文化人類学を教えてくださった先生に石森秀三先生がいます。当時、私は大学に入ったばかりの1年生。右も左もわからない、そんな駆け出しの学生でした。石森先生の講義を履修したのも、ただ、その時間にとる授業がなかったから。しかし、先生の講義は教養学部時代、一番たのしかった。南の島(サタワル島)での生活記。
しかし、最後の授業での、先生の一言が私の人生を大きく変えました。「無用の用」。この一言が持つ重みが私を変えたのです。先生は言いました。「文化人類学なんて、人間が生活していく上でなくてもいい学問なんです。でも、それやることには価値があるんです。‘無用の用’です。」と。
それ以来、私は「無用の用」を追い求めるようになりました。「だれもが必要としない、しかし私は必要と思うのだ」と、新しい学習をするとき、常に自分に語りかけます。
「これは‘必要の用’、これが‘無用の用’」。そして、両方一生懸命にやる。
今、やっていることは、ほとんどが会社のために、直接役にはたちそうにないです。産能大学で学んでいることも、産業カウンセラーを目指すことも、本を読むことも、中国語や韓国語を学ぶことも、当然、資格をとることも。でも、これが、私の「無用の用」なんです。きっと、何かの役にたつこともあるはずです。先生、この考え方はまちがっているのでしょうか?
⇒石森先生は、今、放送大学で講義をされています。ご興味のある方は「博物館学」の授業を見てください。
しかし、最後の授業での、先生の一言が私の人生を大きく変えました。「無用の用」。この一言が持つ重みが私を変えたのです。先生は言いました。「文化人類学なんて、人間が生活していく上でなくてもいい学問なんです。でも、それやることには価値があるんです。‘無用の用’です。」と。
それ以来、私は「無用の用」を追い求めるようになりました。「だれもが必要としない、しかし私は必要と思うのだ」と、新しい学習をするとき、常に自分に語りかけます。
「これは‘必要の用’、これが‘無用の用’」。そして、両方一生懸命にやる。
今、やっていることは、ほとんどが会社のために、直接役にはたちそうにないです。産能大学で学んでいることも、産業カウンセラーを目指すことも、本を読むことも、中国語や韓国語を学ぶことも、当然、資格をとることも。でも、これが、私の「無用の用」なんです。きっと、何かの役にたつこともあるはずです。先生、この考え方はまちがっているのでしょうか?
⇒石森先生は、今、放送大学で講義をされています。ご興味のある方は「博物館学」の授業を見てください。