辺をふり返って味わえるかもしれません。

この脱力しながら参加する心地よさで少し元気になったのかもしれませんが、このエンカウンターの後に知人から「よければ話を聞いて欲しい」という依頼を受け、そちらはいい感じで聞けていたように思います。「疲れた身体を鞭打って」という感じは微塵もなく、自然な感じで聞かせてもらえたなと。

秋期研修会 3回目

2006-10-15 00:01:36 | エンカウンターグループ
今回は前日までの3日間、華光会の仏教青年会大会に参加していたため、ちょっと疲労気味。普通は、大きい行事のあとは一日のんびりする日を入れるのですが、今回は急ぎの仕事を請けていたのでままならず。大分身体の重さを引きずっていた感じです。
一方、気持ちの方は3日間の法座で充実しており、勢いその話題になると身体の芯の火照りがよみがえってくる感じです。

今回、先生が遅れてこられるとのこと。また世話人さんもお一人を除いて遅れてこられるという、ちょっと落ち着かないようなざわっとした感じで始まりました。しかし、順番にチェックインする段になって、参加者の居場所が伝わってきます。手探りだった前2回に比べて、かなり参加者との距離が近づいているせいでしょうか。

自由な時間になってしばらく沈黙があったのですが、私の中には「沈黙を味わう」という気持ちと、「自分の中で蠢いてる、火照りを表に出したい」という二つの気持ちが揺れていました。結局、口を開き、できるだけ”自分の感じ”のところで話しようとしました。が、法座のことを仏教的なことや、体験的なところ…一種特殊な状況の説明を抜きに話することは難しいものがあります。わかってもらうには説明も必要でしょうが、自分自身が話したいと言うことと、自分で味わいなおしたいという気持ちから、なんとなく一方的な話に終始した気がします。あまり広がりませんでしたが、わたし的にはOKかな。

後半はSさんの人との関わりについて感じておられるところを中心に、数名がやりとりをして広がっていきました。内容はパスしますが、感じたこと。
わたしとしては「裏切られた」という気持ちを相手に”わかって欲しい”という感情が中心の話だと受け止めていました。その受け止め方に共感してくださる方も居ましたし、Sさんもそういう感じで居られたようです。ところが、別の方が自身の受取りと、それにまつわるエピソードを話されるうちに、Sさんの底にある別の気持ちに焦点が当たってきたようです。「相手に非を認めさせたい気持ち」これが明らかになってきました。

振り返ってみると、私はSさんの気持ちを自分に取り込んで、「わたしならこの気持ちが中心だ」というもので収めてしまっていた気がします。これは純粋にSさんの気持ちを聞いていくこととは違います。ミニカンだと、ひたすら聞いて行くことに焦点を絞りますが、エンカウンターの場合、聞き手と話し手が自分の中で混ざっており、相手の気持ちを自分に取り込んで発言する…ある意味、それもいまここの自分の気持ちではありますが、「発言を盗る」というか、一つの発言を大事にしないまま、自分の思いで薦めようとしてしまう。そんなことに気付きました。
一方で、一度は「こうだろう」と思っていたものが、複数の人の発言に触発されて隠れていた気持ちが出てくる…これはエンカウンターの醍醐味なのでしょうね。

結構、深いところで感じていました。

3日間の疲れで、無防備に言葉を受け止め、自分に力を入れずに関われていたおかげかもしれません。

「とのひろ」さんもブログに書かれています。

秋期研修会 2回目

2006-10-10 18:45:39 | エンカウンターグループ
すっかり更新をサボっております。
研修会が始まって、ネタがあるにもかかわらず…
すでに、このあと3回目に参加しにいくというのに、2回目の分が書けてません。まぁ、行事など色々あったのは確かですが、要は私の気持ちの問題。

この日はちょっと遅れて参加したので、最初に語られていた話の元になる部分が聞けませんでした。どうも、チェックインのときに「夢」の話があった様で、そのことに触発された発言が多かったように思います。
もうひとつ、「怒り」ということを中心に「感情を出す」というテーマでも盛り上がりましたね。

すぐに感情を出してしまうことで悩んでいる方もいれば、感情を押さえて出せないことを問題にされている方もいる。
悩みや苦しみにも色々ありますね。

さて、そろそろ出発します。