コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

PTAフェスティバル ~素敵な祭りと個人的反省~

2011-11-28 17:15:20 | PTA

 

土曜日にPTAフェスティバルに参加しました。

 

長女が小学校に通ってることから開催されているのですが、実は恥ずかしながらその存在をずっと知りませんでした。

いや、おそらくは何らかの通知で目にしてるはずなんでしょうが、興味を持っていない事柄はいくら目に留まっても脳には届きません。

 

じゃあ、PTA役員になった去年はどうだったか…

実は同じ日に学校でPTAイベント「おやこで遊ぶデー」を開催してました。

PTAフェスティバルがあったことを知ったのは、mixiで保育園時代一緒だったマイミクさんの「行って来ました」と言う記事。

で、後から考えると、小P連からの伝達事項でPTAフェスティバルの開催とお誘いはしっかりあったはずです。

なのに、本部役員会議でイベント日程を相談しているときに「その日はPTAフェスティバルがあるからPTA行事はNG」なんて話は、当時の会長からも学校側からも出てきませんでした。

いや、もしかしたらあったかも知れませんが、校内イベントに必死になっていた私には届かなかったんですね。

 

で、立場変わって今年は情報を聞いてきて伝達する側に、すると伝わり方の点でいろいろ出来そうなことがあるなと…という話題はまた次の機会にでも。

 

 

今年は、ただ参加ではなく(いや、ただ参加するだけの経験もないんですが)お手伝いすることに。

で、どういうものか分かっていないために、ほとんどお役に立てず。

ただ、多くの方が時間と苦心を重ねてつくりあげてきたイベントを楽しませていただきました。

 

ある役員さんと話してたんですが、PTAフェスティバルっていろんな学校のPTAが取り組んでいる活動の「見本市」なんですね。

 

設営のお手伝いをした巨大万華鏡もあります。

ステージでは、歌や踊りのイベントがあります。

それは、普段の学校PTA活動でやっていることの発表会です。

模擬店では、多くの学校の「おやじの会」が中心になって、様々な食材を提供してくれます。

本の読み聞かせコーナーでは、PTAの読み聞かせサークルが交代で人形劇などの工夫も交えて子どもらにお話をしてくれます。

フリーマーケットコーナーでも、いろんな学校が工夫を凝らして展開しています。

 

もしかしたら、このフェスティバルのために一時的に活動していることもあるかもしれませんが、多くは普段から活動していて、その発表の場のひとつとしてこのフェスティバルに参加しています。

 

で、自分の学校を振り返ってみると…

学校内でのイベントを少し工夫したことはありますが、もっともっといろいろ楽しんでみる余地はあるなと。

いや、コーラスやママさんバレーも立派な活動ですし、それが活発に行われているのは十分な成果です。

でも、他の学校が楽しそうにやっていることを見ると…うーん、欲張りですかね。

バンドも作ってみたいですし、ロックソーランも楽しそうです。

みんなで料理を楽しむのも良いですし、読み聞かせ会なんかも子どもと触れ合えそうです。

スライム作りや、紙ひこうきなんかも子どもたちの目が輝いていました。

 

それは、自分の学校だけでなく、所属している南支部にも言えるかもしれません。

全校参加の壁新聞コンテストに参加というのはありますが、他のイベントに南支部の学校の名前がありません。

 

もしかしたら、このフェスティバルに対する告知・認知方法に問題があるのかもしれません。

小P連の理事会に参加してますと、そこへの力の入れ方やエネルギーが伝わってきます。

それを私が各校へ伝える…そこの弱さですね。

だって、私自身が参加したことがないんで、伝えようがなかった。

今なら、もっと伝える言葉を持っています。

(そのひとつがこのブログ活用ですね)

 

12月に、南支部の会長会議を召集する準備を進めています。

来年に向けて、出来ることはやってみましょう。

 

あと、おやじの会も我が校では休止状態です。

(年明けにイベントの予定はありますが)

PTA活動と並行すると「PTA活動につながるんじゃないか」といらぬ心配かけるのでこれも慎重に進めたいんですが…

というより、PTA活動に誘うことを遠慮してる私に問題がありですね。

 

こんなに、いろいろ「知らないことを知る」ことが出来る立場なんて、ほんと楽しいんですよ。

確かに時間的拘束はありますが、この活動は「自分の子ども笑顔につながる」という大義名分がありますから…(しかも自分が楽しみながら)

きっと、その部分がつたわらずに、大変な部分だけが見えてるとしたら、大いに反省しなければいけませんね。

 

このフェスティバルに関わった、大人の笑顔も素敵ですが、参加して遊んで帰った子どもらの笑顔がなによりですもん。

 

 

フォトギャラリーあります。

PTAフェスティバル2011

 

 

 


出会い、万歳

2011-11-27 01:19:08 | PTA

今日はPTAフェスティバルでした。

そのこともじっくり書きたいのですが、先ほどまでその打ち上げに参加していてかなりアルコールに侵されています。

 

なので、楽しかった打ち上げの話…ではなく、そこで感じたつながりのことを。

 

今回のフェスティバルは、5校種(幼稚園PTA連絡協議会・小学校PTA連絡協議会・中学校PTA連絡協議会。高等学校PTA連絡協議会、支援学校PTA連絡協議会)の合同イベントです。

まとめて京都市PTA連絡協議会ということですね。

 

で、打ち上げの席でたまたま座った席が支援学校PTA連絡協議会の会長さんと副会長さんとご一緒する席でした。

こういうイベントがなければ、またこの打ち上げに参加しようと思い至らなければ出会うことがなかった方々です。

この出会いはとても素敵なものとなり、いろいろと大事な話を聞かせてもらうこととtなりました。

振り返れば、春に支援学校のPTA会長と出会ったことが今日の出会いにつながっています。

さらに、今の学校のPTA役員との出会いがその会長との出会いにつながっているのですから。

 

私自身が気付かないところで、いろんな出会いにつながる伏線があるもんだなと。

 

 

また、一緒に盛り上がった方をふと考えると、夏に「花背山の家」でワークショップをご一緒させていただいた方々でした。

普段の小P理事会で出会うならまだしも、年に一回のイベントでたまたまご一緒した方。

それがそれ以降のイベントで顔を会わしては、当たり前のように挨拶して、旧知の仲間のように笑いあってる。

当たり前のようで、すごく不思議な出会いであり、つながりだなと。

 

 

今回のフェスティバル、打ちあげで、他の方とも出会い、名刺交換してつながりが出来ました。

 

PTA活動って、すごく負担を引き受けなきゃいけない印象もあるかもしれませんが、こうしていままでの枠超える方々と出会えるのはほんと役得だと思います。

 

いやぁ、本と皆さん素敵な方々です。

 

 

フェスティバル通じての伝えたいこともあるのですが、それはしらふのときにじっくりと。


南支部はぐくみ委員会

2011-11-25 19:12:53 | PTA

火曜日は南支部PTA連絡協議会の委員会。

読み聞かせの大石先生をお招きしての講演会です。

 

大石先生は昨年度の指導者研修会でもお話を聞かせていただくご縁があり、今回2度目です。
(前回の分の記事12

 

最初に二人の子どもの作文(ネットの日記)を紹介してくださいました。

 

ひとりは「親がいなかったらいいのに」という周りの人に対して「私は親がいないから、そういうことをいう人が恨めしい」という内容のものです。

ところが最後に「でもそれはうそ、ちゃんと親はいるもんね」と締めくくられているものです。

 

もうひとりは、親から離されて飼われてきた子犬に対して「君の気持ちはよくわかる、ぼくもお母さんがいないから」というもの。

でも実はその子の親は健在なのだそうです。

(聞き覚えなので正確な文章ではないです)

 

どちらも、ちゃんと親がいるのに「いない」と想定して文章を作る…とても独創的で想像力が豊かなんだなぁ、と…

ところがその後の先生のお話を聞いてびっくりしました。

ひとりは佐世保で同級生を刺殺した子、もうひとりは神戸の酒鬼薔薇事件の子。

 

すべてが単純に分析できるわけではないのですが、親との関わりがないために、「居ても、居ないと同じ」と言う風に思っていたのなら、とても悲しいことです。

これは、彼らの親を責めると言うことではなく、自分を振り返って、自分が思っている様にではなく、子どもがどう思っているのだろうかと心を寄せて、子どもとの関係を見つめる大事なきっかけをもらったんだと思いました。

 

その後も、最近見かけた親子の様子などを通じて、関わりの大事さを話してくださいます。

 

 

以前聞かせていただいた講演も、すでに私の中に入り込んでいますから、私が親子コミュニケーションの話題としてここに書くことには大石先生の影響もしっかりあります。

 

子どもの話を聞くことの大事さ。

面と向かって顔を見て会話すること。

子どもは親の姿を見て育つと言うこと。

 

それぞれのエピソードも楽しく分かりやすいもので、いずれ時間(と気力)があれば紹介したいと思います。

 

最後に、紹介してくださった子どもの詩をひとつ。

(これはレジュメでいただいたので原文のままです)

 

ぼくがおふろに入ろうとしてシャツをぬいでたら、

「かぜ、ひくから、早く入りなさいッ。」

と言われた。

「うん。」

と返事した。

ぼくが、はだかになって、

ふろばの戸をあけたら、

「はよ、つかりや。」

と言われた。

それで、ぼくは大急ぎで、

ふろにとびこんだ。

しばらくしたら、

「早よ出て、きれいに洗い。」

と言われた。

ぼく、あわてて、出てきた。

まだ、ちょっと、寒かった。

ぼくが、半分ほど、あろてたら、

「ぐずぐずせんと、早よ入り。」

と、また、言われた。

それで、ぼく、半分でやめて、

ふろに入った。

そして、出て来たら、

「よう、洗ってない。」

と言って、おこられた。

 

さて、笑っていられるでしょうか?

 


はぐくみ全市交流会…時間がたったけど書いておきたいこと

2011-11-22 03:27:24 | PTA

相変わらず、更新したくてもなかなかまとめて時間が取れない感じ。

まぁ、少しでも時間が取れたら寝てるからなんだけど…。

 

ここしばらくは、いろんな準備や裏方作業が中心。

小P連南支部の2回目の会長会議の準備も進めてるし、バレーボール大会があった。

単Pの方では本部役員会議や壁新聞作成、子ども見守りに関する打ち合わせや、安心安全委員会のミーティング、校長との今後の予定に関するミーティングもあった。

あと、卒業式に向けての6年生保護者の会議準備も。

小Pの方では前回記事にした「教育委員会との懇談会」に向けての準備がある。

 

 

校長とのミーティングでは、ちょっと大きな動きの打診もあった。

とても楽しみな案件だけど、ここで発表するのはもうちょっと具体的になってからかな。

 

他にも、すでに記事にした「真宗カウンセリング50周年」や毎週のエンカウンターグループ、月一の月例会も先週あった。

さらには法座も。

 

後の予定を考えても、明日(もう今日になってるけど)は子どもの学芸会、午後には南支部はぐくみの研修会。

週末にはPTAフェスティバルがあるし、前日には準備にも行く。

来週は教育懇談会の準備会議があるし、その週末は午前に人権啓発活動、午後に南支部のコーラス交歓会。

まだ参加は迷ってるけど、1日にも南区のまちづくり推進課のほうで人権啓発活動と講演会がある。

うーん、師走になったらどうなってしまうんだろうか…

 

 

と、今後も話題豊富になりそうなんで、今まで書き損ねてることが書けないままになりそう。

なので、思い立ったときに少しでも…ということで、もう2週間前になるけど「はぐくみ全市交流会」のお話。

その直後の思いはすでに書いたけど(「遠いところのお話」…よく書いといたもんだ)肝心の交流会の方は書き損ねてる。

 

第一部は講演会で、子どもの「困り」に関するお話を聞いた。

素直に感心した部分と、「?」と思った部分もあるんだけど、そういう感じが残ってるだけで具体的に書くほど大きな疑問があったわけじゃない。

レジュメを見直して内容を思い出せば話題に出来るんだろうけど、また気が乗れば。

 

で、書いときたいのは後半のワークショップ。

あらかじめグループ分けしてあり、私は小Pの理事会に参加してることもあり世話役(ファシリテーター)を仰せつかってた。

市内各地から来られた5人のお母さん方とのグループ。

短い時間だったんで、自己紹介の後は記録係だけ決めて、5分時間をとってポストイットに課題を書いてもらい発表してもらう手順を採用。

講演はこどもの「困り」にどう関わっていくかだったんだけど、みなさんに書いてもらうと出てくるのは「子どもとの関わりで”困る”こと」が中心。

もしかしたらワークショップ主催者の思惑とは違うかもしれないけれど、これが生の声だし、皆さんが抱えてるものだから、じっくりそこを聞かせてもらうことにした。

 

子どもの成長に伴って、コミュニケーションが難しくなってくる。

どういう風に接したら…

おそらく、こういう悩みを話し合っても、多くの場合はアドバイス中心になるだろうし、下手すると「そんなやり方はダメ」と否定批判されてしまうこともあるだろう。

なので、まずは困っていることを言葉にして”放す”ことから。

すると周りのお母さんも自らの体験から問題を”共有”する。

自分だけじゃないとわかり少し楽になられるんだろう、みなさん結構活発に話し合われる。

(もっと時間があっても面白かったと思う)

具体的な方策がなくても、こうして分かち合うことで大きな意味があるだろう。

 

あとはお土産としてちょっとだけ「こういうちょっとしたことで関わり方は変わりますよ」と、少しだけ提案。

ここでも何度か書かせてもらってる、コミュニケーションのちょっとした心がけ。

 

忙しいときでも、子どもが話したがっていたら聞いてあげる。

できれば正面向いて目を見て…が理想だけど、家事をしながら「ウン」という相づちやうなづきを。

その出来事で感じた「うれしかった」や「腹たった」などの感情の言葉をしっかりキャッチ。

これだけでも変わりますよってこと。

 

あと、こちらの言いたいことを伝えるときに、相手を否定批判したり、強制したり、決め付けたりするのではなく、「お母さんはこうして欲しい」「お母さんはこうしてもらったらうれしい」という”わたしメッセージ”を心がける。

 

もちろん、気が急いていたり、お怒りのときは難しいだろうし、そういうときに出来なかったことで自分を責めるんじゃなく、出来ていないっていう事実だけを受け止めて、評価しない。

 

時間があれば、もうちょっと具体的にお話できたんだろうけど。

 

 

じつは、このことは交流会があった翌日のエンカウンターグループでひとつの深まりがあった。

「こういう話が出来たんですよ」ということを話したときにある方が「おかあさんが自分のことを話して、しっかり聞いてもらえたから、高橋さんの話が入っていったんですね」と。

そう、ここが大事なところだ。

一方的な講習として話をするのじゃなく、先に”放して”もらうことが大事なんだ。

 

講演会だけで終わるイベントは、どうも後味が悪い。

こういう形で分かち合うワークショップがあると、深まりがずいぶん違ってくる。

 

そういうことを改めて感じたし、このことを心にかけていて、時間がたってしまったけど書いておきたかった私がいるんだろうな。

 

ちょっとほっとした。


教育懇談会 準備会議

2011-11-18 09:06:16 | PTA

京都市小学校PTA連絡協議会のイベント(と言って良いのかな)のひとつに、教育委員会懇談会がある。

年に一回、教育委員会の委員さんと直接膝を交えて、様々な課題について話し合われる。

で、事前に各地域からアンケート形式で話し合うべき課題を提出してもらい、そのうちどれを取り上げて議題にするかを決めるのが、私が所属している「教育環境部会」の仕事のひとつ。

昨日、その会議があった。

 

夕方6時半から、アンケートをまとめた書面を見ながら、どの課題を取り上げるかを話し合うんだけど、これが非常に面白かった。

 

懇談の相手は教育委員会なので、普段直接聴く事が出来ない「京都市の学校運営に対する現状やビジョン」が中心となるんだろうが、アンケートに現れてくる内容は様々な問題や不安の声。

 

中には、すでに対応が進んでいたり情報が開示されているものがある。

しかし、そのことを「聞きたい」と言う形で声が上がるということは、情報発信側が上手に出来ていないのか、情報受信側が普段は意識からスルーしてるかだ。

つまり「伝わっていない」と言うことになる。

実際の懇談会では課題に取り上げても「これこれこういう形で発信しています」と言う答弁で終わってしまうけれど、その内容を今一度「言葉」にしてもらって伝えてもらうことにも非常に意味がある。

(ただ、全部再発信してもらうには時間が少ないので取捨はされる)

 

あと、「それは教育委員会ではなく、個々の学校の問題、あるいは家庭の問題」と言うものも結構見受けられる。

なので、懇談会では取り上げられることはないが、そういうところにこそ保護者の”関心”であり、”問題”であるところが山積している。

そういうところを「委員会には聞かないけれど、現状はどう?」という話し合いに時間が費やされた。

中には、そういう作業を通じて「じゃあ、こういう視点にして議題に結び付けられないか?」と、マクロな問題にしたり、具体的な問題にして議題候補になったものもある。

 

この会議には、保護者・学校・教育委員会の三つの立場の人間が参加していたので、むしろ「保護者と教育委員会」で年に一回設けられる懇談会より、自由に様々な視点で話が繰り広げられた気がする。

 

残念ながら、ここで具体的な話題を取り上げることはしないが、楽しんできたこと、こういう会議に出れたことは役得だと思ってることだけでも伝えたくなってる。

 

この会議の結果である教育懇談会の議事は公開されると思うので、そのときはまた紹介したい。

 

12月14日の懇談会本番までに、もう一度精査するする会議と、課題を各理事に報告する理事会がある。

まだまだ楽しめそうだ。

 

結局会議が終わったのは10時過ぎ。

じつは10時から仕事があったんだけど、遅刻する連絡を入れて会議を優先した。

相手には悪いけど、こんな楽しい機会を逃したくないしね。

(ほんとうなら終わってから一杯飲みながら他の理事さんと振り返るのも楽しかったんだろうけど、そこは後ろ髪引かれながら夕食とる間もなく仕事先へ…)


真宗カウンセリング創立50周年記念交流会

2011-11-14 07:07:28 | 真宗カウンセリング

今年の大イベント(私的には)が行われた。

ここ数週間のブログにしたい出来事がいくつもあったけど、この準備で(当然他の仕事の合間なので)ゆっくりキーボードを打ち込む暇がなかった。

 

世話役の私としては、当日を無事迎えたことで終わったようなものだったけど…(笑)

しかし、イベントの準備というのは大変である。

もっと大規模のものだったら複数のスタッフで何度もミーティングして行うべしなんだろうけど、今回は大事業の割りに交流会の規模は控えめなんで、事前準備は基本私一人。

資料作成を(じつはこれが一番大変かもしれない)他の方にお願いした以外は、基本的な計画を世話役会でまとめたのと、案内の発送作業、当日の役割分担を相談してまとめたくらい。

でも、ひとりでやらせてもらったことで、自分のスケジュールでことが運べるので、私はそのほうが楽に動ける。

 

で、肝心の交流会の中身は代表やベテランさんにお任せして進行してもらうのだから、当日は楽なもんだ。

(しかも、PTAがらみのどうしてもはずせない野暮用があったので中座する始末)

 

 

特に大々的な記念講演や祝典を開かず、新旧の会員に集まってもらって、真宗カウンセリングとの関わりと思いを話してもらうだけ。

ところがそれが、単なる懐古ではなくて、真宗カウンセリングとの歴史を経た上での「今・ここ・わたし」を言葉にする作業で、まさに真宗カウンセリングのワークと呼べるもの。

故・西光先生の思いが結実しているのを感じる。

 

外に飛び出して、ますます活躍しておられる方も一杯居られる中で、こうやって50年続いてきたことで「ここに在る」ことを節目のイベントで発信することで、「今」を持ち寄って顔を合わせるだけで、つながりが生まれて、深まりが生まれる。

 

私自身、今後どのようになっていくのか分からない。

(自分の軸にあるものも、ちょっとしたきっかけで移り変わっていきますしね)

でも、こうやって”個”が集って、それぞれが経験を経た”今”でつながるの機会は大事にしたいですね。

 

午後にはお二人の方の研究発表があったけど、中座したんで中途半端にしか聞けてない。

レジュメをもらってるのと、音声の記録が手元にあるので、後でじっくりと…。

でも、ライブで聴くのとは違うから残念なことしたなぁ。

 

まぁ、とりあえずひとつ肩の荷が降りたんで、しばらくはのんびりと。

 

 

夜の祝賀会も幹事なんで浴びるほどは飲めなかったけど(いやいや、疲れてて飲めないかと思ったらビールのピッチャーいくつかあいてたから記憶にないところで飲んでるんだろうな)、幹事で座った端っこの席は少し前に活躍してた方たちが集まって談笑。

奥のほうの何十年も関わってこられた方々とは違うけれど、こうした先輩がたのバトンがあって、今があるんだよなぁと。

 

「新旧が交流するだけの質素なイベントで」とはいうが、その交流だけでも時間が足りないと思えるんだから、イベントは質であり、質は人が作るんだなと実感した日だった。

 


11.11.11

2011-11-11 23:14:15 | 日常雑感

2011年11月11日ということで、巷ではなんでも11時11分11秒に何かがリセットされる、あるいは自ら何かをリセットさせるきっかけに良いとか言われとりましたが… 
先日来の探し物をいろいろとしているうちに、その時間は過ぎてしまってました。 
なにか 
リセットされたんだろうか… 

ということで、本日は結婚記念日だったりします。 

平成1年11月11日11時11分 に大谷本廟にて結婚しました。

(普段は元号を嫌ってるんですが、これだけは語呂合わせのために使用) 

本廟というのは親鸞聖人のお墓という意味でもありますから、人生の墓場にはふさわしいかと。 
いやいや、ちゃんと仏前結婚式を受け付けている立派な場所でして。 

で、本日2011年11月11日11時11分に長女からおめでとうメールが入っておりました。 
結婚「11+11」周年おめでとう、と。 
(周年とうちこんで変換したら”執念”とでてきた…まぁ、執念で結婚生活続けとりますな) 
なかなかおしゃれな娘でございます。 


昨日は「1日はやいけど」と言って、次男がプレゼントを買ってきてくれました。 
ちょっと大きなランドリーバスケット。 
やわらかいシリコン製のバスケットで、ちらかって狭くしか開かないドアの状態でも「やわらかいから曲げたら通れるねんで」と得意げです。 
ちょっと発想の変わった息子ですが、涙が出そうにうれしかったですね。 


一昨日、長男を病院に連れて行きました。 
ここ10日ほど頭痛が続くというので、かかりつけの病院に行き、念のためにと日赤に紹介状を書いてもらって、CT検査です。 
結果は大丈夫でちょっと安心。 
ただ、見てもらった先生は「じつはぼくは脳は専門外でこっちが専門なんやけど…」と肥満体質の息子を気にして「血液と尿の検査させてもらっていい?」と。 
結果は「脂肪肝」 
もうひとつ懸念されていた糖尿病は白だったんですが、「これ以上肥るとダメ」といわれました 。 
「頭痛で来たのに他のことしてごめんな」となかなかに低姿勢の先生でしたが、こちらも本人の自覚や家族の叱責いがいで客観的に息子に「大変なことなんやで」と示してもらえたので助かります。 
その態度やゆっくり静かなトーンの物言いで、今まであった医師の中で一番安心感の持てる先生な気がしましたね。 
しばらくは食事と飲料(お茶か水)を気にして、ダイエットに励んでもらいましょう。 


あと、一昨日次女が修学旅行から帰ってきました。 
オーストラリアに1週間、うち半分はホームステイです。 
直前に体調・精神的に不安な状態で心配してましたが、帰ってきて楽しく話をしてくれます。 
違う環境に触れるというのはなかなかに刺激をもらってくるようですね。 
いろいろと嫌なこともあったようですが(友達関係)そのことも明るく話してます。 
身体は疲れてるだろうに、マシンガンのように伝えたいことがあふれて止まらない感じでした。 
いつもは喧嘩になる次男の付きまといも、そんなに嫌がらず受け止めてる…1週間離れていると距離感が変わるんでしょうね、少し余裕があります。 
まぁ、また毎日一緒に暮らしてると戻っちゃうかもしれませんが。 

うん、結婚22年の様々な出来事・経験が、子どもたちを通じて今こういう形で現れてるんだろうなって気がします。 

長女だけはバイトでしたが、5人で食事に行ってきました。
たいしたところに行ったわけじゃないですが、なんだかんだで楽しくおしゃべりしながらの食事。
そういうことがうれしい記念日でしたね。


遠いところでのお話

2011-11-08 16:24:56 | PTA

今日は市P連の中の「はぐくみ委員会」が主催する全市交流会があり参加してきた。

「はぐくみ委員会」の今年度のテーマが「発達障害」を学ぶということで、個人的にも興味がある。

 

9月にも学習会に参加したが(「発達障害についての学び」9/10)今回も講師による講演会と、後半はグループでのワーク。

それぞれについてじっくり書きたいけれど、まだ熱いうちに感じたところをつらつらと。

 

まず、挨拶として市P連の会長が、この週末の3日間に訪問された仙台PTAフェスティバルと各地の視察の話をされた。

先週の理事会で、訪問されるという話は聴いていたが、「こういう目的を持って行ってきます」という言葉と、今回目の当たりにし、全身で感じてきたことを語る言葉では、伝わってくるものが大きく違っているのを感じた。

 

脚色や意識の誘導などがない、生の言葉。

同行された各役員さんの言葉にしても、立場や役割ではない、被災地の人と”出会った”そのままの話を伝えてくれる。

そう、伝わってくるものがある。

 

被災地の方々が伝えようとしても、遠い地で画面や紙面越しに聞いている言葉では、受け取り側の心の置き所が、その温度差が、「そのままに伝わること」が難しい。

もちろん、今回話された方々の言葉も、出会われた現地の方々の言葉の後ろのエネルギーをそのまま伝えることは出来ない。

しかし、何かを感じてきた人が私の目の前に”居る”

その人の言葉は伝わってくる。

「あぁ、言葉にしきれないものを感じてきたんだ」という、打ち震えるような”何か”が伝わってくる。

 

 

今回の交流会後、市P連会長に少しあいさつをする時間が合ったので、「伝わってきました」ということを伝えさせてもらった。

「うん、でもあれは一般向けの言葉にしていて、ほんとうに伝えたいことはまだまだあるんだ」というようなことをおっしゃっていた。

 

今回聞かせてもらった話の後ろにある、びんびんと感じてきた”何か”を、私が又聞きで伝えることは難しい。

見ていないことを見てきたように言うことはできないから。

 

ただ、被災地から遠くに居る私たちが”知っているつもり”のことは、かなりのフィルターが入っているということ。

時間とともに薄れていっている気がしているけれど、現地ではまだなにも薄れていないこと。

 

いや、こういう風に書いていても、これは頭の理解であって、肌で感じていることではない。

 

自分の感覚が正しいとは限らないよってところで、今はとどめておこうと思う。

 

他の事も簡単に触っておこうと思ったけど、このことを書き出したらちょっと感じが変わってきたので、今日はここまで。


最近のあれこれ

2011-11-07 23:58:00 | PTA

 

ワークショップからまだ1週間しか経ってないけれど、この1週間またまたいろいろ刺激を受けている。

で、いくつも書きたいトピックがあるんだけど、いかんせん時間がない。

無理すれば作れるんだろうけど…

 

気分がマイナス気味で書けないときもあるけれど、今は充実方向。

どちらかと言うと、気分が順調すぎて裏がありそうで…(笑)

いやいや、実際は夜勤仕事の最中なんか、いろいろマイナススパイラルの妄想に陥ってます。

でも、それぞれの充実した出来事に、そういうマイナススパイラルの自分でさえも「これが今の自分」と受けていける感じが。

 

個別のことは機会があれば掘り下げるとして、忘れないうちに記録としての流れを。

 

さかのぼるけど、ワークショップの前の週に「公園整備準備会議」ってのがあった。

近所の公園を整備するってんで、地域住民を集めて説明会。

自治連の会長さんから「PTA会長は参加せんといかんでしょう」と言われてたので、エンカウンターグループを休んで参加。

で、お決まりの一方的な説明会かと思っていたら、ワークショップ形式で「どんな公園にしたいか」をグループ討議するというなかなか楽しいもの。

まぁ、ある程度のガイドラインと言うか、「一般的にはこうなります」という実例をいくつか挙げられているので、そういう方向をベストととして、その上で「こうしたい」って意見を集める感じかな。

グループに行政担当者・公園設計業者なども入って、なんとなくレールに乗せられてる感はあったけど、結構”声を聞いてくれている”感があって、ただの説明会にはないものを感じる。

2回目・3回目と具体的になってくるけど、こういう風に住民の声を重視してくれる姿勢が変わらなければうれしい。

 

ただ、「ワークショップ」ということで最初にタイムスケジュールが示されたけど、結構時間管理がいい加減で、休憩をすっ飛ばして進めていったりとちょっと嫌な部分も。

休憩が欲しかったということではなく、変更するならするで説明があれば良いところを、一方的に進めて行くあたりが”優しくない”

時間も含めて、「約束事を大事にする」「参加者の声を聞いて変更などを確認する」ってことは、ワークショップと名乗るからには大事にしてくれないとね。

 

 

同様の会議は、その週末にあった「きずな祭り総括会議」

23日に行われた地域のお祭りの総括を、忘れないうちにやってしまおうというもの。

こちらのほうは…進行役が意見を募るものの、出てくる意見がなんとなく後ろ向きのものが多くて、批判否定感が強い。

また、誰か(団体)を名指しで駄目だしをする流れ。

もう少し「来年はこういう風に改良すれば」という言い方で意見を述べたり、「私はこうして欲しい」という”わたしメッセージ”で意見を出し合うほうが、同じ内容でも気持ちよく進むと思うんだけどねぇ。

 

あとは、先週の金曜日に小Pの理事会。

今月末のPTAフェスティバルや、来年の日P京都大会の準備の話、また先日の近P福知山大会の報告など、事務的なことだけでも盛りだくさんだったけど、時間を割いて「前期が終わっての各支部の報告」を分科会別に分かれてワークショップ形式で。

だいぶ顔なじみになってきた各支部の会長さんたちだけど、その支部がどういう様子かってのはあまりじっくり聞いていない。

自分の支部のことしか知らない私にとっては、とても貴重な時間で、地域性の違いは当然あるものの、それぞれの問題や悩みを打ち出しあうのは楽しい。

(いや、問題はたのしいと言ってられんけど、分かち合う感覚が楽しい)

相手の話・言葉をじっくり聴く、それだけでとても良い時間になる。

 

ワークショップというキーワードだけでも3種3様だけど、そこに「相手の尊重」があるかないかで大きく違ってくる。

 

あと、この理事会で、このブログを読んでくださっている方が感想を述べてくださった。

そういう声を聞かせてもらうと、やっててよかったなぁと。

 

 

と、PTA・地域がらみだけでここまでになってしまった。

カウンセリングと法座がらみのことも動いたここ数日だけど、それは次回に。

 


第13回真宗カウンセリング・ワークショップ

2011-11-01 06:08:19 | コミュニケーションワーク

土日の二日間、真宗カウンセリングワークショップが行われました。

もう13回目。

年に4回行われますから(休止の回もありますが)3年以上、他の方が世話役をされる回もありますが、10回くらいは参加してるでしょう(きっちり調べればいいのでしょうが)

当然のごとく、毎回参加者の顔ぶれが変われば、雰囲気も話題も変わります。

「何が起こるかわからない」のが楽しみであり、「何が起こっても大丈夫」なのが素敵で、私を成長させてくれます。

 

具体的な内容は書きませんが、今回も話題が豊富で、あっという間の二日間です。

 

そんななか、真宗カウンセリングをどう捉えるかのキーワードがいくつか現れてきました。

それは問いかけであり、回答であり、立ち位置を確認させてくれるものです。

 

「構成的エンカウターグループ」と「非構成的エンカウンターグループ」

「真宗の話をベースにする」と「誰でも参加できる話題を心がける」

 

答えを語るのは簡単ですが、そこは体感する中で気付きとなって現れるもの。

 

私自身は、こういう問いかけも含めて「ダルマ-ベースド-パーソン-センタード-アプローチ」ということを改めて味わっていました。

 

横に居る人の存在を感じる…それは肩の辺りから感じる温もりであったり、息遣いであったり。

前の人の存在を感じる…それはふと目があったときの表情であったり、少し前のめりになったときの”動いている”感じだったり。

発言があるだけではなく、”居る”という感覚。

空間と時間を共有している世界。

ひとつの宇宙とさえいえるもの。

 

また、”個”ということについても。

表に現れる現在の問題。

内省していくうちにたどり着く生育暦や自性。

それらを語ることで、見つめなおす自分自身。

決して、抱えて問題が解決するとは限らないけれど、その問題と自分の距離・位置が変わることで、新たな視点が開けてくる。

 

そんな「今・ここ・わたし」が出会うことで、あらゆる時間、あらゆる人がつながっていく感覚。

 

そういう時間・空間を創り上げるには、「安心」ということは大きなテーマになる。

もちろん、参加者一人一人への信頼ということも大事だ。

ただ、そういう感覚を超えたものが、”法”に根ざした「ありのままでいていい」という感覚。

これが、部屋中に満ち満ちている…それが根底にあるもの。

 

話題はきっかけにすぎず、その話題で動かされた自分自身を感じていくところで、自分自身を観、周りの人を観る。

 

こんな得がたい時間は他にないだろう。